ナイトハント・アンド・ペネトレイト・ハート(16)
俺が何を言うより早く、フォーキャストが動いた。
その手には伝説の大長巻、ブレード・オブ・アナイアレイション。
「――よい、しょっ!」
斬り下ろしからの斬り上げ。遅く錯覚するほどに滑らかな動き。
大気がプレス機に叩き潰されたように圧縮され、剃刀のように薄い風の刃がふたつ生じた。それが突っ込んでくる2台のトレーラー目掛けて大通りを走る。
「そいつは予習済みだぜ! 先生、お願いします!」
イグニッションが叫ぶと、走るトレーラーの後部から影がひとつ飛び出した。
それが路面にぶつかる寸前で浮かび上がり、独特の駆動音を立ててホバー走行。そこから虹色の光の奔流が放射され、斬撃波と正面から交差する。
TICK! ――次の瞬間、斬撃波が止まった。
防がれたわけでも掻き消されたわけでもない。超高圧の空気の刃は形を保ったまま動きを止め、音もなくその場に静止していた。
「あら、止められた。顔見知り?」
「ええまあ」
『怒れる幽霊』の車体の陰で、俺はフォーキャストの問いに答えた。
「最悪の相手っすね。足止めに関しちゃ本部要員で一番かも」
巨大なガラスオブジェのように固まった斬撃波の前で、魔導バイクと2台のトレーラーが停車した。たちまちコンテナが展開し、50人を超えるギャングがゾロゾロと降りて来る。
「――素晴らしい。危うく戦う前に全滅するところでした。まあ私がこうして間に合ったので、そうはならなかったわけですが」
その先頭で、斬撃波を止めた魔法使いがゆっくりと拍手しながら言った。
ひとり用の乗り物に座った、上流階級ぶった風体の女だった。
トーク帽に三つ編みの銀髪。ペンシルスカート・タイプのギャングスーツ。
強化クリスタル製のマギバネ義手の内部では、無数の歯車がTICK TACKと回っている。雨の中で傘も差さずにいるのに、その身体には雨粒ひとつ落ちていない。
乗り物の方は車椅子に似ているが、車輪がない。代わりに魔導浮揚機が底部に取り付けられていて、その周りをスカート状の装甲カバーが覆っている。
浮揚椅子。魔導車より速くて小回りも利くが、魔導エンジンを積んでいないから乗り手が魔力を注がないと動かない。あんなピーキーな代物を愛用しているのはヒュドラ・クランでもあいつひとりだけだ。
「どうも教授、バックスタブです。内勤のあんたまで引っ張り出されたか」
「ええ、おかげで日課のアフターディナー・ティーが台無し」
女が脚を組んで両腕を広げ、慇懃に名乗った。
「ご機嫌いかが? ウォッチメイカーです。歓迎の拍手をどうぞ」
BLAM!
俺が銃撃で答えると、ウォッチメイカーは即座に義手の掌から虹色の光を飛ばし、弾を空中で停止させた。そのまま椅子の肘掛けに頬杖をついて皮肉げに笑う。
「貴方らしいシンプルなお返事ですこと。ただ私のストップ・ビームを掻い潜るには少々芸がないかと思いますが……」
「一言多いのは相変わらずっすね」
ウォッチメイカー。元西区魔法学園の教授。全区で指名手配中の重犯罪者。
普段はヒュドラ・ピラーで参謀のような仕事をしていて、暴力の現場に出ることは滅多にない。だが、間違いなく東区屈指の魔法使いのひとりだ。
「パノちゃん、あれ念動魔法?」
「にしては精密すぎる。――喰らえ、この野郎ッ!」
パノプティコンが念動魔法で周囲の瓦礫や魔導車残骸を空中に巻き上げ、燃える金色の魔力を注ぎ込んで投げつけた。
サイコ・サバット奥義、デス・フロム・アバブ。まるで絨毯爆撃だ。
「まあ、可愛いお嬢さん。無謀なチャレンジは若者の特権ね」
ウォッチメイカーは慌てず、座ったまま手をかざした。
透明な腕の中で歯車が回転し、掌から虹の光が放射されて瓦礫群を照らす。
TICK! 次の瞬間、瓦礫群が空中でピタリと停止した。
「このっ……押せない!?」
パノプティコンが念動魔法で瓦礫を押し込もうとするが、ビクともしない。当然だ。奴が使うのはそういう魔法なのだ。
「私が何をしたのか解りませんか? そうですね、無理もないことでしょう。なにせ私の魔法は習得が大変困難で、使い手も私ひとりしかいないのです。その名も」
「興味ないでーす!」
フラッフィーベアが手裏剣を生成し、ほとんどノーモーションで投げ打った。
まるで狙撃銃。瓦礫の隙間を突き通し、命を奪うはずの一撃だった。
「――時間魔法と言いまして、物の時間を止められるのです」
TACK! だが着弾直前、手裏剣はビタリと止まった。
停止する瞬間、ウォッチメイカーの周囲にシャボン玉のような虹色の膜が見えた。頭上の雨粒と同じく、奴が周囲に張り巡らせた魔法の力場に捕まったのだ。
「時間って言った!? そんな高度な魔法をどうやって速射してるの!?」
「腕ン中に遺物仕込んでて、それで詠唱を踏み倒してるとか何とか……」
「つまり死角なしってことー? やだなー、苦手なタイプ。性格も悪そうだし」
「ちょっと鬱陶しいだけで悪い人じゃないんすけどね。――死ねや!」
BLAMNBLAMNBLAMN! 俺は『ヒュドラの牙』を撃ちかけた。
殺せるとは思っていない。相手に魔力を使わせるための嫌がらせだ。
だがウォッチメイカーは魔法を使おうとすらせず、浮揚椅子で高速ホバー滑走して散弾を躱した。
「まあ怖い。私は荒事には不慣れでして、このストップ・バリアの中からストップ・ビームを撃つしか能がないのですよ。まあそれで負けたことはありませんが……」
ウォッチメイカーが掌を向け、今度は俺たちを狙って虹色光を照射した。
即座にフラッフィーベアが俺を抱え、パノプティコンと別々に飛び退った。
TICK! 射線上、血だまりの中で痙攣していたバックドラフトが虹の光を浴び、石になったように固まった。こうなると奴が魔法を解除するまで止まったままだ。
「田楽刺し、まずまずの駒得ね。イグニッション、彼女を回収しなさい」
「俺も戦えます! 奴はスパニエルを殺った、蚊帳の外は御免だ!」
「彼は命を懸けて舎弟の貴方を救ったのに?」
「……チィーッ!」
VROOOOOM! イグニッションが歯噛みしながら魔導バイクを発進させた。
「カバーだ。頭を抑えろ!」「応!」
即座にバウンサーが盾のライトで目晦ましを仕掛け、その陰からスカウンドレルが銃弾を撃ちかける。前からはウォッチメイカーのストップ・ビームとギャング部隊のマシンガン一斉射撃。
BRATATATATATA! フラッフィーベアが俺を小脇に抱えたまま連続側転を打って銃弾を躱す。
同時にパノプティコンが念動魔法で残骸を引き寄せ、盾にして時間魔法を防ぐ。
しかし、このままではジリ貧だ。こちらが放つ瓦礫弾や手裏剣は全てウォッチメイカーに止められ、他の連中に届かない。
その間にイグニッションが通りの奥まで辿り着き、魔導バイク側面のキッドナッパー・ユニットを射出。固まったバックドラフトを無数のワイヤーで絡めとり、そのまま引きずって娼館街から離脱した。
(伝令役を逃がしたか)
フラッフィーベアの腕から降りながら、俺は状況を整理した。
敵は60人以上。前にウォッチメイカー、側面にバウンサーとスカウンドレル。
状況は袋のネズミ。奴らを振り切るには魔導車が必要だが、袋小路になっている暗黒娼館街で車が出入りできるのは正門だけ。そこを塞がれている。
「さあ、お行きなさい。ひとりたりとも逃がしてはなりませんよ」
さらにウォッチメイカーの号令で、敵集団から魔法使いが何人も飛び出してくる。
スティングレイ。グレイゼリー。ホワイトカード。マレットロー。シーアーチン。ボードグリーン。クリスプス。クラックリング。ブロイラー。ソルテッド。
総じて二軍。ニュービーではないが、実力はバウンサーたちより一歩劣る。
だが、ウォッチメイカーの護衛戦力としては十分すぎる。そしてイグニッションの離脱を許した以上、十数分もすれば増援の第2波、第3波がやってくるだろう。東区を統一した今のヒュドラ・クランにとって、そのくらいの動員は朝飯前だ。
(ハードだな。さっき魔力切れ起こしたばかりだってのに)
無視できない疲労の蓄積から目を逸らし、俺は右の靴底を上げた。
〈必殺〉でウォッチメイカーを殺し、時間魔法の脅威を取り除く。
場当たりで切り札を切るのには抵抗がある。魔力不足による不発も怖い。
仮に上手くいっても、包囲されている上にノープラン。酷い戦いになるだろう。
だとしても、俺はここで終わるつもりはない。
「クソアマが、引きずり込んで命獲ってやる……!」
俺は右の靴底で床を打ち、スキルを発動しようとした。
「――やめときな。勢い任せで賭けに出るなんざ」
そのとき、誰かが後ろから俺の肩を掴んで言った。
「ッ!?」
俺はスキルを中断して振り向いた。
だが、背後には誰もいない。魔術排気スモッグめいた、刺激臭のする黒灰色の煙が漂っているだけだ。肩を掴んでいた手の感触も掻き消えていた。
「おい、今の……グワーッ!?」
BLAM! BLAM! 視界の端で銃声が響き、スカウンドレルが倒れた。
奴の背後には拳銃を持った朧げな人影。どうやらあれに後ろから撃たれたらしい。
バウンサーが反射的に拳銃を向けた次の瞬間、人影がぞう、と大量の煙に変わり、瞬く間に四方八方へと拡散した。
「しま……ゴホッ……麻痺毒……!?」
煙をもろに吸い込んだバウンサーが咳き込み、膝をついて、うつ伏せに倒れた。
毒だ。致死性ではないようだが、恐ろしく回りが早い。
手練れのバウンサーとスカウンドレルがあっという間に無力化されたのは、奴らのミスでも練度不足でもない。単に運とタイミングの問題だ。それが何かの救いになるわけではないが。
「あらあら。――魔法使い以外はお下がりなさい。銃が通じる相手ではありません」
「無茶な命令だな。人の脚は煙霧体の伝播ほど速くないぜ……」
今度はウォッチメイカーの背後に人影が現れ、ひとつ指を鳴らして消えた。
PSHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!
それを合図に、娼館街中の建物から煙が噴き出した。麻痺毒の煙が黒い大波めいて大通りに押し寄せ、途中にある何もかもを呑み込んでいく……俺たちを除いて。
「〈霞隠〉のスキル。――なるほど、ここで彼女ですか」
TICK! ウォッチメイカーが左右へ時間魔法を放ち、迫る黒煙を食い止める。
だが銃弾や瓦礫ならともかく、流体が相手では焼け石に水だった。次から次へと湧き出す黒煙は体積に物を言わせて障害を越え、あっという間に敵の逃げ場を塞いだ。
魔法使いは跳んで上に逃げたが、残りの一般戦闘員はそうもいかない。集団で押し合いへし合い、パニックを起こしながら煙に巻かれていく。
「ウワーッ毒ガス!」「逃げろ!」「押すなァーッ!」「終末!」「アバーッ!?」
「なんてこと。……仕方ありませんわね」
ウォッチメイカーは即座に対象を切り替え、味方のギャングたちへとストップ・ビームを照射した。
TACK! 虹の光に薙ぎ払われたギャングたちが硬直し、そのまま黒煙に呑み込まれた。どうせ戦闘不能になるなら無傷で保存する方を選んだか。
残ったのはストップ・バリアで毒煙の影響を遮断したウォッチメイカー。そして強化魔法跳躍で建物の上に逃れた魔法使い10人。
「よもや貴女が出てこようとは。今さら何のおつもりです?」
「オレがどこにいようがオレの勝手だ。ヒュドラ組長だろうと文句は言わせない」
俺たちの目の前、黒煙が一点に密集し、ひとりの只人の姿をとった。
歳は俺よりやや上くらい。男物のギャングスーツに黒い白衣。立ったまま風船めいて宙に浮いている。
ウルフカットの黒髪には複数色のメッシュが入っていて、まるで絵の具をゴチャゴチャ混ぜたよう。徹夜明けのクマのような濃いアイシャドウを引いた目は虚ろ。
手に握っているのは寸詰まりの短銃身リボルバー。8連装モデルの357マグナムで、ポケットから出し入れしやすいようにグリップエンドが丸く削ってある。
「まして若頭の使い走りなぞに詮索される筋合いはないね。――このデスヘイズ様に指図なんざ、1000年早いんだよ」
暗黒麻薬カルテル総元締、デスヘイズ。
失踪したはずの大幹部は不敵に言い捨て、咥えた薬物煙草に火を点けた。
読んでくれてありがとうございます。
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