ナイトハント・アンド・ペネトレイト・ハート(13)
「ぐ……ハアアアアーッ!」
熱のない金色の炎が燃える中、無意識の血肉魔法が脳組織を修復し、ノスフェラトゥは死から復活した。
状況を思い返す。
敵の見せた隙。とどめの必殺剣。そこで突然の爆発。蹴り折られた『魔王の矢』。
……押し負けた? この自分が? 正面から?
「あり得ぬ!」
咄嗟に跳ね起きようとする。できぬ。先程の爆発で手足が全て折れている。
そして目の前ではマウント・ポジションをとったパノプティコンが、右手で胸倉を掴み上げながら左の拳を振りかぶっていた。
パノプティコンは満身創痍。しかしその眼は燃える石炭、血の化粧が彩るその顔は業火を湛えた鋼鉄炉殻、その拳足はあらゆる障害を破砕する地獄の外燃機関めいて、ノスフェラトゥへの攻撃意思を漲らせていた。
「待っ……」
KRASH! KRASH! KRASH! 爆撃のごときマウント・パンチが始まった。鋼のナックルダスターをはめた拳がノスフェラトゥの顔面を打ち据え、強化魔法の守りを破壊し、金色に燃える魔力を送り込む。
パノプティコンの念動魔法は今や、師から受け継いだそれより更に攻撃的な形に開花していた。それは土壇場で編み出した奇策であり、師の教えからの守破離の成果であり、彼女が復讐に費やした7年間の結晶だった。
爆発を引き起こす打撃は暗黒シンジケートの傭兵ウルフコマンダーのデトネイト・キックに似ていたが、彼女のそれの性質はむしろ遅発性の魔法弾に近い。無害なエフェクトを装って敵に貼り付き、任意のタイミングで起爆して衝撃を発するのだ。
(卑しい魔法、洗練さの欠片もなし。しかし……!)
ノスフェラトゥは畏れた。鎧化魔法が万全であれば耐えられるであろうが、今は裸も同然。そこに爆弾を取り付けられているようなものだ。
「ああ、ああ、嗚呼! 殺してやる! 殺してやるぞ、小娘ッ!」
ノスフェラトゥは折られた手足を再生し、反撃に転じようとした。
だが、この程度の再生にも難儀するほど、今の彼女は魔力を消耗していた。そこになおも降り注ぐ拳打! コウモリに変身して逃げる余裕すらない!
「SPIIIIT!」
ノスフェラトゥは顔を起こし、口内に溜まった血を噴き付けて目潰しを仕掛けた。だが一瞬早くパノプティコンのフックが横面を打ち抜き、噴射方向を横に逸らした。プライドを捨てた悪足掻きは無駄に終わった。
KRASH! KRASH! KRASH! KRASH! KRASH! KRASH!
馬乗りになった小柄な少女は、もはや怒りに任せて叫ぶことも、ノスフェラトゥを弾劾することもしなかった。故に我を失って視野を狭めることもなかった。ただ機械じみた高純度の殺意のもと、粛々と、渾身の力で拳を叩き込んでいた。
(あり得ぬ。何故、このような)
蓄えた命の残量が刻一刻と減らされていくのを感じながら、ノスフェラトゥは自問自答を繰り返した。
――表立って支配するから目をつけられる。勇者による魔族殲滅から、彼女が得た教訓はそれだった。
故に50年かけて隠者のように潜伏し、それからもう50年かけて偽りの経歴を作り上げ、この大娼館『無光夜』で慎み深く生きてきた。
周囲から危険視されず、かといって軽くも見られぬ組織基盤を備えた暗黒娼館街。
嗅ぎつけてきた魔族狩りの輩を素材に作り出した合成獣の護衛。
夜会や芸術を楽しみつつ、数年にひとりかふたり、若い娘を喰らって命を伸ばす。穏やかで、死の危険とは無縁な、足ることを知った安寧の日々。
時折起きる東区ギャングの抗争も、彼女にとっては難なく払える火の粉に過ぎぬ。ブルータル・ヒュドラ暗殺に端を発するこの争いも、そうした取るに足らぬ出来事のひとつのはずだった。
(だったというのに!)
当世の未熟な魔法使いと、正面戦闘は不得手の暗殺者。本気を出すまでもなく勝てるはずだった。……だが何もかもが後手に回り、密室に誘い込まれて殺された。
最終手段である血肉魔法の全力稼働により、侍従と娼婦を喰って得たリソースで押し切れるはずだった。……だがバックスタブの〈必殺〉に奇襲され、蓄えた魔力を根こそぎ奪われて殺された。
しかしなお、残った魔力で瀕死のパノプティコンを殺し、返す刀でバックスタブを殺せば、勝てるはずだった。生き延びられるはずだった。
だが、ノスフェラトゥはここで死を迎えようとしていた。それが現実だった。
いかに生きた年月を誇ろうと、人智を超えた魔法を見せつけようと、死ねば後には屍ひとつ。ぬるま湯の安寧、永遠のノスタルジアに立て籠もって死を先送りし続けたノスフェラトゥにとって、その事実はあまりにも重すぎた。
「ウアアアアアアアアッ! アアアアアアァァーッ!」
ノスフェラトゥは絶叫し、首を刎ねられる寸前の鶏のように暴れ出した。
彼女を突き動かすのは目前の敵への怒りでも、旧い魔法使いのプライドでもなく、ただ己が命への執着だった。
「死なぬぞッ! 死ぬものか! この妾がァッ!」
ノスフェラトゥは力を振り絞って両腕を再生し、下半身を自ら引きちぎって切り捨てた。床に腸を引きずりながらマウント・ポジションを脱出し、猛スピードで這って逃げ出しにかかる。
まだだ。まだ勝ち筋は残っている。一時的にでも安全圏に逃げ込めば、コウモリに変身して館の外に逃げられる。それから手近な娼館に入り込み、避難している住民を喰い殺して魔力を補給すればよい。
暗黒娼館街は自分のための荘園であり、娼婦たちは丹精込めて育て上げた家畜だ。街を丸々喰い尽くして魔力に変えれば、この程度の弱敵など容易に……。
BLAMN! BLAMN! BLAMN!
「ギャアアアァァーッ!?」
しかし無慈悲な散弾射撃がその出鼻を挫き、強力なストッピングパワーでノスフェラトゥを押し返した。
「――ジタバタすんじゃねぇよ。ヒュドラ・クランの大幹部が見苦しい」
パノプティコンの反対側、バックスタブが歩き寄りながら冷ややかに言った。
手には硝煙を吐く8ゲージ散弾銃『ヒュドラの牙』。油断なく周囲を警戒しつつ、ノスフェラトゥを死神めいて見下ろしている。
「今さら命がひとつだって気付いたのか? 必死になるのが少しばかり遅かったな。最初から本気で殺しにかかりゃよかったのによ」
「クソ、餓鬼……ぁガッ」
ノスフェラトゥの言葉が途中で止まった。周囲に浮かんだゲイジング・ビットが、四方八方から〈邪視〉を浴びせかけていた。
そこにパノプティコン本人が追い付き、ノスフェラトゥを仰向けに蹴り転がした。そして馬乗りになって細く息を吸い込み、金色の魔力を練り上げる。
「よ……よせ、待て、御令嬢! 妾の負けじゃ!」
抑え込まれた体勢のまま、ノスフェラトゥは上半身だけで無様に命乞いを始めた。
「妾がここで死ねば血肉魔法の秘術が、同胞たちの研鑽が永久に失われてしまう! ……そうじゃ、贖罪のためにお主に我が魔法を授けよう! 習熟すれば不老不死に留まらず、死者の復活すらも自在じゃ! お主の姉も――」
「姉さんは獣に喰われて死んだ。私は獣に贖罪を求めない」
パノプティコンが切って捨てた。
同時に強化魔法が最高潮に達し、その身体が人型の炎と化した。
「ただ、狩り殺すまで!」
パノプティコンが金の双眸を見開いて言った。
KRA-TOOOOON! 屋敷の外で落雷、そして嵐が来たような風鳴りが響いた。
命乞いが通じぬと見たノスフェラトゥが叫び、両手でパノプティコンの喉を狙う。稲妻じみた拳銃射撃がその肩を撃ち抜き、続く〈邪視〉のオールレンジ照射が女魔族を拘束する。金色に燃え盛る画廊の中、ナックルダスターが大気を裂く!
KRASH! KRASH! KRASH! KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!
荒れ狂う拳打の嵐がノスフェラトゥを襲った。一撃一撃が鋼をも捻じ曲げる威力! さながら機関砲の処刑砲火! 存在そのものを否定するかのごとき猛攻が、再生を上回る速度で女魔族の骨を砕き、肉を裂き、血飛沫を上げる!
KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!
KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!KRASH!
バキン! 数十発目の打撃と同時に、左手のナックルダスターが耐久限界を迎えて砕け散った。パノプティコンは破片を振り捨て、手刀を作ってノスフェラトゥの胸に突き刺すと、血管を引きちぎりながら心臓を摘出した。
「痛いか。キャロル姉さんはこうして殺された」
「ァバッ……ァッ……」
ノスフェラトゥが呻いた。その胸郭にはぽっかりと穴が開いたままで、末端組織はドス黒く壊死して足元の瓦礫と半ば同化していた。全身に燃え移った金色の火炎が、その惨たらしい姿を辛うじて隠している。
プレスマシンにかけた鴨ガラめいたその様に、もはや妖艶な娼館主の面影はない。魔力切れによる治癒能力の喪失……一時は無尽蔵に思えたノスフェラトゥの魔力は、とうとう底をついていた。叙事詩の英雄ではなく、ひとりの怒れる少女と、卑しきギャングの暗殺者の手によって。
「お前の血で勇者伝説の最後にこう書き足してやる。『魔族の生き残りは劇場の裏で女を襲った挙句、その妹に殴られて無様に死んだ』と」
パノプティコンは手の中の心臓を一瞥して拍動を止めると、躊躇なく握り潰した。
そして血の滴る左拳を振りかぶり、ノスフェラトゥの顔面に狙いを定めた。
「……死にたく……な……」
「地獄に!」
パノプティコンが爆発するように叫んだ。
部屋中に広がっていた金色の炎が呼応するように火勢を増し、瞬く間に空間を埋め尽くした。バックスタブが血相を変えて画廊から退避。女魔族は恐怖に目を見開き、掠れた叫び声を上げた。
「落ちろッ!」
パノプティコンが拳を打ち下ろした瞬間。
部屋中の炎が一斉に起爆し、室内が白く染まった。
……DDDDOOOOOOOMMMM! ZGGGGTOOOOOOOOOOOOOOOM!
KA-BOOOOOOOM! KRA-TOOOOOOOOOOOOOM!
それは先の爆炎手榴弾による密室爆破のリフレインだったが、駆け巡る爆轟のエネルギーは比較にもならなかった。
本館と離れをつなぐ画廊で発生した念動力は、柱や梁、壁を破壊しながら拡散し、最終的に『無光夜』全体の半分近い体積を爆破解体せしめた。
パノプティコンは爆心地のクレーターの中心で立ち上がり、足元を見下ろした。
そこにノスフェラトゥの骸はない。夥しい血と、クズ肉と骨の欠片があるだけだ。渾身の多重念動爆破は女魔族の肉体を完全に破壊し、瓦礫とシェイクされた有機物に変えていた。これがクイントピア東区一の洒落者、夜の支配者の最期だった。
「……ゥオオオオオオオオオ――ッ! ォォオオオオオ――ッ!」
屋根がなくなった頭上に広がる夜の曇天を仰ぎ、ルイス・クイーンハートは咆哮を上げた。右のナックルダスターを外し、叩きつけるように投げ捨て、また吼える。
失った姉は戻らない。復讐のために費やした7年もまた然り。
だが、後悔はない。今日という日がやってきたのだから!
復讐、ここに成れり! 我が姉よ安らかにあれ! 両親に喜びあれ! 姉を殺めた憎き外道は、この日確かに滅びたのだ! ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ!
「――何を呑気に喜んでんすか! とっと逃げますよ!」
そこに戻ってきたバックスタブが口を挟んだ。パノプティコンが瞬時に正気づき、仏頂面になって向き直った。
「何?」
「何じゃねぇんだよ俺ごと殺す気かこのアマ……じゃなかった。ここは古代建築じゃないんだ、ここまでやったら崩れるに決まってるでしょうが! だから捨て身になるのはソロバン弾いてからにしろって言ったのに!」
「あ……」
パノプティコンが画廊の前後、爆風に抉られた本館と離れに視線をやった。
耳をすませば、そこら中からミシミシと不穏な軋み音が聞こえてくる。この建物が自重を支えきれなくなりつつあるのだ。頷き合う時間もあればこそ、ふたりは並んで走り出した。
「まずはキャストさんとフラッフィーさんを拾って脱出、それから補給と小休止だ。ノスフェラトゥがしぶとかったせいで予定より弾薬を使っちまった」
「店に行くの?」
「それかクランの事務所を襲います。そこは臨機応変に」
「解った」
パノプティコンが頷き、それから思い出したように付け足した。
「……バックスタブ」
「何すか?」
「ありがと。私ひとりだったら死んでた。あんたのおかげ」
「お互い様でしょ。気にしなさんな」
さっきまで壁があった場所を乗り越え、ふたりは並んで屋敷の外に駆け出した。
その背後で『無光夜』が倒壊を始めた。本館と離れがそれぞれ内側に向かってグシャリと潰れ、瓦礫と土埃を舞い上げる。
ゴォーン! ゴォーン! ゴォーン! 館と隣接した時計塔が倒れ、夜の始まりと終わりを知らせる鐘の音が狂ったように鳴り響いた。
それは主を失った暗黒娼館街の断末魔か、あるいは死者たちへの弔鐘か。聴く者によって意味は変わろう。
ただノスフェラトゥは死に、若き暗殺者と魔法使いは生き残った。
彼らにはその事実ひとつで十分だった。少なくとも、今は。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。この更新は週に一度行います。
今すぐブックマーク登録と、"★★★★★"を




