ナイトハント・アンド・ペネトレイト・ハート(12)
パノプティコンの復帰によって、俺は間一髪で難を逃れていた。
拳銃をマグチェンジ。飛び離れて距離を確保。呼吸を整えながら撃ち切った『ヒュドラの牙』をひっくり返し、機関部下の給弾ポートに8ゲージ弾を再装填。
「――来い。明けない夜は、今日で終わりだ」
瓦礫の散らばった画廊は今や金色の火の海。床も壁も念動魔法の力でシールされ、敵にとっては逃走不可能の決戦場と化している。
炎の中心に立つのはパノプティコン。腹を串刺しにされ、無事のはずはない。だがその身体は並外れた魔力をまとい、人型の篝火めいて金色に燃えていた。
そして何より、腹の据わった目をしていた。無我の境地とでも言おうか、死んでも敵を殺す覚悟を決めた鉄砲玉の目だ。
「小娘が生意気な! ジョン坊の怪しげなスキルひとつで逆転でもしたつもりか! この程度……この程度で! 妾の優位は些かも揺るがぬわッ!」
一方のノスフェラトゥも、当初の優雅ぶった姿が嘘のような満身創痍だった。
血肉魔法で生やした山羊角と翼は萎び、魔力から生成した剣士服はボロボロに朽ちている。剣を作り出す余裕もないのか、徒手空拳のままだ。
確殺こそできなかったが、俺の〈必殺〉は奴が娼婦を喰って得た魔力をごっそり奪っていた。奴の焦りようからしても、かなり追い込めたはずだ。
だが、それでも「打つ手なし」が「うまくいけば勝てる」になったくらいの話。質量を持つほどの魔力で全身をガードするのは無理でも、奴はまだ俺たちを殺すには十分な力を残している。手刀一発でも貰えば致命傷だ。
(もう一度〈必殺〉が使えりゃ言うことなしだが)
既に今夜だけで3回もスキルを使っている。俺の魔力はガス欠寸前、身体中が全力疾走した直後のように重い。しばらくはクールタイムが必要だ。
つまり――この場で俺にできるのは、もはやパノプティコンがヘマをしないようにチマチマ援護することだけだ。俺は倒れた飾り甲冑の陰に潜み、不意打ちを仕掛けるタイミングを窺った。
「腹を抉られた半死人ひとり何程もなし! 付け焼刃の魔法で何ができる!」
「何ができる? 自分で確かめてみろ。私がどうやってお前をクズ肉にするか」
パノプティコンは拳を構え、ノスフェラトゥへと踏み込んだ。
勢い任せのダッシュストレート。ノスフェラトゥは半歩引いて間合いを取り、カウンターの手刀突きを繰り出しにかかる。
だが、その動きはフェイントだった。パノプティコンは直前で身を沈め、パンチをキャンセルして低いタックルを繰り出した。ノスフェラトゥは難なく反応し、片手でタックルを潰そうとした。
……だが、そのタックルもフェイントだった。パノプティコンは地面に手をついて反転し、踵でノスフェラトゥの下顎を蹴り上げた。カポエイラ変則回し蹴り、メイアルーア・ジ・コンパッソ。奴にしては珍しい奇策だ。
「ぐッ!?」
予想外の角度からの攻撃を喰らい、ノスフェラトゥが目を白黒させて仰け反った。パノプティコンは跳ね起き、追撃の関節蹴りを叩き込んだ。鋼が入ったブーツの底がノスフェラトゥの膝の皿にヒビを入れた。
「このッ……キィヤェェェェェッ!」
ノスフェラトゥは怪鳥めいた叫びを上げ、超高速の手刀突きを繰り出した。パノプティコンは両目を見開いたままスウェーバック回避し、〈邪視〉の病んだ眼光でノスフェラトゥを縛り付けた。
「今のうちに畳みかけろ! 防御力はガタ落ちしてるはずだ!」
「言われるまでも――ない!」
KRASH! カウンターのローキックが膝関節を完全破壊。さらにミドル、ハイ。靴先が山羊角を折って頭蓋骨を割り、脳漿が零れ出た。
「ARRRRRGH!」
ノスフェラトゥは血肉魔法の力で破壊された脳と骨を再生し、蹴り脚をトラップして投げにかかった。
だが、パノプティコンは投げられる途中で足を相手の首に引っ掛け、逆にノスフェラトゥを投げ倒した。続けて念動魔法空中姿勢制御からの急降下ストンプ。敵の鎖骨を折りながら飛び下がり、着地と同時にサバットの構えに戻る。
(冴えてるな。余計な血の気が抜けてちょうどよくなったか)
まるで無意味に燃えるだけだった暴走ボイラーに、初めて出力に見合う駆動機関が接続されたかのようだった。
パノプティコンは隙の少ない脚技を軸として、そこにスキルやフェイントを交ぜて攻めかかっていた。自分の手札を素早く柔軟に繋げ、相手に反撃の余地を与えない。激しいが丁寧な立ち回りだった。ここにきて余計な力みが削げ落ちたか。
「舐めるな、餓鬼どもが……たかが街ひとつの世界、たかが20年足らずの時代しか知らぬ青二才に、この妾が敗れるものかよ!」
ノスフェラトゥはよろめきながら立ち上がると、右手で手刀を作り、左手は広げて前に出した。
すると右の指がビキビキと音を立てて捻じれ伸び、骨と皮のレイピアを形作った。まるで剣と盾。にじるように動いて間合いを測る。
「どうした小娘、臆したか! 首が欲しくば来たりて獲れい!」
「お前が頭を垂れて首を差し出せ、腐れ老害。殺してほしいと私にせがめ!」
パノプティコンが言い返し、周りに浮かぶゲイジング・ビットを一斉に飛ばした。飛び交う〈邪視〉のオールレンジ照射がノスフェラトゥに移動を強いる。
「ちィィーッ!」
ノスフェラトゥが不服そうに舌打ちして突進した。
パノプティコンは横にステップ、破城鎚めいたサイドキックを繰り出す。女魔族は左手の掌底で蹴りを弾き、剣状に変形した右手で突き返そうとした。
「隙あり」
俺はそこで遮蔽物から身を乗り出し、『黒い拳銃』の引き金を引いた。
BLAM! 9ミリのフルメタルジャケットが膝を破壊し、女魔族がつんのめった。銃を持つ腕に強化魔法、照準を移し、さらなる銃弾を叩き込む。
BBBBBBLAMMMMMM! 一瞬に6連射。無機質なポリマー製スライドが前後して真鍮色に輝く空薬莢を排出。ほんの数ミリの指の動きがほんの数グラムの鉛を弾き、ノスフェラトゥの全身をズタズタに引き裂いた。
「こ、のッ!」
ノスフェラトゥがたたらを踏み、俺に何かを言いかけた。その下顎をパノプティコンのガゼルジャンプ・パンチが打ち抜いた。金色の炎をまとったナックルダスターが顎骨を砕き、折れた歯がポップコーンじみて飛び散った。
「アアアアーッ!? ……おのれ! おのれッ! おのれェェーッ!」
ノスフェラトゥは血肉魔法の力を搾り出し、瞬く間に傷を再生すると、パノプティコンの脇腹の傷を力任せに蹴り飛ばした。
「はッ……! ――まだ! まだッ!」
筋力で閉じられていた傷口から血が噴き出し、パノプティコンが膝を折った。
だが、倒れはしなかった。奴は念動魔法で無理やり身体を動かし、糸で吊られたように立ち上がると、俺に狙いを移そうとしていたノスフェラトゥの横面に左フックを叩きつけた。インパクトと同時に金色の炎が爆ぜた。
「ええい、鬱陶しいわ! 効きもせん打撃をいつまでも!」
「お前を地獄に叩き込んでやる。そう言ったはず……せいぜい祈っておけ。慈悲深い聖火教の神も、お前に救いは与えまい!」
金色の炎が燃え盛る中、至近距離の殴り合いが始まった。
パワーはノスフェラトゥが圧倒的に上。だがパノプティコンは奴の知らない近代的ステップワークを踏み、切り裂くようなコンビネーション・ブローで猛攻をかける。奴が動くたびに燃える残像が生まれ、ノスフェラトゥの間合いを狂わせていた。
パノプティコンの二連ショートフックがノスフェラトゥの肝臓と脾臓を突き刺す。女魔族は叫びながら膝蹴りを放ち、続いて左の鉤手を振り下ろす。パノプティコンは横ステップで膝を避け、鉤手に肌を裂かれながらも致命傷を避ける。舞った血飛沫が金色に燃え上がり、ノスフェラトゥに降りかかった。
(こうも近くちゃ援護もできない。――押し切れるのか?)
打ち合うふたりを見て、俺の脳裏に不安がよぎった。
現状、パノプティコンは1発食らう間に5発は叩き込んでいる。だが、それも奴の体力が続いている今だけのことだ。全身がグシャグシャになるような破壊力を連続で叩き込まなければ、ノスフェラトゥを殺しきる前にこっちが力尽きる。
「姉妹揃って妾の贄となるがよい、増上慢の虫ケラめが! お主の下らぬ復讐は何の成果もなくここで潰えると知れ!」
「お前の減らず口はじきに命乞いに変わる。そして、断末魔に……!」
「ほざけェーッ!」
俺の不安を裏付けるように、パノプティコンの被弾が徐々に増え始めた。敵の目が小刻みなステップワークに慣れ始めている。
打ち合う中、ノスフェラトゥの身体のあちこちには金色の炎が燃え移っていたが、奴は熱がっている素振りすら見せない。当然だ。あの炎はパノプティコンの極まった魔力が生んだエフェクトであって、それ自体は熱も攻撃力も持たない……。
(待てよ)
……熱を持たないエフェクトが「勝手に燃え移る」なんてことがあり得るのか?
「キィィァエエエエエエッ!」
「ッ!」
そこまで考えたそのとき、ノスフェラトゥの重いトラースキックが決まった。
パノプティコンは瞬間的なクロスアームブロックで蹴りを防いだが、衝撃で数メートル後ろに押し出され、そのまま膝をついた。危険だ。
「勝ったッ! 辞世の句は聞かぬぞ、小娘ッ!」
ノスフェラトゥが朽ちかけた両翼を広げ、右手を引いて身を低めた。
深紅の魔力が右手に集まり、レイピア状に変形した骨の表面を螺旋状に渦巻いた。パノプティコンの腹を抉った突進攻撃、『魔王の矢』の予兆だ。
「避けろパノさん! 殺られるぞ!」
BLAMN! 俺はスリングで肩に吊るした『ヒュドラの牙』を構え、撃った。
だがノスフェラトゥは発砲のタイミングを見切り、力を溜めながら前ステップして散弾を避けた。
「フハハハハハッ! ――『魔王の矢』ッ!」
女魔族が床が爆ぜるほどの脚力で地を蹴り、音を置き去りに加速した。
パノプティコンは項垂れるように膝をついたまま動かない。
そして次の瞬間、突き出されたノスフェラトゥの手刀がパノプティコンを貫DOOOOOOOOOM! KA-BOOOOOOOOM! ZGGGGTOOOOOOOOOM!
「……ギャアアアアアアーッ!?」
手刀がパノプティコンを貫く寸前、無数の爆発がノスフェラトゥを呑んだ。
その正体はパノプティコンの念動魔法。奴の身体中に燃え移っていた金色の炎が、破甲爆雷めいて爆ぜながら衝撃波を放ったのだ。ほとんどの魔力を右手に集めていたノスフェラトゥはこれを防げず、全身の骨や関節をあべこべに捻じ曲げられ、姿勢を崩しながら宙を舞った。
(魔法を時間差で……あの女、さっきの爆殺をひとりで再現しやがった)
念動魔法は魔力を放出して目標物を掌握した後、そこに物理的なエネルギーを発生させて物を動かす魔法だ。
至近距離での打ち合いの中、パノプティコンは打撃で敵の強化魔法防御を剥ぎ取りながら、打撃と同時に自分の魔力を貼り付けていた。
そしてノスフェラトゥの大技を誘い、防御がおろそかになった瞬間……貼り付けた魔力を一斉に念動力に変え、全方位からサイコ・プッシュを叩き込んだのだ。
そして、まだ終わりではない。
「……かかったなッ!」
慣性で飛ぶ女魔族の針路上、膝をついていたパノプティコンがバネ仕掛けのように復帰し、鞭で打つような左の前蹴りを放った。
THWACK! 鋼入りの靴がノスフェラトゥの顔面をカチ上げた。女魔族は勢いを相殺され、もんどり打ってその場に墜落した。
「SHHHHH!」「ヒッ……!」
パノプティコンは脚を入れ替え、追撃の右ハイキックを放った。ノスフェラトゥは咄嗟に腕で側頭部をガードした。
――次の瞬間、パノプティコンの股関節が内旋し、蹴り脚が急激に軌道を変えた。ガードを掻い潜り、打ち下ろすような縦蹴りへ。金の炎がまといついた脚が、光輝く弧を描く。ノスフェラトゥが目を剥いた。
ド パ ァ ン 。
直後、処刑剣めいた縦蹴りがノスフェラトゥの脳天に打ち込まれ、一撃で頭蓋骨を叩き割った。ノスフェラトゥは頭から床に激突し、血と脳漿をぶちまけながらボールのようにバウンドして、仰向けに倒れた。
「姉さん! この女の断末魔の叫びを、天国のあなたに!」
パノプティコンが最後の力を振り絞るように吼え、痙攣する女魔族に飛び乗った。右膝で鳩尾を押さえ込むニー・オン・ザ・ベリーの姿勢。さらに周りでゲイジング・ビットが内向きの円陣を組み、ノスフェラトゥを睨む。ここで息の根を止める気か。
「いいっすね、それ。地獄の親父にも届くかな」
俺も遮蔽物の陰から立ち上がって『ヒュドラの牙』を構え、軽く周囲警戒しながらにじり寄った。しぶとい不死者を今度こそあの世に送るときだ。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。この更新は週に一度行います。
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