ナイトハント・アンド・ペネトレイト・ハート(6)
最初に魔法使いと戦ったのは、確か9つの時だった。ヒュドラ・クランがまだ弱小クランだった頃、抗争で敵の傭兵魔法使いと出くわしたのだ。
初めて見た魔法使いは、今にして思えば大した使い手ではなかったが、そのときの俺には無敵の怪物のように見えた。
そいつは味方のレッサーギャングの銃弾を難なく躱し、逆に素手で殺し尽くした。そして俺を蹴り退けて親父の襟首を掴むと、そのまま遊び半分で嬲り殺そうとした。そこで俺が背後から〈必殺〉を発動し、どうにか仕留めた。
思えばあの苦い勝利が、俺の対魔法使い戦闘の原点だった。
正面衝突は避け、群衆に紛れて不意を打ち、一撃で確実に仕留める。
そうして場数を踏み、ノウハウを積み重ねた。神秘のヴェールを剥いでいく中で、魔法使いは無敵の怪物からただの猛獣、殺せば死ぬ標的へと変わっていった。
「――狩人気取りもここまでじゃ、ジョン坊! 魔導灯の光に慣れきったその目に、射干玉の闇の恐怖を刻んでくれるわ!」
だが今、俺は忘れかけていた原初の恐怖を思い出していた。
ノスフェラトゥ。鎧化魔法とか言ったか、魔力から織り上げた紅装束をまとった奴の周囲には、夜中の暗雲めいた不気味な威圧感が吹き荒れていた。
立ち上るキリングオーラは暗黒闘技会のリバーウェイブと同格か、それ以上。
しかも、手の内がまるで読めない。さっきのコウモリの群れへの変身といい、今の魔力の鎧といい、高度すぎて何をどうしているのかサッパリだ。これまで積み重ねたノウハウが通じない。まるで闇から這い出てきた怪物そのもの……。
(違う。たかが人間ひとりだ)
俺は理性を働かせ、意識的に恐怖を切り捨てた。
無敵の怪物などいない。自分がそうだと思い上がっていた奴らを、これまで山ほど死体に変えてきた。恐れて思考を止めれば、敵の思う壺だ。
「射干玉だかノリタマだか話が長いんだよ。さっさとやってみろや」
「ほざきおれ! ――行くぞッ!」
DOOOM! 床が爆ぜる。ノスフェラトゥが踏み込む。深紅の風めいて。
対魔物ライフルめいたレイピアの突き。強化魔法を発動してサイドステップ回避。鞭を打つような擦過音。刀身が顔の横を掠める。
(舐めてやがる)
銃器がはびこる東区で剣を使う奴は3種類に分けられる。アホ勇者、タフ気取り、そして一握りの本物。残念ながらノスフェラトゥは最後だ。
だが、この威力なら胴体を突けば死ぬ。わざわざ顔を狙うのは脅して遊ぶためか、あるいは腕前の誇示か。どちらにせよ好都合だ。
「〈必――」
右の靴底を上げ、スキルの発動を狙う。
〈必殺〉。夜の路地裏。引きずり込んだ相手から武器を奪い、魔法もスキルも封じ込める。だが。
「キィィィヤェェェェエエエッ!」
ノスフェラトゥは怪鳥音を上げ、瞬間移動じみた動きで俺の背後に回り込んだ。
咄嗟に発動をキャンセル。直後、足元に刺さる下段突き。剣速が熱となって絨毯を焦がす音。もう少しで足首を切断されていた。
「ち……!」
振り向きざま刀身を踏みつけて押さえ、腰だめに『ヒュドラの牙』を向ける。
BLAMN! 奇襲気味の銃撃。だがノスフェラトゥは強引にレイピアを引き抜き、刀身で散弾を絡め取って逸らした。異常なパワーとスピード。
「くどい! 鉛玉なぞ飛ぶ蠅も同じよ。妾に傷ひとつつけること能わず!」
勝ち誇るノスフェラトゥ。舌打ちをこらえて無表情を保つ。
右足のストンプがスキルの起点だと知られている? 可能性は低い。単にこっちの出足を潰しに来ただけか。だが迂闊にスキルを使えないのは同じことだ。
(良くない)
左手に手榴弾を握ったまま、前腕を使って散弾銃をポンプ。
このままではジリ貧。だが破れかぶれの攻撃は最悪手。敵を引き付ける前衛が必要だが、パノプティコンは頭でも打ったか、まだ壁際で呻いている。
「どうしたジョン坊、もう手詰まりか。何ぞ面白いことでもしてみせよ!」
ノスフェラトゥが勝ち誇って言った。
俺は握っていた手榴弾を真上に放り、しゃがんで散弾銃で顔と胴を庇った。
黄色い印の入った円筒形が宙を舞う。弾け飛ぶ安全レバー。
「ハハハ! 勝てぬと知って爆薬頼みか! 破片を斬るなど容易――」
ノスフェラトゥがバックステップからレイピアを構え、空中の手榴弾を見た。
KBAM!
「ギャアアーッ!?」
直後、空中の閃光手榴弾が炸裂。マグネシウムの光が部屋中を白く染め上げた。直視したノスフェラトゥが悲鳴を上げて顔を覆う。
BLAMNBLAMNBLAMN! 立ち上がり、ノスフェラトゥの膝下を散弾で破壊。ノスフェラトゥは無様に倒れ、血溜まりの中でのたうち回る。
「ざまあねえな。魔法も脳味噌も旧式か?」
「おのれッ! よくも! 姑息な! 真似をッ!」
ノスフェラトゥが叫ぶ。その身体が足先から溶けるように形を崩し、血溜まりから再び無数のコウモリが飛び立ち始めた。
仕切り直しが先決。追撃はしない。俺は壁際のパノプティコンを米俵めいて担ぎ、そのまま全力疾走で部屋を飛び出した。
◇
「――ちょーっと想定外っすね。まさかあんなに強いとは」
『無光夜』1階、離れへと続く画廊。
散弾銃の給弾ポートにスピードローダーを突っ込みながら、俺は脇で休むパノプティコンに言った。周りには風景画や彫刻、武器を持った鎧が並んでいる。
結果だけ見れば、技量にかまけて慢心したアホをまんまと出し抜いた形だ。だが、実際はほんの十数秒ごまかしただけ。それすら綱渡りの連続だった。決め打ちひとつ外れていれば、地力の差で擦り潰されていた。
「……東区に来てからずっと想定外でしょ」
「違いない」
俺は鎮痛魔法薬をふたつ取り出し、片方をパノプティコンに渡した。
画廊の出入り口にはゲイジング・ビットが念動魔法で浮遊し、近付く者がいないか見張っている。敵が現れれば即座に〈邪視〉を浴びせる運びだ。
「で、パノさん。あいつに正面から勝てますか」
俺のダイレクトな問いに、パノプティコンはポーションを飲みつつ首を振った。
「全開の強化魔法で押し負けた。悔しいけど当たり負けする」
「なら、作戦がいるな。その前に現状を把握しましょう」
俺は推理を始めた。神秘のヴェールを剥ぐ時間だ。
「奴の鎧化魔法……魔力から服を作ったのには驚いたが、要はメチャクチャ強力な強化魔法だ。大口径弾なら通るはず」
「ええ」
「俺が気になるのはその前です。身体が水風船みたいに破裂したと思ったら、それがコウモリに化けて明かりを消した。その直後に無傷のノスフェラトゥが襲ってきた。殴ったときの手応えは?」
「確かに肉と骨の感触だった。強化魔法も使ってない」
パノプティコンが即答した。
「じゃあ完全にノーガードでボコボコにされてたわけだ。妙っすよね。奴は俺たちを不意打ちするために素人を装った。だが奇襲ってのは有利を取るためにやるもんだ。そのためにわざと殴られたんじゃ本末転倒だ。リスクがリターンに見合わない」
薬臭いポーションを飲み干し、俺は続けた。
「ってことは、奴は自爆覚悟でああする必要があったか、リスクを踏み倒せるんだ」
「自分を攻撃した敵を呪い殺す魔法はあるけど」
「その場合、剣で襲ってくる意味がない。踏み倒しの線が濃厚っすね」
コート下の手榴弾を確認。煙幕は使い切った。破片はまだ余裕がある。それに閃光、焼夷、火炎瓶がひとつずつ。ウォードッグ隊から奪った爆炎手榴弾もふたつ残っている。このリンゴめいた赤塗りの鹵獲品が、現状の最大火力だ。
「幻や影武者じゃないなら、自分の傷を治すタイプの奴かな。身体を毒ガスに変えるスキル持ちをひとり知ってますが、そういうのに心当たりは?」
「ひとつ例がある。大昔の話だけど」
パノプティコンがぽつりと言った。
「勇者の魔族退治の話に、コウモリやネズミの群れに変身して逃げようとした魔族の記述がある。だいたい追い詰められて殺されてるけど」
「ネズミやコウモリに何の意味が?」
「そういうトレンドだった。150年前は魔法使いの数自体が少なかったから、戦いもエキシビジョンが多くて、魔法の芸術性が重視された。魔法弾を鳥や動物の形にしたり……魔族も元は人間の魔法使いだから、影響を受けてる」
「なるほど、昔の魔法使いの習性ってわけだ。それで?」
「そいつらが使ったのは、血肉魔法」
自分の言葉を疑うように、パノプティコンが躊躇いがちに続けた。
「死を克服する禁術。ペインキラーさんの解剖魔法の源流。知ってるでしょ」
「人の身体をいじくり回す魔法っすよね」
白衣姿の儚げな女医師の姿が脳裏をよぎった。体内に手を突っ込まれて、ボトルシップでも作るように砕けた肋骨を繋ぎ合わされた記憶が蘇る。
「本来は自分の身体を改造する魔法。ペインさんは治療にしか使ったことがないって言ってたけど、本来の使い手なら変身も再生も思いのままのはず」
「ノスフェラトゥがその生き残りだと?」
「そういう風に見せかけてるだけかもしれないけど」
俺は奴の言動を思い返した。やたらと古さを強調する言動。卓越した魔法と剣技。見下しにも似たテクノロジーへの鈍感さ。本当に魔族とやらの生き残りだとしたら、隠す気がなさすぎて逆にハッタリを疑うほどだ。あるいはそれも偽装の一環か……。
「……いや、少なくとも辻褄は合う。ひとまずその前提で行きましょう」
俺はノスフェラトゥの正体について断定を避けた。
どのみち結論は出ない。今は考古学をしている暇はない。奴が本物の魔族だろうが後追いのフェイク野郎だろうが、殺せば同じ死体だ。
「それで、昔話に連中の倒し方は?」
パノプティコンは首を振った。
「『居城を襲って斬り殺した』としか」
「じゃあ銀の弾丸とか妙なまじないはいらねぇわけだ」
本など読んだことはないが、特殊な手順が必要なら、それが残っているはずだ。
「オーケー、固まってきましたね。敵は凄腕の剣士、しかも自己再生まで持ってる。馬鹿正直に真っ向から戦えば、まず勝ち目はない」
「どう戦う?」
「徹底的に引き撃ちして、逃げ場のない場所に押し込めて、再生させずに殺し切る。それで駄目だったら仲良くふたりでくたばるしかないっすね」
「死んでも嫌」
「俺もです。ベストを尽くしましょう」
俺たちは皮肉を言い合うと、休憩を切り上げて立ち上がった。
外では未だに暴風が吹き荒れ、窓枠がミシミシと軋み音を立てていた。
門番ヒドゥンダガーはまだ生きているらしい。そろそろヒュドラ・ピラーから来た増援も到着しただろう。時間を稼いでくれているフォーキャストとフラッフィーベアのためにも、さっさとケリをつけたいところだ。
「具体的にはどうする?」
「さしあたっては――」
俺が言いかけたそのとき、窓からピタ、ピタと濡れた音がした。
「……見……ツ……け……たぞ……!」
複数人が同時に喋ったような、不気味なエコーのかかった声が響く。
視線を向けると、窓ガラスの向こうには血を滴らせるコウモリの群れ。
それらが集まり、融け合って、窓の向こうにノスフェラトゥの姿を形成していく。――こんな現実離れした真似ができるものなのか。
「離れに向かって走れ!」
「言われなくても!」
BLAMNBLAMNBLAMN! 8ゲージ散弾と〈邪視〉の弾幕をバラ撒きながら、俺たちはふたり並んで駆け出した。
読んでくれてありがとうございます。
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