ナイトハント・アンド・ペネトレイト・ハート(5)
「――そこなお嬢さんは初対面じゃな。まずは名乗ろう。妾の名はノスフェラトゥ。ヒュドラ・クラン大幹部、娼館街の顔役、東区一の洒落者。色々と肩書きを持ってはおるが、本領はこの『無光夜』の支配人じゃ」
ソファで優雅に脚を組み替えながら、ノスフェラトゥが名乗った。
「さすがはヒュドラ・クランの死神、と言っておこうか。ヒドゥンダガーを突破してここまで来るとは見上げたものよ。館の中におった者らはどうした?」
「あの世であんたを待ってますよ」
俺はフレンドリーに笑うふりをしながら答えた。
「マグナムフィストも死んだ。サクシーダーも死んだ。あんたで最後だ」
「しかし、殺す前に聞きたいことがある。違うか?」
ノスフェラトゥが紅い目を細めて言った。
「いや、問答無用で殺す気なら、それはそれで構わんよ? なにしろ妾は非力ゆえ、この部屋まで突破を許した時点で抵抗の術などありはせん。ただ……人懐こいフリをしておるが、お主は冷酷な殺人者じゃ。聞き出したいことでもなければ、殺す相手にこうして喋せなどせん。そう思うたまでよ」
「ならアテが外れましたね。あんたから聞きたいことは何もない」
俺はカマをかけたが、ノスフェラトゥは動じず、低く笑った。
「ならば、妾から自発的に話すとしよう。――唇を湿らすのに酒がいる。このワイン1本くらいは空けさせてくれ?」
「…………」
俺は応接机の向かいに座った。パノプティコンが肘掛けの横に立つ。
ノスフェラトゥはワインボトルの中身をグラスに注ぎ、勿体ぶった動きで香りを確かめた後、ゆっくりと飲み干した。
「んん……悪くない。いい酒は早いうちに飲んでおくものじゃ」
「赤ワインっすか。ヴィタエさんの?」
「いや、舶来の30年物じゃ。……つくづく、アクアヴィタエの出奔が残念で仕方ないわ。救いようのない飲んだくれじゃが、杜氏の腕は確かじゃった」
「デスヘイズさんと逃げたって聞いたけど、結局あの人ら死んだんすか」
俺が訊くと、ノスフェラトゥは首を振った。
「追跡は撒かれたと聞いておるよ。レッドトルネードやセンチネルの相手で、武闘派連中の手が足りんかったからの。大方それを見越したデスヘイズがヴィタエを連れて逃げたのじゃろうて……あやつらは小勢じゃし、酒と麻薬はどこでも売れるからの」
「手に職ある人は身軽でいいっすね。……にしても、若頭は何考えてんだか」
「チャールズなら今は組長代理じゃよ」
ノスフェラトゥがさらにワインを注いだ。
「さして興味もなかった故、真面目に聞いておらなんだが……要するに他区に抗争を仕掛け、このクイントピアを制覇する腹積もりらしい。1年以上も前から入念に画策しておったようじゃ」
「そこはマグナムフィストから聞きました」
話を続けながら、俺はノスフェラトゥの様子を窺った。
隙だらけだ。いつでも殺せる。それが逆に俺の警戒心を掻き立てる。まさか本気で観念しているはずはない。時間を稼いでヒュドラ・ピラーからの増援を待つ気か? だとすれば隠れるでも逃げるでもなく、ここで呑気にしているのは何故だ。
「解んねぇのは動機っすよ。親父を殺して、クランを乗っ取って、戦争して王様になって、何がしたい? 酒池肉林ってタチでもないでしょ、あの真面目人間は」
「何じゃったかな……ああ、そうじゃ」
ノスフェラトゥは昔見た劇の題名でも思い出すかのように考え込み、それから芝居がかった仕草で指を鳴らした。
「――『機械仕掛けの神』に挑戦する、と」
「馬鹿じゃねぇの」
俺が切って捨てると、ノスフェラトゥもクツクツと笑いながら頷いた。
「何を指しておるのかは、わからぬ。しかし中央区の信託を受けた4貴族の中でも、東のワンクォーター家は特に多くの古代知識を受け継いでおる。中でもチャールズは中央区への立ち入りを許された行政府代表じゃ。奴にしか見えぬものがあるのやも」
「なるほど、なるほど」
俺は相槌を打ち、続けた。
「で、あんたらはその与太話に乗ったわけだ。その結果、俺は親父に殺されかけて、逆に親殺しの汚名を背負う羽目になった」
「娼館街の存続のためじゃ」
ノスフェラトゥが答え、またワインを注いだ。
「ずっと前から、ヒュドラ・クランを実質的に運営しておったのはチャールズじゃ。奴が謀反を起こした時点で、他の大幹部が束になっても抗しきれんと予想した。……結果は言うまでもあるまい。妾とて組長を見殺しにするのは不本意なことじゃった」
「そして不本意に死ぬ」
俺は『ヒュドラの牙』のストックに刻まれた代紋をつい、と撫でた。多頭の蛇。ヒュドラ・クラン。ブルータル・ヒュドラ。
「憎いか? 妾が」
「固いことは言わねえ。死んでもらうだけよ」
「よかろう、殺すがいい」
女主人は鷹揚に繰り返した。
「ただ、その前に……そちらの御令嬢は、妾に何やら用があるようじゃな。先程からまるで獲物を睨む蛇のような目をしておる。殺す前にそちらを片付けておいた方が、お主らも心残りがなくて良いのではないか? なにせ死人は口をきけぬからの」
「……確かめたいことがある」
水を向けられたパノプティコンがゆらり、と前に出た。ノスフェラトゥが微笑んでハグを求めるように両手を広げた。
「何なりと聞いてくれ、美しき御令嬢よ。妾にわかることなら答えよう」
パノプティコンが金色に燃える残像を残し、一瞬でその懐に踏み込んだ。
「――ッシャアアアアッ!」
SMAAASH! 次の瞬間、鋼の靴底が破城鎚めいてノスフェラトゥの喉元を打ち、ソファごと壁際まで吹っ飛ばした。
「ぐわーッ!?」
「うわあ」
俺は床に倒されたノスフェラトゥと、サイドキック姿勢で強化魔法を滾らせるパノプティコンを交互に見比べた。
「な……!? 待て、待て! いきなり何じゃ!?」
「観劇会やパーティーの裏で若い女が消えた事件が52件。そのうち未解決が35件。古い事例は48年前、新しいのは5年前。メアリー・プロメシュース、ロール・ベネディクト、エミリー・リズ、バーディ・ストラウド……キャロル・クイーンハート」
狼狽えるノスフェラトゥにゆっくりと歩き寄りながら、パノプティコンは滔々と語った。その無表情は熱と爆圧を秘めたボイラーの鋼鉄殻めいて、金色の瞳は燃える炎を透かした覗き窓めいていた。
「私はクイントピア中を回って、すべての事件を調べ上げた。……未解決の35件、すべて参加者名簿にお前の名前がある。偶然だと言い逃れしてみるか」
「当然じゃ、妾が年にどれだけ夜会に出ていると思うておるか! 確たる証拠もなく襲いかかるなど短慮にも程がぐわーッ!?」
パノプティコンの前蹴りがノスフェラトゥの顎を捉えた。娼館主が大袈裟なまでにひっくり返り、呻き声を上げて壁に寄りかかる。
「話し合うことは何もない。交渉もしない。お前みたいな奴は平気で嘘をつくから。――自発的に話す、と言ったな。せいぜい欺瞞だらけの自己弁護を垂れ流してみろ。お前がどんな断末魔を上げて死んでいくか、私が確かめたいのはそれだけだ!」
「ぐわーッ!?」
パノプティコンが抉るような左ショートフックを下腹に叩き込んだ。ノスフェラトゥが身体をくの字に折り、もんどり打って倒れる。
(……呆気なさすぎる。マジの手詰まりか、それとも演技か)
俺は椅子を立ち、いつでも撃てる姿勢を維持しながら周囲を警戒した。
パノプティコンは口ではああ言っているが、実際のところは情報を聞き出すために手加減している。
これは冒険者というよりはギャング流の拷問メソッドだ。唐突に暴力を叩き込み、相手をパニックにさせて思考の余裕を奪う。すると相手は恐怖から逃れたい一心で、聞いてもいないことまで自発的に喋ってくれる。
だが、そうなると……古参ギャングであり、当然このメソッドも知っているはずのノスフェラトゥが、いいようにされている理由がさっぱり解らない。
「パノさん、気を付けて。このまま死ぬような奴じゃありません」
「解ってる!」
「ぐわーッ!?」
(ホントかよ)
俺は警戒を強めた。嫌な感じだ。相手の考えが読めないということは、武器を隠し持たれているのと同じことだ。動かれたら、先手を取られる。
「待ってくれ、御令嬢! 察するに誰かを失ったのじゃろうが、お主はこうして生きておるはずじゃ! 復讐と怨嗟に身を堕したところで何も生まぬ! 失った者が今のお主を見てどう思うか……」
「お前が! 姉さんを! 語るなッ!」
パノプティコンは青アザだらけになったノスフェラトゥを蹴り飛ばし、鋼鉄ステッキを逆さに持ち替えて『殺撃』の構えを取った。L字に曲がった持ち手をハンマーのように振り上げ、敵の大腿骨めがけて振り下ろす。
――次の瞬間、ノスフェラトゥの身体が粉々に弾け飛んだ。
「何!?」「弾けた?」
筋肉や内臓が衝撃でちぎれ飛んだ、という様子ではなかった。血の詰まった風船が弾けたような、人体ではおよそあり得ない壊れ方だった。
しかも、それで終わりではない。飛び散る肉片や血は無数のコウモリに姿を変え、それが天井のシャンデリアに飛び集まった。
蝋燭の火が消え――暗闇が、部屋を包む。
「ちッ!」
俺は天井に散弾を1発撃ち込み、そのまま斜め前に倒れ込んだ。
SWASH! 直後、背後から襲ってきた鋭い何かが横腹を切り裂いた。
刃物、おそらく長剣の類。内臓は外した。まだ動ける。
「後ろ! 斬られた!」
コートから火炎瓶を取り出しつつ、攻撃があった方向へ拳銃を連射。マズルファイアで火炎瓶に着火し、目の前の壁に投げつける。瓶が割れ、燃えるアルコールが壁にへばりつき、炎が再び部屋を照らし出した。
「――やれ、何という疑り深さじゃ。ここまでやられてみせても油断も隙も見せぬ。この異常な街が生んだ鬼子じゃな、お主は」
「今さら本気モードか、クソババア。非力じゃなかったのかよ?」
「あれは嘘じゃ。お互い様じゃろう? まさか本気で信じていたわけでもあるまい」
ノスフェラトゥは部屋の暗がりに立っていた。数秒前まで顔中にあった青アザは、綺麗さっぱり消え去っていた。さっきまで弱々しく怯えていたのが嘘のようだ。
加えて、奴の手には細身の刺突剣が握られていた。全体に血管を思わせる禍々しい装飾が施され、刀身は乾いた血のように赤黒い。鍔は手元全体を覆うカップ・ヒルト。さっき俺の横腹を刺したのはアレか。
「軽剣士か。素人の護身術って感じでもねえな」
「能ある鷹は爪を隠すものじゃ。――この街に、剣の腕で妾に勝てる者はおらぬ。揃ってこの剣の錆となるがよいわ」
「ファック・オフ!」
BLAMN! 俺は『ヒュドラの牙』を腰だめに構え、引き金を引いた。
ノスフェラトゥは半身に立ち、空いた左手を背中側に隠す決闘剣術の構え。手首のスナップだけでレイピアを流体めいて振るい、散弾を正確に弾き逸らす。
「見くびられた物よの。銃などたかが音速程度の鉛飛礫、にわか仕込みの半端者を殺すが関の山!」
「なら望み通り、頭蓋骨を叩き割ってやる!」
パノプティコンが飛び込み、鋼鉄ステッキで打ちかかる。ノスフェラトゥは片手でレイピアをしならせ、難なく打撃をパリイした。
「SHHHH!」
床を砕くような踏み込みの音。パノプティコンは更に肉薄し、ローキックからコンビネーション・ブローを狙う。ノスフェラトゥはレイピアの刀身を水平に突き出し、パノプティコンを牽制して間合いを保つ。
「フハハハハ! 妾が闇討ちに頼らねば勝てぬと思っておるのなら大間違いじゃ! 獅子は容易くウサギを殺せるが、狩るとなれば全力を尽くす。それだけのことよ!」
ノスフェラトゥが高笑いを上げた。
「獅子だと? 卑しい野良犬が! 今度は本心から命乞いさせてやる!」
「わざとボコられといて奇襲失敗したアホがカッコつけてんじゃねぇよ!」
俺はソファの陰にしゃがみ込み、メディキットから出した簡易止血パッドを横腹の傷に貼り付けた。痛み止めは後でいい。
そのまま『黒い拳銃』を向けて援護射撃。BLAMBLAM! BLAMBLAM! ノスフェラトゥはレイピアを閃かせ、攻防の片手間に銃弾を弾く。
そこに反対側からステッキの殺撃。ノスフェラトゥは受け流しにかかる。だがパノプティコンはステッキを両手に持ち替え、強引に鍔迫り合いに持ち込んだ。
「ハアアアアアァァァァァッ!」
強化魔法が高まり、パノプティコンの身体が金色に燃え上がる。……だが、押し切れない。ノスフェラトゥにパワー負けしている!
「まるで篝火よ! これほど色濃く魔力をまとえるとは、類稀なる魔力量じゃ。――しかし、知っておるか? 強化魔法にはさらなる高みがあることを!」
「ぐああっ!?」
ノスフェラトゥは片手でステッキを押し返すと、強烈な前蹴りをパノプティコンに叩き込み、紙屑のように壁際まで吹き飛ばした。
「旧き魔法使いは炎より剣を生み、風と稲妻の衣をまとい、一夜にして荒野に城を築いた。――その神秘の片鱗をここに見せてくれよう!」
ノスフェラトゥが全身から血のように紅い魔力を放った。
深紅のドレスがチョコレートめいて溶け、魔力に混じって奴の周囲を螺旋状に吹き荒れる。それが活劇剣士じみたマント付きの紅装束とハーフマスクを生じ、奴を一瞬にして剣士姿に変えた。
「魔力が服になった!?」
「強化魔法の上位術式。その名も鎧化魔法!」
自分に酔ったように語りながら、ノスフェラトゥが俺に剣の切っ先を向けた。
「かつてはありふれた魔法じゃった。今はもう、使い手はろくに残っておらぬがな。大勢おった同胞は死に絶え、もはや世界からは闇と神秘が失われてしもうた」
「知るかよ。いらねぇから廃れたんだろ」
俺は切って捨てたが、半分くらいは強がりだった。
ノスフェラトゥが身にまとったのはただの服ではない。質量を持つほど圧縮された魔力の塊だ。キャンプファイアーと溶鉱炉、土壁と圧延鋼板、水車と魔導エンジン。普通の強化魔法とはそのくらい次元が違う。真っ向から戦えばゴミのように殺されるだろう。
「フハハハハ! 確かにな。生存競争は世の摂理よ! ……して、ジョン坊。お主はここからどう生き延びる?」
ノスフェラトゥが仮面の奥で深紅の目を光らせた。
「当ててみろ」
俺は拳銃をホルスターに戻し、コートの下の手榴弾を掴んだ。
読んでくれてありがとうございます。
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