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ナイトハント・アンド・ペネトレイト・ハート(1)


 冬、曇天、灰色の街。夜空を削り取る高層建築の群れ。

 一部の高治安地域を除き、夜の東区に歩行者はいない。牙持たぬ市民が夜の東区を歩けば、朝を迎える前に何らかの犯罪の餌食となるからだ。


 BRRRRRRRR……!


 そこに尾を引く魔導浮揚機(マジックレビテータ)の残光。

 魔導エンジンの重低音を響かせ、漆黒の魔導車が走る。

 『怒れる幽霊(フュリアス・ゴースト)』。6人乗りの重鉄馬。装甲ギャングカーの最高傑作。


「アシを乗り換えて正解っすね。バイクだったら雨ざらしになってたかも」


 運転席には死神バックスタブ。無慈悲なるギャングアサシン。組長ブルータル・ヒュドラを殺し、若頭チャールズ・E・ワンクォーターをも殺さんとする男。


「困るもんね、風邪ひくと」


 助手席には魔物狩人フォーキャスト。竜種(ドラゴン)をも射落とす未来視の弓手。暗黒シンジケート代表サクシーダーとの戦闘で、矢筒の矢は当初の半分ほどまで減っていた。


「ねー、あたしお腹空いたぁ。キャストちゃん何か持ってないー?」

「あるよ、早寿司(はやずし)。作ってきた」

「あははぁ、やったー!」


 後部座席の左側、笑うフラッフィーベア。獣人(ライカン)柔道(ジュードー)、〈風柳(フレクション)〉。

 暗黒闘技会のマグナムフィストに折られた左腕は、土魔法(アースマジック)が生んだ黒鉄のブレーサーの下で既に繋がりつつあった。


「……」


 そして後部右側、パノプティコン。最年少のA級冒険者、苛烈なる南区の獄卒。

 背もたれに背を預け、〈邪視(イビルアイ)〉を宿す瞳で無機質な街並みを睨む。


(……姉さんが死んだのも、こんな日)


 ◇


 パノプティコン、本名ルイス・クイーンハート。西区商家の令嬢である。


 内気で臆病だが、愛されて育った子供だった。そして持て余すほどの魔法の才と、ひと睨みで人を殺せる邪眼があった。


 〈邪視(イビルアイ)〉をコントロールできなかった幼少期は、遮光器に色ガラスを嵌めた目隠しを着けて暮らした。布と綿で作った人形を独学の念動魔法(テレキネシス)で操り、もっぱら家の中で遊んだ。


 仕事で方々を駆け回る両親に代わり、唯一遊び相手になってくれたのが姉だった。キャロル・クイーンハート。柔和な微笑を絶やさない、7つ年上の姉だった。


 その姉が東区高治安地域フリーサイド・スピンドルの劇場で殺された。

 ルイスが8歳のときだった。東区の先代ワンクォーターの招待で、初めて家族揃って外出したときのことだった。彼女は雨に打たれる姉の(むくろ)を見た。がらんどうの胸腔、血に濡れたドレス。

 

 ルイス・クイーンハートは、そこで一度死んだ。姉の心臓を引き抜いた何者かは、同時に儚げな令嬢であったルイスを千々に引き裂き、永久に抹殺したのだった。


 ――殺す! 姉を奪った外道を殺す! 燎原の火のごとき激怒が、それまで彼女を臆病にしていた全てを焼き尽くした。彼女はもはや己の力を、己の行動が他者に与える負の影響を恐れようとはしなかった。


 家出同然に西区を出て、父の知己であったヘカトンケイルを頼った。ルイスは師が自分を挫折させるよう父から頼まれていることを知っていたが、望むところだった。


 真の魔法使いとなるために、血を吐くような鍛錬に耐えた。

 木人トレーニング、焼いた砂利への貫手突き、四方八方から飛来する銃弾の回避、巻き藁ステッキによる顔面打ち。拳は敵の内臓を突き刺す槍、蹴りは敵の脊椎を砕く破城鎚となり、少女の遊び道具だった念動魔法(テレキネシス)は人を殺める武器と化した。


 最後に銃を持った賞金稼ぎ20人との組手を制し、彼女は13歳で皆伝を果たした。パノプティコンの冒険者名(キャラ・ネーム)を授けられた。

 それから2年間、南区で、時に区を越えて賞金稼ぎをしながら調査を続け――ついにひとりの容疑者を炙り出すに至る。


 それがノスフェラトゥ。現ヒュドラ・クラン大幹部の最後のひとり。東区一の洒落者として知られる暗黒娼館街の主。

 これまで組織の規模と、決定的確証のなさ故に手を出せなかった相手だ。しかし、クイントピアの夜会で若い女が消えるとき、必ずこの女ギャングの影がある。


(……はっきりさせてやる。全てを)


 鋼鉄のナックルダスターを護符めいて握り込み、パノプティコンは黙して祈った。

 今では自分が姉と同じ歳だ。時が経つほど過去は風化し、記憶は朧になっていく。バックスタブの東区出奔に始まる騒動は、彼女にとっては僥倖である。


 神よ、照覧あれ。悪しき者どもに滅びあれ。姉の魂、故郷の両親に安寧あれ。

 願わくば今夜の戦いが、全ての理不尽に終止符を打たんことを……。



「――パノ? おーい、パノ」

「……え? 何?」


 涼しげな声に呼ばれ、パノプティコンは我に返った。見るとフォーキャストが助手席から身を乗り出し、木箱をひとつ差し出していた。


「なんか食べときなよ。お腹空いたでしょ」

「ああ……うん。ありがと」


 木箱には四角い包みが無数に詰まっていた。ビネガーを混ぜた米と魚肉をテリーヌ状に重ね押し、木の葉で包んだ寿司(スシ)だ。


「美味いけど、けっこう酢が強いっすね」


 バックスタブがハンドル片手にひとつ頬張りながら言った。


「え。こんなもんでしょ」

クイントピア(こっち)のお寿司って酢が弱いよねー。日持ちしなくなーい?」

寿司(スシ)って握ったその場で食うもんじゃないんすか」

「ええー!? 普通は屋台の作り置きでしょー?」

「私のとこは魚の腹に米詰めて()れさせてたけど」


 フラッフィーベアとフォーキャストが話に乗った。パノプティコンには東区料理の微妙な差異など解らないが、本人たちにとっては違うらしい。


「所変わればネタも変わるもんだ。今度東区の寿司(スシ)屋に行ってみますか」

「いいね。あるかな、鮎と椎茸」

「あたしサーモン! もちろんジョン君の奢りだよねー?」

「文無しに無茶言いなさんな。ギルドマスターに頼んで経費で落としてくださいよ」

「無理無理、エルフェンリア(リア)はそういうの厳しいから。頑張ってよ、皿洗い」

「藪蛇だ」

「あっはははははぁ!」「ふふふっ」「ワハハハハ!」

(……緊張感のない奴ら)


 爆笑する3人を横目に見ながら、パノプティコンは押し寿司をひとつ口に入れた。確かに、酸っぱい。


「娼館街までは、あとどのくらいかかる?」

「5分ってとこっすね……あ?」


 バックスタブが唐突に声を上げた。


「どしたのー? 可愛い子でもいたー?」

「だったら良かったんすけどね。……こういう厄介なのにばかりモテちまうもんで」


 その直後――咆哮めいたエンジン音と共に、『怒れる幽霊(フュリアス・ゴースト)』のバックミラーに無数のヘッドライトが写り込んだ。


 ◇


 クイントピア東区、南東部区域。

 その街の入り口には、魔王殺しの勇者を讃える石像が置かれた大門があった。


 門を抜ければ、闇夜をけばけばしい色彩で彩る魔導ネオンの光とともに、大通りを挟んで立ち並ぶ十数の娼館が目に入る。そこから漏れる女たちの歓声。品定めをしながら歩く客たちを、路地裏に潜む麻薬売人が誘う。


 ここはクイントピア最大の花街、ノスフェラトゥの暗黒娼館街。夕暮れとともに目覚め、日の出とともに眠る混沌の街。


 その最奥に位置するのが、最高級店『無光夜(ライトレス)』である。


 貴族の屋敷を思わせる庭付きの本館に、隣接する大型の時計塔。

 街の顔役たるノスフェラトゥの住居を兼ねたこの店は、古代建築(ビル)が消滅した跡地に建造した「新しい」建物であり、一切の魔導照明が存在しない。あえて空間を暗くして格調を出す、陰翳礼讃(いんえいらいさん)の演出である。


「……といった次第でございます。奴らは今この街に向かっているものと……」

「マグナムフィストが遊びに走り、そこにサクシーダーが漁夫の利を狙いにかかって同士討ちと。今の報告をまとめれば、そういうことになるわけじゃな」


 その最上階、蝋燭ひとつだけが灯された支配人室で、ノスフェラトゥが煙管を(くゆ)らしながら言い捨てた。

 黒の長髪、息を呑むような美貌。深紅のナイトドレス。薄闇に浮かぶような青白い肌にはシミひとつない。しかし切れ長の紅い瞳の奥には、隠しきれない老獪さが宿っていた。


「阿呆どもめ……それでどちらも()られておっては世話がないわ。いくら金や力を誇ろうとも、死んでは花実も咲くまいに」

「キヒィーッ! まったくでございます! まったく!」


 気だるげなノスフェラトゥの言葉に、痩せぎすの従者がペコペコと頭を下げつつ追従する。彼の名はブラッバーマウス。


「しかし、ヒュドラ・クランの死神もやるものじゃ。奴ひとりを取り逃がした結果、このザマとはの。……ヒュドラ・ピラーの組長代行(チャールズ)に連絡はしておるな?」

腕木(セマフォ)にて。既に追手がピラーを出ておりまする」

「なれば、よし」


 衣擦れの音を響かせ、ノスフェラトゥは椅子を立った。


「今宵の営業は中止じゃ。触れを出して避難を急がせ、用心棒どもに召集をかけい」

「ハハッ! あのヒドゥンダガーも出撃()しまするか」

「当然じゃ。……『ブレード・オブ・アナイアレイション』を持たせよ」

「なんと!」


 ノスフェラトゥが苦い顔で呟くと、ブラッバーマウスが目を剥いた。


「あの魔剣を、でございますか? 街にも少なからぬ被害が出ましょうが」

「故に避難を急がせるのじゃ。出し惜しみをして死ねば元も子もない。不満か?」

「ハハーッ! 滅相もございません!」


 ひれ伏すブラッバーマウスを冷たく一瞥し、ノスフェラトゥは窓から街を見た。


 ゴーン……ゴーン……館に隣接した時計塔の鐘が、夜の始まりを告げる。

 宵のとばり。絢爛なる魔導ネオンのきらめき。若く美しい女たち。長い、長い時をかけて手に入れ、守り抜いてきた安住の地。


 ノスフェラトゥはマグナムフィストやサクシーダーのような野心も、殺されたセンチネルやレッドトルネードのような東区ギャングの仁義も持ってはいなかった。チャールズについたのはどこまでも保身のためだ。


 寄る影のある大樹でさえあれば、クランの組長など誰でもよい。マグナムフィストとサクシーダーの抜け駆けの企みに乗らなかったのも、単に興味がなかったからだ。


 だが、この街を襲うのなら話は別だ。同じ穏健派大幹部であったアクアヴィタエやデスヘイズのように、全てを放棄して出奔する気はない。

 触らぬ神に祟りなし。それを弁えぬ侵入者には、血の代償を払わせる。


「誰であろうが妾の安寧は壊させぬ。存分に饗してくれようぞ……!」


 深紅の瞳を赫々と輝かせ、ノスフェラトゥは口角を凶悪に吊り上げた。

読んでくれてありがとうございます。

今日は以上です。この更新は週に一度行います。

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