ウィル・ビー・ボーン・ビニース・ウェイステッド・ランド
「――ヘェーヘェーヘェー! ビー・ハッピー・グッドラック、バックスタブ!」
ウィンドセント区画、管理棟、サクシーダーの事務室。
室内には無機質なデザインの机、椅子、棚、スーツ掛け。絵画や芸術品はおろか、カーペットすらない殺風景。
クリティークはその窓から身を乗り出し、真意の読めないニヤニヤ笑いを浮かべながら、走り去る『怒れる幽霊』にハンカチを振っていた。
「本当にいいのか、一番高い車なんか渡して。ヒュドラ・クランに睨まれるかも」
「なぁに、ゴタゴタの間に盗まれましたって答えときゃいいのよ」
長髪の男がニヤニヤと笑いながら答え、ハンカチを畳んでポケットにしまった。
「それにな、組合長。恩ってのは売れるときに売っておくものさ。人間である以上、損得勘定だけで動くわけはないんだからよ。サクシーダーはそのあたりを何も解っちゃいなかった。全部カネでシンプルに動くと思ってた。だから死んだ」
クリティークが立ち上がり、窓際から離れた。
彼ら『風薫労働組合』の工場乗っ取り計画は、ほぼ成功を収めつつあった。
既に中枢たる管理棟は手の内。今はワーゲンブルクを陣頭に、残党狩りの段階だ。シックルハンマーは単身サクシーダーの邸宅に向かっている。
クリティークを筆頭とする3人の魔法使いは手練れであり、それに対抗可能だったウォードッグ隊と魔導兵器『ミダス』はバックスタブらにかかりきりだったからだ。アルバートはその鮮やかな手際に恐怖すら抱いていた。
「ここからは、どうする」
「地盤固め、あと戦力の増強。そのための金にもアタリをつけてある」
「――戻ったぞ、クリティーク」
クリティークが告げると同時に、金髪をポニーテールにした女が入室した。シックルハンマーが戻ってきたのだ。
行きがけにさらに何人か仕留めたのか、黒のレディース・スーツは更なる返り血を浴びており、腰のハンマーと湾曲鎌だけが血を拭われて不穏に輝いていた。手には見覚えのない木と黒革のアタッシュケースをいくつも持っている。
「グッドタイミング、家探しご苦労。なんか面白い物は見つかったか?」
「こういうものが山積みになっていた」
シックルハンマーがアタッシュケースを無造作に下ろし、留め金を外した。中には台形の断面をした純金インゴットが隙間なく詰められていて、人の欲望を煽るように輝いていた。
「す、すげぇ!」
「これが山積みィ? 金塊ばかり、使いもせずにか?」
興奮を隠せないアルバートの横で、クリティークはむしろ怪訝そうに言った。
「その通りだ。金塊、金貨、宝飾品、小切手。あとは最低限の家具があっただけだ。奴は国でも買うつもりだったか、あるいは財貨に興奮するタチだったらしい」
「虚しいもんだね、まるで昔話の竜種だ」
クリティークが金塊をひとつ掴み上げ、ぶらぶらと振って弄んだ。
「まず工場を直さないとだよな。外の街もだ」
その顔色を窺うようにしながら、アルバートが慎重に発言した。クリティークが虚を突かれたように片眉を跳ね上げ、前工場長の息子に視線をやる。
「く……クーデターが上手くいったってことは、次はクーデターを起こされる心配をしなきゃならないってことだ。だからまず金の流れを健全化して、サクシーダーとは違うことを周りにアピールしないと。地盤固めってのは、そういうことだろ?」
タフな態度を取り繕いながら、アルバートが続けた。
「ヘェーヘェー。さすが知識階級だ。やる気出てきたね」
クリティークが煙に巻くようなニヤニヤ笑いを浮かべた。
「『悪の親玉を倒してハッピーエンドだ』って舞い上がらないあたり、才能あるぜ。おっしゃる通り、クーデターは成功してからのほうが大変だ。なにせ下剋上の前例が目の前に転がってるわけだからさ。民衆を黙らせる飴と、鞭が必要になる」
「鞭……つまりは戦力の増強、傭兵を雇うってことか」
アルバートが表情を険しくしながら言った。
「そういうこと。手っ取り早く戦力を集めるには、金を出してフリーランスを雇うしかない。それもゴロツキみたいな連中じゃ駄目だ。プロ意識があって統制がとれてる奴らがいい」
「そんな奴、そうそういるわけ……待てよ。まさか!」
「――と、いうわけでさ」
長髪の男がパッと笑みを消し、アルバートの肩に手を置いた。
「組合長。申し訳ないが、ちょいと器のデカいところを見せてくれ」
◇
工場敷地外、サクシーダーの魔導ビーム兵器によって焼かれた廃墟の一角。もとは集会場だったと思しき建物の一室に、ウォードッグ隊は再集結していた。
「包帯あるか? スライム・ジェルもくれ」
「こっちに余ってる。火傷?」
「ああ。火炎瓶だ、かなり酷い」
「魔法薬は貴重だ。歩けない奴を優先しろ」
「飯あるか?」
「栄養ブロックだけだ。培養藻がいいか、オキアミがいいか」
「甘いのがいい。緑のをくれ」
仕切りのない部屋にウォードッグたちの声が飛び交う。彼らはみな〈念話〉の統制から外れ、画一的なガスマスクを外し、各々の個性と表情を取り戻していた。
少なくない隊員が傷を負っていた。銃弾を受けた者、格闘攻撃で骨を砕かれた者、火炎瓶による火傷を負った者……それぞれが傷を手当てし、無味乾燥な固形栄養食で腹を満たしている。自力では動けぬ重傷者は、別室で手当てを受けている最中だ。
「――ヒュドラ・クランの死神は工場を出たか。つまり今好き放題やっているのは、漁夫の利を狙った第三勢力。……正面衝突している間に背後から刺されたわけだ」
部屋の奥に座り込むウルフコマンダーが、どこか皮肉めかして言った。
「申し訳ありません、隊長! 私が間に合わなかったせいで……」
その後ろでは幼げな顔つきの小隊長が青い顔で治療を施していた。平静を装ってはいるが、ウルフコマンダーもまた胸腔に達するほどの刺し傷を負っているのだ。
「サージャント1」
「はい」
「お前の警告がなければ、奴は初撃で私の心臓を貫いていた。よくやってくれた」
「……はい!」
(そして間に合っていたところで、この戦術的敗北は覆せなかったはずだ)
柔らかい語調で部下を労う一方、ウルフコマンダーは冷徹に現状を分析した。
ほんの数時間前までウォードッグ隊は万全そのものだった。それがこのザマとは。死と衰退はかくも素早く獲物の喉に喰らいつくものか。
管理棟のウォードッグを蹴散らした「クリティーク」について、彼女は部下から情報を得ていた。黒の長髪、ニヤニヤ笑い、魔法弾と障壁魔法。心当たりはない。他区から流れてきた勢力かもしれない。
「――隊長。負傷者の応急処置、ひと通り目処が立ちました」
沈思黙考する傭兵隊長に、別室から戻ってきた壮年の獣人が声をかけた。
名はウォーターシーカー。ウォードッグ隊の最古参にして、部隊唯一の非戦闘員。ただし、その権限は3人の小隊長より大きい。
「ご苦労。移動できそうか」
「あと1時間もすれば。外壁区画に隠れ家を用意しています。……ただ」
ウォーターシーカーが言葉を切り、気遣わしげに周囲を見回した。ウルフコマンダーがこめかみに指を当て、無言のまま〈念話〉を繋ぎ直す。
#WolfCommander:それからどうするか。問題はそこだな
#Waterseeker:その通りです。こうも早く瓦解しようとは
#WolfCommander:態度には出すな、皆が不安がる
ウォードッグたちの喧噪の中、ふたりが密かにwhisperを送り合った。
#WolfCommander:新しい雇い主を探すとして、猶予はどのくらいだ?
#Waterseeker:切り詰めても一月ほどです。皆、家族がいますから
#WolfCommander:たまらんな。しばらくは根無し草で日銭を稼ぐしかないか
ウルフコマンダーが大儀そうに溜め息をついた。それを苦痛と勘違いした小隊長が手を止め、気遣わしげに傭兵隊長の顔を覗き込む。
東区有数の傭兵であるウォードッグ隊を雇いたがる勢力は少なくない。しかしトラブルを避けるために顧客は慎重に選ぶ必要がある。どんな汚れ仕事もするが、報酬と待遇は妥協しない。それがウルフコマンダーの経営方針だった。
しかしサクシーダーの死が広まれば、いきおいウォードッグ隊の現状も知られることとなろう。そうなれば有利な条件を勝ち取ることは難しくなる。組織を守るため、苦しい決断をすべき時が近付いていた。
――そのとき、外を見張っている部下からノーティスが届いた。
#Wardog43:工場からふたり接近中。片方は例のクリティーク
#Wardog44:白旗を持ってます。目的は交渉の模様。隊長、指示を
ウルフコマンダーは即座に全隊員へ〈念話〉を繋いだ。
#WolfCommander:総員戦闘準備
その瞬間、ウォードッグたちが一斉にガスマスクを装着し、手に手に銃器を掴んで立ち上がった。静まり返った室内にアサルトライフルのボルト音が響き、刺すような殺意が張り詰める。
#WolfCommander:43、状況報告を。クリティークの他には誰がいる
#Wardog43:見るからに素人らしき男。スーツ姿。アルバートと呼ばれています
#Wardog10:管理棟で見た奴だ。戦闘には不参加、おそらく非戦闘員
傭兵隊長は少し考え、答えた。
#WolfCommander:そいつだけ来させろ。渋るなら迫撃砲を撃ち込め
◇
「――あ……えっと、銃下ろしてくれないか」
「断る。さっさと話せ、貴様を生かして帰すかどうかはそれから決める」
通された廃墟の一室で、高級ビジネス・スーツに着替えたアルバートは、冷や汗をダラダラと流しながら、無言のまま整列したウォードッグたちに取り囲まれていた。銃口こそ向けられていないものの、失言ひとつで撃ち殺されそうな雰囲気だ。
ウルフコマンダーは部下に用意させた古椅子に泰然と座り、床に座るアルバートと向かい合っていた。羽織ったミリタリー・コート下の鎧は傷だらけで、額に巻かれた包帯には血が滲んでいたが、まるで痛みなど感じていないかのような無表情。
それがアルバートをさらに恐怖させた。まるで機械だ。5年前に父を殺した無慈悲なる殺人マシンの親玉と、自分は今たったひとりで向かい合っている。
「お……俺はアルバートだ。俺が誰か解るか」
「前工場長の息子だな。5年前の説明会で死んだ」
ウルフコマンダーが即答した。アルバートがむしろ意外そうに目を見開く。
「親父を覚えてるのか」
「骨はあったが、哀れな男だったな」
「どの口が……」
「許しは請わない。仕事だからやっただけだ。それで、わざわざ恨み言を並べるためだけに来たわけでもあるまい」
傭兵隊長が値踏みするようにアルバートを一瞥し、それから彼の持ってきた黒革のアタッシュケースを見た。中身は金塊だ。既に入口で確認させている。
「そいつで私たちに何をさせたいのか、言ってみろ」
「あんたらと手打ちをして、それから改めて雇い直したい」
「断る。話にならん」
ウルフコマンダーが言い捨てた。
「貴様らもサクシーダーと同じだな。傭兵にも傭兵なりの仁義と信用がある。金で依頼主を鞍替えしたと思われるのは御免だ」
「『風薫労働組合』はこの区画で働いてた労働者の代表、いわば暗黒シンジケートの正当な後継組織だ。カチコミをかけたアサシンどもとは、一時的に共闘したように見えただけで無関係だ。対外的に不義理にはならない。トップが死んで割れた組織の片方に継続雇用されただけだ」
「よく喋るな、坊や。台本を考えたのはあの長髪野郎か」
うんざりしたように溜め息をつきながら、傭兵隊長は続けた。
「どんな理屈を並べようが、無駄だ。サクシーダーはクズだが、ある意味この上なくシンプルな奴だった。だが貴様らの親玉は何一つ信用できない」
「そうだな。……あんたの言う通りだよ」
そのとき、不意にアルバートが鋭く切り返した。
ウルフコマンダーが目元をわずかに動かした。彼女を見返すアルバートの目には、しみったれた負け犬の怯懦ではなく、ひとかたならぬ意志の光が宿っていた。
「俺もついさっき組合長に祭り上げられただけで、『組合』は実質的に奴らの物だ。そのうち俺も切り捨てられるかもしれない」
「何を言いたい」
「だが今のところは、奴らと一緒に動くのが一番得なんだよ。あんたらもそうだろ? この先どうなるか解らないし、次の雇い主のアテもないはずだ。だから――」
アルバートは決然と続けた。
「『組合』じゃなくて、俺個人に雇われるってのは、どうだ」
「……ほう」
獣人の傭兵隊長が片眉を上げ、横の補給官と目配せを交わした。
目の前の男はクリティークの目が届かない今のうちに、ウォードッグ隊への命令権を独占する形で契約を結んでしまおうというのだ。
これは彼の独断であり、一種の破れかぶれな賭けだった。
当初はクリティークが交渉を行い、アルバートは形式的に同席するだけで、発言する予定はなかった。しかしこの状況を利用すれば、彼はお飾りのトップから、傭兵を動かす実権を持った存在となれる。
「できもしないことを、って思うか? だが実質はどうあれ形式上は俺がトップだ。ここにある金インゴット10キログラムも俺の金だ」
精神的ショックから立ち直ったアルバートは、今やしみったれた無気力から脱し、自ら優位な立場を得るべく動き出そうとしていた。
――区画の人々のため? 否、自分のためだ。
彼には大衆に演説できるような将来の展望も、自らの政治的手腕への確信も無い。ただ怒りだけがあった。父の工場を、自分の人生を、我が物顔で消費していく連中にムカついていた。それに否応なく従うだけの自分にも。
どうあろうとこの世はクソだ。俺は底辺で惨めに死ぬだろう。
だが誰であろうと、そこに至るまでの俺の足掻きを止めることはできない。どんな飴も鞭も俺を黙らせることはできない。やってやる。
偶発的に湧き出した衝動が彼を動かしていた。それは躊躇なく捨て身の奇襲を仕掛けるギャングアサシンを目にしたことと、あるいは無関係ではあるまい。
「これはあんたらにとってもメリットだ。少なくとも直接クリティークの命令に従う必要はなくなる。それに……自分で言うのもなんだが、俺は奴よりチョロい相手だ。神輿としての俺が必要とされてる今が、取り入る最後のチャンスだぞ」
「――――金10キロなら、即金で4ヶ月」
ウルフコマンダーがたっぷり十数秒考えてから答えた。
「飢えた犬が肉しか信じんように、我々も金しか信じない。この街では何をするにも金が要る。飯を食うにも金、息をするにも金、人の尊厳を守るにも金だ。金払いさえ保証するなら、我々は命を賭けて戦おう」
「わかった」
複雑な感情を顔によぎらせながら、しかしアルバートは確かに頷いた。
「決まりだな。……捧げ銃!」
ウルフコマンダーが椅子から立ち上がった。部屋中のウォードッグが姿勢を正し、一糸乱れぬ動きでライフルを立てる。
「これより4ヶ月の間、我々ウォードッグ隊は貴様ただひとりに従う。どう使うかは貴様次第、せいぜい上手くやることだ」
「やるさ――やってやる!」
アルバートは覚悟を決めてそう言うと、ウルフコマンダーと固く手を結んだ。
空には分厚い灰色の雲が立ち込め、今にも冷たい雨が降り注ごうとしていた。
廃墟の窓から見える工場敷地の中では、未だにサクシーダーの魔導兵器の残骸が煌々と燃えていた。その様は周囲の熱を吸い上げているかのようでもあり、あるいは荒れ果てた地にただひとつ残された、最後の灯火のようでもあった。
(ウィル・ビー・ボーン・ビニース・ウェイステッド・ランド 終)
読んでくれてありがとうございます。
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