ギアーズ・オブ・キャピタリズム(2)
ZZOOOOOOM……。
「なあ、何か音しなかったかい」
「知らねぇ」
ラインを流れて来る魔導車のシャーシに部品をボルト留めしながら、アルバートは隣の同僚に生返事を返した。
工場は窓のない波型スレートの壁に囲われていた。外界の景色は見えず、音もほぼ聞こえない。壁には「職場に感謝」「創意工夫」「権利の前にまずは義務」といった欺瞞スローガン。殺気立った沈黙の中、イメージキャラクターの笑顔が寒々しい。
「ヘェー、ヘェー。クールだね。元工場長の息子さんは」
同僚は長い黒髪をまとめた若い男で、いつもニヤニヤ笑っている気味の悪い男だ。本名は知らないが、クリティークと名乗っている。そもそも名前を持たない路地裏の無名浮浪児なのかもしれない。
「関係ねぇだろ。私語したら上長に殴られるぞ」
「でも気になるじゃないの」
「音がしたからなんだってんだよ。何にもなるもんか」
アルバートは無味乾燥に吐き捨てた。
この魔導車工場の給料は安い。労働時間は12時間超、休日は14日に1度。
生産性を落とす行動は、警棒を持った上長による罵倒と暴力の対象となる。彼らはさらに上級の監督者から厳しいノルマを課せられており、常に降格に怯えている。
そして夜遅くまで働いたあとは、工場の隣のディスカウントショップで物を買い、社宅に帰って寝るだけの生活だ。その過程で使われた金はすべてサクシーダーの利益となる。店も社宅も、あの男が権利を持っているからだ。
まるで血を絞られる家畜か、循環チューブに閉じ込められた養殖魚だ――かつてのアルバートはそう憤っていた。だが過酷な労働の中で人間性は摩耗し、そうした精神的充足について考える気力は徐々になくなっていった。考えても辛いだけだからだ。
(そうさ、何にもなるもんか。俺もウィンドセント地区も、もうおしまいだ)
ボルトをきつく締め上げながら、アルバートは己の運命を呪った。
かつてはこうではなかった。地元の名士だった父は土着ギャング・クランとうまく付き合い、このウィンドセント・ディストリクトには人間の尊厳があった。工場の雰囲気は今よりも穏やかで、労働者には余暇と自由があった。
それが変わったのは5年前。ヒュドラ・クランが土着のクランを抗争で叩き潰し、この区画を大幹部サクシーダーが牛耳るようになってからだ。
「――給与をカットしてノルマを5割増やす!? 冗談ではない!」
「はい、本気です。私は他のビジネスを知らないギャングとは違いますから。この区画の経済活動は全て我がシンジケートが独占します。あなた方は我々の指導のもと、私の資産を増やすためにより多くの利益を上げていただきます」
最初に開かれた説明会で、理不尽な要求に憤る父に、あの男は当然の権利のようにそう言い放った。
「あなたは……あなたはここを奴隷荘園にしようというのか! 余暇も十分な収入もなく、ただ働き続けられるものか! 我々だって血の通った人間なんだぞ!」
「ハハハ! だから何だと言うのです? あなたは前時代的な上に、知能指数もお低いようですな」
サクシーダーは片眉を跳ね上げて笑い、眼鏡をクイと直した。
「強者が弱者を喰い殺す、それが市場原理というものです。私はもっと金が欲しい。そしてあなた方から搾取できる立場にある。どこに躊躇う必要が? 負け犬の言い分など」
暗黒シンジケートの王者が顔を寄せ、ゆっくりと挑発的に続けた。
「知った、ことでは、なァい! ハーハハハハハッ!」
「ふ……ふざけるなッ! ヒュドラ・クランが何するものぞーッ!」
怒声を上げてサクシーダーに掴みかかった父は、次の瞬間、あの男を護衛していたガスマスクの獣人傭兵に容赦なく射殺された。その場の誰もが絶句する中、静まり返った会場には、あの男の心底愉快そうな笑い声だけが響いていた。
この区画の命運は、そこで終わった。シンジケートは土地という土地を買い占め、集合社宅とディスカウントショップを作り上げ、工場を巨大な家畜小屋へと変えた。
今や住民にはみっつの選択肢しかない。奴の工場で働き、奴の店で物を買い、奴に家賃を払う人生を受け入れるか。周辺のスラムで貧困に苦しみながら朽ち果てるか。あるいは破れかぶれの反抗の果てに、ギャングの暴力に晒されて死ぬか。
アルバートは奴隷として生きる道を選んだ。歳をとるなり体を痛めるなりして働けなくなれば、工場は自分を容赦なく解雇して、野垂れ死ぬに任せるだろう。だがそれでも、自分は父のように死を覚悟で逆らう勇気はない。その事実を認識するたび、やり場のない嫌悪と怒りが、アルバートを意味もなく傷つけるのだった。
「おい、そこ締めすぎだぜ。検査通らねぇぞ」
「……ああ」
クリティークに指摘され、アルバートはぶっきらぼうに答えて締めすぎたボルトを緩めた。工作機械の作動音に混じって、外からサクシーダーの高笑いが聞こえた気がしたが、つとめて無視した。きっと幻聴だろう。
「にしても、外が気になるねえ……」
クリティークは隣でニヤニヤと笑いながら、まだ何かを言っていた。
◇
『ハーハハハハハハ! 見事なものでしょう、このMIW-002「ミダス」の威容は! 我が経済力を結集した、この魔導パワードスーツの前に塵と化しなさい!』
空中投影スクリーンの中のサクシーダーが言い放つと、黒金の魔導兵器の胸の装甲が開き、レンズめいた発射口が露出した。さらに展開したバックパックから多連装ロケットランチャーがポップアップし、ガトリング砲が空転を始める。
「人生楽しそうだねー、あの人」
「あんなのがいるなんて聞いてないんだけど」
「奇遇っすね、俺もです。――人様から搾り取った金でやることがアレか。あの野郎コンプラも何もあったもんじゃねぇな」
『ハハハハハッ! そんな揚げ物は知りませんね!』
サクシーダーを映していたスクリーンが消え去り、魔導兵器が上体を反らして胸を突き出した。その発射口に魔力光の粒子が集まっていく――魔導ビーム兵器!
『ユー! アー! ファイアァァァァァァァド!』
ZZZZZZZZZZZAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAPPPPPPPPP! KBAM! KBAM! KBAM! KBAM! KBAM! KBAM! KBAM! KBAM!
BRRRRRRRRRR! BRRRRRRRRRRRRRR! BRRRRRRRRRRRRRRRR!
次の瞬間、怪物が極太の魔力光線を放ち、道路上の何もかもを焼き払った。同時に大量のロケット弾がランチャーから降り注いで爆裂し、暴れ狂うガトリングの火線が路面に弾痕の線を殴り書く。狙いはメチャクチャだが、圧倒的な火力だ。
「あはははははは! ひっどいゴリ押しー!」
「ヘタクソが! 街ごとぶっ壊す気かよ!」
俺は咄嗟に魔導バイクを歩道に乗り入れ、壁際に寄ってビームの直撃を回避した。
爆風、熱波、髪の毛が焼ける臭い。後ろでガスマスク姿のウォードッグどもが示し合わせたように左右に割れ、横道に逃げ込んでいった。
『タイム・イズ・マネー! あまり時間を取らせないでいただきたい! ピラーから援軍が到着してしまっては、私の手柄にならないではないですか!』
再びサクシーダーの声。魔導兵器が全身のブースターを噴射して硝煙を振り払い、巨体に見合わないスピードで突進を始める。その両腕部ブレードからバーナーの火のごとく青い魔力が噴き出し、巨大なエネルギーの刃を形成した。
「手柄だ? そんなにチャールズに褒めてほしいか、金の亡者が!」
『ハハハッ! まさか! 私の目当てはあくまで自己利益、チャールズ氏の野望などナン・ノブ・マイ・ビジネス!』
魔導兵器がホバー滑走、大仰なモーションでマギトロン・ブレードを振り上げる。背後でフォーキャストが矢をつがえる音。
『――しかし君たちを殺してチャールズ氏に報告すれば、私の発言力はさらに増大! それから戦争特需で儲け、他の土地も地上げして事業拡大だ! 暴力は素晴らしい、全てをシンプルに片付けてくれる!』
「ファック・オフ!」
ZZOOM! 俺は魔導バイクのブースターを点火し、車体をドリフトさせて斬撃の下をくぐり抜けた。
すれ違いざまフォーキャストが身を捻り、魔導兵器の膝裏に大弓3連射。弓とは思えない着弾音が轟くが、矢はすべて黒金の装甲に食い止められた。アダマントかミスリルか、いずれにせよ大した防御力だ。
「おー、ガチガチ。やるじゃん」
「動きは素人丸出しだけど、図体が大きいと厄介だねー」
「あれじゃ〈邪視〉も効きやしない。どうする?」
「このまま工場へ! ボヤボヤしてるとウォードッグに囲まれちまう!」
VROOOOOM! アクセルを全開、サクシーダーの横を抜けて背後へ。すかさずパノプティコンがサイコ・プッシュを放ち、塀を吹っ飛ばして突破口を開く。
このまま路上に留まっていれば、ウォードッグに狩り出されて魔導兵器のビームに焼かれるのがオチだ。とにかく動き続けて、主導権を奪い取らなければ負ける。
『猪口才な! ……今すぐ追いなさい、ウォードッグ! お前たちに高い金を払っているのは誰だと思っている!』
サクシーダーの喚き声。魔導兵器を急制動をかけつつブースト反転。さらにウォードッグどもが横道から再び集まってくる。
だが、俺たちが工場にタッチダウンを決める方が早い。俺は塀の大穴に向かって、魔導バイクを矢のごとく走らせた。
「――ちょっと降りるね」
そのとき、フォーキャストが後ろから顔を寄せて囁いた。
「あのデカブツが工場に入ると面倒だからさ。片付けとくよ、私が」
「やれんすか、ひとりで」
俺が少し考えてから言うと、フォーキャストは事も無げに頷いた。
「ならどうぞ。あの野郎をシンプルに片付けてやってください」
「ふふふっ。いぇーい」
フォーキャストが脇の廃墟へと打根を投擲した。
謎めいた魔法がエンチャントされたロープが一瞬にして数十メートルも伸び、ひび割れた壁に突き刺さり、それから急激に縮む。フォーキャストはその勢いを利用し、バイクから横道へとひとっ飛びに移動した。
「キャストは残るって?」
並走するもう1台の魔導バイクから、パノプティコンが尋ねた。
「ええ。心配っすか」
「平気でしょ。あの手のデカブツならむしろ得意のはず」
「竜殺しの魔物狩りだもんねぇ。あっははは!」
パノプティコンとフラッフィーベアが大して心配していない様子で答えた。
何にせよ、今さら引き返すわけにもいかない。俺たちは塀に空いた穴をくぐって、工場の敷地内――工業化された奴隷荘園へと飛び込んだ。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。この更新は日に一度行います。
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