フェンスド・イン・キリングフィールド(5)
「――どうした、嬢ちゃんよォ! さっきまでより及び腰じゃねぇかッ!」
「あはははっ! ちょこまか逃げながらよく喋る!」
フラッフィーベアとマグナムフィストが激しく打ち合う横で、俺は手持ちの装備を確かめ、横槍を入れるタイミングを探っていた。
(フラッフィーベアには悪いが、タイマンをさせてやる暇はない)
俺の判断ミスだ。マグナムフィストの実力を見誤っていた。
奴は理論的に難しいことは何もしていない。単純に異常強度の強化魔法をまとって殴りかかっているだけだ。ただそれだけでフラッフィーベアのスキルすら貫く威力を叩き出している。
シンプルが一番強い、奴自身のセリフだが的確だ。単純ゆえに隙がない。
かといって、ひ弱な俺には地力で勝つなど夢のまた夢。とにかく横槍を入れ続け、不意を打って銃殺するしかない。
「後がつかえてんだよ、さっさと死にやがれ……!」
BLAMNNBLAMNBLAMNBLAMNBLAMN!
あの機敏なステップワークさえ潰してしまえば、後は間合いの外から削り殺せる。俺は『ヒュドラの牙』を横一文字に連射し、膝下の高さに鉛散弾の弾幕を張った。
「お呼びじゃねぇぞ、ジョン坊よォ! テメェの相手は後でしてやる!」
だがマグナムフィストは機敏に反応し、爆発的なサイドステップで散弾の範囲から飛び退くと、一瞬で地面を蹴って飛び戻ってきた。その右拳が再び赤熱する。
「脳味噌ブチ撒けなァッ!」
ド パ ァ ン 。
マグナムフィストの拳が音速を超え、大気を割るようなソニックブームが響いた。猛烈な衝撃波が白砂を波紋状に吹き飛ばす。
「外れぇ! あははっ!」
だが、空振り。フラッフィーベアは構えを解いて地面に手をつき、獣じみた低姿勢で一撃必殺のパンチを避けていた。
そのまま猛然とタックルを仕掛け、両手で相手の両脚を刈りに行く。マグナムフィストは超人的な反応速度で拳を引き、後ろに跳んで回避。
フラッフィーベアは即座に身を起こし、追撃の暗器を投げつける。マグナムフィストは左腕を盾めいて構え、ガントレットのアダマント装甲で飛来した黒鉄を受けた。有効打ならず……いや、違う。
「――なにッ!?」
マグナムフィストが目を剥き、攻撃を受けた左腕を見た。
ガントレットに無数に食い込んでいるのは手裏剣ではない。逆棘付きの鋼糸だ。フラッフィーベアの左籠手から生えるように伸びた鉄線の束が、マグナムフィストの右腕を絡め取っている。
「なんだ、こりゃ……なんだ、そりゃ!?」
そしてフラッフィーベアの右腕には、巨大な円形の投擲武器が生じていた。
大人の背丈ほどの直径、研ぎ上げたように鋭い外縁、中心に空いた手をかける穴。もはや手裏剣ではなく、リング型の大剣と言った方が近い。
「奥義『月輪』」
栗髪の獣人が両足で地面を踏みしめ、ワイヤーで敵を引き寄せた。ステップワークのために踵を浮かせていたマグナムフィストは踏ん張り切れず、つんのめるように体勢を崩す。そして。
「――いざ征かん、冥府魔道!」
フラッフィーベアが身を反らし、『月輪』を投げた。
ヴヴゥン。高速回転する黒鉄の刃が唸る。ぞっとするほど小さな音だった。それが空気を滑らかに切り裂いて飛び、マグナムフィストを狙う。
「舐めるな! たかが円盤ひとつ! この『火焔砲』で撃墜してやるぜ!」
マグナムフィストは踏み止まり、右拳を振りかぶった。拳に異常強度の強化魔法がまといつき、必殺の右ストレートの発射準備が整う。
「――ほらよ」
BLAMN!
そこに割り込むように、俺は側面から『ヒュドラの牙』を撃ちかけた。
狙いは頭、弾種は8ゲージスラッグ弾。普段のマグナムフィストなら、造作もなく避けるなり弾くなりできる安易な一撃だ。
だがワイヤーに拘束された今、ステップワークは不可能。
しかしこのタイミングで銃弾を防御すれば、飛んで来る『月輪』に対応できない。かといって防御せずにヘッドショットを喰らえば、当然死ぬ。王手飛車だ。
「ちィィッ!?」
マグナムフィストが攻撃を中断し、右の裏拳でスラッグ弾を防御した。
直後、奴に『月輪』が着弾。巨大な円形刃が製材バズソーのごとくアダマント鋼のガントレットを切り裂き、マグナムフィストの左腕を無惨に斬り飛ばす。ワイヤーまみれの腕が宙を舞い、噴水めいて血が噴き出した。
「ぐ……AAAAAAAAARGHッ!」
マグナムフィストは苦痛に耐えかねたように雄叫びを上げ、しかし怯むことなく、片腕を失った重量差に耐えながら前進に転じた。その右腕が赤熱を通り越し、煮えたぎる熔鉄のごとく輝き始める。
とんでもないタフネス、そして判断力だ。片腕のボクシングでは勝ち目がないと見て、最大の一撃で勝負を決める気か。
「フラッフィーさん!」
「……来なよ」
フラッフィーベアは用済みとなったワイヤーを切り離すと、深く調息して柔道の構えをとった。耳まで裂けた口から笑みが消え、尖った歯の間から排熱蒸気めいた吐息が漏れた。
◇
『――心して聞け、トモエよ。お前の怪力と異能は天性の才能だ。だがそれは武術家としては大きな弱みでもある』
引き延ばされた主観時間の中、フラッフィーベアの中に、記憶の奥底に沈んでいた父の言葉が浮かんだ。縁談に反発した自分を屋敷に留め置かんと門下生をけしかけ、最後は壮絶な父娘一騎討ちの末に自刃した父。その残影がフラッシュバックする。
『弱みってどういうことー? 無いよりあるほうが有利に決まってるじゃん』
『で、あろうな。打撃の効かぬ体、板額の柔道、そして一子相伝の黒鉄の術あらば、万にひとつも負けはなし。……それがお前の進歩を妨げる』
『で、何が言いたいのー?』
『打ってこい』
かつてのフラッフィーベアは床を割らんばかりに踏み込み、正拳を繰り出した。
当たれば頭蓋を砕く一撃。しかし父は鮮やかにフラッフィーベアの腕を取り、巻き込むように投げ飛ばして、背中から床に落とした。
『柔道の極意は剛柔一体。剛よく柔を断ち、柔よく剛を制す。お前はなまじ剛のみで勝てるが故に、柔の技が育ちきっておらぬ。力で勝る敵、異能が効かぬ敵には手も足も出まい』
父の残像が彼女を咎めるように睨んだ。
『まして、お前の役目は戦にあらず。一族の技をその身に受け継ぎ、男児を産んでそれを伝えることだ。お前ひとりの、それも異能に頼った一代限りの強さに価値などなし。家の再興のため、道場のため、板額の女として……』
(その家も道場も、結局あたしひとり負かせずに滅んだじゃん)
フラッフィーベアの否定と共に、父の残像は消え失せた。
「――死に晒せや、このアマッ!」
再び、眼前にはマグナムフィスト。煌々と光る拳。片腕の『火焔砲』。
アダマント鋼の砲弾と化した拳が音速の壁を破り、断熱圧縮の炎を灯す。
(馬鹿なパパだった。自分と子供の区別がつかない親だった。家の名誉なんか無くたって、あたしは生きていける。……けど、柔道じゃ最後まで勝てなかったな)
フラッフィーベアが蜂蜜色の目を細めた。
先程は構えを解いてガードを固めた。あの拳速をいなして投げに入れるか、確証が持てなかったからだ。その結果、正面突破を喰らって手痛い傷を受けた。
この傷はスキルに寄りかかった惰弱な判断への因果応報である。強引に骨を接いだ腕から上がってくる痛みを、フラッフィーベアはそのように解釈した。
しくじれば死ぬ。しかし、活路はそこにある。剛柔一体、いざ成し遂げん!
「――GRAAAGH!」
フラッフィーベアは低く吼え、久方ぶりに父に教わった動きをなぞった。
その動きは必殺技でも奥義でもなかった。相手の突きを受け流して投げるベーシック・アーツ、基礎の中の基礎。その単純さゆえに、隙がない。
栗髪の獣人の全身が連動する。その足腰は黒鉄のシャフト、両腕は傷ついてなお強靭な歯車めいていた。その動きが極超音速の拳を巻き込み、『火焔砲』の猛烈なエネルギーをそのまま凶器へと変える。
――馬鹿な。
――見たか。
ほんの一瞬、逆さまで宙を舞うマグナムフィストと視線が合い、両者は言葉交わすことなく意思を通じ合わせた。
DOOOOOOOOOOOOOM!
マグナムフィストが背中から地面に激突し、衝撃が闘技場を揺らした。敷き詰められた白砂が、間欠泉のごとく吹き上がる。
「あははははははぁはぁはぁっ! あたしの勝ちー!」
「が、はッ……かッ……」
空から白砂がパラパラと降る中、マグナムフィストが絞り出すように呻いた。
背骨が砕け、強化魔法が解け、左腕の切断面からおびただしい血が噴き出す。その惨たらしい有様を見て、血に飢えた観客席までもが静まり返った。
「……あーあ。結局、この闘技場が死に場所かよ。せっかく大戦争が待ってたのに、何もかもオシャカじゃねぇか。クソッタレめ」
「上等じゃねぇか。ギャングが死に場所選べる立場かよ」
離れた位置から『ヒュドラの牙』を向けながら、バックスタブが無感情に言った。その前でフラッフィーベアが介錯の断頭チョップを振り上げる。
「……へっ。違ぇねぇ」
仰向けで血を吐きながら、マグナムフィストは闘技場の空を見た。
パイソン柄の派手なギャングスーツは白砂に塗れ、リーゼント・スタイルに固めた髪は見る影もなく乱れていた。暗黒闘技場の支配者、かつてのチャンピオンは、敗者の景色に何を思うのか。
「おじさん。とどめ刺すけど、なんか言い残すことある?」
「……戦に生き/戦に死せる/降る雪の/白砂こそが/我が死装束」
「善哉!」
フラッフィーベアが手刀を打ち下ろし、マグナムフィストの頭部を爆ぜ飛ばした。首無しになった胴体がびくりと震えて、そのまま動かなくなった。
ヒュドラ・クラン最大の武闘派、生粋のバトルジャンキー、マグナムフィストはこうして死んだ。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。この更新は日に一度行います。
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