フェンスド・イン・キリングフィールド(2)
――殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
見張りを黙らせて裏口から闘技場に入ると、野太い歓声が耳に飛び込んできた。
「何、この声」
「観客のコールっすよ。相変わらず殺気立った場所だなぁ」
鳴り響く「殺せ」コールの中、俺は呟いた。
この闘技場の中央には白砂を敷いた円形のバトルフィールドがあって、その周りを水堀と金網が囲んでいる。それをさらに段々になった観客席が囲んでいる構造だ。元々は平和的なスポーツを行う場所だったらしいが、今では見る影もない。
「獣の鳴き声がする。魔物もいるの、ここ?」
フォーキャストが耳を澄ませながらぽつりと言った。
「ええ。魔法使いや多重債務者と戦わせて、勝ち負けとか食い殺されるまでの時間で賭けをやるんです。暗黒闘技会はここの入場料と賭けの胴元で稼いでるんすよ」
「倫理観も何もあったもんじゃない」
パノプティコンが気分を悪くしたように吐き捨てた。その隣ではフラッフィーベアが楽しげに肩を回し、準備運動をしている。
「やる方もやる方なら、見る方も見る方。何が楽しいんだか」
「同感っすね。俺みたいな平和主義者にはよくわかりません」
「は?」
「行きましょう」
俺は殺風景なスタッフ用通路を走り出した。
目指すは闘技場の最上部、高い位置から観戦できるVIPルーム。強化ガラスで外と仕切られた桟敷席で、10ほどの個室に分かれている。金持ちはここで高級娼婦を侍らせながら殺し合いを見物するわけだ。
そして興行が行われるとき、マグナムフィストは必ずこの場所で観戦する。その日の客入りや試合の盛り上がり具合を確かめるためだ。そこを襲い、殺す。
◇
「あ? 誰だ、廊下走ってんのは……げッ!?」
VIPルームへ続く階段の前で、俺は走りながら右腰のダガーを投擲し、見張りギャングの首に突き刺した。そのまま蹴倒して口を塞ぎ、頸椎を断ち切って即死させる。
「ヒラの組員は雑魚ばかりか。楽でいいけど」
パノプティコンが鋼鉄ステッキを手に呟いた。その周囲では1ダースを超える機械眼球が衛星飛行し、周囲を油断なく警戒している。
ゲイジング・ビット、奴の〈邪視〉を媒介するマギバネ義眼。ここまでの通路にいたギャングは全員、この眼球群の病んだ眼光を浴び、声を出す間もなく心停止を起こして倒れ伏していた。数十分は動けまい。
「にしても魔法使いが少ないねー? 前評判と違うみたいだけど」
「闘技場選手はみんな控室ですから。騒がなきゃそうそうバレません……静かに」
俺たちは階段を上がり、忍び足で絨毯が敷かれた廊下を歩くと、『使用中』の札が立てられた個室のノブに手を触れた。そして客席から大きな歓声が響くのと同時に、観音開きのドアを押し開ける。
「……ハーッ、今日の試合クッソつまんねぇな! 呆気ねぇにも程があらァ!」
「同感だ。これで多重債務者が3人喰われた。魔法使いを出すべきだ」
ガラス壁で外と仕切られた部屋の中に、奴らはいた。
両手にガンブラックのガントレットを装着し、黒髪をリーゼントに固めた筋骨隆々の大男。ヒュドラ・クラン大幹部にして暗黒闘技会の会長、マグナムフィスト。裸同然のドレスを着た娼婦を左右に侍らせ、豪奢なソファに座っている。
その隣に立つのは東国風の服に身を包み、青い京劇面を被った男。暗黒闘技場の最大戦力、リバーウェイブだ。どちらもガラス越しにバトルフィールドの興行を眺めていて、俺たちの存在には気付いていない。
(リバーウェイブがいるのは想定外だが、ここで殺らない手はない)
距離は10メートル未満。初撃で頭を吹っ飛ばす。
俺は短く息を止めてマグナムフィストの後頭部に狙いをつけ、『ヒュドラの牙』の引き金を引いた。
BLAMN!
「……あ?」
次の瞬間、俺はその場で仰け反っていた。
散弾が着弾したのはマグナムフィストの頭ではなく、VIPルームの天井だ。
「見事な闇討ちだ、ヒュドラ・クランの死神。俺には通じんが」
そして、俺の目の前にリバーウェイブがいた。
奴は俺が引き金を引く瞬間に振り向き、踏み込み、銃を蹴り上げたのだ。至近距離から冷水めいたプレッシャーを浴びせられ、全身から冷汗が噴き出す。
「マジかよ……ッ!」
目の前でリバーウェイブが低く跳躍する。奴の得意の旋風脚。
回避も防御も間に合わない。回し蹴りに首を切断される――俺が死を予感した瞬間、後ろから稲妻めいて投げ矢が飛んだ。
「ほう」
リバーウェイブが蹴りをキャンセルし、空中で腰から武器を抜いた。
鎖で繋がれた、2本の短い棍棒。ヌンチャクだ。奴は居合めいた速さでそれを振り抜き、フォーキャストが投げた打根を弾いた。そのまま連続側転で距離を取り直し、流れるようなヌンチャク・ワークから構えを取る。
「俺はリバーウェイブ。……久々に楽しめそうだ」
「フォーキャストです。いいね。本気を出すのも悪くない、たまには」
フォーキャストが打根のロープを引き戻しながら名乗り返し、互いに牽制するようにリバーウェイブと睨み合った。
「――おう、おう。どこの鉄砲玉かと思えばジョン坊じゃねぇか。尻尾巻いて南区に逃げたんじゃなかったのかァ? どのツラ下げて帰って来たんだよ」
その間にソファに座っていたマグナムフィストが立ち上がり、口の端をギタリと吊り上げながら振り向いた。俺がフラッフィーベアに感じたのと同じ、戦闘狂の雰囲気を宿した笑み。
「今の俺はバックスタブだ。……テメェら殺しに戻ってきたんだよ」
「ぐははははッ! 面白ぇ、やってみな!」
悲鳴を上げて逃げ惑う娼婦たちをよそに、マグナムフィストがソファを蹴り倒してファイティングポーズをとった。両拳を顔の前で揃えたピーカブー・スタイル、巨体を半分に畳むような前傾姿勢。突っ込んでくる!
「ちッ!」
BLAMNBLAMNBLAMN! 俺は咄嗟にスラムファイアを仕掛けた。
だがマグナムフィストは俊敏なステップワークで弾幕を躱し、一瞬のうちに肉薄。飛び退こうとした俺の足を踏んでその場に縫い付け、拳を振りかぶる!
「あははっ! いいね、やっと楽しくなってきた!」
そこにフラッフィーベアが横から割り込み、俺をかばって敵と正対した。強烈な右ストレートを片手で受け止め、衝撃を〈風柳〉で無効化。
そのまま腕を取って投げ飛ばす――寸前、マグナムフィストが拳を引いてスウェーバック、間一髪で掴みを避ける。奴もまた達人級のボクサーだ。
「柔道かい! 俺の名はマグナムフィスト、タッパのでけェ女は好みだぜ!」
「あははははははは! フラッフィーベア! あたしはムサいおじさん嫌ーい!」
「関係ねぇよ! ブチのめしてファックしてやらァ!」
「GRRRRRRRRR!」
マグナムフィストが前傾を解き、片手のガードを下げた。視界を広くとるヒットマン・スタイル、掴まれないように距離を取って戦うアウトボクシングの構え。
対するフラッフィーベアは床を踏みしめ、開いた両掌を前に出して構える。獰猛に吊り上がった口の端が耳元まで裂け、鋭い歯列が覗いた。
「――血祭りに出遅れたか!」
「会長、まだ楽しみは残っていような! ……なんと、これはこれは! オールドオーガを殺した死神か!」
さらに背後で扉が開き、敵の新手が踏み込んでくる。
先頭はギロチン・ブレードを背負ったエクスキューショナー、そして障壁魔法の達人タワーシールド。さらに、その後ろに魔法使いが十数人。廊下に倒れた構成員を道しるべに俺たちを追ってきたらしい。
「最悪。いきなり囲まれた」
「ポジティブに行きましょう。これ以上悪くはならねえ」
「……仕方ない。全員始末してやる」
パノプティコンが左手にナックルダスターをはめ、ゲイジング・ビットに円陣を組ませた。小柄な体が魔力をまとい、暴走ボイラーめいて金色に燃え上がる。
「ぐはははは! 役者が勢揃いだなァ! ……ちょうど今日は盛り上がりが足りねぇと思ってたんだ。ウチの興行に付き合っていけや!」
マグナムフィストが大きく跳び退り、振り向きざまにVIPルームのガラス壁へ拳を叩きつけた。KRAAAAAAASH! 装甲化された拳の強化ガラスを粉砕し、伝播した衝撃が壁一面を粉々に砕く。
「リバー、俺のやりてェこと解るな!? 外に押し流せッ!」
「心得た」
そしてリバーウェイブが呟いた瞬間、虚空から水が噴き出した。
「う……ッ!?」
おそらくは創水。魔力から水を生成する、水流魔法の基本。
単体では水筒に水を溜めるくらいしかできない魔法だが、リバーウェイブのそれはまるでダムの決壊だ。大量の水が瞬く間に個室を満たし、その場の全員をガラス壁の穴の外へと押し流す。
「うおおおおおッ!?」
SPLAAAAASH! 空中、重力、浮遊感。俺たちは壁の穴から空中に投げ出され、柵で囲まれたフィールドへと落下した。
試合はちょうど決着がついたところらしい。対戦相手だったと思しき血まみれの肉塊が、巨大な毛むくじゃらの魔物に貪り食われている。
「――邪魔だッ!」
エクスキューショナーが巨大剣を閃かせ、着地と同時に魔物の首を切断。
タワーシールドが空中に偏向障壁を出現させ、慣れた様子でそこに着地する。
リバーウェイブが水を巨大な東洋龍の形に編み上げ、マグナムフィストと並んでその背に立った。
そして俺たちに遅れて床に降り立ったのは、暗黒闘技会の魔法使いたち。いずれも油断ならない凄腕揃いで、魔力と殺意を漲らせている。
「ワオオーッ! 花形選手が揃い踏みだぜ!」
「マグナムフィストもいるぞ!」
「久しぶりに戦うのか!?」
「相手はどこのどいつだ!? 見たことないぞ!」
「殺せー!」
「こっちは仕事で疲れてんのよ! 惨たらしく死んで血を見せろ!」
突然の乱入を演出と思い込んだか、観客席が無責任に歓声を上げた。
そこでマグナムフィストが拳を突き上げ、会場中に大音声を轟かせる。
「紳士、淑女、その他大勢のロクデナシの皆様ァ! 会長のマグナムフィストです! 本日は塩試合ばかりで申し訳なかったんで、急遽予定を変更し――俺の命取りに来た鉄砲玉4人と、我々暗黒闘技会のデスマッチを緊急開催いたします!」
「「「ウオオーッ!」」」
「もちろん賭けは大歓迎! こいつらが何秒で死ぬかに賭けるもよし、大穴狙いで俺らの負けに賭けるもよし。恨みゃしませんからガンガン儲けてくださいやァ!」
「「「ウオオーッ!」」」
――殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! こ・ろ・せ! こ・ろ・せ! こ・ろ・せ! こ・ろ・せ! こ・ろ・せ!
興奮した観客がコールを揃え、闘技場の大気を振るわせる。
客は刺激に飢えた小金持ちから、日々の気晴らしを求める工場労働者まで様々だ。その間を暗黒闘技会の構成員が目ざとく駆け回り、賭けのチケットを配っていく。
「世界で一番下卑た空間だわ」
「あはははははは! あっはははははぁ! いいね、ここ!」
「ふふふっ。フラッフィー楽しそう。で、どうするの? 闇討ち失敗したけど」
「プランBに切り替えましょう。……手当たり次第に殺す」
CLAAAANG! 開戦のゴングが鳴る中、俺は『ヒュドラの牙』をポンプした。
上等だ、野次馬どもめ。そんなに血が見たいなら、飽きるほど見せてやる。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。この更新は日に一度行います。
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