ザ・デイ・ビフォア・アポカリプス(4)
「むーん……」
「どうしたんすかフラッフィーさん、なんかのモンスターみたいな声出して」
風呂から上がったフラッフィーベアが、俺に後ろから抱き着いた姿勢で唸る。
俺はリビングに胡坐をかいて自分のスティレット・ダガーを取り出し、錐めいて細く尖った刀身をシャープナーで研ぎ上げていた。パノプティコンとフォーキャストは既に自室に引っ込んでいる。
「キャストちゃんのこと、気にならない? もともと自分のことあんまり話さない人だけど、あんなにできるなんてあたしたちも知らなかったよ」
「別に。俺からしちゃ皆さん3人とも雲の上ですし、味方が強いぶんには何の不満もないでしょう」
「不満とかじゃないよー。ただ……不思議なんだよねぇ」
頭くらいある巨乳を背中に押し当てながら、フラッフィーベアが俺の肩にドスンと顎を乗せた。特に害意はないのは解っているが、それでもフィジカルの差で身動きできないのはちょっと怖い。加減を知らないガキに遊ばれる人形になった気分だ。
「不思議って?」
「打根は人間相手に使う武器だし、あの柔術も古流だよ」
「フラッフィーさんの柔道とは違うんすか」
「全然。うちの流派は護身や捕物だけど、キャストちゃんのは鎧武者が戦場で首を取るのに使うやつ。たぶん昔は人を相手に何かやってて、それから魔物狩りに転向したんじゃないかな。たまにいるよ、そういう人」
「ふーん……」
俺は相槌を打ちながら、油をつけた布で刀身を拭った。
「しかし、本人が言いたがらない過去を詮索することもねぇでしょう。親しき仲にも礼儀ってモンがあります」
「ジョン君って、ヤクザのわりにそういうとこは気にするんだ」
「無礼をやったら血を見ずには済まねえ世界っすからね。まして、俺は皆さんと会ってまだ10日やそこらだ。突っ込んだことはとても訊けません」
「そういえばそうだっけ」
フラッフィーベアは今気が付いたようにぱちくりと目を瞬かせた。
「ま、それなら今はいいや。これから楽しみだねー!」
「どういう意味っすか?」
俺が手入れを終えたダガーを鞘にしまいながら聞くと、栗髪の獣人は手をぱっと開いて身を起こし、厚いエナメルに覆われた歯を見せて笑った。
「決まってるでしょー? 明日は東区で暴れ放題、その後はみんなで楽しいことやりたい放題! お楽しみが目白押しじゃーん! 自由って最高だね!」
「……フラッフィーさんにゃ敵いませんね」
俺は思わず笑みを漏らした。先のことなど一切考えていない俺と違って、フラッフィーベアはもう勝ったつもりでいる。
それは思慮が浅いからではない。戦いを控えた今、ネガティブな想像で精神をすり減らしても意味がないと知っているからだ。こいつも歴戦の猛者ということだ。
「コトが済んだら、また飯でも行きましょうよ。今度はパノさんも連れて、お互いの昔話に花を咲かせましょうや」
「あはぁはぁはぁ! いいね!」
フラッフィーベアが心底楽しそうに答え、俺の肩を強く叩いた。
◇
暗殺作戦の決行時刻は、明日の日暮れ前。時間の猶予はたっぷりある。
そう、たっぷりある……食事と風呂を済ませ、ベッドでひと眠りしてもなお時間が余ってしまうほどに。
「……早く寝すぎたか」
俺は自室のベッドから起き上がって伸びをした。
室内は真っ暗、まだ深夜だ。ここ数日療養に専念していたせいで、いくらも眠らないうちに目が覚めてしまったらしい。
すでに道具の整備も荷物の確認も終わっている。今さらやるべきことは何もない。このまま寝直すのが最適解だろう。だが、俺の目はすっかり冴えてしまっていた。
水でも飲んで、軽く動きの再確認をしてから寝よう。
俺は自室を出て、1階のダイニングを目指して階段を降り――そこに明かりが灯っていることに気づいた。
「――おつかれ。起きてきたね、やっぱり」
「キャストさん?」
ダイニングにいたのはフォーキャストだった。アッシュブルーの長髪をまとめ、薄生地の着物めいた寝間着だけを身に着けている。
テーブルの上には小さな杯と熱湯に浸かった徳利。それから鋳鉄の茶瓶に、塩漬け肉の炒め物が載った皿。ひとりで晩酌といったところか。
「寝酒っすか。明日に響きますよ」
「ふふふっ、平気だよ。徳利ひとつだけだし。……はい、これ」
フォーキャストがわずかに朱が差した顔で微笑し、コップに茶瓶の茶を注いだ。たった今淹れたばかりらしく、液体の表面からは湯気が上がっている。
「気を鎮めるお茶。飲むとよく眠れるよ」
「さすがっすね。なんでもお見通しってわけだ」
俺はテーブルに腰かけ、独特の苦みがある黄色い茶を飲んだ。向かい側でフォーキャストが燗酒を煽り、箸で炒め物をつまむ。
「……」
「……」
特に会話はなかった。無言のままフォーキャストが酒を飲み、俺も茶を飲む。
フォーキャストは気にも留めていないようだが、正直気まずい。感情が露骨に出るパノプティコンや、表面上のテンションを合わせればどうにかなるフラッフィーベアと違って、フォーキャストはまったく掴みどころがない。
「そういえば、特に意味はない雑談なんすけど」
「うん」
俺は間を持たせようと話を切り出した。
「ギルドの前で俺に話しかけたとき、チャールズの野郎が南区を狙ってくることまで読んでたんすか? 例の未来予知のスキルで」
「まさか。そんなにアテにできるものじゃないよ。いつも視えてるわけじゃないし、そんなに遠くまでは視えないし」
「じゃあ、なんで俺を助けたんです」
「え? んー……趣味、かな」
フォーキャストが小首を傾げながら答えた。
「熱量って言うのかな、好きなんだ。君みたいにギラギラしてて、自分に正直な子。パノもフラッフィーもそんな感じでしょ」
「……わからなくもないですが。本当に、ただ俺を気に入ったから助けたと?」
「うん。好きだよ、みんな。一緒にいて楽しいし」
呆気にとられる俺の目の前で、フォーキャストが杯に燗酒を注いだ。あまり感情が読み取れない黒い瞳は、酒のせいか普段より蕩けて見える。
「私、だいぶ前からやることなくってさ。でも、何もしないとそのうち倦んじゃうから。こうやって人の事情に首突っ込んでるの。長い人生の暇潰し」
フォーキャストの言葉は、奴なりに本心を打ち明けているようでいて、どこか決定的な言及を避けようとしているかのようだった。
「詮索はしませんが、なんか隠居老人みたいな言い方っすね」
「……ふふふっ。そうかもね」
アッシュブルー・ヘアの弓使いがはぐらかすように笑い、それきり黙り込む。
話は終わり、ということか。俺もカップに残った茶を飲み干し、椅子を立った。
「もう寝ます。お茶、ご馳走様でした」
「うん。私もこれだけ飲んだら寝るよ」
フォーキャストが中身の残った徳利をぷらぷらと振りながら言った。
「ほどほどに。それじゃお休みなさい、キャストさん」
「――アズサっていうの」
俺が階段を上がりかけたそのとき、フォーキャストがぽつりと言った。
「へ?」
「私の名前。……おやすみ、ジョン」
フォーキャストは目を細め、微笑みながら俺を見送った。
何故、俺に本名を明かしたのか。
ただの気まぐれか、それとも何かの未来視に基づく行動か、それすら解らない。
だが……まだ掴み切れないところはあるが……フォーキャストが俺に一定の信頼をおいていることはわかった。少なくとも今は、それで十分だ。
俺は自室のベッドに戻った。フォーキャストが淹れた薬草茶はすこぶる効いた。
こうして俺の決戦前夜――あるいは人生最期の平穏な夜が、終わった。
◇
翌日。日暮れ前。
俺たちは南区の外壁近くにある、地下水路への入口にいた。
迷宮じみた水路網へと続く階段が、四角い古代コンクリート建築に囲まれている。まるで半分埋まった小屋か、地下から斜めに突き出たトンネルだ。
その入口をふさぐ鉄扉の前で、俺は姦しく話す3人を振り返った。
「初めて入るわ、ここの下水道」
「臭いとかつかないかなー? この毛皮気に入ってるんだけど」
「……浄化魔法の魔法杖がある。振るだけで使えるやつ」
ジャケットの袖に打根を巻き付け、黒い大弓を背負ったフォーキャストがいた。腰の矢筒には真新しい矢がぎっしりと収まっている。
ワインレッドの探偵服を着込み、鋼鉄ステッキを持ったパノプティコンがいた。
ポケットには同じく鋼のナックルダスター、ケープの下にはゲイジング・ビット。戦闘になれば、全武装が念動魔法で一斉に飛び出すだろう。
袖無しのインナーに毛皮のジャケットを羽織り、黒帯付きのロングキュロットを履いたフラッフィーベアがいた。
武器は持っていないが、決して無手ではない。魔力から生成する鋼の暗器、そして奴の身体そのものが何よりの武器だ。
「準備はいいっすか? それじゃ、僭越ながら俺が音頭をとらせてもらいます」
そして、ここに俺がいる。
背後でギギギ、と重々しい音を立て、地下へと繋がる鉄扉が開いた。
「標的はヒュドラ・クランの大幹部3人と、若頭チャールズ・E・ワンクォーター。実質、東区全部が敵に回ると思ってください。最悪死にますが、そのつもりで」
「覚悟の上」「あっははははは! 今さらでしょー!」
パノプティコンとフラッフィーベアが即座に答えた。フォーキャストは一歩引いた位置で静かに佇んでいる。
「じゃ、行きましょう。――東区殺戮ツアーの始まりだ」
俺は言い捨て、地下へと踏み込んだ。一度はドブネズミのように逃げ出した故郷、クイントピアの東区を目指して。
(ザ・デイ・ビフォア・アポカリプス 終)
読んでくれてありがとうございます。
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