ファスター・ザン・ウィンド(5)
「あの子、おとといから元気ないよね。怪我したからかな」
2日後の昼下がり、フォーキャストがキッチンで生姜をスライスしながら言った。まな板の上には下ごしらえを終えた丸鶏がある。怪我の回復に効く丸炊きの準備だ。
背後のダイニングテーブルではさっき起きたばかりのパノプティコンがコーヒーを啜り、昼寝していたフラッフィーベアが買い置きのクッキーをつまんでいた。
「軟弱なんでしょ。アバラが砕けたくらいで」
「それだけじゃないみたいだよー? おとといの二挺拳銃、友達だったんだってー」
「親でも平気で殺す奴がそんなことでショック受けるとは思えないけど。そもそも全員古巣の仲間じゃない」
パノプティコンが素っ気なく言い捨てた。
バックスタブ――先週この家に転がり込んできた、ヒュドラ・クランの頭目を殺した裏切り者は、昨日からずっと自室で休んでいた。スパニエルとの戦闘で肋骨を粉砕骨折する重傷を負ったからだ。
既にペインキラーがあらかた修復したが、それでも数日は薬を飲んで安静にするように、ということだった。その間はフォーキャストたちも待機となる。
「割り切って動けるのと、何とも思ってないのは違うよ。似てるけどね」
フォーキャストが手を動かしながらやんわりと諭すと、パノプティコンは少しばつが悪そうな顔で黙り込んだ。
「相変わらずカリカリしてるねぇ。もうちょっと心に余裕を持った方がいいんじゃなーい? 座禅とかしてさー」
「……うるさい」
「あっははははは!」
パノプティコンが不機嫌に眉根を寄せるが、フラッフィーベアはどこ吹く風でケラケラと笑った。正反対な気質故か、このふたりはもともと喧嘩が多い。
「怪我の方は治るのを待つとして、あのくらい歳の子って何したら喜ぶのかな」
「裸でも見せてあげたらー? 減るもんじゃないし」
「うーん。脱ぐか、一肌」
「……やるならあんたたちだけでやって」
「あははは! 当たり前じゃん。パノちゃんが脱いだって何にもならないもんねー」
「ブッ殺す」
◇
「何の話してんだか、あいつら……」
自室。俺は階下の騒ぎを聞きながら、銃の分解清掃をしていた。
呼吸をするたび、砕かれた肋骨がずきずきと痛む。防弾スーツがなければ何回死んでいたことだろうか。砕けた骨そのものは既に修復されているが、体に残った痛みばかりは自然に消えるのを待つしかなかった。
『――私の解剖魔法は、150年前に滅びた魔族の血肉魔法がベースになってます。これは人体を切ったりくっつけたりして、自由に作り変える魔法です……』
戦いのあとギルドで受けた、ペインキラーによる治療の光景が思い浮かぶ。
白衣の冒険者が両手で俺に触れると、手は痛みもなくズブズブと沈み込み、俺の体内に入り込んだ。そしてボトルシップでも作るように砕けた肋骨の位置を直し、ひとつひとつ癒着させていった。
『魔族は……この魔法で自分の肉体を作り替えて……魔王に似せた角と羽を生やしたり、獣じみた姿に変身したりしたそうです……。大掛かりな変身のリソースを補うために、人間を生贄に使うこともあった、とか……。その技術を医療に転用したのが、解剖魔法なんです』
『おっかない話っすね。ペインキラーさんもそういうことできるんですか?』
俺が尋ねると、ペインキラーは困ったように薄く笑った。
『……たぶん、できますよ。違うのは「使い方」だけですから……しませんけどね』
その時の答えを思い出し、俺はぶるりと身を震わせた。
宣言通り、ペインキラーは治療以上のことはしなかったが、身体を粘土細工めいて弄られるというのは、中々にぞっとしない気分だった。大人しそうな女だと思っていたが、やはりA級はA級だ。
(だが、何にしてもありがたい。肋骨へし折れて全治ウン週間じゃ、身を守るどころじゃなくなっちまう……チャールズの野郎の件もある)
次に思い浮かぶのは、スパニエルが死に際にもたらした情報。若頭チャールズ・E・ワンクォーターのことだった。
スパニエルは自分の親分に忠を尽くし、戦って死んだ。
それはいい。お互い納得ずくでやりあった結果だ。仮に勝敗が逆でも、俺は奴を恨みはしなかっただろう。
だがその背景にチャールズの裏切りがあったというのなら、それはまた別の話だ。
親父が俺を殺そうとした件自体が、奴のクラン乗っ取りのための陰謀だったのだとしたら……許すわけにはいかない。
チャールズが裏切りを企てたのはいつからだ――俺は親父と過ごした10年間を、ヒュドラ・クランの歴史を思い返した。
◇
路地裏育ちのガキは大抵、親の顔を覚えていない。俺も似たようなものだ。
東区で我が子を育てきれなくなった親は、想像もつかないほど簡単に路地裏に置き去る。生活に窮して他区から捨てに来る者もいる。
幸いにもスキル持ちだった俺は、5歳にして強盗殺人で食い繋いだ。
通行人を〈必殺〉で引きずり込んで、拾った銃で撃ち殺し、服や食い物を奪い取る。相手が一般人だろうがギャングだろうが、お構いなしにやった。獣の世界だ。
だが当然、そんな真似をしていれば報復がある。近場をシマにしていたギャング、ポイズンスネーク・クランが俺に目をつけ、数人の構成員を差し向けてきたのだ。
俺はそいつらを来た順に殺していったが、あとひとりというところでスキルの濫用による魔力切れを起こし、身動きがとれなくなって追い詰められた。
ところが――最後に残った男は俺を殺さず、俺に拳銃を突きつけて交渉を始めた。上への報告をごまかす代わりに、俺に子分になれと持ちかけてきたのだ。
「いいか、名無し。今日から俺が親父で、お前は息子だ。親子二人、東区で一番高ぇビルのてっぺんで竜革の椅子にふんぞり返ろうぜ!」
それがブルータル・ヒュドラ、親父だった。
血と屍に舗装されたヒュドラ・クランの覇道の始まりだ。
最初に殺したのは同じポイズンスネーク・クランの兄貴分と、そいつが幹部候補に推していた同期の男。親父が人目のつかない場所に誘い込んだところを〈必殺〉で引きずり込み、殺した。
親父はそいつらの後釜に座って幹部連中をまとめ上げると、一年後には武力を背景にして年老いた親分に跡目を譲らせた。ポイズンスネーク・クランはヒュドラ・クランに名を改め、今の多頭の蛇の代紋となった。
そこから数年はシンプルだった。抗争に出ては敵を殺す毎日だ。
潰した敵組織から吸収した奴らや、噂を聞きつけた流れ者が加わり、クランの構成員はみるみる増えていった。途中からはマグナムフィストの暗黒闘技会やレッドトルネードの侠客団のように、組ごと傘下入りを申し出る連中も現れた。
――チャールズが加入したのも、この頃だ。
当初はギャング流の流儀も知らず、周りからは場違いなお坊ちゃんとして扱われていたが、奴の組織運営の能力は本物だった。クランの急拡大の半分くらいは、あいつの功績と言っていいだろう。
一方の俺は、相変わらずの殺し一本槍。組織内政治とは無縁のままだった。
チャールズの手でシステマチックに整備されていくクランの中で、俺だけは親父と個人的な信頼関係で結びついた、宙に浮いたような立ち位置にいた。
組織のピラミッドにおいては、チャールズと並んで組長のすぐ下。年功序列を考慮すれば、チャールズより上という見方もできる。何の組織も権限も持たないが、親父以外の誰も俺に命令できなかった。
既に若頭の地位を得ていたチャールズは、俺を組織内の序列にはっきり組み込むべきだと進言したが、親父は頑として許さなかった。
親父は利己的で冷酷非情な男だ。きっと自分の死後に跡目がとっ散らかることより、自分の懐から離れた俺が寝首を掻きに来るのを危険視したに違いない。俺としてもその方が気楽でよかった。
しかし、今にして思えば――その宙に浮いた立ち位置こそが、チャールズが親父との殺し合いを仕組んだ最大の要因だったに違いない。
◇
(おそらくあの時、俺は親父に粛清されて死んでいるはずだった)
ガンオイルでショットガンの銃身を掃除しながら、俺は自分の見立てを整理した。
俺の推測はこうだ。
クランの乗っ取りを企てたチャールズは、親父を唆して俺を殺させようとした。
俺が死ねば、最大の手駒を失った親父を脅して跡目を譲らせる。親父が死ねば俺を裏切り者として粛清し、その功績をもって堂々と跡目を継ぐ。どう転ぼうが奴がヒュドラ・クランのトップに立つという寸法だ。
だが――俺が南区まで逃げ延びたのは、奴にも想定外だったのだろう。
幹部のほとんどを殺すような乱暴な手段をとったのは、裏切り者の首を、反対派を黙らせるほどの実績を用意できなかったからだ。だから本格的な内紛が起こる前に、電撃作戦でライバルを潰すしかなかった。そう考えれば全ての辻褄が合う。
となれば、チャールズはまだ荒れた組織を立て直しきってはいないはずだ。
これまでチャールズ派以外の構成員が南区に来ていないことも考えると、おそらくクランの各派閥はまだ、足並みを揃えられていない。
(殺るなら今だ。東区に戻って、チャールズを殺す)
俺はそう決意した。
そもそも――奴はスパニエル以上の銃僧兵闘法の達人で、手勢にもファイアライザーやリフリジェレイトのような凄腕が揃っている。俺が邪魔なら親父と潰し合わせるまでもなく、普通に暗殺を仕掛ければ済んだはずだ。
それを、わざわざ親父と潰し合わせるように仕組んだのは、自分が安全圏に居続けるためだ。俺の敵意が自分に向かないようにするために、奴は親父を利用した。そして周囲の疑いを自分から逸らすために、俺を利用したのだ。
「ふざけやがって」
怒りを込めて呟くと、また全身からドス黒い魔力が溢れ出る。
スパニエルが今際に言ったように、チャールズが俺を恐れているというのなら。
俺はその恐れを現実にしてやる。奴の企み全てを水の泡にしてやる。
チャールズを、全ての裏切り者を、この『ヒュドラの牙』で葬り去るのだ。
「クソ野郎。そう長く生きていられると思うなよ」
俺は整備を終えた散弾銃を手に取り、銃床に刻まれた代紋を見た。
チャールズ・E・ワンクォーター。お前の野望がどうであれ。
俺と親父に舐めた真似をした代償は、必ず払わせてやる。
(ファスター・ザン・ウィンド 終)
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。この更新は日に一度行います。
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