ランペイジ・ビースト・アンド・キルマシーン(9)
クイントピア南区、外壁近くの無人古代建築屋上。
(……座枯らし薬『彼岸花』。これぞ我が毒の真骨頂……)
ビル壁に鉤縄でぶら下がりながら、ナイトフライは頭上でもうもうと立ち込める赤い毒煙を防毒面越しに睨んでいた。
彼女の〈隠形〉は認識阻害のスキルだ。相手の認識から外れ、攻撃する寸前まで気付かせない。
それを行使し、ナイトフライは屋上の弓使い――フォーキャストに気付かれずに距離を詰め、自ら調合した毒煙筒を投げ込んでいた。中身は皮膚からでも神経を侵して呼吸を止める、毒竜の毒から精製した致死性の毒煙だ。
(A級の首ともなれば大金星。奴らには悪いが、拙の仕事はここまでよ)
レストランから離脱した後、ナイトフライは狡猾に状況判断していた。
ハーキュリーズとローバストが死に、敵方が奇襲の混乱から立て直しつつある現状、もはや依頼達成は不可能に近い。
だが誰ひとり殺せずノコノコと帰ったのでは、東区裏社会におけるナイトフライの信用は地に墜ちる。彼女はフォーキャストの首を手土産に戻って依頼主と交渉し、あわよくば部分報酬を得ようと考えていた。
(南区一の魔物狩人……都市内で人殺しに生きる我らを、魔物に劣ると侮ったか。思い上がって慣れぬ荒事に首を突っ込んだが運の尽き)
都市内依頼で名を上げたパノプティコンやフラッフィーベアとは違い、フォーキャストが都市で対人戦をしたという情報は聞かない。強力な弓士なのは確かだが、人殺しの土俵ならば己の方が上だ。
ナイトフライは背負った鞘から反りのない忍者刀を抜き、風が毒煙を吹き散らすのを油断なく待った。そして鉤縄を引き、屋上へと上がる。
「――やっほ、はじめまして。フォーキャストです」
「!?」
ナイトフライの予想に反し、フォーキャストは赤い毒煙の中で平然と立ち、アルカイックな微笑を浮かべてナイトフライに正対していた。毒も〈隠形〉の認識阻害も、まるで効力を発揮していない。
「フォー、キャ、ス、ト。君は?」
アッシュブルーの長髪の弓使いが繰り返し、ナイトフライの名乗りを促した。
「ナイトフライ。……何故死なぬ」
「毒竜の毒でしょ、これ。おととし狩って東区に卸したよ」
フォーキャストが小袋を取り出し、手の上で逆さにした。中から乾燥させた薬草か何かを練り合わせた丸薬が零れ落ちる。
「毒消しの魔法薬……!」
「習慣でさ。持ってないと落ち着かないんだ、こういうの」
ナイトフライが目を細めた。
魔法薬。生薬を原料に、魔法的な処理を加えながら手工業で作られる薬。
その属人的な生産工程ゆえに量産性はないが、名のある薬師が手がけた魔法薬は、手足の欠損すら立ちどころに治癒し、成分の種類を問わず毒を消し去る。東区で主流のケミカル合成薬とは根本的に異なる理論で生み出された代物だ。
東区では魔物の毒への対処が要求される事態そのものが少なく、魔法薬を持ち歩く者などまずいないが――敵は南区の魔物狩人、その頂点なのだ。
「魔物狩りを生業とする者が魔物の毒に備うるは必定。敵を素人と侮り、想像力を欠きしは拙の方か」
「そうだね」
「だが、弓使いが懐に飛び込まれた現状は変わるまい」
ナイトフライが身を沈め、毒を塗ったクナイを抜き放った。
「まだやるの? いいけど」
「拙も東区では知られた身よ。その首いただくぞ!」
全身に強化魔法を張り巡らせ、ナイトフライは毒クナイを投擲した。
さらに忍者刀を構えて走り出し、死角に回り込むように距離を詰める。心臓を狙った突きと毒クナイ、片方を目で追えばもう一方が刺さる二段構え!
「ふふふっ」
フォーキャストは笑いながら半身になると、飛んできたクナイを肩で受けた。
CLANG! 裏に鋼を張った革のジャケットが、金属音とともに刃先を弾き返す。一見すると洒落たアウトドア・ジャケットにしか見えないフォーキャストの上着は、その実、魔物革と鋼板を組み合わせた高級防具なのだ。
そして片脚を半歩引き、忍者刀の突きを左前腕で防ぐ。そのままナイトフライの脚を払い、流れるように投げ倒してマウントポジションをとった。
「くッ!?」
ナイトフライが咄嗟にクナイを抜き、フォーキャストの喉を狙って突く。
だがフォーキャストは顔色一つ変えずに首を傾げ、ジャケットの襟に仕込んだ鋼板で防御。そのままナイトフライの両腕を掴み、関節を極めながら押さえ込んだ。
「甲冑組討……!?」
ナイトフライは戦慄した。
鮮やかな防御からの投げ技、そして手慣れた寝技の駆け引き。フォーキャストの動きは明らかに鎧の着用を前提とした戦場武術だ。ただの狩人が修めているようなものではない――では、目の前のこの女は一体!?
「貴様、ただの狩人ではないな……!」
「ただの狩人だよ、今は。……痛かったらごめんね」
「ぐああっ!?」
ゴキリと嫌な音が鳴り、ナイトフライが呻いた。フォーキャストが躊躇なく掴んだ両腕を捻じり、鳥の手羽先でも折るように関節を外したのだ。
「ちょっと待っててよ。もうちょい射掛けたらギルドに連れて行くから」
フォーキャストはポーチから替えの弦を取り出し、生け捕りの鹿めいてナイトフライの手足を縛り上げると、その場に放置して狙撃ポイントに戻った。
「なぜ殺さぬ。情けをかけるか」
ナイトフライが怒りと屈辱を滲ませて言った。
「え? うん。だってさ――」
フォーキャストは振り返りもせず、弓に矢をつがえながら答えた。
「――殺すほどでもないじゃん。君ら」
侮辱でも挑発でもない、本心がそのまま口から出た、といった調子の一言だった。
だがその言葉に、ナイトフライは寒夜のコンクリートよりもなお冷たい、ぞっとするような怖気を覚えずにはいられなかった。自分は安全に報酬を得ようとして、さらに勝ち目のない相手に手を出したのだ。本物の怪物に。
読んでくれてありがとうございます。
今日はもう一度午後17時に更新があります。
今すぐブックマーク登録と、"★★★★★"を




