ランペイジ・ビースト・アンド・キルマシーン(7)
「――おいしいね、このお茶」
「南区一の弓取りにそう言って貰えりゃ、淹れ甲斐もあるというものです」
「ふふふっ。どういたしまして」
タタミで正座して茶を飲むフォーキャストが、年老いた矢師に微笑んだ。
クイントピア南区の外壁近く、人通りも少ない郊外に、その矢師の工房はある。
弓を使わない者にはなかなか理解されにくい話だが、矢は消耗品であると同時に、もっともデリケートな要素のひとつだ。矢羽や矢柄の歪みひとつでまともに飛ばなくなるため、製造工程のほぼ全てに職人芸を必要とする。
故に一定以上の精度を求める弓使いは、こうして熟練の職人にオーダーメイドで注文を出すことが多い。フォーキャストもそのひとりだった。
「……これを。注文通り、50本あります」
老人は古びた木箱を背負って現れ、それをフォーキャストのそばに置いた。
中に入っているのは矢、それも対魔物を想定した大型矢だ。長く、太く、禍々しい逆棘がついた腸抉と呼ばれる鏃を持つ。
フォーキャストは矢をひとつ手に取り、曲げた指の上に乗せ、くるくると爪撚って歪みがないかを確かめた。
竹の矢柄はなめらかに磨いた後、漆でコーティングされている。一分の狂いもない素晴らしい仕事だ。アッシュブルーの髪の弓使いは満足げに頷いた。
「鏃はアダマント鋼。矢柄はクイントピア西の大河の脇に生える強い矢竹を用いました。矢羽は以前卸していただいた魔物の尾羽です。そして、これを」
矢師が紙でできた筒を取り出し、恭しく両手で差し出した。
筒の中には矢が3本。竹や羽が使われておらず、全体が美しい焼き色のついた鋼で作られている。フォーキャストが矢をひとつ取り上げると、見た目以上の重みが手に伝わってきた。
「鏃から矢羽まで、全アダマント製の矢です。重く、鋭い。あなたの腕とその強弓で放てば、竜種の鱗をも容易く撃ち抜くでしょう」
「いつもありがと。あんまり強く撃つと焼き切れちゃってさ、矢が」
フォーキャストは金属矢の工作精度を丁寧に確かめ、それから腰の矢筒に収めた。老人がタタミの上で奥ゆかしく一礼する。
「毎度、前払いでありがとうございます」
「ふふふっ。いいって――」
フォーキャストが言いかけたそのとき、北の方から小さな爆発音が聞こえてきた。さらに怒号と銃声、そして剣戟の音。
「……」
ふ、と弓使いの動きが止まり、目の焦点がぼやけた。
彼女のスキル、未来視の発動のサインだ。フォーキャストのことをよく知る老矢師は動じず、取っ手のないカップと白釉のティーポットを黙々と片付け始める。
「荒事ですかな」
「みたいだね。さっそく使うことになりそう」
フォーキャストがぽつりと答え、それから視線を老人に戻した。
「同じ数、また作っといてくれる? またお金持ってくるから」
「ひと月はかかります」
「十分。それじゃ急ぐから、またね」
フォーキャストは立ち上がると、矢箱を肩に背負って工房を去った。
矢師の老人は静かにそれを見送ると、作業に戻るべく工房の奥へと戻った。
◇
BRRRRRRRRRRRRRR! BRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!
「なんて銃だ、たった2挺であの火力!」
速過ぎて一繋がりに聞こえる連射音を背後に、俺は店内を駆け抜けていた。
裏側はさっきのホワイトリリィに塞がれ、表側は乱戦の真っ最中。
まさに前門の虎、後門の狼……だが閉所で重機関砲とやりあうくらいなら、乱戦の真っただ中を抜ける方がまだ生きる目がある。それに戦闘が続いているということは、そこに味方がいるということだ。
「ひっそりこっそりで行くしかねぇか」
この発砲音を聞きつけた奴が、こっちに来ていないといいのだが。俺は厨房とスタッフ用通路を経由し、再びホールの扉を開けた。
「――おーや、おやおや。こいつは棚からボタ餅、瓢箪から駒」
「……こういうときの嫌な予感ってのは当たるよなぁ」
ホールの入口側に、男がひとり立っていた。
狐目、総髪。肩に鋼鉄片を繋げたラメラーアーマーを取り付けた、東国風意匠の防弾服。腰には大小2本の刀を差してあり、その鞘には黒地に虹色の、星空めいた細工模様が施されている。
「今日名乗るのは何回目かな。バックスタブだ」
「お初にお目にかかりやす、あっしの名前はデーモンナイフ。この『鬼包丁』から取った名でさぁ」
狐目の剣士が飄々と名乗り、腰の刀をぽんと叩いた。
「リリィ嬢の回転機関砲の音がしたんで、ちょいと抜けて様子見に来てみれば。なかなか油断ならねぇお人のようで」
「ほざいてろ」
BLAMN! 俺は話を遮って8ゲージ散弾をぶっ放し、2階に向かって駆け出した。
デーモンナイフは素早く飛び退いて散弾を回避。さらにその場で身体を沈め、殺気を噴き上げながら刀の鯉口を切る。
距離はざっと5メートル。常識的に考えて剣が届くはずはないが、奴の目にはここから殺せるという確信があった。……何か、来る!
「殺して進ぜやす」
俺が反射的に跳び退った瞬間、デーモンナイフが刀を抜き放った。
――SLAAAAAAAAASH!
直後、俺の目の前でレストランの壁に巨大な傷痕が走った。
「何だ!?」
同時に爆発的な衝撃波が部屋中を吹き荒れ、あちこちのテーブル上に残っていた皿やグラスが吹き飛ばされて砕け散った。気流魔法の風の刃の類か。
「飛ぶ斬撃……!」
「御名答。秘剣『太刀風』、初見で見切るたぁお見事」
「なにが秘剣だ。どう見ても飛び道具じゃねぇかよ!」
「兵は詭道なりと言いやしょう」
デーモンナイフが笑いながらひゅん、と刀を振った。店の外で長いこと戦っていたはずだが、その刀身には血曇りひとつない。
「別に恨みはないんですが、これでも男やもめなもんでして。家で腹を空かせてるチビたちのために死んでくだせえ」
「知らねぇよ。どうせロクなガキじゃねぇだろ……っと!」
俺はコート下から手榴弾を投げつけ、そのまま全力疾走で階段を昇りきった。
デーモンナイフは手首のスナップだけで斬撃を放ち、起爆前の手榴弾をバラバラに切り刻むと、2階までショートカット跳躍して俺を追ってきた。だが俺の方が速い。
「あばよ! ガキの養育費はテメェの保険で払いな!」
窓際のテーブルにピンを抜いた手榴弾を転がし、俺は窓から飛び降りた。
KBAM! 頭上で響く爆音を聞きながら、強化魔法をまとって前転着地。着地の衝撃を無効化し、すぐさま表通りへと飛び出す。
「おーおー、血の海。俺ひとりのためにここまでやるか」
店の外は血と斬撃痕だらけだった。おそらくデーモンナイフがレストラン前に陣取り、四方八方にあの『太刀風』とやらを飛ばしたのだろう。死体は転がっていないが、怪我人は少なからず出ているはずだ。
「やっちまえ! 東区のゴロツキ共に冒険者が負けてたまるかよ!」
「じゃかまっしゃァーッ! 勇者気取りのボケどもが! 死ねェーッ!」
「ギャハハハハハハハ!」「ウォォオオオオオオ!」「ケヒャヒャヒャ――ッ!」
敵は十数人。近くには移動手段と思しき乗用魔導車が2台。全員が魔法使いらしく、強化魔法を使いながら南区の冒険者たちとやり合っている。
こういうときパノプティコンがいれば、ゲイジング・ビットと〈邪視〉であっさりと制圧してしまうだろうが……仮定の話をしても仕方ない。
まずは裏手に回り、あの機関砲女の背後を取って殺す。それからフラッフィーベアと2対1でデーモンナイフを殺して、冒険者ギルドへ……。
「――ああ、いたいた! うふふ、つれないじゃないですか!」
ZOOOOOOOM! 俺の皮算用を嘲笑うように、例のガトリング・ユニットを担いだホワイトリリィが前方の路地から姿を現した。
大重量に見合わぬ高速滑走。見ればスリット入りスカートから覗く両脚は、車輪と噴射加速機構を組み込んだマギバネ義足に置換されていた。どこまで身体を機械にできるかのチキンレースでもやっているのだろうか。
「――手榴弾は床に落とさなきゃ駄目でしょうや。他の客を巻き込むまいという心意気はご立派ですがね、それで自分が死んじゃあ元も子もありやせんよ」
「わーお」
そして俺を更なる絶望に追い込むように、後ろからデーモンナイフが現れた。伏せて破片の被害を免れたのか、こいつも無傷のままだ。さらに冒険者と戦っていた殺し屋どもまで、俺の存在に気付いて包囲にかかってくる。
「見た感じ、先に入った3人はやられちまったらしいですぜ」
「あら、さすがですねぇ。油断せずやりましょう」
「それがよござんすね」
「よくねぇよ」
楽しそうに喋るふたりに挟まれながら、俺は右の靴底をわずかに上げた。
2度目の〈必殺〉を強行すれば、ギリギリどちらか片方は殺れるかもしれない。どっちにしろ魔力がガス欠を起こし、グロッキーになったところを殺されるだろうが――逆に言えば、それまで猶予ができる。わずかな可能性ができる。
「クソボケが。死んでたまるかよ……!」
なら、やるだけだ。確率の問題ではない。
目の前でガトリングが空転を始め、背後で鯉口を切る音が鳴る。俺は右の靴底を上げ、〈必殺〉を……。
BEEEEOW! BEEEEOW! BEEEEOW!
「!?」「何!?」
そのとき背後から短い風切り音が響き、ふたりの殺し屋がそれぞれ跳び退った。
KBAM! KBAM! KBAM! 直後、無数の飛来物が俺のまわりに着弾。古代コンクリートの路面に爆発じみた衝撃波が起き、砂埃が舞い上がる。
「砲撃か!?」
俺は思わず頭を庇い、近くの物陰に滑りながら振り返った。
射手の姿は見えないが、おそらくはビルの上。超遠距離からの狙撃だ。
BEEEEOW! BEEEEOW! BEEEEOW! BEEEEOW!
「いったい何が……ギャアアーッ!?」「腕がぁッ!」「建物に隠れろ!」
謎の砲撃が空気を抉りながら間断なく飛来し、俺を囲んでいた殺し屋たちの手足を吹き飛ばしていく。
何人かが停めてあった魔導車に乗り込もうと近づいたが、次の瞬間そのエンジンブロックに大穴が開き、車がビックリ箱のように爆発した。直撃していないにも関わらず、衝撃波に肉を裂かれて倒れる奴もいた。
それでいて、死人はひとりも出ていない。あえて殺さず、だが動けなくなるように撃っているのは明らかだった。
KRA-TOOOOOOOOOOOOOOON……!
そして最初の着弾からおよそ15秒後、街外れの方から遠雷じみた轟音が届く。
(今のが発射音か?)
俺は指折り数えて計算した。
音の速さがだいたい1秒に300メートル(※メートルとは長さの単位である)で、銃弾は音より速く飛ぶ。だから弾が来てから音が来るまでの時間がわかれば、発射地点との距離が割り出せる。
着弾から発射音までが15秒だとしたら、射距離はざっと5キロメートル(※メートルとは長さの単位であり、1キロメートルは1000メートルを意味する)。対魔物用の高初速砲が必要になる距離だ。
だが、どうにも腑に落ちない。銃火器の使い手が少ない南区に、そんな距離から狙える砲撃手がいるものだろうか?
「……いや、まさか……」
俺は地面の着弾痕に視線をやった。
そこにあったのは竹と金属と、鳥の羽でできた投射体。……降り注ぐ「砲弾」の正体は、強化魔法を込めた矢だった。
◇
「さっむ……帰ったら粕汁でも炊こうかな……」
冬の夜風が吹き荒れる中、フォーキャストは足元の矢箱から次の矢を取った。
彼女は使われていない古代建築の屋上に陣取っていた。
他の建物より一段高いこの位置からは、立ち並ぶ古代コンクリート・ビルの群れも、月光を反射して白く浮かび上がる中央区の巨大ドームもよく見える。だが今彼女の視線が向いているのは、およそ5キロメートル離れた繁華街の一角、レストラン前の往来だ。
その手に握られているのは、禍々しい黒の竜角弓。普段はカラクリ仕掛けで両端が折り畳まれているが、今のように展開すれば2メートルを超える大弓となる。
かつてクイントピアを目指す旅の道中、フォーキャストは飛行中の竜種を偶然見つけ、接触禁忌の決まりを知らぬままに射落とした。
そして解体の途中、自ら精鋭を率いて調査にやってきたギルドマスター、エルフェンリア・S・ワンクォーターと出会い、そのままギルドへと迎え入れられたのだ。
その竜の角と腱から生み出されたのが、この黒弓。
常人では引くことすらままならぬ強弓にして、異常出力の電磁投射装置。雷を放つ黒雲になぞらえ、銘は『濡羽雲』という。
「いちおう私が誘ったわけだし。いいとこ見せなくちゃ、ね」
フォーキャストは一息に弦を引き絞り、目を細めて標的を見据えた。
帯電性の魔力が手から弓へ、弓から矢へと流れ込む。弓柄に仕込まれた2本の加速レールが矢を上下から挟むように展開し、加速電場を形成した。
弓使いの双眸が電光に白熱し、アッシュブルーの長髪がぼう、と蒼く輝く。
これだけ獲物との距離があれば、十分な『チャージ』が可能だ。オーバーロード寸前まで魔力を注がれた矢から稲妻が逆流し、大気中へと漏れ出した。
「……今」
KRA-TOOOOOOOOOOOOOOON!
轟音とともに魔力が爆ぜ、放たれた矢が闇を切り裂いて飛翔する。
フォーキャストは事もなげに腕を振って稲妻の残滓を払うと、次の矢をつがえた。
読んでくれてありがとうございます。
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