最終章4 ファイナル・アサシネイション(3)
「ギャアアアアアアッ! 助けてくれーっ!」
「上に逃げるんだ! 上へ……畜生、道を開けろ! 道を開けろォ!」
「神様! 神様ッ! こんな死に方嫌だァァァァ!」
ヒュドラ・ピラーのあちこちから響く絶叫を聞きながら、俺は暗闇の中を進んでいた。ドス黒いタールの流れを引き連れ、逃げ惑う敵をひとりずつ仕留めながら。
現在位置は30階。下層の東区行政府と、その上に位置するヒュドラ・クラン本部事務所とのちょうど境目にあたり、本部付きのギャングが利用する店屋やマギバネ技師の工房が並ぶ。幸いなことに、深夜の今はどこもシャッターが下りていた。
(良かったな。カタギを殺すのは少しばかり寝覚めが悪い)
悲鳴と怒号の中、俺は淡々とそう思った。
ここから下に生存者はいない。死体もない。あるのは死の静寂だけだ。
最初は床を覆う程度の量だったタール状の魔力の海は、今ではピラーの半分を侵食するまでに至っていた。何もかも、皆殺しにしながらここまで来たのだ。
「舐めんじゃねぇぞワリャアアアアーッ!」
「殺られる前に殺ったんぞコラアアアァ-ッ!」
「死ィィーッ死死死死ィッ死ャアアァアアアッ!」
BRATATATATATATATA! 吹き抜けの向こう側、複数階に渡って展開したレッサーギャングたちがサブマシンガンの弾幕を張った。さらに魔導RPGを担いだ数人が身を乗り出し、サーモバリック弾頭を一斉に発射する。
俺は黒く濡れたコートの裾を翻し、『ヒュドラの牙』を素早く3連射した。
BLAMN! BLAMN! BLAMN! 蛇頭めいたスパイク付きダックビル・ハイダーが火と鉛を吐き出し、魔導RPG弾頭を撃ち落とす。
そのままジグザグにステップを踏んで銃弾を避け、右脚で床を踏みしめる。
ピラー内のタール溜まりから一斉にドス黒い濁流が噴き出し、吹き抜けの中央、空中の一点に集まって渦を巻いた。毒蛇が攻撃に備えてとぐろを巻くように。
「――死ね!」
ZGGGGDOOOOOOOOOM!
圧縮されたタールが解放され、黒い嵐となって荒れ狂った。
もはや攻撃時間は一瞬ではなく、攻撃対象はひとつではない。
タールの嵐に巻き込まれたレッサーギャングらはたちまち魔力を吸い尽くされ、悲鳴すら上げられずにバタバタと死んだ。その死体が黒く溶け、嵐の一部となって、さらに広範囲に死を伝染させた。
ヒュドラ・ピラー中層階は一瞬にして真っ黒に染まった。広がったスキルの力場がビルの魔力経路を蝕み、エネルギー供給を絶たれた魔法照明がダウンする。
(ウォーミングアップにもならねえ)
音も光も絶えたピラーの廊下に、俺の靴音だけが淡々と響く。
魔力とは自我と本能の力。生命のエネルギー。
しかし、このドス黒い流体の性質はまるで逆だ。俺の魔法のリソースとして振る舞う一方で、俺以外の魔力を強く打ち消す。生をゼロ化するネガティブの力だ。
汚染領域に踏み入った者は魔力を奪われ、衰弱し、死ぬ。そして汚染領域をさらに広げる。これまで大勢の敵を引きずり込んできた〈必殺〉の路地裏は今や、敵を生贄に際限なく広がり続けるキリングフィールドと化した。
僥倖だ。この力で、今度こそ殺してみせる。チャールズ・E・ワンクォーターを。
俺は無人の廊下を悠々と抜け、階段を上がっていく。31階、32階、33階……。
◇
「――ヒュドラ・クラン、ヘヴィストーン。ここは通さねえ」
37階。廊下の奥、閉ざされた鉄扉の前に立ったギャングが名乗った。
年嵩だが、屈強な男だった。白髪混じりの丸刈り頭に、怒り皺の刻まれた厳めしい顔つき。濃いグレーのオーセンティック・ギャングスーツを着込んだ筋肉質の巨躯は、さながら武神の石像が動き出したかのよう。
手にした武器は一見すると直剣のようだが、鍔の先には刀身ではなく、アダマント鋼の角棒が据え付けられている。鐧という棍棒の一種だ。同じ大きさの剣より遥かに重く、防具の上からでも骨を砕く。
「あんたか、こりゃまた懐かしいな。……ヒュドラ・クラン、バックスタブです」
俺は『ヒュドラの牙』を垂直に捧げ、名乗り返した。
ヘヴィストーンは東区北部で下部団体を率いるグレーター・ギャングだ。
大幹部にこそ数えられていないが、率いていたクランごと傘下入りしたギャングのひとつで、その頃の勢力をほぼそのまま維持している。下層階で殺した三下どもとは別格の相手だ。
「チャールズもいよいよヤキが回ったか。あんたほどの人を弾除けにするなんざ」
「兵隊をこれ以上無駄死にさせられんでな。他の幹部も当てになりゃあせん。関所で戦うのが怖くてこっちに回ってきた腰抜けばかりよ」
「そこに俺が戻ってきたってわけだ。同情するぜ」
俺はゆっくりと歩き出し、距離を測りながら抜き撃ちのタイミングを窺う。
無視はできない。こいつに追われながら戦うなどまっぴら御免だ。敵がひとりのうちに仕留める。
「どうするつもりだ、お前。南区と手を組んでまでクランに弓引いて、何になる」
「親父は俺を用済み扱いして殺そうとした。チャールズはそうなるように裏で糸を引いてやがった。殺す理由はそれで十分だ。舐められっぱなしでいられるかよ」
「なるほど。落とし前ってわけだ」
ヘヴィストーンが鐧を床に叩きつけ、重い金属音を響かせた。
「……ところでな。ついさっきお前が皆殺しにした下っ端どもの中には、ウチの若い奴らも大勢いた。血は繋がっちゃいないが、みんな俺の息子や娘だ。ギャング・クランってのは元来そういうモンだ」
「親父もよく同じことを言ってたぜ。残念ながら口だけだったが」
「なら、戦いで語ってやろう」
ヘヴィストーンが正眼に構え、強化魔法を発動した。
ギャングスーツの下で筋肉がパンプアップし、それを鈍色の魔力が分厚く覆う。老いをまったく感じさせない強烈なキリングオーラが大気をビリビリと震わせる。
俺は右手の『ヒュドラの牙』を敵に向け、左手で腰のダガーを抜く。細身の刀身にドス黒い魔力がまとわりつき、切っ先からボタボタと滴り落ちた。
ヘヴィストーンのそれに比べると、何とも不安定で出来の悪い強化魔法だ。階下の敵を喰らい尽くした今、魔力は有り余るほどにあるが、俺の技量がそれに追い付いていない。
「子分の仇、討たせてもらう」
「いいとも。どっちが我を通すか、殺し合いで決めようぜ」
「応!」
ヘヴィストーンが鐧を振り上げ、床を砕かんばかりに踏み込んだ。
BLAMN! 俺は迎撃の散弾を放ち、その射撃反動を使って大きく飛び退った。
ヘヴィストーンは構わず突き進んでくる。棍棒が爆発的加速に霞み、発射直後の散弾を叩き落とす。そこから間髪入れずに2撃目、3撃目の縦振りが襲い来る。
さらにバックステップ。着地と同時に上体を反らす。ボン、と恐ろしい音を立て、顔面の1センチ先を鐧の先端が通過する。ほんの少し判断が遅れていれば、前頭部をごっそり抉られていた。
「本当に年寄りかよ、クソッ……!」
俺はジグザグに跳んで距離を取り、右足で地面を踏みつけた。
階下から氾濫したタールの流れがぞぞぞ、と床を走り、蛇の群れのごとくヘヴィストーンへ殺到する。老ギャングは両手に持ち替えた鐧を大上段に振り上げ、全身に魔力を漲らせた。
「――ぬゥあああッ!」
ヘヴィストーンは咆哮を上げ、棍棒を床に叩きつけた。
KRA-TOOOOM! 鈍色の衝撃波が廊下を走った。黒い蛇の群れは敵に喰らいつく寸前で撥ね退けられ、散り散りになって消滅した。
(マジかよ)
驚愕する間もあればこそ、俺はダガーを腕に沿わせて防御姿勢をとった。
次の瞬間、ヘヴィストーンが回廊めいて生まれた空白地帯を駆け抜け、俺の目前に踏み込んできた。その勢いのまま横薙ぎのフルスイングが放たれる。
KRAAAAAAAASH!
衝撃が爆ぜた。身体が床を離れ、一回転しながら横に数メートル吹き飛ばされる。
俺は受け身を取って復帰し、左手に握った武器を見た。硬く粘りのある鋼で作られたダガーの刀身は、俺の腕の身代わりになって折れ飛んでいた。
(力負けした。俺の〈必殺〉が)
深く呼吸して痛みを逃がしながら、俺は今起きたことを反芻した。
スキルの範囲が広がったぶん、効果の密度が薄くなっていた。だから敵の魔法による一点突破を許した。そんなところだろうか。
ここまで雑魚ばかりだったせいで気付くのが遅れた。スキルさえ決まれば確殺できる、無意識のうちにそう驕っていた。
次々と浮かんで来るエクスキューズを切り捨て、俺は目の前の敵に向き直った。
即死は免れた。勝ち目はまだ残っている。反省会はここを切り抜けてからだ。
「どうした、こんなモンか。辞世の句でも詠んでみろ、ジョン坊!」
ヘヴィストーンが猛スピードで接近し、山崩れのように乱打を繰り出す。俺の地力の貧弱さを見抜いたか、その攻勢は今までに輪をかけて苛烈だった。
四方八方から襲い来る棍棒を紙一重で回避。ジグザグにステップして距離を確保。折れたダガーを握り込む。
このまま引き撃ちで粘り続け、下階から上がってきたタールの海が敵の魔力を吸い尽くすのを待つ――ヘヴィストーンはそんな悠長を許しはすまい。奴は力尽きるより早く俺を殺してみせるだろう。
勝つのだ。魔法使いの戦いで。
変化に適応しなければならない。この新しい力をモノにしなければならない。
生き残るために。チャールズを殺すために!
「――死ねるか! 奴の首を獲るまでは!」
俺は左手に意識を向けた。床から噴き出したタールが左手のダガーに集まり、凝固して、折れた刀身を不格好に補った。
それを突き出す。ヘヴィストーンは鐧を立てて受ける。泥を固めたような切っ先が敵の強化魔法と激突し、脆く砕け散る。
「ふざけた真似を。付け焼き刃の魔法で何ができる!」
「御託は俺の首を獲ってから言え!」
まだ足りない。もっと硬く、もっと鋭く。
フラッフィーベアほど素早く精巧にやる必要はない。
殺せる武器でさえあればいい。こいつを殺せさえすればいい!
「必ず殺す! お前を! チャールズを!」
俺はもう一度魔力を注ぎ込み、タールの刃を再生成した。
横合いからヘヴィストーンの強打。潜り込むように躱しながら斬りつける。今度は砕けはしなかったが、枯れ枝のようにまっぷたつに折れた。
再生成。初撃は鐧の打ち込みに耐えた。その次でへし折れた。
再生成。今度は2回耐えた。ヘヴィストーンが眉をひそめた。
再生成。3回。再生成。5回。再生成。再生成。再生成。再生成。再生成。再生成。
――CLANG! 殺伐とした金属音が響き、振り下ろされた鐧が跳ね返った。
「馬鹿な……!?」
ヘヴィストーンが驚愕の表情を浮かべ、とうとう後退に転じた。硬く重いアダマント鋼の棍棒には、無数の真新しい刀傷が刻まれていた。
俺は左手の武器を構え直した。
折れたダガーを核に生み出されたのは、冷たく鋭いロング・ドス状の凶器だった。
刀身の長さは1メートル弱。打ち欠いたオブディシアンじみた黒い刃は鋼のような密度で、アダマントの棍棒と打ち合っても、もはや折れることはない。
(これなら、殺れる)
剣術は知らないが、刃物で殺すのは得意だ。腹を刺し、首を切り取る。
俺はタールまみれの床を蹴って前に踏み込み、力の限り刀身を叩きつけた。
ヘヴィストーンが水平にした棍棒を掲げ、顔の前で斬撃を止める。俺は弾かれかけたロング・ドスに体重をかけ、そのまま鍔迫り合いに持ち込む。
「ヌウウーッ……!」
老ギャングが食いしばった口から苦悶の声を漏らした。
原因は黒いロング・ドスとの接触そのものにある。刀身を構成するネガティブの力がヘヴィストーンを蝕み、その魔力を減衰させている。さらに階段や吹き抜けから黒い流体が浸み出し、足元の床を汚染していく。
「覚悟しな。このまま命獲ってやる……!」
「思い上がるんじゃねえ、ガキがッ!」
ヘヴィストーンは咆哮とともに俺を押し返すと、鐧を再び大上段に構え、衝撃波を放ってタールを吹き飛ばそうとした。
その攻撃動作がポイント・オブ・ノーリターンに達した瞬間、俺は肩掛け紐を支点に『ヒュドラの牙』の銃口を跳ね上げ、引き金を引いた。
BLAMN!
「ぐおッ!?」
不意打ち気味の銃撃。黒いロング・ドスとスキルによる攻撃に注意を奪われ、また大技を放ちかけていたヘヴィストーンはこれに対応できなかった。
強力な8ゲージ散弾はヘヴィストーンの胴に深手を与え、体勢を崩してさらなる隙を作り出した。致命的な追撃を叩き込む隙を。
「もらったッ!」
俺はロング・ドスを腰だめに構えて突っ込み、ヘヴィストーンの腹を刺し貫くと、そのまま横に斬り広げた。
黒い刃は敵の強化魔法を物ともせず、肉と臓物をバターのように切断した。裂けた腹から腸がこぼれ、熱い血飛沫が俺に降りかかった。
「が……かっ……!」
老ギャングが苦痛に顔を歪め、口の端から泡を吹きながらたたらを踏む。
跳び下がって間合いを確保。『ヒュドラの牙』をポンプ。
致命傷は与えたが、手練れの魔法使いは往々にしてしぶといものだ。もう一撃叩き込んで、確実に息の根を止める。
「次でとどめだ。念仏でも唱えろ、ヘヴィストーンさん」
「――我が墓碑に/銘など要らぬ/御影石/花は散れども/滅びざるなり!」
ヘヴィストーンは堂々たる辞世の句を残し、鐧を霞に構えて突進した。
BLAMN! 『ヒュドラの牙』が散弾を吐く。ヘヴィストーンは身を屈め、肩の分厚い筋肉で弾を受けながら突き進む。その左腕が棍棒の柄から離れ、俺に向くと、機械音とともに袖口から仕込み拳銃が飛び出した。
俺はロング・ドスの斬撃を合わせ、ヘヴィストーンの左手首をずるりと切断した。拳銃を持った手が血の尾を引いて宙を舞い、明後日の方向に銃弾を放った。
「おおおッ!」
ヘヴィストーンは咆哮を上げ、右腕一本で鐧を振り下ろした。
仕込み銃の対処に一手使わされた。回避も迎撃も間に合わない。今度は俺が得物を掲げ、敵の兜割りを受け止める番だった。
KRASH! 鋼が刀身を叩き、大金槌で殴られたような衝撃が走る。
だが、受けきった。散弾による負傷、そして〈必殺〉による侵蝕は、ヘヴィストーンの力を確実に削いでいた。それが効を奏したのだ。
「――殺アアァァッ!」
俺はヘヴィストーンの首を目掛け、ロング・ドスを横一文字に振り抜いた。
ヘヴィストーンが膝を折り、床のタール溜まりにうつ伏せに倒れた。切断された生首が、鬼の形相で俺を睨みつけたまま、胴を離れてごろりと転がった。やがてそれも黒く溶け、床に広がるタールと同化した。
「……ハーッ……」
俺は深く息を吐き、廊下の壁に寄りかかった。手の中でロング・ドスが溶け落ち、元の折れたダガーに戻った。
もしヘヴィストーンが変な工夫を挟まず、最初から両手で打ちかかってきていれば、あるいは受けきれずに頭を砕かれていただろうか。もはや確かめるすべはない。
(勝つには勝ったが、反省点は多い)
俺は老ギャングの骸があった場所を見た。
もはやそこはただのタール溜まりでしかなかったが、魔導紋様の刻まれた金属片がひとつ落ちていた。上階への鉄扉を開く魔導カードキーだ。
結局、上階の奴らがヘヴィストーンを助けに降りてくることはなかった。
待ち伏せの準備でもしているのか、それとも俺を殺さない限り逃げ場などないことが解らないほど愚かなのか。どちらにせよ、ヘヴィストーンほどの男をひとりで死なせる理由にはならなかったはずだ。
「後悔させてやる」
俺は息を整えると、カードキーを拾い上げ、鉄扉を開けた。
背後で魔法照明が機能を停止し、37階も墓の下めいた暗闇に落ちた。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。
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