最終章4 ファイナル・アサシネイション(2)
サイコ・サバット禁じ手、デス・フロム・アバブ。
パノプティコンが敵の背後から繰り出した大規模質量攻撃は、戦況を一変させるには十分すぎた。
トレビュシェット岩石弾めいて投擲された5台の装甲トレーラーはレッサーギャングの戦列を薙ぎ倒し、避け損ねた幾人かの魔法使いをも巻き込んで爆発炎上。ヒュドラ・クランに甚大な被害をもたらしたのだ。
「クソが、血祭りに水差しやがって! ブッ殺してやる!」
前線にいたステイシスが銃弾よりも速く――彼女にとって、それは比喩ではない――取って返し、パノプティコンに肉薄をかける。
「見えてないとでも思ったか! 止まれッ!」
サイコ戦闘者の双眸、そして周囲に浮かぶ機械眼球が金色に輝き、〈邪視〉の病んだ眼光を放つ。ステイシスは文字通り目にも留まらぬ速度で視線を掻い潜りながら距離を詰めていく。
凄まじいパワーの念動魔法だが、敵は明らかに負傷している。接近戦は難しいはず。懐に飛び込み、一撃で仕留める!
「死ィィィッ!」
ステイシスが目を血走らせ、〈疾駆〉のギアを一段上げた。瞬間移動じみた急接近からハイキックを放ち、パノプティコンの首を蹴り刎ねにかかる!
「――あーはぁ! 惜しい惜しい! 相手があたしで残念だったねー?」
その間際にフラッフィーベアが割り込み、片腕を立てて蹴り脚を阻んだ。
鋭い刃物状の脛を受けたにも関わらず、獣人の腕には傷ひとつない。彼女に宿った〈風柳〉のスキルによって、蹴りのエネルギーはすべて腕から脚を伝って地面へと流れている。
『馬鹿野郎、雑に突っ込み過ぎだ。あのチビに獣人の方へ誘導されてるのに気付かなかったのか』
ステイシスの脳に焼き付いたイマジナリー・ジョンが叱責した。
「ごめんなさい! つい気が急いて……」
『離れて仕切り直せ。〈邪視〉を喰らったら終わりだ』
「はい、先輩!」
ステイシスは連続バック転を打ちつつ毒投げ矢を投げた。フラッフィーベアは土魔法で手の中に手裏剣を生じ、無造作に投げ返して相殺した。
「邪眼のお嬢ちゃんに人喰い熊か! ありがたい!」
ナイツテイルがふたりの姿を認め、兜の下で破顔した。
「へー? ちょっと、人喰い熊って何ー?」
「事実でしょうが」
「もっと可愛いあだ名がいいのぉー!」
「ギャアアーッ!?」
フラッフィーベアが手持ち式マギトロン・ブレードで斬りかかってきたフォトンソードの襟首を掴み、そのまま首の骨を噛み砕いて即死させた。
「GRRRR……パノちゃんも雑魚狩りに夢中になってないでさぁ、さっさとその怪我ペインちゃんに治してもらってよ。あたしが好きに暴れられないでしょー?」
「黙れフラッフィー。今のうちに削れるだけ削らないと……ッ!」
KRASH! KRASH! KRASH! KRASH! KRASH! KRASH!
その陰からパノプティコンが念動魔法を行使し、蟻の行列を金槌で乱打するように5台のトレーラー残骸を振り回す。巨大な車体は無残に焼け焦げ、返り血で赤黒く汚れていた。
「チィーッ……一旦前線を下げるぞ! ヒュドラ・ピラーに砲撃要請を出せ! ステイシスはシルバーフォックスと念動魔法使いを仕留めろ! 俺と威力部門の奴らで前線を持たせる!」
バンブータイガーは始まりかけた大攻勢の中断を決断しなければならなかった。
後方を遮断されては数の強みが活かせぬ。そうでなくても、背後から念動魔法と〈邪視〉をバラ撒かれたのでは攻勢どころではない。
まずは後方のふたりを排除し、後顧の憂いを断つ。やむを得ぬ判断である。
――しかし、後方に戦力を振り分けるということは、ここまで徹底して抑え込んでいたナイツテイルとガラティーンを自由にすることを意味していた。
「連中、あのふたりから仕留める気らしい」
「ならば、その後背を衝くまで! 露払いを任せるぞ!」
「よかろう」
ガラティーンが重々しく頷き、切っ先を下ろして下段の構えを取った。
ナイツテイルは敵に背を向けて前線を離れ、後衛のさらに後ろへ。400メートル近い助走距離を確保し、満を持して突進に移った。
「まったく、ここまで突撃をかけるのが遅れようとはな! ようやく我が魔法も本領を発揮しようというものよ!」
並歩から速足、そして駈足へ。大振りのハルバードを脇に抱え、ナイツテイルは魔力を練り上げながら徐々に加速。蹄が地を蹴るたびに炎が生じ、金属鎧の下から甲高い吸気音が鳴り響く!
「あの半馬女を止めろッ! これ以上兵隊が死んだらまずい!」
「魔法使いは前に出ろ! ぶつかってでも止めるぞ!」
「撃てるものは全部撃て! 目潰しくらいにはなる!」
「「「「「死ねっコラーッ!」」」」」
前方のヒュドラ・クランの軍勢が、死に物狂いの阻止砲火を放った。
しかし立ちはだかるガラティーンが魔剣ソード・オブ・フェアウェルを乱れ振るい、飛来する火球を、爆炎手榴弾を、魔導RPGの弾頭を、影の魚群を、そして不可視のマイクロウェーブ攻撃すらも八つ裂きにした。
「もう遅い。……蹴散らせ、ナイツテイル!」
髑髏兜の剣士が横に飛び退き、背後の重騎兵に道を開けた。
「――『ラムジェット・チャージ』! 行くぞッ!」
ZZZOOOOOOOM! 襲歩に移ったナイツテイルの背から爆炎が噴き出し、双翼のごとく左右に広がった。
ラムジェット・チャージ。その正体は気流魔法と火炎魔法の複合魔法である。噴き出す炎の翼は攻防一体の武器であると同時に、〈不抜〉なしでは身体が砕け散るほどの大推力をもたらすのだ!
「貴様らは下がれ! 俺が行く……!」
シャドウプールがひとり迎撃に飛び出し、両手で複雑なハンド・サインを組んだ。
その影が一瞬にして数十倍の大きさに広がり、一匹の巨鯨の姿をとった。それが地面から抜け出して三次元空間に泳ぎ出し、大口を開けてナイツテイルを襲う!
「「イイイイヤァァァーッ!」」
KA-DOOOOM! 巨大な魔力が激突し、生じた斥力が大気を響もす。
影の巨鯨は炎の翼と削り合い、やがて巨体に物を言わせて重騎兵を呑み込んだ。
しかし次の瞬間、その腹を突き破ってナイツテイルが飛び出し、燃える流星のごとく突き進んだ。速度が乗ったハルバードの槍先がシャドウプールを捉え、その右腕を斬り飛ばす!
「かあああッ!」
シャドウプールはなおも戦意を失わず、突っ込んでくるナイツテイルの水月に破城槌めいた足刀蹴りを合わせた。
DOOOM! 二度目の衝撃音。
凄まじい威力の蹴撃が運動エネルギーを相殺し、重騎兵の突撃が停止した。同時にシャドウプールの蹴り脚が爆ぜ砕け、骨と筋線維が飛び散った。
「……ッ!」
シャドウプールは残った片脚で跳躍し、渾身の手刀を敵の脳天に叩き込んだ。
ナイツテイルの重兜が割れ、青鹿毛の長髪を後ろで束ねた端正な顔が露わになった。しかし、〈不抜〉の護りを破壊するには至らなかった。
「……『火焔砲』、俺では届かなんだか」
シャドウプールは低く呟き、力なく地面に倒れ伏した。
「見事なり! 格闘家気取りと言ったのは撤回しよう!」
ナイツテイルは敵の闘志を称賛し、故にこそ慈悲をかけようとはしなかった。
高く跳躍しながら反転し、ハルバードの斧頭をシャドウプールへと振り下ろす!
「――ッたく、手間取らせてんじゃねぇよ!」
そこにステイシスが飛び膝蹴りを仕掛け、とどめの一撃を弾き逸らした。
「プールさん伏せろッ! 喰らえオラーッ!」
その背後でイグニッションが魔導バイクを旋回させ、魔導RPGの成形炸薬弾を発射。安定翼を展開した弾頭がロケットモーターの尾を引いて飛んでくる。
「ち……無粋だぞ、貴様らッ!」
ナイツテイルは噴射炎の翼を再び展開し、旋回しながら前方を薙ぎ払った。
KA-BOOOOM! 炎に炙られた弾頭が着弾前に炸裂し、破片と煙を撒き散らす。
ナイツテイルが煙を振り払ったとき、既に敵の姿は消えていた。ステイシスがシャドウプールを担いで〈疾駆〉を発動し、超高速で戦線離脱したのだ。
問題ない。十分な戦果だ。ナイツテイルは冷静に切り替えた。
命は取れなかったが、片腕と片脚を奪った。敵にペインキラーのような反則じみた回復手段はない。薬物で意識を覚醒させたとしても、もはや脅威にはなるまい。
「影使いはもういない! 勝機は我らにあり! このまま突き崩せッ!」
ナイツテイルは軍旗めいてハルバードを掲げ、高らかに叫んだ。
それを皮切りに冒険者たちが鬨の声を上げ、次々と敵陣に切り込んでいく。
攻勢に加わる冒険者の人数は、数分前よりも格段に多い。ペインキラーの奮闘によって、砲撃にやられた負傷者の大半は既に戦線復帰を終えていた。
◇
「――はぁ……はぁ……はぁ……」
土魔法で築かれた土壁の裏に座り込み、ペインキラーは荒い息をついた。
その顔は青ざめ、薄灰色の前髪は汗で額に張り付いている。休む間もなく数十人を修復したためだった。
「ペインさん、大丈夫? これ飲む?」
傍らの治療師が駆け寄り、瓶入りのポーションを差し出す。
ペインキラーは礼を言う余裕もなくそれを受け取り、栓を抜いて口をつけた。
「んく……んくっ……ぷはぁ! ……足りない……」
解剖魔法をこれほど連続で使ったのは、彼女にとっても初めてのことだった。人体操作は精緻な魔法であり、魔力の消費も相応に激しいのだ。
原型である――『別名』と言った方がより正確だが――魔族の血肉魔法においては、他者の血肉を取り込んで魔力を補給するため、このような問題は生じない。むしろ今のペインキラーの在り方こそが歪なのだ。
「ちょっと休んだ方がいいよ。あんなに魔法を使ったら持たないでしょ」
「いいえ、まだです。……私の鞄、ありますか」
ペインキラーは震える脚を強いて立ち上がり、預けていた医療鞄を受け取った。
そこから円筒形の冷蔵容器を取り出し、中に収まったガラスのシリンジをひとつ抜き出す。シリンジの中には濃い赤色の液体が詰まっており、先端には太い注射針が取り付けられていた。
「何、それ」
「私の血です。……これを使ったことは、あまり言い触らさないでください」
ペインキラーは注射器を逆手に持ち、自らの太腿に突き刺した。
解剖魔法の力は魔力から血肉を生み出し、また血肉を魔力へと変換する。この濃血製剤は緊急時の魔力源として使うために加工された血液であり、人喰いの禁忌の外縁に触れる行為だ。
その効果は覿面だった。たちまち深紅の魔力が全身を巡り、覚醒ポーションを打ったような高揚感が全身を満たしていく。
(師よ。……どうか私を、まだ人間でいさせてください)
ペインキラーは目を閉じ、湧き上がる邪悪な活力に耐えた。
他者の命をリソースにして身体を改造し続け、永遠の命と若さを保つ。それが150年前に猛威を振るった魔族たちの目的であった。そして、それ故に滅びた。
早期に逃亡したごく一部を除く魔族たちは、追い詰められた末に互いを吸収しあい、一体の巨大な合成獣となって勇者アズサと復讐者エルフェンリアに挑んだ。そして敗北して滅んだという。
ペインキラーの師はその「ごく一部」である。下卑た貪欲に堕ちた魔族らに早々に見切りをつけ、放浪の治療師として旅を続けた男だった。
そして自らの研鑽の成果を後世に遺すため、ペインキラーを後継者として育て、その皆伝とともに命を絶った。不老への欲を自覚したが故に。ペインキラーもいずれは弟子を取り、師と同じ道を辿るだろう。
(でも、それは今日ではない。……行かないと)
ペインキラーは遮蔽から飛び出し、一直線に戦場へと駆け出した。
戦場は再び乱戦状態。ただし、今度は冒険者ギルドが攻める側だった。
そこかしこで大威力の魔法攻撃が飛び交い、剣や槍を持った前衛が浮足立つヒュドラ・クランの戦列へと斬り込んでいる。先陣を切るのはナイツテイルとガラティーンのふたりだ。
「――あの女が出てきたぞ!」「撃て撃てェ!」「大金星は俺のもんだァァァッ!」
BRATATATA! 銃弾が襲い来る。ペインキラーはしなやかな連続側転で回避し、ナイツテイルが切り開いた戦線の突出部へと入り込む。
(まずはパノプティコンを治さないと)
ペインキラーの視線の先には、敵中に孤立したパノプティコンとフラッフィーベアの姿があった。
そのふたりを取り囲んだ敵方では、ヒュドラ・クランのシルバーフォックスが舞うような動きとともに魔法を行使し、雑兵の後ろから暗黒火球を連射している。その陰から強襲のタイミングを窺っているのはステイシスだ。
狙うべきはシルバーフォックス。まず敵の火力担当を排除し、そののちパノプティコンたちと合流。大通りの敵集団を完全に分断し、各個に無力化する。
「乱世を治めんために邪法を用い、已に治まる時は、邪法即ち活法ならずや……!」
己に言い聞かせるように呟き、ペインキラーはタックルの構えに入った。
――その狙いを察知したステイシスが振り向き、襲いかかる!
「またお前か、ビッチ!」
「あなたこそ、邪魔をしないでください……」
ステイシスが一瞬で距離を詰め、体重を乗せた肘打ちを繰り出した。
ペインキラーは紙一重で躱し、アッパー気味に右の掌底を繰り出す。ステイシスはスウェーバック回避から前進し、右のカランビット・ナイフを――。
「――はあっ!」
そこに置かれていた打ち下ろしの左掌底が、ステイシスの胴体にヒットした。
ステイシスが血相を変え、ステップバックして距離を離ず。しかし掌から流れ込んだ深紅の魔力は、既に女ギャングの肉体を侵蝕し始めていた。
「解剖魔法、確かに入りました」
「こ、の……ぐううッ!?」
ステイシスの顔に脂汗が浮かぶ。その肋骨がメキメキと音を立てながら変形し、皮膚の下で歪に浮き上がっていく。
(……少し浅かったか。でも、ここで決める)
一瞬の逡巡の末、ペインキラーは追撃のために前へ踏み込んだ。
柔術奥義、ステルベン・チェストバスター。解剖魔法の力で肋骨を観音開きにしたのち、ガラ空きの心臓に掌打を打ち込む不殺奥義である。しかし今の一撃は、想定より魔法の効きが弱かったようだ。
「せんッ……ぱいの……名誉に、かけてッ!」
ステイシスは全身に魔力を迸らせ、開きかけた肋骨を無理やり抑え込んだ。
そして胸の前で刃物状のマギバネ腕をクロスさせ、襲い来た追撃の掌打を受けた。込められた解剖魔法が機械の腕に防がれ、不発に終わる!
「ん……!」
「殺アアアアッ!」
ステイシスが両腕を内から外へ振り抜き、首刈りの斬撃を繰り出した。
ペインキラーは避けも防ぎもせず、首を切断寸前まで切り裂かれた。切り裂かれながら敵の片腕を取り、腕関節を極めていた。
「捕まえま……ッ!」
ペインキラーは出かけた言葉を呑み込んだ。
ステイシスは不意に黙り込み、ペインキラーを睨めつけていた。
――その目の奥でさらなる殺意が迸り、マギバネの右脚から不穏な機械音が鳴る!
(何か、来る)
ペインキラーの第六感が警鐘を鳴らした。
敵は奥の手を隠し持っており、それを今まさに解き放とうとしている!
「――せやあっ!」
彼女は関節技の完遂を諦め、敵の腕を引き込んで払い腰で投げた。
ステイシスは背中から硬い路面に叩きつけられ、肺の中の空気を吐き出した。ペインキラーはその胸に無慈悲なストンピングを浴びせ、物理的に肋骨を踏み砕いた!
「がひゅッ……あ……!?」
「痛いでしょう。呼吸もままならないはず。……そのままじっとしていなさい」
泡を噴いて悶え苦しむステイシスを捨て置き、ペインキラーは再び走り出した。パノプティコンのもとへ!
◇
「畜生! ステイシスがやられたぞ!」「怯むな! コイツを殺せば巻き返せる!」
「ウオオオオーッ!」「ぶっ殺せェ!」「ギャハハハ! ゲーッハハハァーッ!」
薬物に目を血走らせたレッサーギャングが手に手に短剣を持ち、集団で肉弾攻撃を仕掛ける。パノプティコンが本調子でないと見て、集団で取り囲んで圧殺しようというのだ。
「雑兵どもが! 数を揃えれば勝てるとでも思ったか!」
パノプティコンはゲイジング・ビットを総動員して〈邪視〉を連射し、敵の第一波をその場に縫い留めた。直後、高速で飛び戻ってきたトレーラーの残骸がそれらを薙ぎ倒した。
「レッサーをいくらか殺ったくらいで粋がってんじゃないよ! 焼け死にな!」
シルバーフォックスが鉄扇を大きく振るい、横向きの竜巻めいた火炎流を放った。投射される紫色の暗黒火炎は毒性を帯びた呪いの火である。
パノプティコンは瞬時に魔力を練り、自らも念動魔法の力を投射した。金色に燃える魔力が紫炎とぶつかり合い、爆ぜ、指向性を失わせて四散させた。
「ちっ!」
BLAMBLAMBLAM! 銀髪の獣人はギャング・キモノの懐から拳銃を抜き、三重被覆の重金属弾を連射した。
「――GRRRRRRRッ!」
その射線上に割り込んだフラッフィーベアが巨大な黒鉄の円盤刃を生成し、斜めに構えて銃弾を弾く。
そのまま全身を捻ってモーメントを加え、シルバーフォックスへと力強く投擲! シルバーフォックスは後ろに跳んで回避し、暗黒火球を乱れ撃つ!
「フラッフィー、援護は!?」
「いらなーい! あーははははははぁっ!」
フラッフィーベアは両手に手裏剣を生成し、連続で対空投擲した。
芯を射貫かれた火球が次々と爆発し、紫炎の残滓を降り注がせる。そして迎撃手裏剣の中に巧妙に混ぜられた本命の数発が、シルバーフォックスの肩に突き刺さった。
銀髪の獣人が空中で姿勢を崩して墜落する。フラッフィーベアはその着地際に走り込み、馬乗りになって拳を振り上げた。その拳を黒鉄が覆い、凶悪な鉤爪を形成した!
「皮剥いでキツネ肉にしてあげる!」
「舐めんな、ドグサレがァァッ! GRRRRAAAAAAGH!」
シルバーフォックスが優美さをかなぐり捨てて吼え、下からネザー・デトネイト・パンチを連打した。
KBAM! KBAM! KBAM! 拳のヒットとともに生じる暗黒火炎の小爆発! シルバーフォックスはさらに畳んだ鉄扇を発火させ、棍棒めいて殴りつける! フラッフィーベアは両腕に強化魔法を集中してこれを受け切り、哄笑しながら殴り返した!
(ああなったらフラッフィーが勝つ)
吼えながら殴り合うふたりの獣人を横目に、パノプティコンは念動魔法を維持する。その周囲にはゲイジング・ビットがせわしなく飛び回り、死角から接近してくる敵がいないか警戒していた。
縫合されて間もない脇腹の傷はじりじりと熱く、身動ぎするだけでも痛みが走る。普段のような足技は望みようもない。愛用していた鋼鉄ステッキとナックルダスターも、暗黒娼館街の戦いで失ってしまった。
念動魔法と〈邪視〉だけでも戦えはするが、パノプティコンは本来、遠近両用のコンプリート・ファイターである。自衛もままならない現状はいかにも心許なかった。
「――パノプティコンさん! ご無事ですか……!」
「ペインさん!」
そこに走ってきたペインキラーを見て、パノプティコンは表情を綻ばせた。
冒険者ギルドで修行時代を務めた彼女にとって、ギルド内に常駐しているペインキラーは長い付き合いである。組み技の稽古を付けてもらったことも、傷の手当をしてもらったことも一度や二度ではない。
パノプティコンはトレーラーの残骸を動かし、自分とペインキラーの周りに簡易的なバリケードを築いた。さらにその外周にゲイジング・ビットを配置し、全周囲を監視しながらその場に座り込む。
「すみません、ここまで来てもらって。治してもらえますか?」
「もちろん。ギルドマスターの許可は取っています。……それにしても、あなたがここまでやられるとは……」
ペインキラーはパノプティコンの探偵服の裾をめくり、脇腹の傷をあらためた。
深く、鋭い刀傷。そこに残された見事な結節縫合の痕を見て、彼女はその手法が同門の手によるものだと気付き、眉をひそめた。
「この傷は、誰が?」
「娼館街の、ノスフェラトゥという女にやられました。血肉魔法を使う魔族の生き残りで……姉さんの仇でした」
「…………!」
傷口に触れかけていたペインキラーの手が強張った。
当然ながら、彼女はパノプティコンのことをよく知っている。
東区高治安地域の劇場で、姉が心臓を抜き取られて無惨に殺されたこと。全てを捨てて南区のヘカトンケイルに師事し、血のにじむような鍛錬の末にA級に昇りつめたこと。彼女の復讐への執念と、敵に向ける怒りの苛烈さを。
「……私の魔法は、魔族の血肉魔法とほとんど同じものです」
「知ってます」
「我が師も、魔族の生き残りでした。その何某と同じように……」
「そこは重要じゃありません」
パノプティコンは端的に言った。
「姉の仇は姉の仇、ペインさんはペインさんです。大事なのはそこです。魔族だとか聖者だとかは、最初から関係ないんです。やってください」
「……失礼しました」
ペインキラーは指先で傷をなぞった。パノプティコンが僅かに呻き声を上げた。
もとより致命的な傷ではなく、さらに適切な応急処置もなされている。脇腹の傷は一瞬で跡形もなく消え去り、血に染まった縫合糸が抜け落ちた。
「……終わりです。もう動いても大丈夫ですが、出血で失った体力はそのままですから無理はしないように」
「ありがとう、ペインさん」
パノプティコンは素早く立ち上がると、その場で何度か回し蹴りを繰り出して体の調子を確かめた。
万全ではないが、治す前の様子と比べると雲泥の差だ。治療は上手くいったらしい。ペインキラーは胸を撫で下ろし、それから尋ねた。
「ところで、一緒に来たのはフラッフィーさんだけですか? フォーキャストさんとバックスタブさんは?」
「あのふたりは東区に残りました。あそこで――」
パノプティコンは関所の向こう側、東区中枢のヒュドラ・ピラーを指した。
エルフェンリアの人工太陽に照らされた南区とは対照的に、東区でもっとも高い古代建築は全体が氷に覆われ、上空では激しい嵐と雷が荒れ狂っている。
「――チャールズ・E・ワンクォーターに、殴り込みをかけてます」
KRA-TOOOOOOOM! 暗闇の空に雷が光り、ヒュドラ・ピラーを照らし出した。
東区の玉座たる摩天楼は今や、半分以上がドス黒いタールに汚染され、遠目にも慄くほどの死の気配を周囲に振り撒いていた。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。
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