最終章3 ヘイスト・トゥ・デス(6)
「いたか?」「ネズミ1匹いやしねえ」「こっちもだ。トイレの個室まで空っぽだ」
ヒュドラ・ピラー1階広間で、3人のレッサーギャングが言葉を交わす。
ひとりは顔にドラゴンの入れ墨。もうひとりは右腕をマギバネティクスに置換しており、最後のひとりは頭をクルーカットに整えている。
最上階から落ちた敵を探すよう命令が下ってから、数分が経過していた。
既に捜索範囲は5階まで広がっている。東区行政区の施設が雑然と立ち並ぶフロアのあちこちを武装したレッサーギャングが歩き回り、什器を乱暴に蹴り倒しながら敵を捜索していた。しかし、今のところ痕跡ひとつ見つかっていない。
「あのクズ野郎はまだ戻らねえのか」
「言い訳に必死なんだろうぜ。ざまあみろ」
報告に向かったグレーターギャングを指し、マギバネ腕ギャングが嘲笑した。
護衛が敵の襲撃にほとんど対応できず、組長代行自身に刺客の相手をさせ、挙句の果てに敵を見失った。あってはならぬ失態である。現場の責任者はさぞや胃が痛いことだろう。だが、末端構成員の彼らにとっては関係のないことだ。
「やっぱよ、外に逃げたんじゃねぇかな」
「外はリフリジェレイトの魔法で極寒地獄だぜ。1分でカチンコチンだ」
「だとしてもよ、1階に落ちたのは確かなんだ。しかも上への階段は塞がれてる。そんでここにいねえってことは、外ってことだろ」
「やめろやめろ。俺らがどう思おうが、探せってんだから探すしかねえよ」
弛みかけた空気の中、ギャングたちがひそひそと言葉を交わす。
まともな頭をしているなら、初手の奇襲で仕留め損ねた時点で、暗殺は失敗したと判断して撤退するはずだ。ピラー内に残っているわけがない。常識的判断という名の油断によって、彼らの緊張感は薄らぎつつあった。
「あいつ、バンブータイガーさんがいなくて命拾いしたな」
「解らんぞ。事が済んだ後にブチ殺されるかも」
「いい気味だぜ。巻き添え食わねえように気をつけねえとな」
「――待て」
マギバネ腕ギャングが笑うのをやめ、手にしていたサブマシンガンを構えた。
「どうした」
「見ろ」
無骨な金属の指が広間の中央に飾られたヒュドラの剥製を指した。
黒々とした鱗に覆われた多頭の蛇の剥製は、2年前のレッドサイクロプス・クラン戦の勝利を記念して設置されたものだ。東のワンクォーター家を経由して南区の冒険者に狩らせたという、10メートルを超える見事なものだが、今は防弾ケースごとバラバラに砕け散っている。
その陰になった暗がりから、真っ黒な粘質の何かが流れ出ていた。
当然、敵の落下地点と見られる剥製周辺は真っ先に捜索している。そのとき、こんなものは影も形もなかったはずだ。
「気をつけろ! 剥製の陰に何か――」
入れ墨ギャングが周囲に注意喚起した、そのときだった。
「――〈必殺〉」
地の底から響くような声とともに、黒い何かが床一面に広がった。
次の瞬間、1階から3階までの魔法照明が一斉に消え、ヒュドラ・ピラー下層を暗闇が包み込んだ。広間のあちこちから困惑のどよめきが上がる。
「何だッ!? おい、誰がスイッチ切りやがった!?」
「切ってねえよ! スイッチはオンのままだ!」
クルーカットギャングが怒鳴り声を上げると、照明スイッチの前を見張っていたギャングが叫び返した。
魔法照明は中央区からのエネルギー供給で稼働する、クイントピアの恵みである。誰もスイッチを切っていないのに明かりが途切れるなどありえないことだ。
「何がどうなってやがる……」
異常事態に困惑しながら、クルーカットギャングは私物の魔導ライトをつけようとした。しかし、何度スイッチを入れても明かりはつかなかった。これも魔力切れを起こしている。
「ちっ、不良品掴まされたか!」
やむを得ずタバコ用のライターを取り出し、何度か擦って点火する。精製クラルシナ燃料の小さな火が灯り、周囲を弱々しく照らし出した。
「ついた。おい――」
右手でライターを持ち、左手で火が消えないように風を遮りながら、クルーカットギャングは隣の仲間を見た。
ドス黒いタールにまみれた床の上で、入れ墨ギャングとマギバネ腕ギャングは既に死体となって転がっていた。
「えッ」
クルーカットギャングが凍りついた。
次の瞬間、背後から回された手がその口を塞ぎ、それから冷たい金属の質感が背中から心臓を貫いた。
口を押さえた手が離れると同時に、クルーカットギャングは3つ目の死体となってくずおれた。その死体は瞬く間に黒く溶け崩れ、他のふたりとともに床に飛び散った。
◇
BLAM! BLAM! BRATATATATATATATATA!
「ヒィアアアアッ!?」
「あの柱の陰だァ! 撃て! 撃て!」
「おい撃つんじゃねぇ! こっちは味方だぞ!」
「ウオオオオオオオ! ワアアアアアアッ!」
地獄と化したヒュドラ・ピラー下階を眺めながら、俺は3階の廊下を進んでいた。
真っ暗になった吹き抜けの下では、俺を探していたらしきレッサーギャングたちが敵味方の区別もつかないまま同士討ちを繰り広げている。
最初に気づきかけた3人をダガーで刺殺し、暗闇に紛れて何発か散弾銃を発砲。敵が騒ぎ始めたところで爆炎手榴弾を投擲して複数人を爆破。それが文字通りの起爆剤となり、積み木を崩すように同士討ちが始まった。
敵はロクに訓練もしていない寄せ集めだ。一度パニックを起こせば、立て直すのは簡単なことではない。後は放っておいても勝手に死んでいくだろう。
(――大勢を一度に相手取るなら、前より今の方が具合がいいな)
俺の〈必殺〉はその性質を大きく変えていた。
標的を巣に引きずり込む力から、現世を俺の縄張りに塗り替える力へ。
俺が一歩一歩進むたび、足元から大量のドス黒いタールが湧き出していく。また、射程内で人が死ねば、その死体もタールと化して周囲を汚す。
これらに汚染された場所が、そのまま〈必殺〉の効果範囲だ。
踏み入れば即座に魔力を奪われ、魔法もスキルも使用不能になる。長く留まれば、やがて完全に魔力切れを起こし、最終的には衰弱して死ぬだろう。
そして敵を強制的に武装解除することができなくなった代わりに、範囲内に入れば魔導機械の類もエネルギー切れに追い込めるようだ。
ピラーの魔法照明にまで効果が及んだのは嬉しい誤算だった。好きに暗闇を引き起こせるのなら、人数の不利などあってないようなものだ。
「お前ら、撃つのをやめろ! 同士討ちになってるぞ! ――あッ!」
混乱を収めるべく上から飛び降りてきたギャングが、俺を見つけて声を上げた。
赤髪、若い男。右手に拡声器。おそらくグレーターギャング。威力部門の人間ではないし、事務方の連中にも見えないから、どこかの事務所から来たのだろうか。
「ヒュドラ・クラン、バックスタブ。名乗れよ」
俺は敵に歩き寄りながら名乗った。
「お、俺はパイライトだ! 死ねェ!」
パイライトが俺に掌をかざす。その手から魔力が迸る。
魔法攻撃の前兆。たぶん至近距離で爆発をぶつける発火あたり。
俺はノーガードで真正面から踏み込んだ。
パイライトの手がタールまみれのコートに触れる。それだけで発生しかけた魔法は不発に終わり、踏み消された吸い殻のように掻き消えた。
「げぇっ……!?」
戸惑うパイライトの肩を掴み、ダガーで顎の下から脳幹を突き刺す。
今の俺の前で強化魔法防御はまったく意味をなさない。パイライトは一瞬俺の背後に視線を向け、そのまま声ひとつ出せずに死んだ。
(後ろにもうひとり)
『ヒュドラの牙』を腰だめに構え、振り向きざま引き金を引く。
BLAMN! 散弾が背後から奇襲を仕掛けてきた別のギャングの顔面を直撃、頭部をグチャグチャに破壊して即死させた。
ダブルキル。フォアグリップを前後させ、排莢しながら再び歩き出す。足元でふたり分の死体がドス黒いタールとなって飛び散る。
「――グエグエグエッ! 見つけたぞッ! 雑魚を捨て石に美味しいとこだけ頂いてこのレフトハンド様が大出世って寸法よォーッ!」
続いて耐電ギャングスーツを着た太鼓腹の男がエントリーした。電撃魔法の力か、腕を組んだ姿勢のまま足場のない空中で帯電浮遊している。
BLAMN! 俺は即座に『ヒュドラの牙』の対空射撃を放った。
しかし発射された散弾はレフトハンドの数メートル手前で不自然に拡散し、そのまま四方八方に逸れた。敵が余裕綽々で笑みを浮かべる。
バリアの類。突破手段なし。俺は銃を下ろし、右の靴底で床を叩いた。
「行け」
SPLAAAASH! 黒いタール溜まりと化した1階広間から、無数のタールの奔流が吹き上がった。それらがヒュドラの首のようにうねり、レフトハンドに喰らい付く。
レフトハンドは浮遊も放電も封じられ、3階の高さからタールの海に落ち、そのまま二度と浮かんでくることはなかった。
(魔法相手ならとことん強く出られる。となると問題は銃か。……冷えてきたな)
気が付くと、吐く息が白くなっていた。
照明と一緒に空調も止まったのか、氷漬けになった外壁からの寒気がビル内に入り込んできている。まるでこのビルそのものが死に向かっているかのようだ。
俺は最上階を目指して階段を上がっていく。
命をあらかた喰らい尽くしたタールの海が巨大なヒュドラのように鎌首をもたげ、俺に合わせて上方向へと流動を始めた。ドス黒い塊がズルズルと吹き抜けを昇っていく様子は、さながら現世に這い出そうとする地獄の怪物めいていた。
階段の上から数十の足音。さらに魔法使いが数人、吹き抜けから飛び降りてくる。
さっきまでなら絶望の光景だったが、今は違う。
本物の精鋭はここにはいない。こいつらは死に急ぐレミングの群れだ。
俺は歩きながら射撃姿勢をとり、一切の慈悲なく引き金を引いた。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。
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