ハルの唄7
あれから数日がたち。
会社での絵里の様子はいつもどおり変わりなく、でも相変わらず2人の距離は微妙で。しかし先日のマンションでの出来事から、彼女の気持ちが分かってる分まだ幾らか気が楽だった。その日は決心をして会社で絵里に渡す仕事書類の中に、いつもの駐輪場で待ってるとメモを挟み一緒に渡した。
そのメモに絵里が気が付くのを横目にすぐその場を離れ、その後は普通に仕事をこなして昼休みが始まると、すぐ駐輪場に向かった。
駐輪場に着くと、絵里は既にコンクリブロックにちょこんと座っていて、俺に気が付くと立ち上がりこちらに歩み寄る。そして俺を見上げて
「何かここでおしゃべりするのって久々だね。どうしたの?」
「いや、まぁゆっくり話そうか」
そう言って改めて2人で並んでコンクリブロックに腰掛けた。何から話そうか?ゆっくりと言いながら、何となく駐輪場の俺たちのバイクを眺め、絵里も俺もしばらくは無言のままでいた。隣で絵里はパックのコーヒー飲料をストローで飲みながら、言葉を待ってくれているようだ。そして俺はやっぱりパンをかじっていた。
「あのさ…」
「ん、なに?」
「俺今度の三連休に、一回実家に帰ってくるわ」
「うん」
「けじめな。…けじめをつけてくるよ」
「…あのね、私も…実はね」
「いや、今はまだ何も言わなくて良いよ。帰ってきてからちゃんと話そう。俺な、やっぱ向こうに色んな事、置いたままこっちに来たから。絵里とこれから向かい合うためにも、一度戻らなきゃって思ってるんだ。だから。待ってて、な?」
「…わかった」
それから…2言、3言はしゃべったように思うが内容は余り思い出せない。覚えているのは正面を向いたまま、駐輪場に並ぶ俺と絵里のバイクをまたずっと眺めていたことだけだった。
出発の日、連休初日の朝に何となく絵里の声を聞きたくなって
「今から出る、行ってくるから」って電話をかけた。
「うん、行ってらっしゃい、事故だけ気をつけてね」と明るく答えてくれた。
いつものツーリングと違い少し気持ちが重かったが、絵里の声を聞いていくらか気持ちも持ち直した。「じゃあ」って電話を切り、当時の某レーサーレプリカの青いヘルメットと、レーシングスーツを着て荷物を積み込んだ。バイクにまたがりキーを入れてエンジン始動。一路生まれ育った街へとバイクを走らせた。
そして下道で数時間。
3年ぶりか?やがて見慣れた景色が目に入りだした。覚えのある走り慣れた道路を進みながら、港に係留された漁船群と、単線のローカル電車が俺の横を走りぬけ追い抜いていく。変わらぬ街並みに潮の香りがした。あれ、本当3年たったのかな?街を飛び出したのが昨日の事の様で。
このまま千春と暮らしたあの家に戻ると、食事の支度をしながらお帰りって笑顔で普通に出迎えてくれるんじゃないか、あれは悪い夢だったのかな?そんな錯覚を起こしそうになった。
…でも違う。
と、少し先の信号が赤になるのが見え俺はバイクを停止線前に停車させた。
目の前の横断歩道でベビーカーを押す女性と、その横を並んで歩く男性の2人が談笑しながら横切った。幸せそうに見え、その自然な振る舞いは間違いなく夫婦なんだろうな。その様子を眺めていると、俊夫の顔が頭をよぎり千春が赤ちゃんを抱いて3人が仲睦まじく家族を作り上げ、この街のどこかで暮らしている。ふっとそんな光景も頭に浮かんだ。
心がざわついてくる……結局、気持ちの整理なんて全くついてないんだな。今になって気が付くなんて。千春と会って話しをつけないと。でもあいつ俺と会ってくれるんだろうか?俊夫と鉢合わせになったら、何しに来たって罵られて殴られるかもな。でもだからこそ千春に会わないと。
あの時のあいつの気持ちを聞かないと前に進めないんだ。
やがて実家近くになりそれまで走っていた県道から、左に路地を入って、実家の駐車場にバイクを滑り込ませる。荷物を下ろして「ただいま」って玄関を開けるといきなりの帰省だったし、連絡もしてなかったから俺のいきなりの登場に祖母が「あんたどうしたの」ってびっくりして思わず苦笑い。
まぁなんだ、ばあちゃんびっくりさせちゃったな、ごめんごめん。私服に着替えじいちゃんの仏壇に線香を上げて、祖母が入れてくれたお茶を飲んだ。とりあえず夕方までゆっくりするか?。
それとも、たった今帰ってきたんだって仲間の誰かに電話しようかな?でもな…、なんか街を離れた理由が理由だけに、結局電話を掛けそびれてしまう。同じく絵里にも千春に会う事の後ろめたさって言うか、ためらいがあったせいで着いたって電話はできずにいた。
結局、母親が夜に帰ってきたら一緒にご飯を食べようって話す祖母に、何時もの居酒屋に行ってくる事を伝えた。残念がる祖母の姿をよそに、夜1人居酒屋に向かう。
…ちょっと入りづらかったが、久々にお店ののれんをくぐると店主が
「ぅお!ゆうじ!おまえ何時帰ってきたんだよ!」
店内を見廻すと見慣れた顔もちらほら。何か照れくさい。
「いや、ちょっとな」
そう言ってカウンター席に腰掛けると「おまえ今までどうしてたんだ?いきなりいなくなるから心配したんだぜ」って、さっそく仲間が声をかけてきて、そこから時間を忘れ仲間達との昔の話しや今何しているのかを伝えた。気を許したやつらばっかりだから、くだらないやり取りもポンポン出てくる。つい時間を忘れて、冗談を交えながら久々に楽しく過ごす事が出来た。
なんかここだけは昔のままで。そしてあの喧嘩の時にその場にいたやつもいたのに、誰も千春と俊夫の事だけは触れずにいてくれる。仲間の優しい気遣いがありがたいな。でもそれがかえって申し訳ないとも思う。それからは客の入れ替わりがありつつやがて夜も更け、最後は店に店主と俺だけになると、
「今日はもう終いにするか」
そう独り言をつぶやいて、入り口ののれんを下ろした。
「ゆうじ、久々に2人で飲まないか?時間あんだろ?それにおまえなんかあってこっちに帰ってきたんだろ?俺で良いなら何でも聞いてみろよ、答えるぜ?」
「すまん」
事情をかいつまんで説明し…そこから分かった事は、来店回数こそ減ったが今も千春が時々店に来る事。俊夫は今、遠洋の漁船に乗っていて街を離れている事。2人で暮らしてはいるが籍は入れて居ないらしい。子供もいない。そうか…あいつらまだ結婚してないんだ。
「千春ともし会うんだったら、ゆうじが以前に勤めていた運送会社に行ってみろ。そこで事務員やってるよ、おまえなら会社の事務員が仕事を終える時間もだいたい分かるだろ。あいつらおまえが急にいなくなってしばらく、皆からつまはじきにされてたから結構つらかったと思うぞ。俺は千春がなんで今そこで働いているのか何となくわかるけど、後は千春に直接聞いてみな」
…「そうか、いろいろありがとう」
「ふん?俺は何も知らんぞ、それに店の弁償代あれじゃたらんわ」
軽い憎まれ口を言いつつも、のぼるは俺の背中をバンバンたたいて豪快に笑って済ませてくれた。
気遣う事がなくこいつの裏表のないところが俺は好きで、あの日の夜いらい久々に会ったがのぼるは相変わらずで何も変わっていない。それから話しこんで夜遅くまで結構飲んだくれ、ぐでんぐでんになった。その後の記憶ではぼんやり実家に帰った記憶は有るが、飲みすぎて昼過ぎまで寝入ってしまい、起きても軽い2日酔でグダグダ…。
その様子を見ていた祖母には久々に一通りのお小言を頂戴し、だらしないと怒られてしまった。ばあちゃんごめんな、心の中で苦笑い。その後昼飯を作ってもらって、酒も抜けた夕方バイクで運送会社に向かったんだ。
実家から約20分ほど。やがて見慣れた運送会社の看板を目にしてバイクを止める。俺はヘルメットを脱いで、外から事務所の奥に千春の姿を探した。社長にあいさつも考えたがその間に千春が帰ってしまったら、今の自宅も知らないし千春を見失うかもしれない。今日は止めておこう。
正直どんな感じで声を掛けようか?やっぱり会っても邪険にされてしまうかな?、せっかく声を掛けても、感情もなく素通りされて無視とかはちょっとつらいが…。いろいろ考えたけど出入りするトラックの邪魔にならないよう、バイクを別の離れた所に止め直して大人しく千春が出てくるのを待つ事にした。
やがて10分?15分?程、時間がたったろうか、肩までくらいのやや茶色がかった黒髪を、後ろで結わえた女性が1人事務所から出てくる。
見た目が地味な服装のせいか少し雰囲気も変わり、何となく影が薄く感じたが…忘れることはない。その姿は間違いなく千春そのものだった。