ハルの唄6
絵里のワンルームマンションそばにバイクを止めると、ヘルメットをかぶったままでマンションを見上げて彼女の部屋窓を見た。
窓越しに明かりが既についているのが分かり、薄いブルーのカーテンも見える。そこで少しの安堵。どこにもよらずにそのまま直ぐ帰ってきたのか。いや、でも秀さんもタクシーで一緒だったから、ひょっとしたら絵里の部屋に今も居るのかもしれない。合鍵はもらっているから部屋に入ろうと思えば入れるけれど。
もし秀さんが中に居たら、その場面に鉢合わせたら、俺はその現実を受け入れられるのか?2人にいったいどんな顔をすれば良いんだ?眉間にしわが寄って唇をかんだ。心が締め付けられる。あぁああ…。
せっかくマンションに入って、いま絵里の部屋の前に立っているのに。右手にカギを握ったまま、だんだん玄関を開けるのが怖く、おじけづき躊躇していた。
あ…そうだ!換気口!
絵里の自宅は賃貸の独身向け1Kマンション。3階建でその作りは古くマンション入り口にオートロックはない。入口1階から階段を使い2階や3階に上がると、各階の階段から奥に向かってまっすぐ廊下が走り、右に3部屋、左に3部屋と玄関が配置してある。
絵里の部屋は3階。階段を上がって一番手前の左側。その部屋を背中にして立てば、右側に屋上に上がる階段がある。でも階段には扉が着いて施錠済。しかし扉のノブがゆがんで鍵が壊れていた。扉の向こうには絵里の部屋を見下ろして覗ける換気口があるはず。
俺はその扉のノブをひねり、音をたてない様そっと扉を開いた。階段を少しだけ上がってそのまままた扉を閉める。そして階段を半分程上がれば右壁面、高さで膝あたりに丸い5cmくらいの換気口がやはりそこに設置してあった。その換気口をなぜ知ったかと言うと、前に部屋に泊まって朝に起きた時、設備の点検か何かだろう、設備業者か?誰かが屋上に上がる複数の足音が聞こえた。
その時に部屋の玄関右上の換気口が光?瞬いて見えた。業者の足が光をさえぎったりしたせいだろう。で、その時外から中が見えるんじゃないか?と覚えていたのだった。
こんな時間、深夜じゃ階段扉を開ける人間は居ないだろう。誰にも気付かれる事もなく絵里の部屋を確認出来る。でも…覗き行為。犯罪じゃないか?俺こんな趣味あったけか?それに、もしばれたら終わり。きっと絵里から軽蔑されて変質者扱いされる。今度こそさようなら。しかし…。
俺はドキドキし後ろめたさも感じて。でも…悩んでは見たけれど、秀さんがいるのかいないのか?結局は我慢できず覗き込んでしまった。そしてその様子は部屋全体を見下ろす形で、思った以上にはっきり見る事が出来た。
室内の音もそこそこ聞こえる。お気に入りアーティストのCD音楽が流れていた。絵里は上下スウェットの部屋着に着替えた処のようで、ドレッサーに腰掛け化粧を落としている後ろ姿が見える。シンプルで余り飾りっけのない部屋だが、清潔な感じで絵里らしい部屋だと思う。
そして秀さんの姿はなく絵里1人だった。なんだ…いつも通りじゃないか。力が抜けてホッとし、思わずため息をつく。ふぅ。
でも安心はしたけれど俺、絵里から秀さんとの事、何も聞いてない。なぜ夜の繁華街に一緒に居たんだ?まさか暫らくしたら秀さんが現れるんじゃ?そう思うとまた動悸が激しくなり、不安で堪らなくなってくる。後少し、あと少しだけ様子を見よう。
やがて絵里はお風呂の湯をためて、テレビをつけベッドに腰掛けると、どこかに電話を掛け出した。
……「あっあたし、今大丈夫?うん。そうそう。今日会って相談に乗ってもらった。そう。えっ?違うよ、バイククラブの人。うん親切な人だよ。ゆうじ?…最近ちゃんとしゃべってない…。うん。うん。何よ失礼だなぁ」
時々笑いながらしゃべっていて、俺の名前が出た時は油断してたからビックリした。けれどそれで釘付けになり、余計に目が離せなくなってしまう。電話の相手は雰囲気からして女の友人?親しげだが古い友人なんだろうな。何でも知っているみたいだけど…。
「……まだ奥さんの事忘れられないみたい。うんでも…。だって子供の頃からずっと一緒だったんだよ?違うって、前も言ったけれど、お部屋に泊まった時にね、寝言で奥さんの名前呼んでた。今はだいぶ減ったけど、最初の頃は結構言ってたよ。うなされてた…」
あぁ。俺そんなに寝言を言ってたんだ。覗き込みながら考え込んでしまう。
「なんか…ね。えぇ?気持ちは変わらないよ。ゆうじは優しいから奥さんの事、いろいろ考えてるんだよ。でね、今日クラブの人に相談乗ってもらったのは、前に話した奥さんと会った時の事。それが…」
は?びっくりするせりふが飛び出し固まってしまう。
千春…か??あいつと会ったのか?なんで????何で2人が会ってんだ?どうやって知り合った?どこで会ったんだ。これじゃあ全然話が見えない!千春の野郎、今更何考えてんだ。絵里に何かしたのか?!おまえは俊夫とよろしくやってんじゃないのか?!
…俊夫と千春の悪夢がフラッシュバックしてくる。そしたらだんだん気分が悪くなってきた。息苦しいし胸が鈍く痛い。もうダメだ、これじゃあ部屋を覗くどころじゃない。俺は深呼吸しながら外の空気を吸おうとマンションを出た。バイクに乗れるか?でも乗れないと帰れないし。
立ってられなくて、口を押さえながらマンション横にある小さな公園に入り、そこのベンチに倒れこむよう腰掛けた。星の見えない夜空を見上げまたそこで深呼吸。動転して息苦しいのにタバコに火をつけて吸ったりもして。結局やや時間がかかったがなんとか呼吸と気持ちを落ち着かせた。
それから。
暗がりの公園で一人、若干ボーっとした頭で考える。
絵里と千春の接点はなんだ??…わからない。絵里に聞けるわけもない…。
あいつに、やっぱり千春に会っていろいろ確認しないといけないのか。と思う。故郷を出て時間はそれなりにたった。もう俺はあの頃の俺じゃない。変わったんだ。今度こそ逃げ出さないように…置き去りにした物を、整理しなきゃいけない時が来たんだろうな。
そうだな…一度故郷に帰ってみるか。気持ちに整理をつけてこよう。つけて絵里と笑いあうんだ。俺は絵里が大事なんだ。大事なんだよ。