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ハルの唄  作者: こぼん
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ハルの唄1

 遠く山々が連なり川が走り、そこそこ都会ではあるけれど自然の多いこの街に今年もまた春が来た。まだ夜は肌寒かったりもするが、ここ数日の昼間は桜が咲き誇り風も優しく暖かい。



 よく晴れた柔らかい日差しの下、まだ舗装されていない道路の両端に満開の桜並木が続く。その通りを犬の散歩をしながらのんびりと歩いた。ゆるい風に舞う桜の花びらが1つ服のそでに落ちる。そして

、ふと視線の端に人がいるのを感じてしまう。その方向に振り返ると、白いバスケットハットをかぶった女性が1人、桜の木を見上げていた。


 桜の花ことばは「優美な女性」


 その花ことばそのままに、それでいて芯の強そうな端正な顔立ち。白いブラウスと同色のカーディガンを羽織り、薄いベージュのロングスカート姿。何秒彼女の事を見つめていただろうか?自分と目が合うと彼女は首を少しだけ傾け、わずかにほほ笑みながら小さく会釈をしてくれた。慌てて自分も会釈する。そして彼女は何事もなかったように、すっとその場を離れた。


 ゴゥッ!そのタイミングを見計らったように強い風が吹き抜けると、枝がザワザワと鳴き桜の花びらが高く大量に舞い上がった。そして薄いピンクが自分を取り囲み、少しのあいだ視界がさえぎられてしまう。やがて風が収まり花びらの向こうが見え始めた頃、もう女性の姿はそこになかった。



 だけど、だけどなぜだろう。遠く…懐かしく、そして潮の匂いがしたような気がしたんだ。


・・・・・・・・・・・


 俺は西日本の地方、とある小さな漁師町で育った。海や川はきれいで空気は澄み四季を感じ、食べ物もおいしく人も優しい、個人的にはとても住みやすい良い土地だと思う。そんな場所で俺は育ち、結婚し、その相手は小中学校からの同級生だった。


 結婚するにはまだ若かったかもしれない。それでも最初は幸せだった。ところが一生をともにすると信じていた嫁さんが浮気、今風でいえば寝取られていたことが分かってしまう。そしてさんざん修羅場って結果的には離婚するハメになってしまった。


 当時はさんざん嘆き悲しみ、怒りや嫉妬。失望し心身ともに疲弊しきっていた。嫁さんとは幼馴染だからいつも一緒だったし、ちいさな町だから誰もが俺たちのことを知っている。うわさになるのもあっと言う間だろう。

 

 いい笑いもんじゃないか。そう考えると顔が険しくなってしまう。町のさらし者になるなんてまっぴらごめんだ…1秒でも早くこの町を出たい。そして俺は嫁が出て行った殺風景な部屋から深夜、逃げるように地元を離れて、地方の都市にひとりで出てくることになる。そう、二度と戻ることはないって思った、嫁さんとの思い出がたくさん残る俺のふるさと。


・・・・・・・・・・・


 新しい街で最初にしたのは、もともとほしかったバイクの購入。そしてヘルメットやライディングスーツ、グローブ、ブーツなどの一式も買いそろえたことだった。それまで事故を起こしやすいバイクは危ないって元嫁から反対されていたこともあり、購入はあきらめていたが、今は特にとがめられる理由もない。好きなようにした。


 その一方で仕事を探しつつ、持ってきた貯金でしばらく食いつなぐ生活をしていた。それから3カ月ほどかかったがなんとか就職もでき、その会社で働いて半年くらいたった頃だったと思う。若い女性が営業事務として途中入社して来た。朝の朝礼で紹介され、あいさつをしていたが最初は特に気に掛けることもなく、あぁ何か大人しそうな女性が入ってきたなってその程度の認識だった。


 この時期の俺は新しい街で働き出し趣味のバイクも持てて、休みの日は気が向いたらソロツーリングをして。最初の頃に比べたらいくらか気もまぎれてきたが、まだまだ離婚のダメージは大きかった。特に夜になり寝床につくとつらかった事が頭をもたげ寝付けず、いつも寝不足気味。いつまでも過去を引きずったままで人付き合いも面倒。職場でも必要な時以外はしゃべらない、自分のことで精いっぱいだったせいか他人に全く興味が持てなかった。むしろ進んで避けていたくらいだ。


 結局好きなことをしても、環境を変えても心に余裕が持ててなかったんだな。


 そんなだから、いつも会社での昼休みは駐輪場で、向かいのコンクリブロックに腰かけて自分のバイクを眺め、ひとり缶コーヒーとパンをかじって過ごしていた。


 そんなある日の昼休みの駐輪場。いつものようにぼんやり缶コーヒーを飲んでいると、横から若い女の声で、


 「すみません」


て声を掛けられた。誰だ?って声の方向へ振り向くと少しもじもじ?おどおどしながら、この間入社してきた営業事務の彼女、絵里がそこに立っていた。


 「この400ccの青いバイク、あなたのですよね。あの…。私もバイクの免許持ってるんです。バイクも乗ってるんですよ。250ccなんですけど、でも、あなたと同じメーカーのバイクでですね…」


 「へぇ。そう」

 「……はい…」

 「ふーん……」


 最初のやりとりはこんな感じだったかな。顔色を伺われている感じがして、唐突だったしこっちもちょっと面食らって、こいつ何しに来たんだ?からかっているようには見えないけれど、何なんだ?そんな事を思っていた。結局どんな返事をして良いか分からず、絵里は俺の前につっ立ったままで、向かい側に俺は腰かけて固まったまま。そこからまたお互い無言の時間が続く。


 絵里もこの状態を何とかしたいと思ったのか「あの…。ほら、ね?」って、いきなり俺の隣に腰かけると免許証を出してワザワザ見せ、俺の顔を?笑うでもなくじっと見つめてくる。…あぁそんなにまっすぐ視線を向けられたら顔そむけられねえじゃん。それとも顔になんか付いてんのかな?微妙な空気がずっと続き、間が持たねぇ…思わず苦笑いしてしまった。


 後で絵里に聞いたら、やはり何にもしゃべってくれないから、焦ってこっちから何かしゃべんなきゃって思ったって。それを聞いてそんなに必死にならなくったってって笑ったら、絵里はほっぺをプーって膨らませて、じゃあどうすれば良かったのよって拗ねてたな。



 それから昼休みになると、絵里がちょくちょく駐輪場に顔を出すようになったんだ。コンクリブロックに2人腰掛けて、やっぱり最初は会話が続かず多少はギクシャクしてたんだけど、バイクの話しを中心に少しずつ会話も増え、お互いが打ち解けていった。


 彼女と接していて、真面目で人に優しく気遣いのできる女性に見えたし、実際入社して3カ月もたつと、仕事も完全に覚え会社にもすっかりなじんで、社内での評判も高かったと思う。



 仕事もこなしつつ、時々無意識に彼女の仕事ぶりを見ていたら、何かの拍子で俺と目が合うことも多かった。そしたら頭を少しだけ傾けながらほほ笑んでくれて、なんとなく照れてしまう俺だったけど、その笑顔に癒やされもしていた。


 やがてなんとなく、彼女が好意を持ってくれているのかなって考える様になったし、その頃になると、終業後の帰りや休日に2人で会う時間を作る様になり、一緒に過ごす時間もどんどん増えていった。はっきり言えるのは、あの頃、絵里のおかげで少しずつ自分の笑顔も増えていったように思う。同時に少しずつ彼女に惹かれている事にも気がついた。


 自分の気持ちが明確にわかったころ、2人で食事に行った帰りだった。俺の右隣を歩き話をする絵里。彼女の左腕が俺の右腕に当たる。だんだん意識するようになって、勇気を出し思い切って絵里の手を初めて握ってみた。


 絵里は前を向いたまま、ハッとした顔をして俺の顔を上目使いに見ると、照れてはにかんだ顔をしながらも、俺の手を握り返しニコって笑ってくれたんだ。人に興味を持てるようになった俺にとってその時はすごく嬉しかった。


 2人が付き合いだすまでの最初はそんな感じ。まぁ、考えてみたら出会って恋仲になるのにはさほど時間は掛からなかったんだ…。

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