第31話
セリシアは領主夫妻が勧めるウェルカムティーを断り、真っ直ぐに子息の元へ向かった。
そうして明るい陽光が注ぐ広い子供部屋で、セリシアは子息の枕辺に立ってスッと手のひらを翳す。
――フワァアアアアッッ!
眩いほどの光の渦が、寝台の上で苦しげに呼吸を繰り返す少年をふうわりと包み込む。
すると見る間に少年の呼吸が落ち着き、青褪めた頬にも血色が戻る。
「おお……! ずっと寝台に伏したままであったマーリンが起き上がったぞ!! ……これは、まさに奇跡だ!!」
セリシアの再生快癒に、歓声が沸き上がった。
「……あれ、僕、どうしたんだっけ。……え、お父様? 泣いているの?」
自ら身を起こしたマーリン本人は、状況に理解が追いつかない様子できょとんと首を傾げる。子供らしい声には張りが戻り、その表情にも苦痛の色は見あたらない。
大きな出窓から差し込む陽光に消えかかった光の粒子がキラキラと反射して、まるで室内は夢の中にでもいるかのように幻想的だった。
「マーリン!!」
父である領主はマーリンを胸に抱き、男泣きしていた。
母親の領主夫人も目に涙を滲ませて、夫の腕の中から困惑気味に周囲を見渡すマーリンに愛おしそうに頬を寄せる。さらに寝台から一歩分距離を置いた俺の脇では、カエサルが感じ入った様子でその様子を見つめていた。
「え? 母様に兄様まで、どうしちゃったの?」
マーリンは母親とカエサルを順に眺め、戸惑いの滲む声をあげた。
ちなみに、なぜマーリンがカエサルに対し『兄様』と呼び掛けたのか――。それはカエサルが領主の長男で、マーリンの実の兄だからだ。
いくら隊長とはいえ家臣でありながら俺たちと共に子供部屋に入室しようとするカエサルの行動を訝しむ俺に、彼自身が明かした。
彼は家臣に甘んじるこの状況について子細こそ語らなかったが、たったひと言「自分はドスですから」と寂しげに補足したのが印象的だった。
重ねてになるが、ウェールは地方領ではあるものの王家からの覚えも目出度く、広大な領は土地が豊かで、古くからヴィルファイド王国の穀倉庫との異名でも呼ばれている。そんな名門ゆえ、代々の領主は皆ウノの者が務めている。
カエサルがドスであることを理由に後継者を辞退して、護衛部隊員を志願したであろうことは瞭然だった。
個々の家庭の事情に口を出すつもりなど更々ない。しかしウノ至上主義の階級社会に対し、無意識のうちに喉元に苦いものが込み上がってしまうのは、俺自身セイスを理由にこれまで辛酸をなめ尽くしてきたからに違いない。
「あぁ、よかったわマーリン。あなたったら、見違えたように元気になって」
「本当だ! 僕、もう胸が苦しくないよ!」
マーリンは母親に告げられて初めて気付いたように、目を丸くして心臓に手をあてた。
「よかったなマーリン、ここにいるセリシア様がお前を治してくださったんだ」
カエサルがセリシアを示せば、マーリンは枕辺に立つ彼女を見上げてパチパチと目を瞬いた。
「あなたが僕を治してくれたの?」
「ええ。マーリン様が元気になってよかったわ」
「そっか、どうもありがとう!」
「どういたしまして」
ここで領主は抱擁を解くと、セリシアに向き直って深々と頭を下げた。
「セリシア殿、本当になんとお礼を申し上げたらよいか。息子共々、心より感謝申し上げます。また此度の謝礼につきましては侍従に申し伝え、客間の方に運ばせて――」
「い、いえ。治療に対して金品の一切は不要です。領主様のお気持ちだけ、頂戴させていただきます」
「そんな。どの薬師にも匙を投げられ、儚くなるのを待つしかなかったマーリンを治していただいたのです。なんの礼もせずにお返しするなど、それこそ私どもの気が済みません!」
「……でしたら、今宵ひと晩の宿泊をお願いしてもよろしいですか? それから、領主様が屋敷内に造らせたという温泉を使わせていただけたら嬉しいです」
セリシアは領主の勢いにたじたじになりながらも、ふと思い出したように先ほどチナが口にしていた要望を伝えた。
「そんなのはお安い御用です! 客間を用意しますので、温泉も皆様方で自由にお使いください」
「えー、いいなぁ。僕も一緒に入りたいたいよ」
すっかり回復したマーリンは、無邪気に訴えた。
「これマーリン! 恩人のセリシア殿に無礼を言うんじゃない!」
領主が息子を窘めるのを、セリシアがそっと制す。
「いえ。よかったらマーリン様も一緒に入りましょう。みんなで入った方が絶対に楽しいわ」
「やったぁ! ありがとう、……ええっと、セリシアお姉ちゃん!」
「まぁっ、ふふっ。マーリン様に『お姉ちゃん』と呼んでいただけるなんて光栄です」
マーリンはセリシアに満面の笑みを向ける。
「ちょっとちょっと! セリシアお姉ちゃんのことは『お姉ちゃん』って呼んでもいいけど、お兄ちゃんのことは『お兄ちゃん』って呼んじゃダメなんだからね!」
「え?」
突然のチナの言葉にマーリンは、ポカンとした顔をしていた。
「こら、チナ」
俺が苦笑してチナの頭をクシャクシャと撫でれば、チナは見せ付けるようにその腕にキュッと抱きつく。子供らしい独占欲を前面にするチナに対し、同席していた領主夫妻が不服の声をあげることはなかった。
ふたりの関心はチナの小さな無礼よりなにより、病床に伏していたのが嘘のように精気溢れるマーリンただひとりに注がれているようだった。ただし、それは領主夫妻に限ったことではなく、子供部屋に集った皆の顔に微笑みが浮かんでいた。マーリンだけは、いまだ「よく分からない」という顔をしていたが。




