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10話

 




 有無を言わさぬとはこのことだった。

 既に大和の右足はマウンドから離れている。腰をゆるく捻り、後は投球のプロセスを駆け上がるだけだった。



(ど真ん中……ハッタリか?)



 古賀はバットを力強く握り込むと、身構え、見定める。


 球足は遅い。そして変化球があることを学習した。だとしたら、もう遅れは取らない。先程のコースの宣言が真実だろうが嘘だろうが、全力で迎え撃てば良い。所詮年下の女子が投げる球なのだから。




 ――しかしここに来て、大和は全くの想定外の動きを見せることになる。




「お、おいあれって……!!」



 叫んだのは、江口だった。

 同様に、野球部の面々に驚愕の色が伝播していく。それは、サッカー部員達にも、だ。



(おいおいおい)



 マウンドの対角から大和を臨む澤野は、ミットを構えながら体温が一度下がるのを感じていた。あの娘は、どれだけ自分を驚かせるのかと。あの投手は、どれだけの引き出しを持っているのかと。



下手投げ(サブマリン)……!!」



 それは澤野にとって初めて体感する投法だった。


 野球の投法は大雑把に分類すれば、三つの種類に絞られる。


 王道とも言える、上から球を振り下ろすオーバースロー。

 それから使用率の下がる、横から球を送り出すサイドスロー。


 そして、今から大和が披露しようとしている下手投げ《アンダースロー》。

 潜水艦サブマリンとも呼ばれる、凡そ野球に於いて最も使用率の少ない投法だ。


 澤野がこれを見たのは、テレビか動画投稿サイトの中……つまり、画面の中だけの幻だった。


 大和の振り上げた右足がマウンドを踏みつけると、小柄な体がまるで潜水するように沈み込んだ。白球を握り込んだ左手は沈む体に逆らう様に高くテイクバックを受け、そしてジェットコースターさながらに加速していく。


 高く振り上げられた腕は、半月のラインを描く。

 やがて球を握る左手は低空を超える、超低空……マウンドの土を擦らんばかりに低きを滑り、大和の美しいフォームに支えられた白球は芸術的に彼の小さな手を離れた。



(ひ、くい……)



 低い。古賀はそう感じた。


 当たり前だ。


 子供の頃に戯れたゴムボールも、友人と休み時間に丸めた紙屑を投げ合った時も、体育の時間でも、あの低さからモノを投げられるということ事態が非日常的過ぎる。



 下手投げ《サブマリン》は、速度を出せない投法ということで有名だ。プロの世界で見ても、平均値を取れば百二十キロがせいぜい。下に落ちる変化球を投げられないという制約もある。また見過ごせないのが、この独特な投法は体への負担も大きく、柔軟性や体のバネといった適性がなければ怪我を起こしやすいということも小さくない問題だ。


 では何故それでも現在、プロ野球界に於いて低速の球しか投げれない下手投げ《アンダースロー》が脈々と途絶えることなく存在できるのだろうか。


 それはやはり……。








(う、お……球が、せり上がってきて……!!)



 球がせり上がる。

 王道のオーバースローではまず考えらえない独特な軌道に、古賀は慄いた。


 そう……この浮き上がってくるという球筋というのが、バッターからはどうしても対応しにくい。予測もし辛く、感覚的にも捉え辛い。


 その初見殺しじみた特異な軌道というのは、プロの世界でも通用する。

 遅くとも、緩くとも、この下からの球筋というのは慣れていても攻略し辛い。



 ……ならば野球に浅い古賀がこの一球を捕まえるなど、到底無理な話であって。



「う、おおおおおおッ!!!」



 古賀は、それでもバットを振るしかない。















「ストライク……バッターアウト!」



 古賀のスイングを悠々と通り抜けた白球は、宣言通りのど真ん中のコースへと収まった。


 勝負は、大和の完封勝ちで終わる。


 マウンドに立つ大和は、大きく息を吐いていた。

 それは安堵から由来するものでは決してなく、ただただ、溜息……。


『くだらない』


 そんな様々なベクトルへ向けられた言葉が、今にも聞こえてきそうだった。













 ◆

















「今日はどうやった?」


「どうやったって、何が」


「野球部の見学に決まっとるやろ」


「ああ……別に。見て、帰ってきただけ。特に何ともない」


「そうか」



 源一郎は漬物をぽりぽりと食べながら、缶ビールに手を伸ばす。


 時刻は十九時を示している。

 テレビは動物系のバラエティが流れていて、それを順江がにこにこと楽しそうに眺めている。源一郎も大和も特段動物が好きというわけではないが、チャンネル権は順江が握るというのが何となしのルールだった。


 パックの納豆をぐるぐるとかき混ぜ終えた頃合いで、大和は横髪を耳に引っ掛けながら口を開いた。



「じいちゃん。俺、やっぱり野球はする気になれなかった」


「……そうか」



 ぐび、と源一郎の喉にビールが流れていく。

 追いかける様に冷奴をかっ食らうと、源一郎は愛孫の頭をぐしゃぐしゃと撫でつけた。



「わかった。お前がそう言うならもう俺は何も言わん。お前は好きなことをやればええ」



 源一郎の言葉は、優しかった。

 彼は「だがな」と付け加える。



「大和、お前はこれから好きなことをやるんや。自分を殺すような真似はするな、人の目を気にするな。お前はやりたいことをやって、野球またしたくなった時にでもやればいい。大和、お前に今必要なのは心を休めること。そして友達をつくることや。いいな?」


「うん……ありがとう」



 大和は、大人しく頷いた。

 今は祖父の心遣いが、ただただ有難かった。




 夜は、更けていく。







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