爺さんの暗号を読み取って味方をトリックに引っ掛け、ピンチを救いました
でも、河の底に沈んだ石には、藻や苔がまとわりついている。
慣れた爺さんには何でもないことでも、城から外に出たことのない僕にはどうにもならない。
足を取られても仕方がなかった。
「うわっ!」
滑って転んだところで、身体が水の底に沈んだ。
河の中程で、浅瀬を踏み外したのだ。
ダメだ!
なくさないように身体に巻き付けたのに、これじゃシャハロの手紙が濡れてしまう!
でも、それよりも大変なことが起こってきた。
たちまちのうちに、見覚えのある黒い丸太が流れてくる。
カワヒトカゲだ。
「バカモン!」
僕を引き上げた爺さんの力は、思いのほか凄まじかった。
それでも、生きた餌を見つけたカワヒトカゲの群れは諦めない。
水しぶきを上げて水面上に跳ね上がると、次々に僕めがけて襲いかかってきた。
「剣、剣、剣!」
小剣を腰から引き抜こうとしたけど、手が震えている。
間に合わない!
そう思ったとき、頭の上で眩しい光が何度となく閃いた。
二つに切られたカワヒトカゲの身体が、河に押し流されていく。
爺さんは、仕込み杖の刃を収めてつぶやいた。
「これが、河の民の技よ」
何事もなかったかのように歩きだす。
すごい……。
僕はその後を、すごすごついていくしかなかった。
浅瀬はやはり、右に振れ、左に振れ、時には向こう岸から遠ざかることもあった。
それでも、本当に何も起こらなかったのだ。
変わったことといえば、舟が一艘、ひっくり返って向こう岸の岩場に引っかかっていたくらいだった。
それが見えたところで、僕は爺さんの後ろから尋ねた。
「他の舟はどうしたんでしょうか?」
ケイファドキャの兵士たちが、逃げるときに乗っていったはずだ。
それを言わなくても、爺さんの答え方は苦々しかった。
「流されてしもうたのよ、慌て者どものせいで」
やがて、僕は爺さんと共に河を渡り切って、ケイファドキャ側の岸までたどりついていた。
「ありがとうございました」
素直に頭を下げると、突然、何かが風を切る音がした。
逃げる暇もなく、僕の足下に突き刺さったものがある。
手紙をくくりつけた矢だった。
爺さんが、河を眺めながらつぶやいた。
「向こう岸からだな」
そちらを見ると、もう、ジュダイヤ側の岸には、兵士たちがずらっと並んでいた。
中でも、煌くヨファの兜は目立っていた。
頭のてっぺんに不死鳥をあしらった、派手な造りの兜だ。
輝く鎧に身を固めて跨った白馬が、不安げにいなないた。
たぶん、凄まじい速さで流れる河が怖いんだろう。
その後ろには、弓を構えた兵士たちが控えている。
僕は地面から矢を引き抜いて、手紙を開いた。
思わず、呻く。
「これは……」
「何と書いてある?」
爺さんは、字が読めないらしい。
でも、答える気はしなかった。
鼻で笑う声が返ってくる。
「言わんでもええ。見当はつく。こっちへ送り返せというんじゃろう。浅瀬を知るために……」
その通りだった。
再び河を渡りはじめる爺さんを、慌てて呼び止める。
「待ってください、そっちは……」
言い終わる前に、爺さんは背を向けたまま答えた。
「構わん! あるべきところに帰るだけじゃ!」
河の波が、真っ白に逆立っている。
もの凄い音をさせていたけど、その上を行く大きな声だった。
僕は叫んだ。
「行ったら捕まります!」
ヨファが逃がしてやるわけがない。
でも、爺さんは聞かなかった。
「捕虜になろうが拷問にかけられようが、持ち場を離れるわけにはいかん!」
見る間に、爺さんは河の中程にまでやってきた。
さっき、僕が足を踏み外した辺りだ。
だが、そこからは動こうとしない。
僕は、更に爺さんを呼んだ。
「戻ってきてください!」
今なら、逃げられる。
声を張り上げたけど、もっと大きな声が返ってきた。
「敵の前から逃げれば、息子夫婦も孫も命がない! 分からんか、何を言うておるのか!」
喚き散らすなり、爺さんは、逆手に握った仕込み杖から刀を抜いた。
弓兵たちが一斉に、矢をつがえた弦を引き絞る。
太陽の光に、ヨファの抜いた剣が閃いた。
どうやら、命令するつもりらしい。
声は届かないかもしれないけど、それでも、僕は声を振り絞った。
「射たないで!」
河の音のせいで、聞こえるはずもなかった。
たくさんの矢がいっぺんに飛んで、宙に浮かんだ。
それはすぐに、爺さんの頭の上へと覆いかぶさる。
だが、その身体が河の中に倒れることはなかった。
刃がぴかりぴかりと光って、甲高い音が鳴り響く。
二つに斬られて倍の数になった無数の矢は、瞬く間に押し流されていった。
爺さんは、なおも威勢よく言い切った。
「ここは通さんぞ、舟が一艘でも残っておるうちはな!」
いや、舟がなくても、同じだったろう。
……待てよ?
そのときだった。
爺さんの手が、胸元にひとつ、飛んできた矢を押し立てたのは。
だが、その身体がカワヒトカゲの餌食になることはなかった。
……今だ!
爺さんを捕まえに行こうとするふりをして、岩場に引っかかっていた舟を押し流す。
舟は仰向けに倒れた身体を載せて、あっと言う間に川下へと流れていった。
僕が逃がしたなんて、気づかれるわけがない。
向こう岸から、どっと歓声が上がった。
そこで、僕の足下に、手紙を括りつけた矢が再び突き刺さった。
拾い上げて、読んでみる。
「急ぎ帰還の上、味方を誘導して渡河せよ……」
ジュダイヤ側の岸を眺めてみた。
怯えてうろうろする白馬をなだめながら、鞍の上のヨファがこっちを見つめている。
僕は動かなかった。
簡単に言ってくれる。
僕のしていることも、、爺さんのしたことも、そんなふうに片付けてほしくない。
河のざわめきだけが、冷たく聞こえたる。
でも、僕は再び、その中に足を踏み入れた。
その先には、もともと槍担ぎに雇われた庶民の新兵たちがいる。
浅瀬を渡らせなければ、カワヒトカゲの泳ぎ回る、深いところに叩き込まれるかもしれなかった。
たいしたことはないけど、鮮やかなトリックでした。
さあ、河を渡り切って、敵国の領内に入りました。
敵中突破、成るかどうか。
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