姫君のイケメン婚約者がゲスの正体を現しましたが、今は耐えるときです。
夜が明ける頃には、もう、国境の標識が見えてきた。
こんなもの、できれば二度と見たくなかった。
でも、僕の頭の上からは、白馬に乗ったヨファの声が聞こえてくる。
「どうです? 命がけで越えようとした国境ですよ」
自信たっぷりで、どこか人を見下したような、そんな言い方だった。
どう答えろというんだろうか。
確かに僕は、シャハロを連れ出そうとしたために、王様に殺されかかった。
命だけでも助かったのは、ヨファが僕を引き受けたからだ。
借りが大きすぎる、
まっすぐ前を見つめながら、短く答えるしかなかった。
「あのときは、どうも」
そうやってごまかしたところで、ヨファがため息まじりに笑うのが聞こえた。
「シャハローミ様がなにをなさるおつもりだったかは、知っています」
その言葉は、少し寂しそうに聞こえた。
仕方がない。
シャハロは、ヨファには逆らわないけど、それは嫌味のようなものだ。
そして、ハマさんの言葉が正しければ、僕の中にある何かを信じて、王様からかばってくれた。
ざまあみろだ、婚約者。
と思ったけど、そんなことより気になることがあった。
「あれから、シャハロ……姫様は?」
立場を弁え、言葉を選んだ。
せっかく助かった命だ。言葉ひとつで落としては面白くない。
ヨファもまた、丁寧に答えた。
「婚礼には、いろいろと準備がありますので」
やっぱりムカッときたけど、ここは我慢のしどころだ。
そこで、僕は真っ先に思いついたことを口にしていた。
「生きて帰れるんですか?」
僕が、という意味でもあるし、ヨファも、という意味でもある。
何としてでも、シャハロのもとに帰るつもりだった。
だが、ヨファはヨファで、生きて帰れなければシャハロと結婚できない。
すると、自信たっぷりな答えが返ってきた。
「ジュダイヤが、ここまでケイファドキャ……隣の国に食い込んでいるんですよ」
隣の国の名前を、このとき初めて覚えた。
今日までは、気にしなくて済んでいた。
でも、これからは命が懸かっている。
「弱いんですか?」
たぶん、そうだろうとは思っていたけど、聞いてみた。
少しでも、安心したかったのだ。
生きてシャハロの元に帰りたい。
僕の望みは、そこにしかなかった。
ヨファも、余裕たっぷりにくすくす笑った。
「怖いくらいに……ほら、敵の前線が見えてきました。その後ろにある河の向こうまで押しやれば、帰れます」
国境にあったのよりも高い土塁が、長々と連なっているのが見えた。
朝食の支度をしているらしい、竈の煙が無数にたちのぼっている。
それが敵の数を意味することくらいは、僕にも分かった。
「どうやって?」
急に不安になったけど、ヨファは軽く笑い飛ばした。
「そのために、私がいるんですよ……もちろん、君にも十分に働いてもらいます」
国境を越えて最前線にたどりつくと、僕たちは朝ごはんを食べなければならなかった。
真夜中から歩き通しだったのだ。
お腹が空いたままでは、戦えない。
だが、すぐに何か口にする、というわけにはいかなかった。
ヨファの天幕で、僕はその給仕をしなくてはならなかったのだ。
清らかな水と新鮮な果物、分厚い干し肉。
そんな食事をするヨファに聞かされたのは、戦場で僕に与えられる任務だった。
「無理です! 僕には」
とんでもないことを言いだしたヨファに、僕は叫んだ。
因みに、ヨファの食事が終わるまで、使用人の僕は何も食べられない。
さっきまでは空きっ腹を抱えて目が回りそうだったんだけど、そんなことはもう、どうでもよくなっていた。
ヨファはといえば、カップの水で口をすすいでから、困ったように答える。
「深夜に、敵陣の前で騒ぎを起こして逃げてくるだけなんですが」
簡単に言うけれども、たいへんなことだった。
僕に任された仕事は、こうだ。
まず、夜になってから、新兵たちで構成された小部隊と共に敵陣へと向かうのだ。
「働けって、こういう意味だったんですか?」
本当に戦争をさせられるとは思ってもみなかった。
ヨファは、ゆっくりと頷く。
「こうしないと、国王は納得してくれなかったでしょう」
暗闇の中で、鳴り物を叩けばいいと言われた。
向こうの陣地からは、たくさんの兵士が夜の暗闇に隠れて、攻めかかってきているように見える。
そこで、中から出てきた敵の兵隊に捕まらないように、全力で逃げてこいというのだった。
「死んでこいっていうのと同じです!」
味方の陣地に逃げ込めればいいが、追いつかれたらそこで終わりだ。
でも、ヨファは迷惑そうに答えた。
「そうは言ってません。生き残りたかったら、無事に帰ってきてください」
こうすることで、別のところに隠れていたヨファたちが敵陣に突入できるようにするというのだ。
あとは、相手の混乱に乗じて、最前線の兵士たちが突撃をかけることになっている。
早い話が、僕たちはヨファたち斬り込み隊の、そして後から来る本隊の囮にされるのだった。
「本当に、そう思ってますか?」
怖かったけど、それ以上に、悔しかった。
ヨファは、僕や新兵たちの命を何とも思っていない。
そこで返ってきたのは、例のひと言だった。
「逃げたっていいんですよ」
こんな風に見下されては、僕も後には引けない。
食事を済ませて天幕を出ていくヨファの背中に、声を押し殺して答えた。
「分かりました」
ナレイの命を捨て駒としか思っていないヨファ。
このまま行けば、生きては帰れないかもしれません。
怒りを胸の中にしまって、ナレイは危険な戦いに赴きますが……。
その先が気になる方は、どうぞ応援してください。