イケメン貴族の腹の内に生まれて初めて怒りを覚えた僕に、馬丁のおっさんが勇者になれと勧めてくれました。
「笑いごとじゃありません」
果てしなく落ち込んでいた僕は、そうつぶやくしかなかった。
全部、自分でやらかしたことなのだ。
せっかく頼ってきてくれたシャハロが、連れ戻されてしまったのは。
しかも、その父親である王様の怒りで殺されても仕方のなかった僕は、その婚約者に命を助けられる羽目になったのだ。
こんな惨めなことはない。
でも、ハマさんは衛兵たちに殴られて崩れた顔のまま、にやにや笑い続けていた。
「これで分かったろうが。あの若様、なかなかの曲者だぜ」
そこまで言われて、僕もやっとのことで気が付いた。
「じゃあ、ヨファは僕をかばったわけじゃない?」
それも、策略のうちだったということだ。
ずいぶんと、バカにされたものだ。
たしかに、僕はものを知らない使用人だ。
それでも、ヨファが何を考えていたのかは、なんとなく見えてきた。
これまでの出来事は、全部、ひとつにつながっているのだ。
ハマさんも、やっと気付いたかというように、軽い口調で答えた。
「助けてやる義理なんざねえだろうよ。むしろ目障りだろうな、姫様と幼馴染のお前は」
「だから、僕に馬を?」
いかにも親切めかした、ヨファの言葉がまた、耳もとで聞こえたような気がした。
……馬なんか、乗って逃げればよかったんです。
あのときの、人を見下したような態度は、それだったのだ。
確かに、ヨファはこう言った。
……シャハローミ様さえお帰りになれば、君の生き死になんか、どうにでも言い訳は利きますから。
大事なのはシャハロの命で、僕はどうなったって構いはしなのだ。
王様の親衛隊なら、そう考えても仕方がない。
でも、それとは別に、どうしても許せないことがあった。
そこは、ハマさんも同じ気持ちだったらしい。
「お前が逃げ出すと思ったんだろうな、命惜しさに」
ヨファをあざ笑ってみせたところで、大真面目な顔をして言った。
「そこで、だ。あの若様、この後始末をどうつけるつもりだったと思う?」
ヨファには腹が立っているが、その胸の内まではよく分からない。
見当がついたのは、せいぜい、このくらいだった。
「僕が城の馬に乗って逃げれば、婚約者にまとわりつく邪魔者がひとり消えます」
「それだけじゃねえ……あの姫様、お前が逃げたと知ったら、どう思うだろう?」
女の子の、しかもお姫様の気持ちなんか分かるはずがない。
でも、子どものころの性分を考えれば、見当がつかなくもなかった。
「もう、僕なんか相手にしないでしょうね」
ゆっくりと頷きながら、ハマさんは付け加えた。
「そこであの若様の出番だ。逃げた使用人なんぞ許してやれと、こうなだめるだろうな」
あのヨファなら、そうするだろうと思った。
怒りが、身体の奥でふつふつと煮えたぎってくる。
でも、そこで気になったことがあった。
「それなら、僕を預かる理由がありません」
目障りなら、どこか遠い所へ追い出してしまえばいいのだ。
まだひとつ、何か企んでいるんじゃないかという気がした。
「あの若様、お前を殺すつもりだぜ」
「だから最前線に?」
それがどういう意味かは、分かっていた。
僕は、ハマさんの顔をまっすぐ見つめた。
どうしたらいいのか、教えてもらえないかと思ったのだ。
でも、今まで何でも教えてくれたハマさんは、低い声で、こう答えただけだった。
「何もしなければ、お前が死ぬだけよ」
そんなこと言われても、僕は武器を持ったこともない。
あの路地裏で男たちに襲われたとき、シャハロを守るために手に取った棒が初めてなのだ。
戦場で、しかも敵の目の前で、何ができるっていうんだろう。
悔しくて言葉も出ない僕は、呻くことしかできなかった。
「生きて帰れるわけが」
国境で見た、死体の山が目に浮かんだ。
あのときが薄暗くて、本当によかった。
明るいところで見ていたら、何も食べられなくなるどころか、今でもどこかで吐いていたかもしれない。
それを思い出すと、重く、かすれた声しか出なかった。
さらに、ハマさんは僕にその先を言わせず、叱りつける。
「相手が殺すとも言ってないのにすくみ上がるんじゃねえ」
確かに、ヨファはそんなことを口にしてはいない。
しかし、生かして連れ帰るとも言わなかった。
むしろ、国王の前で、こう誓ったのだ。
命を懸けて罪を償わせる、と。
僕にも、その言葉の意味はよく分かっていた。
「でも、戦争じゃ」
負ければ、死ぬ。
簡単に言うと、そういうことだ。
しかし、ハマさんには別の考え方があるようだった。
「勝たなくていい。逃げるんだよ、ハッタリかまして」
「無理だ」
すぐさま答えた。
僕は、それができるほど素早くないし、たいして賢くもない。
その辺りは、自分をよくわきまえた返事だったと思う。
でも、ハマさんは、それを強い言葉で打ち消した。
「俺は生き延びたんだよ、ハッタリで」
それっきり、しばらく何も言わなかった。
たぶん、それは、生まれ故郷がジュダイヤに攻め込まれて滅んだときのことだったろう。
代わりにその国の名前を口にしたのは、僕だった。
「僕は……サイレアで生まれたらしいんです」
攻め込んできた国の王に情けをかけられて、命を救われたのは3歳のときだったことになる。
それは、シャハロと初めて会った年のことでもあった。
するとハマさんは、そこで自信たっぷりに告げた。
「それだけで、お前には素質がある。教えてやろう……諸国を放浪したという、サイレアの勇者になる方法を」
善人面して人を見下し、その命を弄ぶ。
最低最悪のイケメン男の正体に気付いたナレイは、勇者になろうと決意します。
でも、どうやって?
その秘密が知りたい方は、どうぞ応援してください。