窓ぎわの東戸さん~妹の参観日~
「えー、これないの!?」
あたしは手に持っていたプリントを、あまりの悔しさにぐしゃっとしてしまった。
「ごめんね、急に仕事が入っちゃって」
「楽しみにしてたのにー!」
「どうしたの?」
あたしが騒いでいたからか、姉が心配そうな顔でお風呂から出てきた。
「明日の授業参観、お母さんがいけなくなったんだって・・・」
「あや、残念・・・」
「お仕事だから、ごめんね、また次の参観は、いくから!」
「ほんとだよー?」
「妹、それじゃ、私が行こうか?」
「え、姉が?」
「ちょうど明日ヒマだし、また小学校に行くのもありかな」
「やったあ!姉がくるー!」
今度はうれしさから、こぶしをグッとつきあげる。
「お願いしていい?ありがとうね」
「よーし、妹を精一杯宣伝しに行くぞー」
「ちょ、まって、何する気!?」
そして翌日、土曜日だけれど、授業参観のために午前中の3時間、授業へ登校する。参観できるのは2時間目からなので、姉は後から来るらしい。あたしが半そでのシャツにショートパンツ、素足にお気に入りのサンダルを履いて、ランドセルをしょって家を出るときには、まだお布団の中だった。学校に着くと、仲のいいチカちゃんがちょうど靴を履き替えるところだった。
「チカちゃん!おはよ!」
「あー、トートちゃん、おはよう。参観日って、なんか緊張するねー」
「そう?チカちゃんちは、誰か見に来る?」
あたしはサンダルを脱ぎ、靴箱から上履きを取り出すと、素足をそのまま履く。かかとまでしっかり履いて、つま先を床に当ててトントン。よし、大丈夫。
「お母さんが来てくれるって!トートちゃんちは?」
「うちはねー、姉がくるんだ!」
「お姉ちゃん?そうなんだ!」
姉は足癖が悪いらしいんだけれど、あたしはそんなお行儀の悪いことはしない。自分の席に着くと、足をきれいにそろえて座る。ランドセルから教科書を出して準備をしていると、先生が入ってきた。参観日だからか、いつもよりちゃんとした格好になっている。
「みなさん、おはようございます。今日はいよいよ授業参観日です!先生、たくさん質問するから、しっかり手を挙げて答えてくださいね」
「はーい!」
「先生、今日いつもより服装ちゃんとしてませんかー?」
「おー、お前、保護者さんの前でそれいうなよー」
1時間目の授業を終え、徐々にクラスメイトのお父さんやお母さんが廊下に増えてきた。姉はもう来たのかなと、廊下に顔を出して探していると、階段からにゅっと姿を現した人影が。中学校の制服に身を包んだ、姉だった。ちゃんと制服で来たんだ。えらいな。でも、足元は裸足。スリッパも、靴下も履いていない。なんで・・・?
教室に近づいた姉は、あたしに気が付くとにっこり笑って手を振ってくれた。
「妹―、姉が来たぞー」
「よかった、無事に来れたんだね!」
あたしも廊下に出て、ぎゅっと抱き付く。
「・・・私の卒業した小学校だからね?迷う方がおかしいからね?」
「まあまあ。・・・で、何で裸足?」
「んー、靴下履くの面倒でさー。中学校じゃないし、制服さえ着てたらいいかなーっと思って」
「上履きは―?持って帰ってきてなかったっけ?」
「あー、そんなこともあったねえ」
姉の裸足好きはよくよく知っているので、学校の貸し出しスリッパも断ってきたのだろうけれど、あたしのクラスメイトにも、保護者の中にも、裸足の人は一人もいない。あたしの素足に上履きも、クラスに一人だけで、ここれで素足姉妹の誕生だ。姉妹揃って、靴下嫌いなんだよな。
「じゃあ私、後ろで見てるからねー。がんばって!」
「うん、ありがとう!」
そう言って、軽く手を振って教室の後方へ。あたしは自分の席に着く。後ろから2番目の、窓際の席だ。後ろを振り返ると、姉がまた手を振ってくれる。きちんと制服を着ているのに、足元は裸足というアンバランス。他を見ても、みんなスリッパを履いていて、裸足なのは姉だけ。前の席のチカちゃんが、振り返って話しかけてきた。
「トートちゃんちのお姉さんって、あの裸足の人?」
「う、うん、そうだよ・・・」
はっきり言われると、なんか恥ずかしいな・・・。
「かわいい~。裸足なのも、かわいいね!それに、やさしそう。怒ったりしないでしょ?」
「そんなにかわいい?うん、怒ることはあるけど、そんなに怖くないよお」
「そうなんだ!」
「トートちゃんと一緒で、お姉さんも裸足が好きなんだね」
「べ、別にあたしが裸足が好きってわけじゃない、わけでもない・・・」
そしてチャイムと同時に、先生が入ってきた。いつにもまして緊張しているのが、表情を見てわかる。カッチカチ!
「え、えーっと、みなさん、本日はありがとうございます。担任の、西沢といいます。よろしくお願いします」
この時間の授業は、算数。1億とかのすんごく大きい数を勉強する。教室にプロジェクターを置いて、パソコンと黒板を使った授業だ。図や式が動いてくるので、わかりやすい。いつもこんな感じの授業だったら、もっと面白いと思うけど、準備が大変そう!
「じゃあ、この問題の答え、わかる人!」
「はい!」
「はい、東戸さん」
「35億です!」
「正解!」
やった、正解した!うれしくて後ろを振り向くと、姉がブイサインをしてくれていた。
そのままもう1時間授業を受けて、今日は終了。先生との懇親会があるらしいけど、姉は私と一緒に帰ることになった。ランドセルに荷物を詰めて、後ろの方で待ってくれていた姉と一緒に、教室を後にする。
「いやー、懐かしかったなあ、割り算。難しいよね、あれ」
「そう?かんたんだよ!」
ぺたぺた、という足音を響かせながら、階段を下りて靴箱へ。サンダルを取り出して、上履きから履きかえる。汗で素足にくっつく上履きをぐいぐいと引きはがして脱ぐと、ひんやりとした風が足をなでる。この瞬間が、なによりも気持ちいい。そのまま、お気に入りのサンダルに足を入れ、かかとのストラップを付ける。そうしてから姉を見ると、姉は自分の足の裏を見て少し困った表情をしている。
「姉?どうしたの?」
「妹、ティッシュか何か持ってない?」
「ティッシュ?えっとね、確かこの中に・・・」
いったんランドセルを置いて、外ポケットをあさると、あった、お母さんに持たされているポケットティッシュ。
「はい、あったよー」
「ありがとうー」
そう言って、姉は靴箱の段差に座って、足の裏を拭き始めた。小学校は最近新しくフローリングに変えたのだけど、姉の足の裏は灰色にホコリや砂がくっついていた。ティッシュでそれをごしごしとふき取る姉。
「もう、足の裏真っ黒じゃんかー。スリッパ履きなよー」
「まあまあ、裸足って気持ちいいんだもん。足の裏は、こんなやって拭けばいいし・・・っとおわった!」
姉はティッシュを近くのゴミ箱にぽいっと捨てると、持っていた袋から中学校の通学シューズを取り出した。
「まってまって、まだ汚れついてるよー」
まだ黒っぽさの残る足の裏を見て、あたしは再びティッシュを取り出し、姉の足首をつかんだ。
「ちょ、ちょっと、妹・・・?」
「ほら、もっとちゃんと拭かないと―」
そうぶつぶつ言いつつ、姉の足の裏にティッシュをこすりつける。
「あ、や、あははは、やー、ちょっと、やー!」
途端、姉が足をくねくねさせながら笑いだしてしまった。
「あ、姉・・・?もしかして・・・?」
「はあ、はあ、まって、くすぐったいよ・・・」
「もう、がまんがまん!」
「まって、や、ちょ!」
それから、くねくね動く姉を押さえつけながらなんとか両足ともきれいになった。
「よし、今度こそ大丈夫!」
「はあ、はあ、ありがとう・・・」
息切れしつつ立ち上がる姉。通学シューズに、素足をそのまま入れようとする。
「え、それ履いてきたの?靴下は?」
「靴下はないよー。すぐ着くし!」
そう言って、きれいにしたばかりの素足をシューズに突っ込む姉。かかとまでしっかりと靴に押し込むと、
「よし、じゃあ帰ろうか!途中でアイスでもおごるよー」
「ホント!?わあい!」
「発表したごほうび!お母さんからも任されてたからねえ」
「なににしようかなあ」
「ところでさ、妹よ」
「ん、なあに?」
「上履き、裸足で履くの暑くない?」
急に話題が変わったので吹き出しそうになったけど、なんとかこらえる。
「え、え?別に、ちょっと暑いけど大丈夫だよ」
「そうなの?授業中ぜんぜん上履き脱がないからすごいなあって思って」
「あれが普通だよー、姉は脱ぎすぎ!」
「えへへ・・・」
あたしはサンダルをカツカツと鳴らして、姉の後ろをついて学校を後にした。何かしでかさないか心配だったけど、大人しくしてくれててよかった!帰り道、姉と手をつないで歩きながら、アイスは何にしようかなあ、やっぱりハー〇ンかなあといろいろ考えながら、次第に夏が近づく通学路を歩いていった。
つづく