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 娘と別れたその足で、月白は何日もかけて険しい山々をいくつも越えた。そうして地面が色づいた落ち葉で覆い隠された頃、ようやく辿りついた先は、秋の終わりであるにもかかわらず、恐ろしい程に美しい蓮の花々が咲き乱れる池のほとりだった。さながら桃源郷のような場所に、月白の尋ね人は棲んでいた。


 ひときわ大きく美しい蓮の花に、その人物は座していた。狂い咲きの蓮池の主、白い衣を纏った枯れ木のような翁は、異形の来訪にも関わらず尊大な態度で出迎えた。


「蓮池に棲むという仙人は貴方か」


「いかにも、儂がそうだ。硬い毛皮と爪を持つ異形よ、儂はお前が何を願いにここまで来たのか、とうの昔から知っておるぞ」


「……ならば話が早い。俺に知恵を授けてほしい」


「それには大きな代償が伴うが?」


「元より承知の上だ。どんな代価であっても、俺に払えるものであれば惜しまない」


 蓮池の仙人の言葉に、月白は怯むことなく即答した。潔いその様子に、蓮池の仙人は面白そうに片眉を上げた。


「ほう、代償が何かも訊かずに了解するとは、よほど意志が固いと見える。ならばひとつ問おう、異形よ。お主がこの秘境を尋ねてまで娘の目を治したいと願うのは、何故だ?」


「どういう意味だ?」


「人の娘の目に光が戻れば、お主の姿が目の当たりになるのは必然というもの。その時娘が何を思うのか、想像に難くはないだろう? 恐れはないのか?」


「……」


「どうしてそこまでして、娘の目を治したいと願うのだ? 容易く命を奪えるような、たかがか弱い人間の娘ひとりに、お前が目をかける必要もなかろうに」


 何故、これほどまでに娘の眼を癒したいと思うのか。今まで考えたこともなかったその問いに、月白はしばし黙考した。


 奇妙な縁は、切ろうと思えばいつでも切れるものだった。人間と関わることは、厄介ごとに繋がりやすくもあった。だのに何故か月白は、今まで一度も娘との関わりを絶とうと思ったことはなかった。


 いつからか身に付けるようになった土の鈴は、自分の来訪を娘に伝えるためだった。音でわかると言う得意そうな娘の表情が見たかった。


 度々目元の布を奪うのは、もしかすると知らぬうちに視力が戻っているのではという淡い期待からだった。遠くを見る白濁した双眸が、元はどんな色をしていたのか、知りたかった。……叶うなら、刹那の間でも視線が合えばと願うようになった。


「……」


「どうだ? 答えは出たか?」


 月白の思考がまとまりつつあるのを見通してか、蓮池の仙人は返答を促す。やがてとうとう一つの答えに辿りついた月白は、納得するように頷いた。


「ああ……そうだ。俺は、あいつに惚れている」


「ほう、懸想していると?」


 確かめるように訊き返した蓮池の仙人に、月白は深く首肯してみせた。月白の出した答えに、蓮池の仙人は高くしわがれた声で笑った。


「ほっほっほ、そうかそうか、これは愉快! 異形が人の子に恋慕とは! ……いいだろう、お主に秘薬を授けようぞ」


「本当か」


「本当だとも。これから調合に取り掛かろう。なに、完成まで一晩もかかるまい」


「礼を言う、蓮池の仙人。では、秘薬の代償は」


「それはもう、最初から決まっておるよ。お主の――を、ひとつ。それが秘薬の元となる」


「――承知した」


 蓮池の仙人から告げられた『代償』に、それで娘の目が治るならと躊躇うそぶりも見せず月白は頷いた。払う代償は大きいものだったが、娘の両目に比べれば、月白にとっては些末なものだった。


「ひとつ、忠告しておいてやろう。お主と娘、種の違うものは考え方や感じ方も異なること。お主の選択が必ずしも娘にとって良いものであるわけではないことを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」


 忠告を聞きながら、月白は代償を差し出す為に蓮池の仙人に一歩近づく。迫り来る枯れ木のような手を眺めながら、胸元の小袋を手繰った。娘から受け取った御守を、潰さないように握り、独り過ごしているだろう娘を思い出す。


 光を取り戻した娘は、笑ってくれるだろうか。月白が思っていたのは、それだけだった。






 山の麓にある離れは、雪が積もっていたが、変わらずにそこに在った。月白が地面を踏みしめながら離れに近づくたび、白い地面には大きな足跡が増え、腰元の鈴はカラコロと軽やかに鳴いた。


 いつかのように、月白は縁側の前で仁王立つ。雪が降っていることもあり、縁側は雨どいが閉められていたが、ほどなくしてかたり、と細く開かれ、白い手が見えた。


「……怪物さん?」


 恐る恐るかけられた懐かしい呼び名に、月白は唸るように応えた。


「何故わかった」


「……前にも言ったでしょう。土の鈴の音と、草木の濃い香り。ふふ、たとえ見えなくとも、それくらいわかりますよ」


 穏やかな笑い声と共に、雨どいが大きく開かれ、娘が姿を現す。数か月ぶりであるにもかかわらず、ふたりのやり取りは変わらなかった。


「おかえりなさいませ、怪物さん」


「ああ」


「旅は、いかがでしたか? どちらへ行かれたんです? 何か、面白いものは――」


「これを」


 再会を喜んでいるのか、珍しく少し上ずった声で矢継ぎ早に質問しようとする娘の言葉を遮り、月白は手にしていた小さな竹筒を突き出した。見えずとも何か差しだされたことを察して、娘は首を傾げた。


「なんですか?」


「蓮池の仙人の秘薬だ、どんな病や傷でもたちどころに癒すことができるものだと聞く」


「それは――」


「これを、お前に。お前の目が、治る」


「あたし、に? まさか、これを探しに旅を?」


「……」


 沈黙は肯定だった。娘が何か言う前に、月白は彼女の細腕を掴んで引き寄せる。目元を覆う黒い布を取り去ると、あらぬ方向を向いた瞳が表れた。驚きと戸惑いで見開かれた両の目は、変わらず白く濁っている。


「かいぶつ、さ……」


「動くな」


 月白は加減しながら片手で娘の顔を上向きに固定すると、彼女の焦点の合わない瞳に一滴、二滴と秘薬を垂らした。


 秘薬を全て使うと、月白は竹筒を捨て娘から手を放し、彼女の変化を見守った。


「ああ……!」


 瞳の濁りが消えていく。白濁としていた虹彩が、元の色を取り戻していく。娘の瞳が黒曜石のような色であることを、このとき月白は初めて知った。


 瞳に光を取り戻した娘は、焦点の合った目でまじまじと己の手を見つめ、そうしてゆっくりと視線を上げる。黒い双眸に、隻眼の異形が――月白の姿が映った。目の前にたたずんでいた怪物は、緊張で身体を強ばらせ、固唾をのんで見守った。


 一瞬とも、永遠ともつかない間が、ふたりの間に流れた。


「……ほんとうは」


 長い沈黙を破ったのは、娘の細い震え声だった。娘の視線は、月白の閉じきった片目に注がれていた。


「本当は、ひとつだけ、見たい物があったんです。あたしなんかを気遣って、何度も会いに来てくれたやさしいひと。声が低くて、きっと大柄で、触れる手は毛むくじゃら。いつも土の鈴を鳴らしながら会いに来てくれる、優しい怪物さん。あなたの瞳がどんな色をしているのか、ずっとずっと知りたかった。叶うなら、ほんの一瞬でも、あなたと目を合わせて話してみたかった……闇の世界で生きるあたしにとって、あなたは唯一の光だったんです」


 娘が浮かべたそれは、月白が想像していたどんな表情とも違ったものだった。


 喜びと、悲しみがない交ぜになった泣き笑いのような微笑み。その複雑な表情と視線で、月白は娘が何を悟ったのか気づく。それでも月白は、何も言わずに彼女を抱き寄せた。


「なのにあたしは、あなたの光を半分、奪ってしまったんですね」


「……俺にとっての光は、お前だ。だから、これでいい」


 月白の腕の中で、娘は細い肩を震わせ小さく嗚咽を漏らす。彼女の感情を受け止めながら、月白はこれでいいのだと唸るように言った。


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