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落下欲

作者: 数菜

欲望は日に日に大きくなっている。


僕はこの欲をこう呼んでいる。


『落下欲』

そう、落ちたいのだ。高いところから。


この欲は中学2年生の頃から始まった。

今は、高校2年生であるから、約4年間この欲望と共に過ごしている。


試そうとしたことは何度もあった。

しかしその度に『死』への恐怖が邪魔をする。

心では落ちたがっているのに、身体は落ちることを拒否しているのだ。

身にも心があるようだった。


僕はとあるスポットに向かうことに決めた。

そこは山の中にある橋で、下には人が飛び込んで頭がぶつからない程度の深さの川が流れているらしい。


そして出発は明後日に決まった。その日は木曜日でいつものように学校があったのだが、両親は共働きであったため、誰にもバレずに出かけることができた。


その場所へはバスで向かった。一番後ろから2番目の出入り口側に座った。車内には、僕の他にもうひとりだけ人がいた。僕の座っている反対の方の席に一人の女性が座っていた。

彼女は同い年くらいで髪を後ろで縛っていた。窓から流れていく景色を眺めながらうっすらと目を細めていた。


彼女を見ていると、視線に気づいたのか、こちらに目を向けた。

咄嗟に目をそらしたが遅かったらしく、その子は声をかけてきた。

「あんた、なんでここにいんのよ」

急に「あんた」と言われたことにドキリとした。そして知り合いなのかと思い、もう一度顔を確認すると、同じクラスの「田中幸子」だということがわかった。

そしてそれが同じクラスの田中幸子だと分かるとドキドキは余計激しくなった。

なぜ気づかなかったのか、それは彼女が少し化粧をしていて服装も可愛らしかったからだろう。

クラス内では中々男らしいイメージであった。

「いや、ちょっと、行きたいとこがあって・・・」

僕がやっとのことで絞り出した言葉を彼女は

「ふうん」

と興味のなさそうに跳ね返した。

そして一言。

「私さ、死ぬんだ、今から」

やっと落ち着いてきた心臓が急な告白にまたドキリとした。

彼女の表情は変わらないままだった。返す言葉が見つからなかった。止めるべきか。ここで止めないで死なれたら後悔する。そう思った。

「あ、あのさ、死んだらさ、えっと・・・悲しむよ、きっと、みんな」

やはり言葉はうまく出てくれなかった。自分のコミュニケーション能力を恨んだ。頬に汗が伝ったのが分かった。

「うん、でもさ、その人たちが悲しんだって私が苦しいのから解放されるわけじゃないじゃん」

もう返す言葉は出てこず、黙り込むことしかできなかった。なぜか悔しかった。

目すら合わせられない。昔からだ。この化け物のような顔のせいだ。


それからはもう会話をすることなく、ただ窓の外を眺めた。

バスは山道に入り、風景は緑色に包まれた。

自分の目的のバス停まであと3つだ。そう思った時、バスの停車ボタンのブザーが鳴った。

このバスには僕と田中幸子しか乗っていない。

押したのは彼女だろう。

隣の座席に目を移すと彼女は降りる準備をしていた。

「おっ・・・降りるの?」

「見ればわかるでしょ」


自分の心臓の音が聞こえる。


止めないと。もっと、ちゃんと。


バス停はすぐそこまで来ている。

「飛び降りるの」

彼女は真っすぐ前を見ながらそう言った。そして

「ここの山を登ってったらさ、大きな橋があって、下が激流らしいんだ。」

そう続けた。


自分とやろうとしていることは変わらない。

高いところから地面を目指して飛び降りる。


でも、違うんだ。


バスの速度が徐々に遅くなっていく。

バスの運転手がバス停に着いたことをアナウンスで伝えた。

「じゃね」

彼女は僕の返答を待つこともなくバスを降りて行った。

昇降口の扉が不気味な音を立てながら閉じる。

窓から山に登ろうとしている彼女を見る。


何をしているんだ。僕は。


心臓の鼓動が、だんだんと早くなっていく。

口の中の水分がなくなっていく。

汗が体中を這いずり回る。

唾を飲み込むのと同時にバスの停車ボタンを押した。

ちょっとして、バスの昇降口のドアが開いた。

僕はポケットからボロボロの財布を取り出し、小銭を用意すると急いでバスを降りた。


彼女のもとへ向かう。


どれくらいかかるだろうか。走って間に合うだろうか。

彼女は、本気なんだろうか。


とにかく走った。

普段運動しない分体中がすぐに悲鳴をあげる。

緑の濃い匂いが肺に入る。

そして、むせ返る。

意識が朦朧とする。


ここで本当に彼女を引き留めるのに成功したとして、それは彼女のためになるのだろうか。


そもそも僕にその資格があるのか。


僕自身が、今から死のうとしていたのに。


でも彼女は死んではいけない。絶対にだ。


彼女が通っていったであろう山道を走る。坂道で、地面は不安定。引きずるように走っているせいか、進むたびにズルッズルッと音が聞こえる。


そのまましばらく登ると開けた場所に出た。

そこは橋の入り口だった。


そして、その橋の真ん中辺りに彼女が立っていた。


彼女は靴を脱いで、橋の柵を乗り超えようとしている。


「しぬなあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


さけんだ。


生まれて初めて、こんな大きな声を出せた。自分でもびっくりしたほどだ。

言葉はこんなにも簡単に発せるものなのか。


疲れていたせいもあってかフラついた。しかし、そんな場合じゃない。


彼女は僕の存在に気づくと、一瞬躊躇したように思えたが、乗り越えるのをやめようとはしなかったのだ。


走った。いや、もはや”走る”とは呼べないような速度で。


「まって・・・まってよ・・・」

喉が乾ききっていたせいか、もうほとんど声は出なかった。


しかし、奇跡的に間に合った。

やはり下の激流と高さにおののいたのか、柵を乗り越えてからすぐには飛び降りなかったのだ。


丁度、橋の柵を挟む様子で田中幸子と向かいあった。


彼女は涙目だった。

「もう・・・なんなのよ・・・止めないでよ・・・やっと・・・ここまで・・・」

震えた声だった。


そう言い放つとついに彼女は橋から身を投げた。


「まってったら!!!」

気づくと僕は彼女の腕をつかんだまま一緒に落ちていた。


体が宙に浮かぶ。


これがずっと味わいたかった感覚。そして死。


下から煽られる爆風でうまく呼吸ができない。


遠のいてしまいそうになる意識を保ち、彼女の方を見る。


「ばか!!!あんたなにしてんのよ!!死ぬわよ!?」


違う。そうじゃない。

僕じゃない。

僕はいい。


君が、ずっと

「・・・ぃだったんだ・・・」

「・・・なに?」


もう、生きる希望なんて無かった。この恋も怪物には叶うわけもなかった。


君のせいだぞ。


「君が・・・すきなんだ!!!」

「・・・!!!」


一生言わずに終わるはずだったのに。予定が狂った。


死ぬのが、惜しくなってしまう。


すると次の瞬間、目の前は深い青色に染まる。

着水したのだ。

急激に体温が奪われていく。頑張って周りを確認しようとするも、目に映るのは深青と気泡。

手足を必死に動かすも指の間を水が通過していくだけだ。

体が下流に流されているのがわかる。


まるで、空中にいるみたいだった。


苦しい。


息ができない。もう、なんなんだ、僕は。

目を閉じてしまおう。もう、いいんだ、僕は。


あきらめようとした、その瞬間誰かが僕の手を掴み、思いっきり引っ張った。

「っはあああああっっっ!!!」

久しぶりに吸った空気が一瞬で僕の肺を満たす。

僕をひっぱりあげたのは、田中幸子だった。


「あんたのせいで予定が狂ったわ、どうしてくれんのよ」

彼女はそう言い放つと前方の水面ギリギリまで伸びている太い木の枝を指さし、つづけた。

「あれにつかまるわよ?いい?」

彼女の指示通り、僕と田中幸子はその枝につかまった。激しい川の流れが背中にドスドスとぶつかる。

そしてそのまま枝を伝うようにして岸に上がった。

「ほんっと・・・疲れた」

「ごっ・・・ごめん・・なさい・・・」

「もういいわよ、ああああああああああ、もう、びっちょびちょ、最悪」

「ご、ごめんなさい」

「なんであんたが謝んのよ」

「ごめんなさい・・・」


空を見上げた。


ほとんどは、木や葉に遮られていた。けど、広くて、青くて、きっと。


きっと、僕はまだ飛べない。


だから、もう少し、もう少しだけ、この固い地面の上で。






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