7 ロリコン、少年を痴女の魔の手から守る
「抜けない……それは、槍がですか?」
「ええ、その通りでござい升。今の『ロンゴニル』は、前の担い手であるポーラ様が亡くなる直前、裏庭の岩盤の上に突き刺したので管……」
ちらりと、部屋の奥に視線を送るテレーゼ。その先にはドアがあった。
どうやらそこから裏庭に行けるらしい。
「……力加減を謝ったのか、強く刺しすぎてしまいまして。穂先から深く岩盤に食い込んで、抜くことができない状態になってしまいま下」
「抜けないほど深く刺さるとは相当ですね。しかし、死の直前に強く刺しすぎるとは妙な話……」
そこで僕の脳裏にわずかに嫌な予感がよぎる。
両親が同時に死んでいるというのも、死の間際に槍を深々と岩に突き刺すことができたというのも妙な話だ。
少なくとも、病気で亡くなったのではなさそうだ。
「まさかとは思いますが、もしかして少年の両親が死んだというのは……誰かに殺されたんですか?」
「ご明察でござい升。ライナス様のご両親は、とある思想家と喧嘩になってその命を奪われま下。私がついていながら、一生の不覚でござい升」
「思想家? 一体何の……」
「肉食主義者です」
「出会ってはいけない禁断の存在じゃないですか!」
そりゃ喧嘩にもなるわ。殺し合いにも発展する。
「ちゃんとそういうのからは引き離しておかないと危ないじゃないですか。人にはどうしてもわかり合えない相性というものがあるんですから」
「返す言葉もございま閃。ポーラ様の時の反省を活かして、ライナス様の周りには危ないものは近づけないよう気をつけてはおりますが……」
テレーゼがそんなことを言うと、側にいたオリーヴが白けきった目になった。
「……ふーん、だったらアレはあんたの判断では危険じゃないってことになるのか?」
「あれ、です香?」
「というと?」
「あれだよ、あれ」
オリーヴが親指で背後を指し示す。
そこにはいつの間にか椅子に座ってくつろいでいたベロニカと、彼女に抱えられて身動きが取れないライナスの姿があった。
「ふふふ。君、ライナス君っていうのね」
「お、お姉ちゃん。離して。離してください。なんだか怖いです……」
「駄目だよ~、怖がってたら、立派な大人になれないわよ? 私みたいな優しいお姉さんを怖がってるようじゃ、いつまで経ってもお外に出られないわよ~?」
「いっ、いいんです。ぼくはずっと、森の中で暮らしてきましたし、お母さんにもそうしなさいと言いつけられてますし……」
「あらそうなんだ。でもいつまでもお母さんの言いなりっていうのは私、よくないと思うのよ。一人前の男の子になるために、ちゃんと自分の頭で考えられるようにならないと」
しなだれかかるように体を押しつけるベロニカ。当然あの浅ましくも不気味に肥大化した脂肪がライナス少年を襲う。かわいそうに、顔を真っ赤にして悲痛な表情を浮かべているじゃないか。
「えっ、えっと、そのっ……」
「それとも貴方、男の子じゃないのかな? もしかして、ちんちんついてないのかしら~?」
「うっ、ううっ……」
ベロニカにセクハラを受け、涙目のライナス少年。
かわいそうに。いきなり初対面の女性二人からよく分からないウザ絡みをされて混乱しているところにこれだ。
少年のトラウマにならなければいいのだが。
「らっ、ライナス様!? どどど、どうしましょう。こういうときは、えっと、深呼吸して……」
「……落ち着いてください、テレーゼさん。別に深呼吸するほどの事態にはなっていませんから」
当然パニックになるテレーゼ……いやパニックになってどうする。
この人、今まで出会った精霊の中で一番どんくさい雰囲気の人だな。
なんかしゃべり方も変だし。
「とりあえず貴方はここでじっとしていてください。僕がライナス少年を貴方のところに連れ戻してきますから」
「! は、はい。よろしくお願いします」
よろしくおねがいされちゃったよ。
なんだろうね。本当になんだろうね、これ。
「……ベロニカ嬢、ちょっといいですか?」
「何?」
「ぱっと見少年に迫る変態痴女ですが……何やってるんですか?」
「ああ、これはね……えっとね」
僕が問いかけると、ベロニカはしんみりとした表情になった。
「……なんていうかね。この子の初々しい姿を見てると、初めて会ったときのジョナサンを思い出したのよ」
「!」
「出会ったときのジョナサンは、まだ頬がぷっくりとしてて、当時の私と同じくらいの年齢の美少年で、かわいらしかったなあって……」
郷愁に駆られてつい可愛がってしまったということなのだろうか。
僕にとっての幼女が女性にとっての少年だと考えると理解を寄せられないこともないか?
「気持ちは分かりますが、それはそれとして少年が怖がってますから相手の気持ちを考えて……」
「それと同時に、私を嵌めたあのジゴロへの怒りがまたわき上がってきたから……」
「ん?」
「ちょっと少年に意地悪して発散しようと思ってね」
「は?」
「主に性的な方向性で」
「あ゛あ゛?」
「いたいけな少年の性の目覚めに、この私が一役買ってあげようと思って今……」
「少年から離れろこのアバズレ令嬢!」
「きゃっ!?」
少年に迫る変態痴女そのものじゃないか! 理解しようとして損した気分だ!
危険思想がちらついたので、速やかにベロニカ嬢をライナス少年から引きはがすことにした。
たとえ老婆とはいえ、女性を乱雑に扱うのを僕はあまりよしとしない。
なので、近衛兵時代に先輩の冒険者から習ったことのある東の国の武術を用いて、痛めつけずに優しく二人を引き離す。
この技の動きは独特で、言葉にして説明するのは非常に難しいのだが、ともかく僕は流れる水の滑らかさと涼しげに吹く秋風が融合したかのような洗練された動きで、粛々と距離を詰め、その手を撥ね除けて少年をこちらに抱き寄せる。
我流武術を極めているベロニカ嬢でも僕のこの動きには対応できなかったらしく、ライナス少年はあっさりと僕の手元に保護された。
「あっ、あら? いつの間に……!? さっきまで私の膝の上にいたはずなのに!?」
「ベロニカ嬢。貴方は強いですが、まだ青い……実戦経験を積んでいないので、未知の技に対して対応できていないのです」
「!」
困惑するベロニカに、争いごとの先輩として優しく教示する僕。
ベロニカ嬢の独り立ちも目下の課題の一つなので、機会を見つけてはこうやってレクチャーしていかないといけない。
いつまでもこのおてんば(……という範疇に収めていいのかははなはだ疑問だが)なご令嬢のお守りをし続けるわけにもいかないんだし。
「ローランド。今のが貴方の本気の動きってところかしら?」
「まさか。本気はもっとすごいですよ。僕は最強ですからね。いずれにせよ貴方程度なら、造作もなく捌くことができるということです」
僕がそう言うと、ベロニカ嬢は妙に晴れやかな表情でため息をついた。
「なるほど。私もまだまだ、実力不足ってことね」
「気を落とす必要はありません。僕ほどの使い手は世界広しといえどもそうそういるものではありませんからね」
「でも、今の一連の動きが私には全く分からなかったわ。今後分かるようになるとも思えない」
「これから経験を積んでいく中で、戦いの本質についてよく学び……」
――――学んで、どうするんだろうか。
独り立ちできるほど強くなって、何者をも寄せ付けない力を手に入れて……それで手がつけられないようになってから……ベロニカがやることを考えると……
「……いや学ばなくってもいいですね。どうぞそのまま、抑止できる程度の強さでいてください」
「いきなり匙を投げられた!? どうしたのよ、今の一瞬の間に一体何の心変わりがあったの!?」
「いや、だって今し方重大なモラルハザードを引き起こそうとしてましたからね……そんな人のことを育ててあげる必要があるのか、はなはだ疑問です」
「日頃重大なモラルハザード引き起こしまくってるあんたがそれを言うの!?」
「何を言っているんですか。僕はモラルハザードなんて一つも起こしていませんよ。僕はいやがる相手を無理矢理」
「私だってそんなことはしてないわよ! まだ!」
「まだってなんですか! まるでこれからする予定だったみたいな!」
そんな言い争いをしているさなか、僕の足下にすがりよるやんわりとした感触。
下を向くと、さっき助け出したライナス少年が僕の両足を締め付けるようにしがみついていたのだ。
アバズレの相手もそうだが、被害者の方のアフターケアもしてあげないとな。
「お兄ちゃん、助けてくれてありがとうございます」
「はい、どういたしまして。もう大丈夫ですよ」
「このご恩は……えっと、一生忘れません!」
なんか微妙に重い。
子供が吐く言葉じゃねえ。
「いえそんなそこまでのことは……。このくらいのことはなんでもありませんよ。子供は、助けてもらっても気にしないのが仕事です」
幼女に対して言いたかった台詞だが、少年でもそんなに勝手は変わらんだろう。
励ましの意味を込めてポンポンと背中を叩くと、ライナス少年は目を潤ませながら、僕の足をより一層固く抱きしめた。
「……お兄ちゃん、優しいんですね」
あれ? もしかして懐かれた?
「僕はそこまで優しくはないですが……」
「ううん、優しいです! 少なくとも、今日来た他のお姉ちゃんたちよりは、ずっと!」
……ああ、そこと比較したら確かにそうなるわ。
少年の言うとおり、ここに来てから柄の悪い振る舞いをしていないのは僕一人だけ。
来客の中では僕に心を許すのも無理からぬ話ではある。
しかし、ショタに懐かれたところで得られるものなど何もない。
これが幼女なら、可愛がる口実もできたことだしとあんなことやこんなことに手を出せたかもしれないというのに、ショタでは何の意味もない。
せいぜい、老人に懐かれるパターンと違って臭いの害がないのだけが救いか。
あー、あー。どうせ助けるなら幼女を助けて慕われたかった。
にしてもやっぱりどうもここ最近、アイン以外の幼女との関わりが決定的に欠如している気がする。
いや、今の僕はもうアイン一筋であって別に他の幼女との絡みが必要なわけではないのだから、別にいいと言えばいいのだけど。
「……ええと、話を戻しましょう」
一連のくだらないやりとりがひとまずの決着を得たので、僕はテレーゼの方を振り返った。
ライナス少年はまだ僕の足にくっついている。
「槍が刺さって抜けないのが問題なんでしたっけ」
「ええ、杯。私の力では槍を引き抜くことはできませんので、能力は常に作動し続けたままになってしまうのでござい升」
「なるほど。そういうことなら僕たちが何か力になれるかもしれませんね」
野菜の異変については僕たちが深く関わる理由もないのだが……槍を一本引き抜くだけであの薄気味悪い現象が収まるのなら、それくらいの手間は惜しまない。
「僕は結構力がありますし、そこのご令嬢も野菜になった熊を蹴飛ばせるくらいの力持ちです。案外、槍を抜いてあげることもできるかもしれませんよ」
おい俺は、と不満げなオリーヴの視線も感じたが、今は気にしても仕方ない。
(実際、オリーヴでは無理だろう)
どんなに勢いよく槍が突き刺さっていたとしても、人の力で抜けないほどってことはないだろう。
そして人の力でどうにかなる程度のことなら、僕にとっては決して難しいことじゃない。
提案は、おおむね好意的に受け入れられるだろうと、そう思っていたのだが……。
「……残念ながら、無理だと考え升」
返ってきたのは、明らかに期待していなさそうな声音だった。
「おや、もしかして僕の腕力を侮っていますか? これでも僕は、帝国の腕相撲選手権大会で堂々の……」
「いえ、その。腕力どうこうの問題ではないというか、なんという香……」
いまいち要領の得ない説明で何度か言葉を濁したあと、眉間を抑えながらため息をつくテレーゼ。
「口頭で説明してもいいのですが、実際に見ていただいた方が早いでしょう。こちらにいらしてくだ再」
恭しく頭を下げてから、奥へと進むよう僕たちを促すテレーゼ。
「裏庭にある魔槍『ロンゴニル』――――我が依り代でもあるかつての名槍の、変わり果てたみすぼらしい姿をご覧になれば……私の言わんとしていることが理解できるかと思い升」
みすぼらしい姿? 変わり果てた?
どういうことなのだろう。槍はただ刺さっただけじゃなかったのか?
あとどうでもいいけど、周囲を野菜に変える槍が名槍ってなんだ。
迷走の間違いだろ。