18 さらば、商業都市アカシア
次の日の正午。
僕たちは、アカシア外壁西門近くでベロニカ嬢の到来を待っていた。
定刻通りに現れた彼女の背後には、何人かのお付きの従者。
大きなリュックを背中に背負って現れた彼女は、今まで見たことのない上質の皮鎧に身を包んでいた。
ものはいいが、派手すぎない。過不足のない丈夫さで、動きを阻害するほど重くもない。
フレット卿の見立てだろうか? 何にせよ、新米の旅人が着ていくにはこれ以上ない良品だな。
「おはようございます、ベロニカ嬢」
「お待たせしたわね、ローベルト。私の準備は万端よ!」
ベロニカ嬢とフレット卿の間に、どんな会話があったのかを僕は知らない。
だが、妙に晴れやかなベロニカ嬢の顔を見る限り、きっといい別れ方ができたのだろう。
生まれてからずっと一緒にいた二人の初めての別れは、(特にフレット卿にとって)決して心安からぬことだったはず。
それでもベロニカ嬢がこの場に明るい顔で来られたということは、そういった懊悩や葛藤をフレット卿が親として飲み込み、背中を押してあげることができたということ。
彼の親としてのあり方は、決して褒められたものじゃないかもしれないけど……少なくとも最後くらいは、きちんと親らしい姿をベロニカ嬢に見せられたらしい。
……いや、別に最後というわけじゃないんだけどさ。
「……で、後ろに並んでいるお付きの人たちが気になるんですが、この人達がついてきたりはしませんよね?」
「ああ、彼女らはただの付き添いよ。この門までの約束になってるわ。どうしても、貴女の顔が見ておきたかったんだって」
ついてきた従者達はいずれも女で、給仕服に身を包んでいる。
領主邸のメイドか何かなんだろうか? 一回も顔を見たことがなかったが、そういうのもいたんだな。
「……貴方が、噂のロリコン剣士ですか……」
メイドの一人が、まじまじと僕の顔をのぞき込む。
近い近い近い。顔が臭い。加齢臭が酷い。もうちょっと距離を取ってくれ。
(加齢臭って、その人どう見ても二十代……いやまあ、ご主人様ならいつものことだけど)
「あの、近いんですけど」
僕がそう言うと、メイドはなぜかにやりと笑って一歩下がった。
「おっと、これは失礼しました。なるほど……噂に違わぬ女嫌い。これなら、お嬢様を安心してお任せできます」
なんだこいつ。まさか僕が本当にロリコンなのか、自分の体を使って試したのか? だとしたら中々良い根性してやがる。
「腕にも自信があると聞きましたし……頼りになりそうですね。くれぐれも、お嬢様のことをお願いしますよ」
「ええ、もちろん。少なくとも彼女が独り立ちできるようになるまでは、僕の方でしっかり面倒を見ます」
僕がそう言うと、近づいてきたメイドは納得したように頷いて、背後に控えていたあと数人のメイドも嬉しそうに手を叩いた。
なんだかんだ、ベロニカ嬢は身内からはそこそこの信奉を得ていたらしい。でないと従者がここまで心配してくれないよな。
「いい周りに恵まれていたみたいじゃないですか。ちょっと視点を変えれば、あんな怪しい男に騙されずに済んだんじゃありませんか?」
「ええ、そうね。私もこうなってみて初めて気づけたわ。むしろジョナサンがいなくなったからこそ気づけたのかも。あいつは私が思っていた以上に、私のことを孤立させようと仕向けていたのね」
安心したように手を振って去って行くメイド達を見送りながら、ベロニカ嬢は落ち着いたため息をついた。
「だけど、旅立つと決めた以上は旅立たないと。これで元の環境に甘えるようじゃ、いつまでも前に進めないし、新しいチ○ポだって手に入らないわ」
「……」
最後で何もかもが台無しだ。
その場に流れた空気を払拭するように、僕はわざとらしく咳払いをした。
「ま、まあそれで、えーと……そういえば、二人は会うの初めてですよね。ええと、こちらが言っていたベロニカ嬢で、こっちが同伴者のオリーヴ」
「にゃあ、これが噂のベロニカ嬢か。なかなか済ました顔した美人さんだにゃ」
なめ回すようにベロニカの姿を見て、にやにやと笑うオリーヴ。
それに対してベロニカ嬢は、オリーヴの全身を舐め回すように眺めてから、怪訝な表情で僕の顔を見た。
「あら? 貴女はロリコンだと聞いていたけど……こういうのもストライクゾーンの範囲内なの?」
ああ、そういう勘違いをされていたのか。
「いや、こいつはそんなんじゃないです。ちょっとした協力関係みたいなものですよ」
「こいつってにゃんだこいつって! お前、オレに対しての扱いが常に雑だにゃ! もうちょっと改めるべきだにゃ!」
「それににゃあにゃあって……」
「気にしないでください。ただの口癖です」
「そこはちゃんと説明しろにゃ!」
「ええと、海猫なんですよこいつ」
「は? 海猫?」
「なんで微妙に嘘つくのにゃ!?」
「説明するのが面倒だから……」
(かえって面倒くさいことになってる気がするけど、ご主人様、大丈夫?)
アインまで突っ込みをいれてきた。
ああなんで僕はいつも四面楚歌なんだろうね。
(それは私が、ご主人様の良心装置として働いてることが多いからだよ)
(自分で良心装置とかいいますか)
(別に邪心装置だと思いたければ思えばいいよ? でも現実にどうなっているのかは、ご主人様の心が一番よく分かってるはずだと思うけど?)
……まあ、この点は掘り下げても仕方がなさそうだ。
話を切り替えるのも含めて、僕は門の向こう側、地平線の先まで続く広い草原に視線を送った。
「さて――――いつまでもここにいても仕方ありませんしね。それでは出発しましょうか」
「ええ、そうね」
「そうしよっか。いつまでもここにいても仕方ないし」
「よーし! 頑張るにゃー!」
僕がそう言うと、三人はめいめいに頷いて、それぞれのコメントを好き勝手に残した。
「とりあえず、向かう先は西の国でいいにゃ?」
「そうですね。他にめぼしい当てもありませんし、まずはそちらを目指しましょうか」
「よっしゃあ! これでやっと! やっとオレが男に戻れるんだにゃ!」
オリーヴがそんなことを言うと、ベロニカ嬢が唖然とした表情になった。
「……この子、元々男だったの?」
「ええ。話せば長くなりますが、色々あって……」
オリーヴの来歴について語りつつ、僕たちは西門をくぐり、アカシアの外へ出る。
――――こうしてアカシアを離れた僕たちは、新たなる出会いを求めて旅に出る。
次なる目的地は、西の国。
狙いは、この国を拠点としているという、行商人ザハールを探すこと。
オリーヴもといオリヴィエの出身地でもあるという西の国だが、この国は昔から、黒い噂の絶えない不穏な国でもある。
政治は腐敗し、反社会組織がいくつもこの国を拠点としている。凡百の一般市民は、ただその恐ろしさに身をかがめるばかりだ。
恐らく大陸で一番行きたくない国はという問いを立てたとき、最も多くの票が集まるのがこの破綻国家アマランサスだろう。
もっとも僕とアインの力をもってすれば――――どんな悪逆非道の国だろうと、まるで相手にならないんだけどな。