15 ロリコン、吐く
娼婦はざっと四人来た。
一番年増の、黴の匂いが漂ってきそうなほど老けたゾンビ。
人によってはカールのかかった長い黒髪が艶やかで美しい豊満でセクシーな美女とか表現するんだろうが僕の知ったことではない。
二番目に年上の、胸だけは慎ましやかで素晴らしいがそれ以外に救いようのない長身の老婆。
ものの価値が分からぬ奴には、スレンダーで清廉とした、娼婦とは思えぬ気品と若々しさを兼ね備えた絶世の美女とか言うのかもしれないがそんな価値観は僕にはない。
三番目に、背丈が小柄だが胸だけがまるで悪性腫瘍のように膨らんで如何にも不気味で悪趣味なオブジェのように変形したロリ巨乳。
馬鹿な奴は、ああいうのをトランジスタグラマーだ、幼女の愛らしさと大人の豊かさを兼ね備えた完全無欠の美少女だとか持て囃すのだろうが、愚かとしか言いようが無い。
四番目に――――キャシー。
おい、なんでお前がいるんだ。
百歩譲ってくるのはいいとして領主サイド。
明らかな未成年だろ!? 流石に止めろよ!
とまあ、文句を言っている余裕は僕にはなかった。
何しろ僕はその四人――――(というか主に上の二人)によってあっという間に壁際に追い詰められ、命の危機に瀕していたからだ。
「ぎゃああああ!! 離せ!! 触るな! 近づくな! 僕に、僕に近寄るなああああ!!」
「うふふ、照れちゃってかーわいい」
「いやあ、どうなんでしょう姉さん。これ照れてるっていうかガチ目の拒絶に見えるンスけど」
「っていうか、可愛いっていう歳かなこのオッサン……」
「あれ? 誰かと思ったら旅人さんじゃないですか。こんなところでなにしてるの-?」
「いいから離れろ! お前たち全員だ! その臭くて汚いものを僕に近づけるなっっっ!!」
「あらやだ。臭くて汚いものを私達にぶち込みたいのは貴方のほうでしょう?」
「あの、姉さん。そういう雰囲気じゃないと思うッス」
「あれ、キャシー知り合いなの?」
「あ、はい。この前うちに来たお客さんで……」
「大体お前たちは何なんだ、そのみっともない脂肪は! 何自慢げにぶら下げてるんだ陰嚢じゃあるまいし! 男ですらちゃんとしまってるぞ!?」
「おっぱいが大きい子は嫌い? あら、それならゼルマちゃんの出番ね!」
「姉さん。そういう話題で私に振るのって結構セクハラだと思うんスけど」
「娼館に来ていたことのあるお客さんなのに、この反応なの?」
「ああ、ええと、それにはどうも深い事情があるみたいで……」
「くそっ、だから近づくなって言ってるだろ!? 臭いから! 臭いし気持ち悪いから!」
「せーっくす! せーっくす! せーっくす! せーっくす!」
「姉さん、ちょっと本気で黙っててもらっていいッスか!?」
「へえ、じゃあガチのロリコンなんだ、この人。キャシーですらダメって、相当だね」
「……はい」
「本当にやめろ! これ以上近づくと本気で危ないんだ! 分かってくれ、僕だってあえて誰かを傷つけたくないっていうか……」
「何を言ってるのか分からないけど、とにかくやっちゃうのよー!」
「じゃあ、やりますよ。高級娼館テンペストの指名No.1の実力、この男に思い知らせてあげるッス」
「話を聞く限り、ちょっと距離を取って置いた方がいいかもしれないかな」
「その方が賢明だと思います」
「やめろ、やめ――――」
「うぼろろろろろろろろ!!!!」
惨劇は、娼婦達の到着からおよそ五分後に起こった。
◆◆◆◆◆
「あは、あはは……ごめんなさいね……」
「吐かれた……この私が……高級娼館指名No.1のこの私が吐かれるなんて、末代までの恥っス……」
「なるほど。これは筋金入りだわー……」
「旅人さん、ここに胃薬置いておくからね? せめてちょっとでも、これで苦しみが和らげば……」
申し訳なさそうに部屋を出て行く娼婦たちと入れ替わりで、フレット卿やアインが部屋の中に入ってきた。
「うわあ……」
「これは酷い……」
フレット卿からアインは見えていないにもかかわらず、僕を見て同時に弱々しく息を吐く。
僕が自分の出したゲロ塗れになって力なくその場にうつぶしていたからだ。
何どん引きしてるんだよ、お前らが招いた結末だぞ。
「悪かったよ……まさか本当だったとは思わなかったから」
「ご主人様、このレベルでダメだったんだ……ごめん、流石にそこまでは想像してなかった。普通に暮らしてる分には大丈夫だから、」
憐れみの目を向けながら、こちらににじり寄ってくる二人。
そんな目で僕を見るな。
「違うんです……僕だって、普通にしてたら吐いたりしません。ただ、お水の人達が付ける独特の化粧の匂いが、本当にダメで……」
「ああ、そういえば前に行ったときも息苦しそうにしてたっけ」
「あと、裸同然の老婆がすぐ傍にいるとか本当無理で……」
「エロ本屋で涙目になってたもんね、ご主人様……」
「もちろん老婆に囲まれるのもダメなんですが、それが本当にとどめでした……」
全身に力が入らないままその場にうつぶす僕の肩を叩く手が一つ。
がくがくしながら振り向くと、しゃがんだフレット卿が笑顔でサムズアップしていた。
「とりあえず、君のことは信用できそうだ。うん、君になら娘を任せられるかもしれない!」
「……」
「君の提案、順番に進めようじゃないか。私は行動力があって話が分かる領主だからね!」
引きつった苦笑いが気になるが、まあ、目的は達成できたので良しとしよう。
良かったんだ。これで良かった……うん。そう思わないと辛くてやってられない。
◆◆◆◆◆
ゲロ塗れになった服を領主邸の召使いに托し、代わりの着替えをもらってからの帰り道。
宿まであと少しで辿り着けるというところで、アインが唐突に口を開いた。
「……ねえ、ご主人様?」
「なんですか、アイン。僕のことをからかうなら、また明日にしてください」
「い、いや、その……」
「満足ですか? 今まで散々貴方を苦しめてきた僕の、あんな惨めな姿を見られたのが」
「そんなことしないよ! 私をなんだと思っているの!?」
おや。あれだけ人を苦しめたい苦しめたいと喚いていたアインとは思えない発言だ。
僕は少し驚いて、目を見開いたまま彼女をじっと見た。
「私、ここまでご主人様が無理だって知らなかったからさ……まさか吐くほどだなんて、思ってもみなかったよ」
「苦手な匂いと不気味な肉の接近と不快極まる淫猥な手の動きが一気に来ましたからね。流石の僕でもキャパオーバーでした」
「……なんで、そんなに苦手なの?」
迷いながら、アインはそんなことを僕に聞いてきた。
「苦手なことに、理由が必要ですか?」
「うん。流石にここまでとなると、何か理由があるんじゃないかって思うよ」
「……」
「教えて。ご主人様の過去に、何か女性に関して辛い出来事があったんじゃないの……?」
アインがそう思うのも無理はない。
そりゃあまあ、常軌を逸しているのは確かだろう。
僕のロリコンは筋金入り。彼女が今まで出会ってきた誰よりも、幼女が好きで、成人女性が苦手だ。
だからこそ僕だけがこれまでの担い手とは一線を画する道を選び、彼女を今も幼女のままに留め置いているのだから。
彼女にとって、僕という存在は理解しがたいものであり、だからこそ何度も僕の価値観を否定しようと試みてきた。
そしてついに理解の限度を超えたのだろう。何もなしでこんな風になる男がいるはずがないと、彼女は僕の過去にその理由を求めている。
だが――――
「全く何もないんですよねえ。ただ単に、生まれついてのロリコンだっただけですよ」
「えー……」
前にもちらりと話に出した気がするが、今のところ僕の過去には悲しいものとか辛いものが殆どない。
家庭にも恵まれ、環境にも恵まれ、職場環境も概ね良好にやってこられた僕は、一切ねじ曲がることなく今の今まですくすくと育ってきたのだ。
「すくすく育ってロリコンかあ。両親はさぞ悲しかったことだろうね」
「両親は僕のロリコンを知りませんし、家の後継ぎは兄がいるので問題ありません。アインが気を回すまでもなく、家族仲は良好ですよ」
「そりゃ随分と運の良いことで……」
「ええ、僕は今まで何度も運に恵まれてきましたが……」
アインに向き直って、僕はにこやかに微笑む。
「……最大の幸運は、貴方に会えたことですよ、アイン」
「……っ」
するとアインは、少し照れたように顔を背けた。
「知ってるよ、そんなこと!」
「そうですか。これからももっと分かっていってもらうつもりです」
「~~~~!」
「十年後でも二十年後でも構わないので、いずれアインには僕のことを受け入れて欲しいですからへぶっ」
「わかれ! そういうこと言ったら台無しだってわかれ!」
アインの膝蹴りが、僕の鳩尾に食い込んだ。
◆◆◆◆◆
宿に戻ると、同じタイミングで戻ってきたオリーヴと出くわした。
「おお、なんだか久しぶりな気分だにゃ。いよっす」
一日ぶりに姿を現したTS野郎は、出て行った時と変わらず猫口調だったが、猫耳はいつの間にか手に入れていたフードによって巧妙に隠されていた。
「へへーん、どうにゃ。これで外を出歩いても、変な目で見られることはないにゃ」
「……」
「ミーナの奴にも、これをお勧めしてやるといいにゃ。猫耳を直す手段が見つかるまでは、とりあえずこれで……」
「そういえば、オリーヴがいなくなってたのすっかり忘れてました」
「私も頭から抜け落ちてたよ」
「な、にゃああっ!?」
心外といった様子で、オリーヴは顔を赤くする。
そんな顔をされても……こっちだって色々あったんだ。
「おっ、お前っ、オレが猫になったのは本来手伝う必要もなかったお前の道楽に手を貸したからにゃぞ!? それなのにお前、忘れていたっていくらなんでも薄情すぎじゃ……」
「いや、貴方が勝手に不用意に近づいたんじゃないですか」
「うにゃああっ!?」
図星を突かれて、オリーヴは大げさにその場に倒れて動かなくなった。
なんだこいつ。盗賊辞めて劇団員にでも転職した方がいいんじゃないのか。
「さて、もう夜も遅いですし、今日のところは寝ましょうか。明日は色々、忙しくなりそうですしね」
「明日? まだ出発するわけじゃないんでしょ?」
「出発はしませんけど――――……」
この町には、まだいくつかやり残したことがある。
立つ鳥跡を濁さず。そのためには、先んじて憂いは消し去っておかなければならない。
「……今回の件で困っている人達に、今一度救いの手を差し伸べる必要があると思ったんですよね」