2 ロリコン、役人と対面する
「オリーヴ。妙なこと言って彼女を困らせるのは……」
「いいよ、旅人さん」
オリーヴを制そうとした僕を、キャシーの手が遮る。
「言いたいことは分かるからさ。確かにお父さんがやったことは悪いことだし、やったことに対する罪は償わなくちゃいけない」
「……じゃあ」
「だけど、それでもアタシにとってはたった一人の肉親だから。簡単には見捨てられないし、見捨てたくないとも思ってるんだ」
キャシーがそう説明すると、オリーヴの口から僅かに息が漏れた。
「……それに、アタシはお父さんがあんなことしたって、未だに信じられないんだよね。アタシにとってお父さんは、いつも優しくて、人のことを思える人だったから」
そう語るキャシーの目に、澱みはない。
もしかしたら今でも彼女は、自分の父親のことを信じているのかも知れない。
「事件以来、アタシはお父さんにまだ一度も会えてなくってさ。でもお金を納め終わったら、領主様が牢屋で会わせてくれるって言ってくれたんだ」
「……」
「だからアタシは、領主様との約束を守って、お父さんに一目会いたい。そして会った後に、お父さんの口から本当のことを聞きたい。そう思って頑張ってるんだ」
思えば、領主が一見取るに足らないようにも思える幼女との契約を取り交わしたのは、この父娘の関係を自分の親子関係に照らした結果なのかもしれない。
「それで納得してくれる?」
まっすぐオリーヴの目を見つめて、キャシーは優しい声音でそう言った。
オリーヴは肩をすくめると、少し気まずそうに目を逸らした。
「……そうか。ま、あんた自身が納得してるならそれでいいんだ。オレは……痛っ! 何しやがる!」
僕の皿に伸びたオリーヴの手を、即座にひっぱたく。
「何しやがるはこっちの台詞ですよ。人の朝ご飯パクパクパクパクと」
盗賊と言うだけあって手癖の悪い奴だ。
染みついた習慣はなかなか直らないらしい。
「大体、朝っぱらからきまずくなるような話しないでください。一体何の気の迷いですか」
「悪い悪い、ただちょっとした老婆心だったんだよ。オレも昔、そういうことがあったからさ」
「オリーヴが?」
そういうこと、というのはつまり――――
「娘がいるのに貴族令嬢を襲って逮捕された?」
「そっちじゃねえよ! オレが! オレの方が子供の立場で!」
なんだそっちか。
「ったく、何考えてやがるんだ。このオレが子持ちの年齢に見えるのかよ」
いやお前の元の姿知らんし。
僕の中でのオリーヴの元の姿は、屈強な髭面のオッサンだし。
「昔、オレの親父もな、悪さをして国の兵士に捕まったんだよ」
「王族に手を出そうとしたんですか?」
「まあ、大体そんな感じだ。で、オレの家の場合は誰も親父のことを助けようとしなかったから、親父は逮捕されてから数日で処刑された」
普段アホ面晒して笑っているだけのオリーヴにも、そんな過去があったとは。
まあ誰にでもそういう闇の一つや二つあるものだしな。
(ご主人様にもそういう悲しい過去あるの?)
(僕ですか? そうですね……僕の記憶に残っている中で一番悲しい思い出は、カテーナ様が成長してしまったことでしょうか)
(オーケー、大した過去がないのは良く分かったよ)
突き放されてしまった。大まじめに話したのに。
僕がアインと脳内で下らない掛け合いをしているうちに、いつの間にかオリーヴの話はどんどん前に進んでいた。
「……飲んだくれで暴力的で、とにかく碌な親父じゃなかったから、死んでもいいやって思ってたんだ」
しかし朝っぱらからする話じゃないな。勘弁して欲しい。
「オレは今でもあの判断に間違いはなかったって、そう思ってる。だから、違う選択をしたあんたのことを知って、一度聞いてみたいと思ったんだ」
「なるほどね、そういうことかー……」
キャシーはしばし考えるように空を見上げると、そっとオリーヴに手を差し伸べた。
「ん?」
突然握手を求められ、困惑するオリーヴ。
恐る恐る握ったその手を力強く握り返して、キャシーはにんまりと笑った。
「だったら、同じ境遇みたいだし仲良くしよ? てっきり喧嘩売られてるのかと思って警戒しちゃったけど、そういうことならアタシ、色々と貴方とお話がしたいな!」
「……っ。お、おう……」
キャシーの快活な立ち振る舞いに気圧されたのか、オリーヴはしどろもどろになりながら若干歪んだ笑みを浮かべた。
「……にしても、こうしてみるとより顕著だな……」
オリーヴとキャシー。
二人が同じように犯罪者の父親の下に生まれながらも、その後の対応には隔たりがある。
オリーヴにとっての父親は、犯罪を犯して然るべき存在で、切り捨てても心が痛まない存在。
一方キャシーにとっての父親は、犯罪を起こすはずがない存在で、慈しむべき大切な存在。
その隔たりがどこから生まれるのかと考えると、やはり父親の普段の素行によるのだろう。
身内びいきはあるだろうけど、ここまでキャシーに信頼されているなら、きっと普段は人を襲うなんて考えられないような人柄で。
何故そんな彼がベロニカ嬢を襲ったかというと、やはり聖剣に狂わされたんだろうなあ。
「……さて。いい加減時間なんですけどね」
「そういえば、なんでこの喫茶店で時間潰してるんだ?」
「ここを出る時に、オリーヴさんには言ったはずですけど……」
「あれ、そうだっけ?」
こいつ本当に雰囲気で生きてるな。
「例の聖剣使い捜しの件で、役人を一人付けてくれると言われていたんです。一応顔合わせはしておいた方がいいということで、今日ここに来てくれることになっていたんですが……」
「げえっ、役人? おいおい、オレは盗賊だぞ。そういうのと会うの、やなんだけど」
「別にこの場で逮捕したりしないでしょう。というか僕がさせませんよ、そんなこと。オリーヴさんを奪われるわけにはいきませんから」
「へっ」
突然、オリーヴがびくりと震えた。
ん? 妙な反応だな。
顔も赤くしてるし、一体何事だ。
「お、おま……そういうこと……そういうこといきなり言うなって!」
「はい?」
「オレを奪われるわけにはいかないとか! 昨日の夜みたいにびっくりするからさあ!」
「……いや、単に人手が足りなくなるの困るって意味なんですけど」
「は――――っ!! ややこしいんだよ言い方が! もっと分かりやすく言え!」
……ややこしいかな?
(どう思います、アイン)
(普段ご主人様に賛同することが少ないこの私だけど、今回はご主人様が正しいと思う。普通に聞いてたら勘違いはしない)
(ですよね。ではどうしてオリーヴはこんな妙な誤解を?)
(恐らく昨日の夜の一件で、ご主人様の言葉に過敏になってるんだと思うよ。なんていうか、乙女回路的なものが作動しちゃってるんだと思う)
(あー……そういう副作用が)
昨日の殺し文句は、要らぬところでオリーヴのメンタルにダメージを与えていたようだ。
今後ちょっとした言葉運びでいちいちこんな風に妙な反応されるのは鬱陶しいな。
「……いいですかオリーヴ、はっきりさせておきますけど……」
僕が誤解を防ぐために注釈をつけようとしたその時。
「失礼。ローランド様、でよろしいでしょうか」
背後から、深みのある男の声がした。
このタイミングで僕の名前を呼ぶ者がいるとすれば、それはフレット卿から送られてきた役人以外あり得ない。
「ええ、ローランドは僕です。役人の方ですか?」
「はい。フレット卿の命令によりこちらに伺った、憲兵隊長のボリスです。どうぞお見知りおきを」
振り向いた先に立っていたのは、落ち着きのある燕尾服姿の老人。
僕は彼が差し伸べる手を握り、固く握手を結ぶ。
しかしその顔にはどこかで見覚えがあるな……どこだっけか?
「はい。よろしく」
ボリスは僕から手を離してから、次にキャシーに視線を向け、にっこりと笑った。
「おや、お嬢さん。ローランドさんの知り合いだったんですか」
「あっ。ど、どうも……」
気まずそうに会釈するキャシー。
ん? ここも知り合い?
「……げええええっ! なんで! なんでお前がこんなところに!?」
そして、誰よりも過剰に反応して慌てふためくオリーヴ。
ここも? いよいよもって妙だな。
オリーヴの顔を認めたボリスの目が、きらりと不気味に輝いた……かと思うと、次の瞬間には両手に鎖分銅が握られていた。
「おっと。何故かは分かりませんが、ここに盗賊がいるようですね」
「え? あの、ボリスさん?」
「公共の場に悪党がいるのを見過ごしてはおけません。速やかに処理しますから、しばしお待ちください」
「ま、待て! オレ今何もやってないぞ!? 一ヶ月前にやったのは、ホラ、アレだから! 軽い出来心のようなもので――――」
「問答無用!」
ダッシュで逃げ回るオリーヴを、ボリスはこれまた全力疾走で追いかけ回す。
挨拶も曖昧なまま、何故か盗賊と官憲の追いかけっこが始まってしまった。
「……ねえ、ご主人様。この人って……」
ああ、思い出したぞ。
このボリスという紳士、服装が替わっていたから気付かなかったが、昨日キャシーから取り立てを行っていた憲兵だ。
そして確かあのとき、オリーヴは彼に追い回されていたって言ってたっけ。
その彼が、よりにもよって橋渡し役として僕のところに来るのかあ。
……世間って狭いな。




