13 ロリコン、執事と対峙する
「……着地、成功」
殆ど物音を立てないまま、僕は無事屋敷への潜入に成功した。
カテーナ様の眠りを妨げないように、かつできるだけ近くでお守りできるように鍛え上げた忍び足は、最早どんな地獄耳であっても足音を聞き取ることは不可能だろう。
ああ、思い返せば少し懐かしくなってきたな。
「まさかとは思うけど、強さのオリジン一つ一つに気持ち悪い逸話があったりするの? ご主人様」
「おや、アイン。そこにいましたか」
立ち上がると、目の前にはアインがふわふわ浮かんでいた。
「なんだか立ち上がりからちょっと不安だけど、大丈夫?」
「大丈夫です、今の僕はアイン一筋ですから」
「そういうことを心配してるわけじゃないんだけど」
さて、アインの調査通り周囲にも衛兵はいないようで、侵入は滞りなく成功した。あとは魔剣の在処を突き止めるだけだ。
僕は落ちついて辺りを見渡した。
どうやら着地したのは屋敷の庭の一角のようで、花壇や彫像などがそこらかしこに並んでいる。
そして目の前には、開けっぴろげになった屋敷への入り口が誂えたように用意されていた。
「……ふむ……」
僕はすんすんと鼻をひくつかせてから、肩をすくめる。
「加齢臭で居場所をかぎ分けるのは……流石に無理ですね」
「ご主人様の基準だと殆どの人間から加齢臭漂う計算になるからね」
「では、実際に入って確かめてみるしかないでしょう。と、なると万が一のことを考えて、対策を取っておいた方がいいかもしれませんね」
「対策?」
僕はポケットから、白い布を一枚取り出した。
「何それ? 幼女のパンツとか?」
「僕をなんだと思ってるんですか。同意もないのに幼女のパンツを持ち歩いたりしませんよ」
「同意を得られたら持ち歩くんだ……」
これは何の変哲もないただの布だが、顔を隠すにはそれで十分だ。
僕はその白い布で目から下を覆い、自分の顔がひと目では分からないようにする。
「これで最悪見つかっても、すぐに逃げれば指名手配はされませんね」
「どれだけ隠しても、魔剣のデザインが派手だからそれで特定されちゃうと思うけどね」
「あっ」
そういえば、腰に佩いているディアボリバーは、一度見たら誰もが忘れないくらい特徴的な意匠が施されている。
付属の鞘も同様だ。知っている者が見れば、有名な魔剣であることも分かるかもしれない。
そんなものを腰につけていたら、それだけで本人特定がされてしまう。
顔よりもよっぽど分かりやすい判別材料だ。
「とはいえ、ここに置いていくというわけにもいかないですから困りましたね」
もし万が一目を離している隙にディアボリバーが盗まれたりしたら、それこそ僕にとって最悪の展開だ。
いっそ、オリーヴにでも托した方が良かっただろうか? いやいや、流石にこの状況で渡したらここぞとばかりに逃げられてしまうに違いない。
「これはもう腹をくくって、殺すつもりで屋敷に飛び込むしかないんじゃない? ほらほら、案外なんとか見つからずにするかもしれないし」
「……そうはならないと、分かって言っているんでしょう」
「あ、バレた?」
もちろん出会った相手を全員殺して回るわけにもいかない。
とにかくアインを一ミリでも成長させるわけにはいかないのだから。
「仕方ありませんね……攻撃力は更に落ちますが、鞘にも何かしら巻き付けて分からないようにしておきますか」
「え、まだ布持ってるの?」
「布というわけではありませんが、セーターなら持ってます」
「なんで持ってるの!?」
「あっ、一応言っておくと僕の手編みの」
「それはそうかなと思ってたから言わなくていいよ!」
「では何が聞きたいんです」
「私が分からないのは、なんでそんなもの持ってるのかってその一点だよ!」
「持ってる理由……? 決まってるじゃないですか」
僕は懐から子供用のセーターを取り出した。
「うわあ懐からセーター出す人初めて見た。汗でべとべとになってそう」
失礼な。ちゃんと汗がつかないように袋に包んである。
「寒さに震える幼女にいつでも手を差し伸べられるよう、持ち歩いてるんです」
「今夏なんだけど。寒さに震える幼女そこらに転がってないと思うんだけど」
もちろんそれは分かっている。単に冬に編み始めたけど完成が夏までかかっただけだ。
「だとしても持ち歩くのはやめようよ」
「本当は幼女に着てもらいたかったんですが……ディアボリバーに着せるってある意味アインに着せるみたいなものですし」
「そうかなあ」
「これは大願成就とみて良いですね」
「ご主人様が満足なら勝手にすればいいけどさ」
アインを慈しむように、僕は魔剣にセーターを被せた。
袖を結んで強く縛り付ければ、そう簡単には外れない。
「……これでよし。これで僕を特定するに足る特徴は全て隠しきれました」
「顔に布巻いて、剣にセーターを巻いた侵入者……レベルの高い不審者だね。それはそれで目立って覚えられたりしないかな」
「大丈夫です、普段は剣にセーターなんて巻きませんから。『剣にセーター巻いて殴りかかってくる男』が指名手配されたとしても、何ら問題はありませんよ」
「確かに、そうなんだけどさ」
アインが深々と溜息をついた。
僕は深呼吸して、裏口への道を歩み始める。
「では行きましょうか。この屋敷に潜む悪しき魔剣を破壊するために」
◆◆◆◆◆
屋敷の中には思ったほど人はいなかったので、廊下を我が物顔で歩いても、誰にも見つからなかった。
「意外ですね。屋敷の外にあれだけの見張りがいるなら、中にもそれなりにいると思っていましたが」
仮に護衛がいなかったとしても、お手伝いや給仕の類すらいないというのは妙な話だ。
「もしかしたら逆に、人を遠ざけてるのかもしれないね」
アインがぽつりとそんなことを言う。
「もし魔剣の魅力解放が完全に領主の認識の外の出来事なら、周りの人間全てが娘の敵に見えていてもおかしくないからさ」
「襲われるリスクは、できるだけ排除したいということですか」
確かにその可能性はある。
「ましてここは離れだしね」
「離れ? どうしてそんなことを知っているんですか?」
「だって私、さっきからずっとこの敷地内をぐるぐる回っていたんだよ?」
言葉に合わせるように、アインは空を旋回する。
「もっと大きな建物が東側にあることも知ってたし、この建物がその東の建物から切り離された庭の真ん中にあることも知ってた」
この建物も大概大きいと思っていたが、金持ちはやっぱり違うな。
「だとすると、ここにベロニカ嬢がいる可能性は高まった気がしますね」
「どうして?」
「領主本人の生活もあるでしょうし、本邸の中に誰も置かないというのは流石に難しいでしょう」
これだけ金持ちだと、身の回りの世話をさせる召使いだけでも、少なく見積もって四、五人くらいはいるのが自然なはずだからな。
「ですが離れであれば必要な時以外誰も人を置かずに、できるだけベロニカ嬢と他人との接触を少なくすることができます」
「なるほどー……! じゃあ、ここに入って正解だってことだね!」
「結果論で言えばそうですね。でもそういうことは先に教えてくださいよ」
「あはは、ごめんごめーん」
ちっとも申し訳なさそうな雰囲気を出さないまま、アインはぺろりと舌を出して頭を掻いた。
可愛い。そのまま唇を塞いであげたい。
「―――――だから、唐突に気持ち悪いこと考えるのやめてって!」
「ごふっ」
アインの膝蹴りを僕が頬で受け止めたその時――――
「……! アイン、僕の傍に近寄っておいてください。空気が変わりました」
妙な気配が、ぞわりと僕の肌を撫でる。
「へ?」
「何者かがこちらに近づいているようです。それも、僕達の存在に気付いた上で」
「それは……やはり匂いで?」
「いえ。むしろ匂いは全然……殺気がこれだけ伝わってくるのなら結構近いはずですが、これといった匂いは、特に」
先ほどのアインの推測が正しければ、離れにはベロニカ嬢以外の何者もいないはずだ。
それでももし誰かがここにいるとすれば、それは余程領主の信頼を受けている腹心くらいだろう。
そういう輩は、総じて手練れなことが多い。
この建物の中でも足音を巧妙に隠しているようだ。
そいつは息をひそめ、気配を隠しながらそろり、そろりと近づいてくる。
まるで反撃の機会を与える間もなく、一撃の下に僕を殺そうとしているような――――
「――――死ねッ!」
不意に、死角から襲いかかってくる黒い影。
「! よっと」
「ごばっ!」
僕はセーター付きディアボリバーを振り回してそれを迎撃する。
その影は、握りつぶしたような汚い声をあげて床に転がり、そのまま動かなくなった。
「ご主人様、今の……!」
「いきなり殺しにかかってくるとは、相当警戒していた様子」
一番攻撃されたくない位置取りを分かっているあたり、こいつ恐らく素人じゃないな。
「どうやら、この離れにベロニカ嬢がいるのは間違いなさそうですね」
よろよろと起き上がったのは、小洒落た燕尾服に身を包んだ若い男だった。
手には短刀を握っている。
ベロニカ嬢お付きの執事だろうか。
彼女を護衛するために、たった一人傍に控えていたということかな?
その端正な面持ちは護衛というよりジゴロでもやっていた方が似合いそうで、どことなく俗世から切り離された洒脱さも漂わせている。
「ですが、僕の相手じゃない。殺しにかかるより味方を呼んでくるべきでしたね」
しかし、いきなり殺しに来るとはなんとも物騒な男だ。
執事のはずなのに玄人はだしに洗練された身のこなしで、乱戦中に襲いかかれたりしたら面倒なことこのうえなかっただろう。
「この時点で対処できていて良かったです。今の一撃でしばらくは起き上がって来られないでしょうし、放置しておきましょう」
「いやそこは殺しちゃおうよ! 中途半端にしておくと、また復活してくるかもだよ?」
アインが僕の周りをくるくる飛び回りながら煽ってくるが、いつものことだし気にとめる必要はない。
「それにほら、こいつにっくたらしい色男だよ? こーいう女を誑かして悪さしてそうなイケメン野郎、ご主人様も嫌いでしょ? 憎たらしいでしょ?」
ことあるごとに僕を殺人に向けようとしてくるが、いい加減無駄な努力だと気付かないものだろうか。
「別に僕は、イケメンに悪感情を抱いたりなんかしませんよ。だってまず奪い合いの状況になりませんから」
「え? なんで……あっ」
アインの目がハイライトを失って、呆れの色がじんわりと顔に広がっていった。
なんだその反応は。
「ああ……そういう奴らってちゃんと同年代の女の子と結ばれるもんね。ご主人様みたいに同年代にモテなくて拗らせちゃったりはしないもんね」
「別に僕はモテないから幼女に逃げたわけじゃないですが」
幼女が成人女性より劣っているというアインの考え方については一度しっかりたたき直す必要がありそうだが、一朝一夕で済ませることではないので今はおいておこう。
「アインはイケメンには興味ないんですか?」
「ぜんぜ~ん? 人間の顔の形なんて、私にとってはどうでもいいし~?」
魔剣の精霊として生まれた彼女の気質を思えば、それもまた自然なことか。
「むしろあいつら女に対しての要求レベルが高いんだよねえ。結局メロメロにはなるんだけど、顔面偏差値が高いほどのめり込み具合が若干薄いっていうか……」
「何の文句ですか、何の」
言いながらもう一度こつんと床の執事を叩く。執事の反応はなかった。
無事にちゃんと失神させられていたようだ。
「さて、この家の中にいるのが残りベロニカ嬢だけだとすれば……」
再び鼻腔を激しく震わせて、周囲の匂いを探る僕。
「匂いの元は一つとはっきりしています。そちらへ向かえば、彼女のところへ向かえると思いますよ」
そんな僕を見て、アインはげっそりした表情で僕のことを眺めていた。
「今までご主人様の気持ち悪いところ一杯見てきたけど、その匂いを探る動きは中でもトップクラスに気持ち悪いね」
「気持ち悪がられても構いませんよ。その力で、大切な人を守れるのならね」
「そんなヒロイックなことしてないけどね」
僕達は倒れた執事を放り出したまま、匂いの根源である建物の二階へと向かった。




