8 ロリコン、喫茶店で再会する
「あの壁、一体いつから作られていたんでしょうね?」
あまり屋敷の周りをぶらぶらしていると衛兵に目を付けられそうだったので、僕達は一旦市街地に退散し、町中の喫茶店に立ち寄って食事を取ることにした。
朝食と昼食を兼ねたブランチだ。
「というと?」
「最初にあれを見た時は、てっきりベロニカ嬢のために作ったのかと思っていましたが、案外無関係なのかもと思いまして」
僕はパスタを食べながら、テーブル席の向こうにいるアインに向かって話しかけている。
アインの姿は一般人には見えていないため、僕の姿はさぞ変な人のように見えているだろう……が、まあ、それは今更か。
しかしこのパスタ美味しいな。
将来幼女にパスタを作って上げなければならないときの研究のためと思って、いつも食べないボンゴレに手を出してみたけど、ここのは存外にいける味だ。
「要するに、元からあったものかもしれないということですよ。つまり、過去に何らかの戦争がここで起こったときに備えて作ってあったものが、今でも残ってて……」
「あれ~? 昨日のお客さんじゃん! よっすよっすー」
僕の推論は、妙に聞き覚えのあるハスキーな声に遮られた。
顔を上げた僕の視界に、不作法に胸のでかいウエイトレスの姿が映る。
「そんなところで、何独り言呟いてるの?」
「……! キャシーさん。どうしてここに」
服装が変わって化粧も落ちていたので一瞬分からなかったが、それは間違いなくキャシーだった。
「ふふーん! 昼はここで働かせてもらってるんだ~! 昼は飯屋の看板娘! 日暮れには化粧して夜の蝶! それがアタシだよ!」
この店、朝早くから開いていたみたいだけど大丈夫なんだろうか。
大分働きづめのように聞こえるけれど。
「ん……と、そこ座ってもいい?」
聞くだけ聞いて答えも聞かず、キャシーはアインが座っていた椅子に座る。
キャシーに覆い被さられる形になったアインは、不快そうに眉をひそめた。
「その席には先客がいるんです。どいていただけないでしょうか?」
「先客? ああ、誰かと約束してた? ごめんごめん。そんなに時間はかけないからさ」
「いえ、今いるんですよ。今貴方に踏んづけられてます」
「えっ、嘘!? ……って、何もいないじゃん。もー、びっくりさせないでよー」
慌ててさっと椅子から飛び退いたキャシーだが、椅子の下に誰の姿も見えないことを知って、再び椅子に座り直した。
その頃にはアインは、既に椅子から離れて空中に浮かんでいた。
「一体何の用ですか? 僕の武勇伝は、昨日粗方語り尽くしたと思うんですが」
正確にはまだ語っていない旅の話はいくつもあるが、アインに先に話すと約束した以上彼女に言うわけにもいかない。
キャシーは手を横に振って、テーブルにしなだれかかりながらはにかんだ。
「ううん、そうじゃなくって……旅人さんさっき、あの御屋敷のことについて話してなかった?」
「……領主の屋敷の話ですか? ええ、してましたけど」
「でしょ! 旅人さんが知りたいなら、あそこのことを教えてあげよっか?」
「……!?」
あまりにもうますぎる話に、僕は思わず耳を疑う。
屋敷のことについて、昨日偶然巻き込まれた娼婦が情報を持っていて、その娼婦と偶然再会して、しかも彼女がそれを教えてくれる?
次の瞬間にもその後ろ手から宗教勧誘のペーパーが飛び出したりしないかと、僕は戦々恐々になりながら行方を窺うことにした。
「あの屋敷について……何かご存じなんですか?」
僕は探るような声色でキャシーに問う。
「うん! あの屋敷はアカシアの観光名所みたいなものだからね!」
「え、ああ……」
「アカシア市民は誰でもあの屋敷がああなった理由を知ってるよ。旅人に会ったら、必ず聞かれるものだからね」
と思ったら、そういう話か。観光地の解説レベルの話ね。
ちょっぴり肩すかしを食らった気分だが、それでも有用な情報であることに変わりはない。
何しろこの町のことについて、僕はまだ何にも知らないのだから。
「では、折角ですし教えてください。あの鉄壁は、どういう目的で作られたものなのですか?」
「あそこの領主様が、自分の大切な娘を悪漢から守るためだよ」
一時は深読みに流れかけたが、やはりストレートにその解釈で良かったのか。
「娘を守るためだけに、あれほどまでの壁をですか。相当お金がかかったんじゃないですか?」
「詳しいことは知らないけど、多分そうだろうね~。でも、多分そこまで無理はしてないんじゃないかな」
町の外を眺めながら、彼女はそう言った。
「アカシアは商業で賑わってる都市だから、ここの領主であるフレット様は同格の貴族の中でも格段に金持ちなんだ。その気になれば、小国くらいなら買い付けることができるほどにね」
確かにこの町の賑わいは、僕がこれまで旅する中で見てきたあらゆる都市の中でも五本の指に入る。
この都市を含めた近隣一帯を支配下に収める領主ともなれば、それはそれは膨大な財を抱え込んでいることだろう。
「しかしだからと言って、引きこもりの娘のためにここまでやるというのは領主様も親馬鹿というか、過保護というか……」
「過保護になるだけの理由があるんだ」
「え?」
「実は領主のお嬢様は、ああやって引きこもるまでのいままでの人生でざっと三十回は、悪漢に命を狙われているんだよ」
僕は思わず目を見開いた。
三十回。いくら資産家とはいえ高々辺境領主の娘に対して起きる回数としては多すぎる。
「……それは随分と凄いですね。一体何でそんなことに……?」
僕の言葉が途中で勢いを失ったのは、目の前にあったキャシーの表情に、どことなく陰りがあったからだ。
今まで僕が見てきた彼女の表情は、年甲斐もなく弾けていたのに、
「さあ、理由は分からないや。襲われやすい体質とか、そんな噂を聞いたことがあるけど」
人の性別を変える魔剣があるくらいだしそんな体質の持ち主がいてもおかしくはないが、どうも妙に聞こえた。
何かが引っかかるような……そんな気がしたんだ。だがその引っかかりがなんなのかまではまだ分からなかった。
「まあ、そんなわけで。確かに無駄に見える鉄壁だけど、一応領主様的には意味があるんだよ~ってね。旅人さん、これちゃーんと覚えてこの町を出るんだよ?」
「分かりました、覚えておきますよ」
領主がそれだけ、娘の身に起こる危険を警戒しているということをね。
つまりあの屋敷に立ち入るには、それ相応の準備が必要ということだ。
「そう、良かった。じゃ、アタシは仕事に戻るから。あんまりサボってたって思われたら、店長さんに叱られちゃうしね!」
「はい。では、お仕事頑張ってください」
「うん、任せといて~!」
そう言って、キャシーはお盆を抱えて厨房の方へと走り去っていった。
「あと三歳若ければなあ……」
「色々話して最初の言葉がそれなの!?」
席が開いたところに戻ってきたアインが、あきれ顔で言った。
「どうも僕は、人運に恵まれているようです。サリアさんもそうでしたが、キャシーさんもとても素敵な女性でした。もう少し早く、彼女らが幼女の頃に出会うことができていれば……」
「サリアさんは置いておくにしても、あのキャシーって女の子は普通にモテてそうだけどね?」
そんなはずはない。
幼女ではない女性は、本来モテてはならないはずなのに。
「モテてはいけないとはまた大きく出たねご主人様」
「世界の歪みはいずれ正されなければなりませんからね」
「だから歪んでるのはご主人様の頭だけだってば」
アインは溜息をついてから、自分の右腕を左手でそっとなぞった。
彼女なりのセクシーポーズのつもりなのだろうか。
「それにさ、大人であるからこその落ち着きとか慎み深さとかもあると思うんだよ」
「キャシーさんより年上で、彼女より人格的に未熟な老人を、僕は沢山見てきましたよ」
「いや、確かにあの子はあの年齢にしてはかなりできた子だと思うよ。明るくて、気さくで、気遣いが出来て。多分ご主人様より人としてできてると思う」
「失敬な。僕だって――――」
「相当苦労してないとあんな風にはならないね」
「……苦労、ですか」
やはり、アインの目にも彼女はそういう風に映ったようだ。
朝から仕事に明け暮れ、夜も化粧をしてまで仕事に勤しむ彼女の姿は、この賑やかな町の中にあって異常にすら思える。
あの年齢の女の子なら、本来は遊びたい盛りだろうし……いいところの生まれなら、高等教育を受けているくらいの年齢のはずなのに。
「村の生まれとかなら、農業の手伝いとかで朝から駆り出されることはままありますが……流石に夜の仕事までするのは珍しいですよね」
「借金でも背負ってて、それを返さなきゃいけないとか?」
「かもしれませんね。まあ、彼女だって、僕達みたいなぽっと出の旅人に私生活に立ち入られたいとは思わないでしょう」
パスタを全て食べ終わり、食後のコーヒーも飲み干した僕は、おもむろに席を立ち上がった。
「さて、もうそろそろ出ましょうか。そろそろ動き出さないと、約束の場所に遅れます」
「約束って、なんだっけ」
「ですから、あのエロ本の」
「ああ……」
アインがげんなりした顔になって僕の目をじっと見つめた。
そんな目をしないでくれ、僕だって同じ気持ちだ。
◆◆◆◆◆
それから二十分ほど歩いて、僕は約束の場所である中央広場の噴水前に辿り着いた。
アカシア市民の定番待ち合わせ場所として使われているというこの場所には、昼時ということもあって多くの人でごった返していた。
「……ねえ、ご主人様」
「僕は今でも、あれが『彼』だとは信じていませんよ……?」
そしてその中で、ひときわ目を引く白ワンピース姿の女が一人。
とびっきりにフェミニンな格好をしたその女は、僕の姿を認めると軽やかに駆け寄ってきた。
「おー! 遅いぜ、ローベルト! 五分の遅刻だぞ-!」
――――そう。目の前にいる白ワンピ姿の女は、『心まで女になりたくないから手伝ってくれ』とかほざいていたあのオリーヴだったのである。




