35 精霊、辛い
突然現れた純白の魔剣使いは、なんとご主人様のかつての主だった帝国第四皇女、カテーナだった。
ただの元主人なら私が気にすることではないのだけど、彼女はご主人様の初恋の人。
今は成長してしまってご主人様のストライクゾーンから外れているらしいけど……
「……ふさわしい、女ですか……?」
「ええ。まあ、つもる話は後にしましょう。まずはこの場の後始末の方が先です」
いつもになくたじたじのご主人様を見ていると……なんだか、不安な気持ちになってくる。
●――――●
一通りの始末が負えた後、ご主人様とカテーナ姫は手近のソファに向かい合って座り、互いが持つ情報を交換した。
それによるとなんでも黒マント集団は、カテーナがかつて戦った魔剣使いの犯罪組織の残党だったらしい。
「元々帝国には魔剣犯罪に対する専門の機関があって、ローランドがいなくなった後私がそれを引き継ぎました。それで例の黒マントの組織……『黒の財団』を捕捉して、その支部の一つを殲滅したんです」
「その際に恨みを買ってしまったせいで、奴さん姫様に復讐する機会を探ってたっちゅーわけやな!」
ちなみに今捕捉を加えたのは彼女の頭の上にいるヤマトという精霊でその姿は……翼の生えた豚だ。比喩ではなく、豚そのもの。
彼女が担い手となっている魔剣、『八坂草薙』の精霊らしい。
そういえば動物型の精霊も今までに何体かは見たことあったけど……空飛ぶ豚は初めて見るかな。
「恐らく彼らは、私をおびき寄せるための餌としてこのカランコエを利用しようとしたのだと思います」
僅かな情報から、カテーナは死んだネーロの真意を推理していく。
皇帝の血を引いているということだけあって、洞察力にも優れているようだ。
戦闘もできるし頭も良いし、家柄も良くてしかも美人とか……美人とか!
天は二物を与えずってあれは嘘だね。彼女を見たら、全世界の女性が嫉妬するよ。
美貌についてはそれなり以上の自信がある私も、このお姫様を前にするとちょっと自信がなくなってくるっていうか……精霊と違って肉の体なのに、どうしてそんな美貌を保てるの!?
反則じゃない!? ねえ!?
「まずは従業員の一部を石化させて脅しをかけつつ、私がこの町を訪れるきっかけを作る。そして私が来た時点で魔剣の能力を使って、洗脳兵の物量攻撃で私のことを追い詰めようとしたのでしょう」
「ワイの能力は『触れた対象から魔剣の影響を取り除く』こと! 対するネーロの改造後の能力は、アンタの説明を鵜呑みにするなら『エリアにいる魔剣の影響下にない人間を操作する』こと!」
ヤマトは翼をパタパタ動かしながら、カテーナ姫の周りをくるくる回った。
「八坂草薙で洗脳を解除しても、広範囲に洗脳パワーを飛ばしてるからすぐに元に戻ってしまうし、八坂草薙は魔剣の影響を取っ払ってしまうから、『魔剣の影響下にある状態』にすることが一切できへん!」
「魔剣を改造するということにかけては、刀匠ネーロの才能は疑いようがありませんね。もし私が直接対面していたら、物量に圧されて負けていたかもしれません。無事倒せたのは、ローランド。貴方のおかげです。本当に……貴方はいつも、私のことを助けてくれます」
そう言いながら、とろんとした雌の顔でご主人様の手を握るカテーナ姫。
私としては面白くない展開だけど、文句をつける立場でもないような気がするので静観する。
ご主人様の反応はというと、相変わらずたじたじしていつもの調子がまるで見られない。
ご主人様? それはアレだよね?
昔手ひどい振り方をしたから恐縮して縮こまっているんであって、決してなびいているとかそういうことではないんだよね?
「それはですねカテーナ様……昔僕は貴方の近衛兵でしたから助けるのは当然でしたし、今回はカテーナ様の存在とは全く関係ないところで戦っていたというか……」
「だとしたら、それは運命と言えるのではないでしょうか?」
「……えっ!?」
「私のことを助けようと思っていないのに、私が勝手に助けられる……こんな奇跡、早々あるものではありません! つまりこれは運命です! やはり私と貴方は、運命の赤い何かで結ばれているんですよ!」
何かって、糸以外に何があるって言うんだろう。
っていやいや、そういうのはどうでもいい。
このまま放っておくと、リズムを崩されたご主人様がカテーナ姫に心を持って行かれてしまう。
(ご主人様、ご主人様! 落ち着いて! 変なところで押されないで!)
(……はっ!)
思念を通してご主人様を正気に戻す。
ご主人様は咳払いしてから、話を切り替えようと舵を切った。
「ところで僕にふさわしい女になったというのは……」
「ああ、その話ですか。そのまんまですよ」
「そのまんまと言われても……」
困惑するご主人様。私も同じ気持ちだ。お姫様が何を言っているのかさっぱり分からない。
だってご主人様はロリコン。横に並べるのは幼女だけで、私もついこの間までそのことで延々ご主人様と対立していた。
紆余曲折あって最近ようやく折り合いをつけられたわけだけど……目の前にいる姫様は、誰がどう見たって幼女じゃない。少女というのも憚られる、垢抜けた雰囲気を放つ美しい女性だ。
通常の美的センスなら、誰だって彼女を選ぶというほどの美貌。
ただしご主人様のねじくれた価値観に乗せると、そういう美貌は大幅減点だ。
決してお姫様が劣るとかそういう話ではなく……客観的に見て明らかに姫様は、ご主人様にふさわしい人間には見えない。
私とご主人様の困惑を感じ取ったのか、しばらくしてから姫様の表情が険しくなった。
「え? だって私のことを振ったのは……あのときの私が弱かったからですよね?」
「へ?」
ん? 何を言っているんだろうこのお姫様は。
ご主人様が……強さで女性を判断する? そんな話聞いたことがない。
幼女にやたらと拘るくせに、幼女に拘る理由が体しかないようなご主人様だよ?
ちらりとご主人様の顔を見たら、彼も困惑して目をぱちくりさせていた。
本当にどういうことなんだろう?
「幼女の頃の私が好きだったと、ローランドは言いましたね」
「え、ええ」
「幼女の頃、つまり守られていても許される立場であれば、私の弱さは許容できた」
「ん?」
「でも成長した今、守られているだけでは駄目だと。ローランドはそう言いたかったんですよね?」
「はい?」
「自分から強くならなければならないと。貴方がそう言いたかったこと、私はよく分かっていますよ」
ああ、そういう解釈をした結果そういう場所に着地したのか。
意図的なのか天然なのか分からないけど、びっくりするほどズレている。
「あ、あのですね、カテーナ様。僕がそう言ったのは決してそんな意味ではなくて……」
「もちろん分かっています! 私は一度袖にされた身! なのにまだ、貴方に振り向いて欲しいと願うなんて、おこがましいということは……」
そこじゃない! そこじゃないんだよお姫様!
……正直、もしお姫様が唯一の問題を解決したら、それだけでご主人様が私からお姫様に鞍替えするんじゃないかという気もしてくるくらいだ。
まあ、その唯一の問題がもうどうしようもないほど最大の壁なんだけど……。
「ですが私は……はっきり言いますが、まだ貴方のことが諦められていないんです」
「……はい?」
「あの日、ローランドに逃げられて……一時は私、貴方のことを諦めようと思ったんです。別の恋を探すのもいいし、王族としての責務に打ち込むのもいいと思いました」
身に纏う戦闘用ドレスを握りしめながら、カテーナ姫は震える声でそう言った。
「ですが、どんな過酷な戦場に身を置いても、貴方のことが頭から離れなかったんです。それで気付きました。たとえ貴方にどんな風に思われようと、最終的に貴方の心を射止められればそれでいいのだと」
そして勢いよく立ち上がったお姫様は、抱きつく勢いでご主人様に詰め寄った。
立ち上がるの早すぎない?
いや、姿勢の話じゃなくて気持ちの話。
「だから、受け入れてもらえるまで何度でも告白しようと胸に決めていました。というわけでローランド! 私の恋人になってくれませんか!」
ご主人様の手をたぐり寄せて、咲き誇る白薔薇のような情熱的な告白をするカテーナ姫。
一挙一動に華がある。
並の男ならそれだけで恋に落ちてしまいそうなほど優雅な動きだが、生憎ご主人様はロリコンだ。
あの人がロリコンだったことで、今ほど安心したことはない。
「え、ええとその……ごめんなさい。今は心に決めた人がいるので……貴女の気持ちには応えられません」
「心に決めた人! もしかして前回よりさらに後退していますか!? でも諦めませんよ、要するにその人より私の方が強いことを証明すればいいんですよね?」
「なんでそうなるんですか! 違いますって! ……ちょっ、ちょっとストップ! 一旦作戦会議させてください!」
そう言うと、私を抱き込んでカテーナ姫に背を向けるご主人様。
「どうしましょうアイン。勘違いが勘違いを加速させて大変なことになっています」
「どうもこうも勘違いをまず正さないとどうにもならないよ。そんなことよりこんなに惚れられるなんて。ご主人様、一体この人に何をやったの……」
「ええと、まあその色々と……軽く十回くらいは命の危機を救っていますし、それ以外にも武術を教えたり勉強を教えたり、一緒に遊んだり家庭環境について相談に乗ったりと色々と……」
そうやって年単位でこってり好感度を稼いだわけか。
そりゃ愛されるわけだ。
途中まではご主人様の方からの矢印も伸びていただろうから、もうそれはそれは蜜月だったんでしょうね。
「それでどうするつもりなのご主人様。このままだとお姫様に延々ストーカーされ続けることになりかねないよ」
「男として、言葉を濁したのは僕の責任です。はっきり言うしかありませんよね……」
何度か深呼吸してから、ご主人様はカテーナ姫に向き直った。
可哀想に。一応ちゃんと一回勇気を出して言ったはずなのに、
今や肉体を得て他の人にも接触できるようになった私だけど、こればっかりはご主人様が自分の口で言うしかない。
「よく聞いて下さい、カテーナ様」
「愛の告白ですか? いいですよ」
「今の話の流れからどうしてそうなると思ったんですか……いいですか、変な解釈とか一切加えずに聞いて下さいよ」
そしてご主人様は、体に悪そうな汗をたらりと流しながら二度目のカミングアウトを敢行した。
「僕は、幼女博愛主義者です。一定より幼い少女しか愛することができない人間です。カテーナ様はもう、僕のボーダーを超えてしまいました。だから僕は、貴方の思いに応えることができないんです」
理解できていなさそうな目でご主人様をじっと見つめるお姫様。
「え? ですから要するに強さが足りないってことですよね?」
「違うんです。そうじゃないんです。成長した女性に、僕は興味がないんです。世間一般で言うところの」
目をぱちくりぱちくりさせるお姫様。
次第に姫様の額からも悪い汗がにじみ出してきた。
こんな人形みたいなお姫様でも汗をかくんだなあ。いやそりゃ当たり前なんだけど。
「え、だって、だって……」
「私……ある程度大人にならないと、年上のローランドを振り向かせられないと思って……しばらく我慢してたんですよ? ある程度発育して、大人の色気が出るようになって、これでローランドも誘惑できるって思って……」
「……」
「むしろ待てば待つほど、ローランドの心には届かなくなっていってたってことですか……?」
姫様の顔色からは、もはや完全に生気が消えていた。
「それじゃ私、馬鹿じゃないですか!」
すると姫様、八坂草薙を床に突き刺してから、倒れるように突っ伏した。
そして。
「うわあああああん!! そんなのって酷いよおおおおおっっっ!!」
高貴さを投げ捨て、さっきまでの瀟洒な雰囲気はどこへとやらとみっともなく泣きわめいた。
そりゃ……うん、ショックだよね。
なんだかよく分からないけど、ことごとく選択が裏目に出たって感じ。
なまじ優秀なだけに、イレギュラーに対応できなかったって感じなのかな。
「私がちっちゃい頃に告白してないと駄目なんてえええっっっ!! そんなの分かるわけないじゃあああんん!!!!」
もっとも、幼女しか愛せないけど幼女に手を出すのは悪いことだという屈折した愛の形を持っているご主人様なので……どのみちお姫様の恋は、叶う余地などなかったのだけれど。
そういう目で見ると本当タチ悪いなご主人様!
次の犠牲者が出ないようしっかりつなぎ止めておかないといけないなって、このとき強く思った私だった。
次回で第一部完。最終回となります。
今まで長らくお付き合いいただきありがとうございました。




