第15話 帰らぬ修学旅行 1日目 ~23:54 旅館『庵治美亭』
申し訳ありません。ミステリーと言っても全然本格的でも、すごいトリックがあるわけでもありません。
そういうのをご期待されている方は他の作家さんをお勧めしますので、どうぞブラウザバックしてくださいませ。
誰でも解ける、みすてりー、を目指してます。
「……はい?」
扉の向こうから聞こえてきたその声は、いやに弱々しい声だった。
寝ていたのかしら? 私はマリに向かって、そう目で尋ねる。
ふるふる。
彼女はその小さな頭を左右にはっきりと振った。
「すみません、時乃瀬小の次田ですけども……」
次田先生が、代表してそう告げた。
「……なにか?」
扉の向こうの声が少しだけ低くなる。
確かに、もう23時を周っている。そんな時間に部屋を訪ねられたら誰しも多少の警戒はすると思う。
でも、自分が受け持つ学校の教師が相手なのに、まるで不審者にでも声をかけらたかのように答えるのもちょっと極端じゃない?
大体、部屋のドアにはドアスコープがあるんだし。私たちのノックを聞いてから、その顔をのぞき見ても気付くじゃない。
私も、最初は先生たちと同じで、マリの推理に賛成できなかった。
「人一人を運ぶなんて、簡単にできることじゃないよ」
でも、相変わらずというか、いつも通りというか、説明をされればされるほど、疑う気持ちを持ち続けることが難しくなっていった。
「私たちの関係性なんて、たとえば今ホテルに着いた人では推測できっこない」
それでも、ついさっきまでは、どこかまだ信じられない自分がいた。
「動機は……申し訳ないけど、お話できません。でも、私にはわかっています」
でも、この声を聞いて、私の中の疑問は、もうどこかに行ってしまった。
「今考えるべきことは、サキちゃんを助けることです!」
扉が、ゆっくりと、わずかにだけ開かれた。
そう、それは、人が一人、立てるほどの隙間だ。
「すみませんね、」次田先生が社交辞令のように感情の乗らない謝罪をする。「もうお休みでしたか? 新堂さん」
そう……。
私たちが訪れたのは、バスガイドの新堂さんのお部屋だった。
新堂さんの髪に濡れた様子はない。少しウェーブが落ちているけど、それは時間経過のせいだろう。なにより、服装がガイドの時のそれと変化していないので休んではいないはず。
「いえ、まだ寝る前でしたので……」
彼女は自分の髪を撫でた。「あの……何か?」扉の隙間に立ち、話を続ける。
「実は、うちのクラスの生徒が、バスの中に忘れ物をしたって言い出しましてね。はっはっは」
次田先生が珍しく、努めて明るい。もう、下手ね……。
私は不満げな顔を隠すように急いですみませんとお辞儀した。ていうか、なんで私が忘れ物した役なのよ……。いや、そりゃ助けたいからするけどさ。
「は、はぁ……」
新堂さんの返事に、胸が弾む。
「ですからね、大変恐縮ですが……」次田先生が、じっくりと間をとる。「バスに入らせてもらえませんか?」
「え? 今からですか?」
「えぇ……。なぁに、すぐ終わりますよ。なぁ?」
は、はい。そうです。すぐ終わりますから。
「え? あの……」
新堂さんは一瞬だけ、声を震わせていた。「一応、私どもも、みなさんがお降りになってからバスの中を検めましたけど、何も残ってはいなかったのですが……」
私は、その言葉を聞いて、頬が緩みそうになるのを我慢するため、くっと奥歯を噛み締めた。
「そうですね。でも、荷物をバスの中に置かせてもらってるでしょ?」
荷物が多いと、それだけで移動に時間がかかる。旅館の中に持って入らなくてよい物はバスの中に置いておくことが許されていた。
といっても、それほどないけど。
だが0ではない。それだけで十分だ。
「で、ですが……それってホントに必要な物なの?」
新堂さんは次田先生とのやり取りから逃げるように、私に直接語り掛けてきた。
私は自信をもって黙ってうなずく。
ここまでは、マリの大方予想通りの返事ばかりだからだ。
「い、一体何かな? もしよければ私の物を貸したりすることもできるかも」
「それには及びません」
次田先生が割って入る。「自分のこと、物は自分で、というのがこの旅行で彼女たち生徒に私たち教師が課したテーマなのです。自分が忘れたのだから、きちんと謝る、ということです」
強引な理屈……。
だとしたら、普通なら「自分が忘れたんだから諦めろ」ってのが教師として言うべき言葉よね……。
「で、でも、ホントに必要なものなのかわかりませんよね?」
う……そうきたか……。
「私は自分の生徒を信じています」
せ、先生……。
「は……うぅ……」
この先生の一言がトドメとなった。
露骨に落胆した新堂さんは呻き声を漏らすと、「では準備しますので……」と扉を閉じかけた。
今だ!
私と次田先生は扉を掴み、隔絶することを防ぐ!
「え――」
と一瞬たじろいだ新堂さん。その僅かな隙をついて、マリが部屋の中に飛び込んだ。
「あちょっと!」
新堂さんは扉から手を放し、マリを追いかける。
私たちも後から続き部屋の中へなだれ込む。
新堂さんの背中の向こうで、マリは大きな……それこそ自分と同じくらいの、可愛げの少ない大型のキャリーバッグの傍に立っていた。
部屋は綺麗に使われているのか、無駄な物が何一つ散乱していない。ついさっきチェックインでもしたかのよう。それが職業柄なせる業なのかどうかは不明だけど。
「随分大きなバッグですね」
「そ、そうでしょ? 職業的にね、あなたたちと違って、1泊どころか、何泊も続く時があるから。いっぱい荷物を入れらるサイズを使ってるの。それがどうかして?」
どこか、マリに対する言葉に、トゲを感じる。一時的な感情の起伏ではなく、なにか恨みのような、暗い感情を覗かせている気がした。
「なるほど、合理的ですね」
マリは、そんな理由に興味はないと、あっさりそのバッグを開いた。
中からは……なんと!
大漁の服や下着、化粧品などが飛び出てきただけだった……。
「……何するの!」
新堂さんが声を荒げた。だが、一拍おいて発した彼女の表情に、どこか勝利を確信した笑みを見いだせずにはいられなかった。
『ここまで私の計算通り……』
まるでそんなことを、頭の中でほくそ笑んでいるようだった。
「いくらなんでもいたずらが過ぎます! こんなことは許されません! 即刻……学校に…………?」
新堂さんは戸惑ったと思うわ。
マリをはじめ、私や次田先生、それについてきていた他の先生たちや日野さんたち旅館の方、皆が黙って、睨んでるんだから。それに中には、逆に勝利を確信して、笑みを浮かべた人もいるかもね。
「……私が、このバッグにサキちゃんが隠されていると思って開けた……とでも思った?」
マリの声は暗い。
そうだ、そうなると、サキの体が心配になる!
「おかげで確信が持てました。最初から言ってるでしょ? バスの中に隠しているのは知ってる。早くバスまでご案内ください。今ならまだ、警察には秘密にしておきますから」
は?
「もうとぼけなくていいです」
マリは腕を組んだ。
「あなたのことは監視カメラで確認済みですから」
マリが日野さんに視線を向ける。日野さんはこくりと頷き、
「た、確かにあなたがそのバッグを持って戻ってきた姿は玄関にあるカメラで撮影されていました」
「そ……それがどうしたっていうのよ!?」
新堂さんは嘲笑した。「バスの中に置いてたから持ってきただけよ!? いけない?」
「いけません」
マリはハッキリ言った。「救急車の喧騒に紛れて、持っていってたじゃないですか。ストレッチャーのタイヤの音だけではなく、違う音が混ざっていたので目を凝らしたら、あなたがその大きなキャリーバッグを引っ張っていたのが見えました」
え? そうなの?
……でも確かに、タイヤの音が二種類あったような気も……。でもストレッチャーの音なんてそう聞いたことないから、違いなんて分からないわよ。
「なのになぜまた持って帰ってきたんです? そんなに荷物がいっぱいあって……旅行会社に勤めているから連泊する? ではなぜ、細かく荷物を運べるようにしてないんですか? いえ、してますよね?」
マリが部屋の中に静かに置かれたブラウンのボストンバッグを指さした。
「もしこのキャリーバッグが空っぽだったら、私もふりだしに戻っていたかもしれません。ですが、荷物がいっぱい入ってることで確信できました。このバッグの中にサキちゃんを詰め込んで運び出したってことに。そして急いで中身を詰め込んだ。だから開けた時に中身が飛び出るような、まるで無理に押し込んだようになったんですね」
一同の口からざわめきが小さく漏れる。
一度聞かされていたとはいえ、改めて、証拠が揃ったうえで告げられると、再び驚愕するものなのね。
道理で小奇麗な部屋のはずだわ。必要な物を全て入れ込んでしまってるから、必要以上に片付いてるように見えるんだわ。
「小柄とはいえ、小学生を運ぶなんて、通常簡単にはできません。ましてここは旅館の中……人目につかないのは相当に難しい。だとしたら隠して運ぶに決まってます」
「そ、そんなこと、旅館の方ならなんとでもなるでしょ!」
「随分雑な反論ですが、否定はしません」
マリがふぅと、語気の強い嘆息を吐く。「人を隠すにしても、旅館の構造を十分理解している従業員の方の方が強みはありますし」
「だったら――」
「でも、それはバスの中、という要素も同じです」
新堂さんは黙ってしまった。
「バスの中なんて、それこそ明日出発する前まで誰も入ることのない空間です。旅館の中よりも不可侵性は高いかもしれないですね」
確かに、旅館の従業員さんなら人目の点かない場所とか、その日誰も泊まらないお部屋とかご存知でしょうね。でも、それは同時に他の従業員さんも同じ条件であるから、リスクは低くない。
「で、でも……」新堂さんはまだ何か言いたいみたいだ。「旅館の方がそう考えるかもしれないでしょ。バスの中に、どうにかして侵入する可能性だってあるわ!」
「そうですね。私もあくまで不思議なできごとに対して、それを紐解くために、想像でお話しているだけですから」
マリが、腕を組みながら、前髪を払った。
「ですが、私がサキちゃんと仲が良いということを、旅館の方はご存知ではないでしょうね。もちろん、同じ学校の同級生という程度で仲が良いという意味ではお察しくださってるかもしれませんが。今日時乃瀬小学校の生徒だけでも150人程度はお世話になってます。その中でピンポイントに私と仲の良い子を判断する方法があれば、是非伺いたいですね」
マリがじっと睨みつける中、新堂さんは何も言わない。
「その点、あなたなら、私とサキちゃんが今日一日行動する中で、なにかを察することはできたのではないですか? 私が事情聴取を受けている間なんて、特に。色々先生からもお聞きになっていたみたいですし」
新堂さんは、何も言い返さなくなった。
次田先生がポケットから、鍵を取り出した。
「運転手さんからもう借りてます。ご一緒に来てくださいますね」
私とマリ、それに次田先生と日野さんはそれからバスの許へ向かった。他の先生方は、運転手さんのお話や、他のガイドさんと連絡を取ったり、サキが戻ってきた時の対応を旅館の方と相談するために別行動となった。
さらに言えば、「もしかしたら共犯かも」と、マリが示唆したため、運転手のことは、男性教師たちが見張ることにしたのだ。
途中、桜子さんは一言も喋らなかった。
非常に不気味だった。覚悟したからなのかもしれないけれど。
でもそれよりも不気味なことがただ一つあった。
それは、マリがぽつりとこぼした独り言。
「大丈夫かな……」
ちょっと……、ここまで来てその一言って何!?
サキの容態が不安ってこと!? それとも推理が間違っていたってこと???
不安が胸を渦巻く中、たどり着いた駐車場。
並ぶバスたちの静寂さは、不気味さに拍車をかける。
そしてなにより……寒い!
くしゅんっ!
「おい、大丈夫か? もう戻れよ」
な、ここまできてそれはないですよ先生!
「ここです……」
ようやく口を開いた新堂さんが指さしたのは、私たちが乗ってきたバスの……トランクルームだ。バスの側面にある荷物を入れるスペース。ちょっとした部屋くらいはある広さだったことを思い出す。
マリの表情が一層険しくなる。そう、こっちの場合、最悪だと言っていたのだ。寒さを防げないから。
フロントタイヤの後ろにあるそのドアノブの前に立つと、次田先生がカギを開けて、扉を上に開いた。
私はすかさずスマホを取り出し、ライトを点ける。でもその必要はなかった。扉を開けるとランプがついたから。
そしてぼんやりと照らされた中で、もぞもぞと動き、
「ふーふー!」
と叫んでいたのは、……サキだった!
「ぶーぶー!」
「菱島ぁ!!!!!」
次田先生が一番に飛び込み、その大人の体だとさすがに狭い空間に何度も頭をぶつけながらも、サキの許へ向かった。私も一緒になって近寄る。
幸い、毛布のような、ブランケットのようなものの上に寝かされていた。まぁそれがこの凍えるような寒さをどうにかしてくるとは思わないけど。
先生が口に巻かれていた布を若干モタモタしながらも解き取った。
「ばはぁっ!!!」
サキは開口一番真っ白な空気を思いっきり吐き出し、そしてオレンジの空気を思いっきり吸い込んで、
「先生ぇ!」
そして……。
「せんせぇ……ミキティ……うわあああああああああああああああああああああああああああああああん!」
……もう……こっ…………こどもみた…………泣く…………。
私も言葉が出なかった。出てくるのは、大粒の涙だけ。
こんなに泣いたのはいつ以来だろうか?
先生にしがみつきながら、大声をあげて泣くサキの姿を見ながら、私はそんなことを考えていた。
あれ? マリは?
「あっ!?」
後ろからピンとささる短い叫び。
「どうした?」と私と先生が振り返る。
日野さんは頭を右往左往させながら、わなわなと口を震わせて、
「あ、あの女の人があっちに走り出して……」
な……逃げたの!?
「それと、あの女の子も追いかけて走って……」
は……?
「山の方に消えてしまいました!」
はぁ!?
「マリ……ちゃん……!?」
● ● ●
「おい、無理するな、帰って休んどけ!」
い、いやだ……。
「そうよ、後は私たちに任せなさいって」
行く……!
マリちゃんのことは、私が……!
それに……なんだか不安なんだもん。
「不安?」
なんだか、このままマリちゃんが消えちゃうんじゃないか……って……。
「ちょっと! 不吉なこと言わないでよ!」
だって、こんな暗い山の中に入って……危ないったらないよ!
「そうね……私たちはライトがあるからいいけど……。それにこの山……あの仲居さんが話してた……ゆ、幽霊の……」
「大丈夫だ、山道自体は舗装されている。無暗に動かなければ……だけどな」
「先生!」
それからどのくらい走っただろうか? 10分も経たないうちにどうやら私たちはなんとか二人に追いついたようだ。
それがわかったのは、
「しっ!」
と、先頭を走っていた次田先生が、何かに気付いて私たちを止めたからだ。
「…………!」
「……」
「…………!……………………っ! ふざけないで!」
二人が何かを話している。夜の静けさをもってしても、その内容まではわからなかったけど、新堂さんが興奮しているようであることはわかった。
少しずつ距離を詰めていく。
「…………だから………………どうすることもできないよ」
この声はマリちゃん……マリちゃん! 良かった、無事だったんだね。
「じゃあ私は…………なんであなたばかり…………」
「…………。言ったよね?…………、警察には言わないでおくから」
「もう遅いの――」
「へっくちゅ!」
ミキティ!?
「誰かいるの!?」
気付かれた……!
「まぁさっきの先生たちでしょうね。別に隠れなくてもいいわよ……」
まぁそうか。私はともかく、先生とミキティがあの新堂さんを連れて来たわけだから、追いかけてくる人のことも分かってるよね。
次田先生がライトを向けた。
二人は山道から少し離れた林の中で向かい合っていたみたいだ。まずは私たちの視界の右手に新堂さんが、そして左手にマリちゃんが見えた。
先生は順番にライトを向けて、
「おい、大丈夫か!?」
とマリちゃんに話しかけた。
「先生ダメ!」
マリちゃんがそう叫んだ。
私たちは一瞬なんのことかわからなかった。
目の前の光景が、なぜか一コマ一コマ、切り取られた漫画のように、それでいてゆっくりと視界に映されているように見える。
そしてマリちゃんはこっちに向かって走り出す。
うぅん、もっと正確に言うと、斜めに動き出した。それは次田先生の右隣りでマリちゃんを見ていた私の方に向かって走ってきているのだ。
どうしたのかな?
そう思った頃には、私の正面にいた新堂さんもまた、私の許へ向かってきている!
その顔は、もはや綺麗な大人の女性という、新堂さんの印象を完全に崩してしまっていた。
うつろで、座った瞳と、にたりと力なく横に引っ張られた口元が作る笑顔は狂ったと言えるのかもしれない。
暗いせいで気付くのが遅れた。
彼女は何かを握った右手を私に向かって振り上げた。
私は、自分が殴られる――そう思った。
そして恐怖から目を閉じようとしたその時だった。
マリちゃんが視界の横から飛び出して、新堂さんの脇腹に向かって体当たりというか飛びついたのだ。
マリちゃん……!
私がそう叫んでも聞こえなかったと思う。
二人が倒れる音、木々の枝が折れる音や枯れ葉が破れる音、石の転がる鈍い音……下手くそな合奏が私の声を遮ったのだったから……。
数分後……。私たちはホテルの方や宿泊客の登山家の方のお力を借りて、二人が転がり落ちた地点へとようやくたどり着いた。私たちの後に救急隊員さんがやってくるみたいだ。
マリちゃん……マリちゃん!
でも私は今、マリちゃんの名前を呼ぶことで、頭がいっぱいだ。
「こら、離れなさい!」
次田先生の声も気にすることはない。
私はひたすら、マリちゃんの名前を叫んだ。
「もういい、一緒に乗れ! 責任は先生が持つ!――お願いします」
白い光に照らされたマリちゃんの艶やかだった黒髪の上には、私のあげたリボンよりも暗くて醜く赤い、血が滴っていたのだった。
ことりと音がする。マリちゃんの緩んだ右手の中から、私のあげたリボンが崩れ落ちた。
私は泣くことと、叫ぶことしか出来ない。
私が振り返っても、なにも分からないよ……。マリちゃんが教えてくれないと、私、バカなんだから……。
私はやっぱり、ただマリちゃんの右手を握ることしかできなかった。
隔週日曜日更新していきたいと思います!
回答編と次の事件は同じ話数に記載予定です。