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ノア

 ――いっそのこと、足を壊してしまえばいいのかもしれない。私のせいで、ともなれば私が責任を負うことになる。そうなれば、セシリオはずっと私の手の中だ。……いや、故意にやったとわかれば、セシリオが遠ざけられてしまう。あくまでも、たまたま私が原因を作ってしまった程度に、セシリオが一人では生きられないような傷を負わせれば、私は責任を取るためにずっとセシリオの面倒を見ることができるのではないだろうか。

 誰にも目をくれず、鮮やかな赤を纏い、美しく歩くセシリオを見かけてはそんなことばかり考える。実行することは決してないだろうけれど。


 セシリオを初めて見かけたのは六つのとき。前日の雪が嘘のように晴れた、眩しい冬の日だった。叔父の家で、私と同い年くらいの娘を持つ伯爵家以上の家を招待し、茶会が行われた。茶会とは名ばかりの、私の婚約者候補の密かな選別である。

 さすがに陛下()王妃()が顔を出すと、密かに選別などできるわけもないので、私と兄だけが変装をしてその茶会に参加した。自分も行きたいと言う母を宥め、父は私に言った。


「お前がいいと思う人物を見つけてきなさい」


 それが初めて与えられた最初から選べる権利だったように思う。

 私の前にはいつも兄の存在があった。兄が常に一番で、私が残りの中から選ぶ。私が兄のものを欲しがってはならないし、兄の利になるものは譲らなければならない。最優先事項は兄。私が王の位を欲しがらないよう、そう叩き込まれた。

 決して兄が私の欲しいものを全て持っていったわけではない。時には、私を気づかってあえて私の欲しそうなものを残してくれることもあった。それでもやはり一番は兄だった。

 だから私は、おそらく色々と諦めていたのだと思う。婚約者に期待などしていなかった。兄の役に立つ人間なら誰でもいい。どうせ、婚約者も兄のために利用するのだから。


 茶会が始まって、叔父に連れられ順々に挨拶をして回る。兄が笑顔で挨拶をするのを私は叔父や兄の後ろから眺めていた。

 少女たちは兄を見ては頬を染め、笑みを浮かべる。そして、私を見つけては、また頬を染め、照れたように笑うのだ。皆、同じ反応。

 選別など、このような形でする必要はないだろうに。どのみち、皆、学園に入るのだ。その中から成績が優秀なものを婚約者にすればいい。

 くだらない挨拶回りに飽き飽きしていた私は、そんなことばかり考えていた。そんな私に気付いたのか、兄は疲れただろうと、私をベルトランド(いとこ)の元へ連れていった。私は兄の言葉に甘え、慣れ親しんだベルトランドと行動を始めた。

 しかしながら、兄の気遣いとは裏腹に、挨拶を終えた令嬢たちが集まってきた。おそらく、思惑に気付いた親たちが送ってきたのだろう。結局、令嬢たちの相手に追われることとなった。

 ベルトランドにさえも頬を染める令嬢たちを適当に捌き、親元に返した。こんなことなら、大人しく挨拶回りをしていれば良かったと、兄に目を向けた。

 兄は見たことのある男と話をしているようだった。外交官であるモーリス侯爵だ。彼はこの国に留まることが少なく、一年の大半を外国で過ごしている。彼の見てきた外国の話はなかなか面白い。

 彼より少し下がった位置に一人の少女がいた。派手な真っ赤なドレスを身に纏い、ドレスよりも鮮やかな赤で唇を彩った、気の強そうな少女。彼女は兄を見ているようでどこか遠くを見ていた。

 モーリス侯爵に目を向けられ、少女は一歩前へ出た。口角を緩やかに上げて兄を見下すような笑みを形作り、彼女は口を開いた。おそらく、名乗ったのだろう。

 小馬鹿にするような表情であったはずなのに、彼女の目がやけに印象的だった。今までの令嬢たちのような熱のこもった目でもなく、かといって、表情通りの馬鹿にするような目というわけでもない。何を考えているのかわからない……というよりも、空虚で人形のような目だと思った。

 少女それ以降、口を開くこともなく、再びモーリス侯爵の後ろへと下がった。口元は退屈げに形作られていた。


「モーリス侯爵令嬢が気になるの?」


 いつも通りの人の良さげな笑みを浮かべて、ベルトランドが覗き込んでくる。


「気になる、というわけではないけど」

「まあ、彼女の赤は目を引くよね。もともと赤が好きだったらしいけど、常に赤を纏うようになったのは最近らしい」

「詳しいね」

「頭脳は侯爵、性格は夫人。婿入りするには、寛大さと忍耐強さが必要。性格は更正が不可能ではないし、かなりの優良物件だから、僕たちのような次男三男を持つ家は注目してるよ」

「……優秀なのか」

「噂じゃ既に四ヵ国語は余裕で操れて、五ヵ国語めを習い始めてるとか。でも、彼女は僕たちの一つ下のはずだから噂に過ぎないだろうけど」


 噂は噂でしかない。が、彼女が此処にいる令嬢たちとは別の何かを持っているのは事実だろう。ベルトランドの言い方から考えれば、優秀であるというのも事実のようだし、私からしてもかなりの優良物件。何より、兄に見向きもしない様子の彼女なら兄の婚約者に手を出す可能性も低いだろう。


 モーリス侯爵の後ろに立っていた少女は侯爵に何かを言われると、兄たちに頭を下げてから背を向けた。彼女の目は既に出口へと向いていて、凛とした様子で歩いていく。そんな彼女から少し離れて、侍女が追いかけていった。

 今回の茶会でそれ以上の収穫はなく、その日は解散となった。それから何度か似たような茶会が開かれたが、目を引くような存在は彼女の他に居なかった。

 父と母には、思ったことをそのまま伝えた。母は「まだ幼いもの。ゆっくり決めていきましょう」などとなんとも言えぬ顔で言ったが、もう茶会などしたくない私はモーリス侯爵令嬢でいいと父に言った。

 それから一ヶ月、モーリス侯爵が他国から帰ってきたのを機にモーリス家で顔合わせをすることになった。


 父のあとに続いて、モーリス家の敷地へ踏み込んだ。屋敷に入れば、モーリス侯爵、そして夫人に迎えられる。夫人の目は歓喜に満ちていたが、侯爵はどこか疲れているように見えた。

 父と侯爵が隣国の情勢について話をしながら歩いていると、前方に人影が見えた。真っ赤なドレスを身に纏い、凛とした様子で、一人歩く少女。私たちは黙って足を止めた。


「あれが、」

「お嬢様、お待ちください!」


 侯爵の言葉を遮るようにして、若い女の声が響いた。少女の背後から現れた侍女が少女の腕を掴んだ。


「お嬢様、もう少し」


 侍女が言い切る前に、バチンと痛々しい音が響いた。先程まで少女の腕を掴んでいた侍女の手が、行き先を無くしたまま伸ばされていた。


「触れるな」


 少女はそれだけ言うと、再び歩き出した。少しして、やっと私たちを認識したのか、少女は足を止めた。


「……あれが、娘のセシリオです。その……潔癖のきらいがありまして、お恥ずかしいところをお見せしました」


 侯爵の婚約の考え直しを促す言葉を聞き流しながら、私は彼女から目が離せなかった。

 茶会では形作られていた口元が、真一文字に結ばれて小さく震えていた。静かだった瞳が揺れている。彼女が私を見て怯えていたのを、絶望していたのを、確かに感じた。

 彼女も感情が表に出ていることを勘づいていたのか、目を伏せ、頭を下げた。そして、目を見せないようにして、私たちに背を向けた。

 こちらに向かってきた時と同じく、彼女は凛とした様子で歩いていく。彼女に叩かれて呆然としていた侍女を気にする様子もなく、ただ前だけを見て歩いていった。

 侯爵に対し、夫人は何としても彼女を私の婚約者にさせたいようで、彼女の頭のよさを父に訴えていた。侯爵と夫人の言葉が途切れて、父は私に目を向けた。


「ノア、どうしたい?」

「彼女と二人で話がしてみたいです」


 考える前に言葉が出た。侯爵は微妙な顔をしたけれど、こちらへ、と歩き出した。


「セシリオは部屋にいると思いますが……あの子は自室に人が入るのを嫌がります。殿下に対して失礼な態度を取るかと」


 案内された扉の前には先程のものとは違う侍女が一人いた。彼女は私たちに頭を下げ、脇に寄る。

 父は一瞬、夫人に目を向け、侯爵に大人は別室で話をしようと持ちかけた。侯爵は何かを言いたそうに唇を震わせたものの、何も言わずに頷いた。父たちが見えなくなるまでその背を見送ってから扉に目を向けた。

 手始めにノックをしてみたものの、反応はない。本当にあの少女はここにいるのだろうか。まあ、居ても居なくてもどちらでもいい。もし、居なければ父たちの元へ戻ればいいだけのこと。

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開けた。人影はない。可愛らしさのない、静かな部屋だった。部屋の内部にも扉が二つあるのが見え、私は中へ踏み込む。


 最初に目が向いたのは、彼女がつけていたものらしい口紅の転がる大きな鏡台。その隣には小難しい言葉ばかりが並ぶ本棚があった。部屋の中央には大きめな机が一つ。サイズに対して椅子は一つしかない。窓際には、皺一つないベッドがあった。そして、サイドテーブルに、何故かトランプタワーとナイフがガラス張りの覆いまでして大事そうに置いてあった。

 微かに水音がしているのに気付き、私は左手側にある扉に目を向けた。音を立てないように扉を開けた。正面に鏡があり、そこに彼女の必死な表情が映っていた。ここは洗面所であるらしく、彼女は腕を洗っているようだった。

 右手側には、今までとは形状の違う扉があった。中折れのものだろうか。おそらく、風呂場なのだろう。その扉の近くには大きめな袋があった。中から彼女が身に付けていた白い手袋が見えている。

 彼女に気づかれないように注意しながら静かに近付く。彼女は今にも泣きそうな顔で腕を洗っていた。冷えたせいか、強くこすったせいか、どちらが理由かはわからないが、彼女の腕は赤くなっていた。見ているこちらが痛くなってくる。

 止めようと手を伸ばそうとして、侯爵の言っていたことを思い出した。潔癖のきらいがある彼女だ。私が触れたら、また、必死に洗うに違いない。……なんだか、それは嫌だな。


「……もう、いいんじゃないかい?」


 バッと音がしそうな勢いで、彼女は顔を上げた。様々な感情が入り乱れるその瞳に私を映して、一歩、私から距離を取った。先程まで洗っていた腕をまるで隠すように背後に回す。

 彼女が一度、瞬きをすると、今まで見えていた感情は全て消えてしまった。


「……どうして、こちらに」

「君と話がしたかったんだ。すまなかった、勝手に入ったりして」

「……いえ」


 彼女は近くに置いてあったタオルで腕を拭き、手袋が見えていた袋にタオルを放り込んだ。タオルの下に置いてあった手袋をはめ「場所を移しましょう」と言った。

 彼女は私に部屋の外に出るように促す。此処には椅子が一つしかないし、話をするにはどう考えても適していないので大人しく外に出る。

 応接間に私を案内しようとする彼女を二人で話がしたいから、と引き止める。応接間にはおそらく父たちがいる。彼女は少し考える素振りを見せて「……では、温室に」と。

 案内された温室には、見事な薔薇が咲き誇っていた。テーブルやイスがあったものの、彼女があまり座ろうとはしないので、私も薔薇を観賞する振りをして腰を落ち着けることはしなかった。どのみち歩いて回るならば、彼女の部屋のままでも良かったのではないか、とは思ったが。

 彼女は自分から口を開くことはなかったので、私から話題を振らなければならなかった。彼女と共通で話せる話題などわからず、ただ、目の前にある薔薇についてばかり尋ねた。彼女は辞書でも読むかのように、薔薇についての説明をする。淡々としたその声はまるで機械のようだ。彼女の瞳はずっと凪いでいた。それが面白くなくて、どうすれば感情のある彼女の瞳を再び見ることができるかを頭の隅でずっと考えていた。

 あの侍女のように触れれば、彼女の心は乱れるだろうか。いや、侍女が触れた直後の時は彼女の瞳に感情はなかった。きっと感情が表に出たのは自室に戻ったからだろう。触れなどしたら、彼女は早急に私を父たちの元へ送って部屋に戻ってしまうに違いない。

 そもそも、何故、彼女は感情をひた隠しにしているのだろうか。何か原因があったのだろうか。誰に感情を知られたくないのだろうか。誰にも知られたくないのだろうか。ならば、何故、私に会ったときに感情が表に出たのだろうか。何が彼女の感情を引き出したのだろうか。

 考えても考えても、疑問ばかりが浮かぶだけで答えは出ない。


「君は薔薇が好きなの?」

「……いえ、そのようなわけでは」

「そう?詳しいから好きなんだと」


 私にそう言われて、彼女は薔薇に目を向けた。


「知っていて、当然でなければならないのです」


 その表情は、何処か諦めていたように見えた。彼女の表情が今までで一番、人間らしくなったように感じた。そう感じただけで、気のせいだったのかもしれない。そうあって欲しいと思った私の脳が、勝手にそう判断したのかもしれない。

 脳が見せたマヤカシ。それでも、私はこれだと思った。

 こんな表情ではないけれど、彼女(これ)だと。私が欲していたのは間違いなく彼女だと確信した。

 まだ誰のものにもなっていない、彼女。私が上手くやりさえすれば、彼女は本当に私だけのものになる。兄にも父にも国にも、何にも譲らずにすむ、私だけのもの。

 彼女の人間らしさを私だけに向けさせたい。私を特別な存在にさせたい。

 それは恋などではなく、自己顕示欲……とは少し違うかもしれないが私の欲を満たすためだけに、私は彼女を婚約者(どうぐ)に選んだのだった。

後に修正する可能性有りです。

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