表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

 殿下のもとに義弟が来たのを機に私は殿下から離れた。私の前にいた生徒たちが勝手に道を開ける。そこを堂々と歩き、飲み物を持つ教員のもとへ向かった。

 私が葡萄のジュースを手に取れば、教員はそそくさと人ごみに紛れていく。次はどうしようかと視線を巡らせたとき、目の前に誰かが飛び出してきた。

 この世界のヒロイン。私は思わず目を細める。

 彼女は私の前で少し痛そうな音を立てて、転んだ。涙の溜まった可愛らしい顔で私を見上げる。それから、急いで立とうとしたが、足が痛むのか顔を歪めた。

 このイベントでヒロインはセシリオに飲み物をかけられる。そして、そこに殿下が割って入る。それからセシリオが退室し、事情を聞くために殿下たちと部屋を移動するのだ。この時点でついてきてくれない人間は攻略できる見込みはない。


「……また、貴女なの?大人しくしていることもできないのかしら」

「も、申し訳ありません」


 彼女は助けを求めるようにぐるりと辺りを見回すけれど、誰も見てみぬ振り。当たり前だ。ここで入って巻き込まれたらたまったものではないだろう。


「いつまで座り込んでいるおつもり?申し訳なく思わないのかしら。せっかく身の丈に合わないお綺麗なドレスを纏っているのに、皆が踏みつける床にいつまでも触れさせているなんて。それとも自分が汚れているから今さら気になさらない?自分の汚さをご存知だなんて、一応脳みそはあるようで安心しましたわ」


 彼女は目を見開いたあと、キッと私を睨み付けた。


「……あなたの方がずっと汚いじゃないですか」


 ギクリとした。ヒロインの台詞がこれであることはわかっていたけれど、セシリオではなく私の汚さが滲み出てしまっていたのかと、ついに私であるとバレてしまったのかと、心臓が縮み上がった。


「なんですって」

「貴女こそこのようなことばかりしていて恥ずかしくないのですか?自身の身分をひけらかして、他人を見下しているような人に汚いだなんて言われたくない!」


 続いたのはゲームと同じ台詞。大丈夫、きちんとセシリオをできている。


「……先ほどの言葉を訂正しますわ。随分とお可哀想な頭をしているようですから、きちんと自身の汚さを自覚した方がよろしくってよ」


 セシリオは無表情でヒロインに近付き、彼女の頭から持っていたジュースをかける。黄色の綺麗なドレスに赤紫の染みができた。


「汚ならしい貴女によくお似合いですわ」


 目を見開くヒロイン。それを私は見下すように笑う。

 二度と話しかけないでちょうだい、と捨てゼリフを吐いて背を向ける。数歩進んだところで、引っ張られる感覚に足を止めた。振り返れば、ヒロインが私のドレスを掴んでいた。

 綺麗な手に私のドレスが触れているのが気持ち悪くて、彼女の手を振り払う。私を睨み付ける彼女を見下ろしていると、その間に殿下が割って入った。


「何をしているんだ」


 殿下が眉間に深く皺を寄せて不機嫌そうに私を見る。

 違うのだ、と叫びたくなった。何も違うことなどないのに。

 下手に口を開けば余計なことを言いそうで、私は一度、口元を持っていた扇で隠す。小さく深呼吸をしてから口を開いた。


「……気分が悪いので戻ります」


 私は殿下に背を向け、今度こそ会場をあとにした。

 誰にも会うことなく部屋に着き、空のグラスを持ったままであったことに気付いた。……良かった。多分、上手くいった。

 そのグラスを綺麗に洗う。それから、トランプタワーの横に置くことにした。確かに綺麗に洗って透明なはずのグラスなのに、なんだか赤紫に見えるような気がした。……気がするだけだけれど。

 私はドレスを脱ぎ捨て冷水を浴びる。このあとは攻略対象者の目が厳しくなったせいで、セシリオのイベントは鳴りを潜める。残るやるべきことは父を殺すための計画を立てるだけ。そのあとに待つのは死。ヒロインが誰を攻略したのかはわからないけれど、どのみち私が死ぬことは変わりないのだからいい加減、覚悟をしなければ。いやだ、死にたくない。でも、殿下に何かあったらどうするの?死なずに狂った世界を見続けることはできるの?私が原因なのだから、逃げ出すこともできない世界で?……そんなの無理。自信がない。なら、ここで死んでしまえばいい。大丈夫、ずっと殺されるのを待っているだけで簡単だもの。

 手が真っ青になっているのに気付いて、すぐに温水を浴び直す。すっかり冷えた体に体温が戻ってから風呂から上がった。髪を乾かし、そのままベッドへ雪崩れ込むようにして眠った。


 翌朝、いつも通りの夢を見て、目が覚めた。シャワーを浴び、青白い顔に化粧を施す。いつも通りに自身にセシリオであることを言い聞かせ、目覚ましが鳴るのを待った。

 目覚ましを止めて、窓際にある椅子に腰を下ろした。それから課題を広げた。趣味も持たず、友人も居ない私は、休日は暇を持て余す。淑女としてサロンなどを開くのが通例なのだろうけれど、一体誰を誘えよう。自分より身分の高い相手にさえ、私は無視を決め込んでしまっているのだから。

 そう考えると、義弟には本当に多大な迷惑をかけてしまっている。セシリオは侯爵家とは関係ないと、切り離してしまえれば楽なのに。……いつかはそうなるのか。

 セシリオが性格に難が有りながら第二皇子の婚約者になれたのは、その優秀さ故だとゲームではあった。事実、この体はかなり優秀にできていると思う。それに勉強くらいしかやることがなかったために、その優秀さに磨きがかかったのだろう。

 ノック音がして私は大して進まぬ課題をそのまま立ち上がった。扉を開けば、殿下が顔を見せる。


「おはよう、セシリオ。中に入れて貰えないかな」

「おはようございます、殿下。特例を除いてのみ、女性の寮への男性の入室は禁じられております。何かございましたか?」

「昨日のことで事情を聞いているんだ」

「でしたら、談話室へ移動しましょう。先生方もいらっしゃるのでしょう?」


 殿下は微かに目を細めたあと、いつも通りに微笑んだ。

 別に普通のことを言ったに過ぎない。だというのに、この間は一体何なのだろう。


「……そうだね」


 殿下が入口から退く。私も電気を消して、部屋から出た。鍵を閉め、殿下と共に談話室へと向かう。

 談話室には担任を含めた教員が数名居た。昨日の件に関して聞かれたが、言い合いになって思わずやってしまったなどと適当なことを言っておいた。


「君が彼女をいじめているという話があるんだが」

「……さあ?どうだったでしょうか。私にとってどうでもいいことですもの。忘れましたわ」


 担任は私の返答に苦い顔をする。それから、いくつか彼女について聞かれたが忘れたで押し通した。セシリオにとって彼女はあくまでも下等なものでしかないのだ。彼女が騒ごうと、何をしようと、セシリオの視野にさえ入らなければ、関係ない。

 もう少し情報が集まってから改めて話を聞く、という担任の言葉で一度解散になった。視界の端に不気味なほど表情のない殿下が映ったが、見えないふりをして談話室を出た。

 部屋へと戻り、私は何事もなかったかのように課題を再び始めた。


 殿下とヒロインとが親密になっていると聞いてから数週間。私の行く手を数人の男たちが塞いだ。


「……誰の許可を得て、道を塞いでいらっしゃるの?邪魔よ。退きなさい」

「モーリス侯爵令嬢、貴方にお尋ねしたいことがあります」

「……ふうん?私の行く手を塞いでまで尋ねなければいけないことなのかしら?面白いですわ。話してみなさい」

「ナーシサスの行方がわからなくなっているのです。ご存知ありませんか?」

「ナーシサス?」


 一体、誰だろうか。私が首を傾げると、男たちの内の一人が私に掴みかかってきた。その顔に見覚えがある。たしか……攻略対象者で、子爵家嫡男だったはず。


「とぼけんなよ!あんたが苛めていた子だよ!数日前から会えないんだ!!あんたがどっかに閉じ込めて

「私に触るな!」


 人肌が気持ち悪くて子爵家嫡男の頬を勢いよく叩き、私の体から引き離す。彼の私に触れていた手がどうしようもなく汚く見える。彼を叩いた私の手から汚れが広がるように見える。

 汚さを自覚したら吐き気がしてきた。早く、一刻も早くセシリオから汚れを取り除かなくては。潔癖なセシリオが汚れていていいはずがない。

 部屋に戻るためには、この男たちを退けなければならない。強行突破などできるはずもないし、何か考えなくては。


「……聞く価値もなさそうですわね。退きなさい」

「モーリス侯爵令嬢、お答えください。あなたはナーシサスの居場所をご存知ですよね」

「知りませんわ。何故、私が小娘一人を気にかけなければならないのかしら」

「殿下に近付いていたからでしょう!」


 あくまでも冷静を装おうとしていた中央にいた男……たしか伯爵家嫡男が、耐えきれなくなったのか声を荒くした。


「殿下と仲良くなるナーシサスに自分の立場が危うくなると思ったんだろう!?だから、ナーシサスを虐めて殿下から引き離そうとした!あなたは侯爵家の人間としての自覚がないのか!?あなたがナーシサスを虐げれば、他の貴族たちもナーシサスを虐げると、どうして頭が回らない!!ナーシサスがどんな思いで耐えてきたと思っているんだ!あなたに人の心はないのか!?」

「……そうね。私に侯爵家の人間としての自覚がないとしたら、あなた方も貴族としての自覚がないのではなくて?」

「話をすり替えるな!」

「黙りなさい。あなた方が対峙しているのは侯爵家の娘よ。私はあなた方に退けと言いましたわ。この中で、私より身分の高い者はいらして?」


 伯爵家嫡男は更に食ってかかってこようとしたが、言うことが思い付かなかったのか、口を閉ざした。男たちの中で一番身分が高いのは伯爵家。

 攻略対象者は全部で五人。一人は言わずもがな殿下。それから義弟。そして残り三人は私の前に立ちはだかる伯爵家、子爵家、男爵家の嫡男たち。殿下と義弟がいない今、私より身分の高い者はいない。

 伯爵家嫡男の代わりに口を開いたのは男爵家嫡男。彼は私を憎悪に満ちた目で睨み付けてくる。

 それにしても、どうしてこのようなことになっているのだろうか。私の断罪には早すぎるし、廊下でなどやらない。ヒロインや殿下がいないのも可笑しい。そもそもヒロインが行方不明とはどういうことだ?


「ここは学園です。身分差に関してはある程度、黙認されます」

「でしたら、身分のことで私を責めるのは筋違いですわね」

「あなたはナーシサスを虐めて

「それに関しては先生方が対応されていますわ。あなた方は何の権利があって証拠もなしに私を犯罪者扱いしていらっしゃるの?」

「何の騒ぎだい?」


 聞き慣れた声に思わず固まる。前にいた男たちが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。私の背後から殿下が姿を表した。


「ノア殿下!」

「ああ、君たちか。セシリオにあの子のことを聞きに来たのかな?なら、セシリオは知らないと思うよ」


 私が邪魔にならない位置まで下がろうとすると、殿下が私の腰を引き寄せて逃げないようにとばかりに腕に力を込める。私は離れようともがくけれど、思っていたよりも殿下の力が強くて抜け出せそうもない。


「彼女は悪魔払いの影響で療養することになったんだ」

「悪魔……?」


 予想もしていなかった言葉に思わず動きが止まった。顔を上げれば、微笑む殿下と目が合う。落ち着かなくてすぐに目をそらした。

 どういうことだ?混乱した私が抵抗を止めると、殿下が私の髪に指を通し始めた。


「教会から口止めを受けていたけれど、元凶の悪魔は無事退治できたから問題ないだろう」


 後日、皆に報告がある、と殿下は周りに伝えると、私の腰に回る腕をそのままに歩き始めた。道を塞いでいた男たちは呆然とした様子のまま、道を開けた。集まっていた野次馬も私たちに道を開ける。

 人気のないところまで来て、殿下から離れようとしたが、再び殿下は私の腕を掴んで逃がさないとばかりに力を込める。それでも抜け出そうとしたら、名を呼んで咎められた。


 殿下に連れられて来たのは、私の部屋。私が止める暇もなく、殿下は中に入っていく。ベッドから少し離れた場所には小さな机の前に立つと足を止めた。


「私に婚約破棄された君は、このナイフで父を殺す計画を企てる……だったかな?」


 ガラス張りを外し、ナイフを手に取った殿下の言葉に息が詰まった。


「どうして、それを……」

「君は知らなくていいことだよ」


 殿下はナイフを机に戻すと、今度はグラスを手に取った。赤紫に見えるグラスを殿下の白い指が撫でる。

 殿下がそんなものを持っていてはいけない。あれは私のせいで汚れてしまっている。そんなもの、綺麗な殿下に持たせてはいけない。

 それに向かって手を伸ばせば、殿下が私の手を掴んだ。そのまま引き寄せられる。


「ねえ、セシリオ。私が此処に存在しているように、君はちゃんとここに存在しているんだよ。君の知っている世界とは別世界なんだ」

「何を言って、」

「わからない?憎たらしいけれど、君は君が思っている以上に人気が高いんだ。ああでも、それは知らないままでいいよ。セシリオ、君は私だけを見ていればいい」


 殿下のグラスを持った手によってトランプタワーが崩される。何枚ものカードが床へ落ちた。あの、マッチ棒の城と同じ。どうして?私はちゃんとセシリオをできていなかった?私のせい?


「こっちを見て、セシリオ」

「でんか」

「ねえ、セシリオ。君が君の知る悪役であり続ける必要はないんだよ。この世界の君は君なんだから」


 殿下の手からグラスが落ち、激しい音をたてて割れた。

 息が苦しい。息を吐き出す度にヒューヒューと音がする。殿下は目を細めると、私に口付けた。それから私の背を落ち着かせるようにゆっくりと撫でる。

 ある程度、私の呼吸が落ち着くと殿下は私から離れた。私はそのままそこに座り込む。


「ふふ、すぐになんて受け入れられないよね」

「何を……」

「大丈夫だよ、セシリオ。時間はたくさんあるから」


 ずっと見ない振りをしていた、美しく笑う殿下がそこにいた。

2016/12/17 攻略対象者の中で一番身分の低かった男。子爵家嫡男だったはず。→攻略対象者で、子爵家嫡男だったはず。

一番身分が低いのは男爵家嫡男でした。すみません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ