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セシリオ

可笑しな点が多いとは思いますが、あまり気にせず読んでいただければと思います。

 マッチ棒で作られた小さな城。義姉の手がそれを構成する内の一本を取り除いき、小さいながらも立派な城は呆気なく崩れていく。


 ――一本でもこうも容易く変わるものなんだよ。


 たった一本でどうしてそうも容易く壊れたのかも、義姉がそのあと何を言ったのかも、どうしてこんなことを言ったのかも思い出せはしない。ただ、そびえ立っていた城が崩れゆく姿がはっきりと脳裏に映る。


_____

 誰かに触れられた感覚に目を開けた。十数年前にできた義弟と目が合い、私の腕に触れる義弟の手を振り払う。


「義姉上……」

「何度言えばわかるのかしら。私に触れるな」


 何か言いたげな義弟を無視して部屋へと足を向けた。


 私はモーリス侯爵家の長女セシリオ。潔癖で傲慢で非道でなければならない。 この世界『リナリアの花束を君に』という乙女ゲームの悪役令嬢。

 思い出したのは五つのとき。誕生日でお母様にいただいた真っ赤な口紅をつけてみたときのことだった。この顔をどこかで見たことがある、と。そう感じてからは一瞬だった。

 何故かやった乙女ゲームのこと。義姉という存在がいたこと。崩れていく城のこと。それから義姉の一言。その四つが一気に脳に流れ込んできた。

 それ以上に思い出せることもなく十二年が過ぎた。私が誰であったのか、どんな人間だったのか、家族と仲が良かったのか、どんな友達がいたのか、何が好きだったのか、何が嫌いだったのか、働いていたのか、学校に行っていたのか、何処に住んでいたのか……何一つ思い出せなかった。

 けれど、確かなことがある。私はセシリオではなかった。だって、彼女はあくまでゲームのキャラクターで、あの世界で存在などするはずがないのだから。


 他に比べるものがないからわからないけれど、あの乙女ゲームでセシリオは嫌なやつであった。自分より身分の低いものを見下し、高価なものを一度使っては汚いからと捨て、自分より目立つ者がいれば汚い手を使っては排除する。気の強そうな目を細め、真っ赤に塗られた唇を歪めて嘲笑する姿は悪役そのものだった。

 そんな彼女は第二皇子の婚約者ではあったが、他のルートを選択しても必ず出てきた。ハッピーエンドになるための条件だったのだ。攻略者やその婚約者と円満な関係を築き、協力して、セシリオの悪事を暴き、処刑する。男爵令嬢でしかないヒロインの立場を確かにするための過程に必要だったのだ。

 婚約破棄によって自分の立場が危うくなり、父親を殺して侯爵家を乗っ取ろうとしていたセシリオは、どのルートを辿るにしても必ず死罪になる。当然だ。一令嬢がそう上手くことを運べるわけがないし、女では侯爵家は継げない。親殺しを目論んだのは必ず……たいてい義弟か第二皇子によって露見していた。

 そんなキャラクターだったのだ。


 ……そう。私はセシリオではなかった。けれど、あの世界では、の話。今はモーリス家の長女セシリオ。私が、セシリオ。必ず処刑されるセシリオ。

 嫌だ。死にたくない。どうして私が……そう思う度に、義姉の言葉と崩れていく城が思い出された。たった一本。たった一ヶ所。少しばかり手が加わっただけてすべてが崩れていく。

 セシリオはこの世界を構成する内の重要な一本だ。ならば、もし、そのセシリオが壊れたら、セシリオが私になったら、セシリオが消えてしまったら、この世界はどうなるのだろう。あの城のように崩れていくのではないのか。


 私のせいで、崩れていく。


 そのことが死ぬことよりもずっと恐ろしかった。セシリオであれば死ぬのはセシリオだけ。でも崩壊した世界が、私の死だけで済むとは限らない。何の関係もない人が巻き込まれ、消えていく。どうしようもなく恐ろしかった。

 そんな思いがいっそう高まったのは、第二皇子に会ったときだ。愚かながら、この人とは必ず別れがくるとわかっていながら、私は彼に恋をした。初めて私に微笑んでくれた彼に、他人に聞こえるんじゃないかってくらい胸が高鳴って、何も考えられなくなって、目を離せなくなった。一緒になることなどないと、わかっていたのに。

 駄目なのだ。彼は絶対に生かさなければ。どのルートを辿っていたとしても、セシリオが生きているより死んだ方が幸せであるのはわかりきったこと。世界を崩壊させて彼に何かあってはいけない。私は、セシリオでいなければ。


 ゲームの設定通り、私が第二皇子の婚約者になると義弟ができた。身を飾ることしか考えない母を嫌う父があまり家に帰ってこないからだ。当然、世継ぎは望めない。

 彼、カイルが義弟になってすぐの頃は母は徹底的に彼の存在を認めなかった。彼が愛人の子だと疑い、自身の立場が危うくなるのを危惧していたのだ。しかし、彼が成長するにつれて美しくなるのを見て態度が変わった。あからさまな媚を売るようになったのだ。彼が当主になったときの立場を確保するべきだとやっと気付いたのだろう。

 私といえば、来た当時も今も変わらず、距離を保った生活を送っている。話しかけてくる義弟を無視し続け、同じ空間に居ればすぐに移動する。別に義弟に対してというわけではないのだけれど。


 寮の自室まで戻れば、扉の前に侍女が控えていた。彼女の足元には食材が積まれている。侍女は私の姿を確認すると、頭を下げた。


「邪魔よ」


 そんな侍女を退けて、食材の入った木箱を持って部屋の中に入る。侍女を中には入れない。私は身の回りの世話を他人にされるということが許容できなかったのだ。

 人に触れられるのが嫌だった。確かにそこに存在していることを認知するようで。化粧をしていない顔を見られるのが嫌だった。その顔はセシリオではないように思えて。ずっと誰かがそばに居ることが嫌だった。今にも私がセシリオでないことがバレてしまうようで。

 侯爵令嬢にあるまじき行為ではあるとわかっているけれど、私は自分のことは自分でやった。着替えも湯浴みも食事の準備も化粧も。本当なら生活用品の調達までやりたかったのだけれど、私にはお金もつてもないので流石にできなかった。

 食材を片付け、軽く夕食を作る。それを食して、私はベッドに腰かけた。

 ベッドから少し離れた場所には小さな机がある。その上にトランプタワーとナイフを置いてあり、トランプタワーが風で崩れないようにガラス張りの覆いがある。

 本当はマッチ棒で作った城を置きたかったのだけれど、私には作れなかった。ナイフはゲームでセシリオが握っていたものと同じものを用意した。


「……潔癖であれ。傲慢であれ。非道であれ。セシリオであれ。私はセシリオ」


 トランプタワーを見ながら、何度も呟く。こうやって言い聞かせないと、私という存在が出てこようとする気がして。寮母が点呼に来るまで言い聞かせるのが習慣になっていた。

 寮母が点呼に来てから、風呂へと入り、化粧を落とし、着ていた服を全てごみ袋へと詰め込み、布団へと入る。

 制服くらいは流石に着回しをしなければ駄目だろうとは思ったのだけれど、駄目だった。一度着たものはどうしようもなく汚く見えた。私という異分子が着たものをセシリオに着せてはいけない。そう思うと、無意識に着ていた服をごみ袋に詰め込んでいた。人と触れないようにと着けている手袋も、一度外してしまうとどうしても着けることができなかった。

 起きる前に見る夢はいつも同じ。崩壊していくマッチ棒の城。それと同様に私の足元も崩れていく。気付けば真っ暗な場所でひとりぼっち。どうしてあるのかわからない鏡に、真っ赤な口紅をつけた女が映る。それから嗤うのだ。


「あなたのせいよ」


 ハッと目を覚ませば、自分の荒い息づかいが聞こえる。まだ明るくもなっていない。シャワーを浴びて汗を流し、化粧台の前に座る。化粧もしていない顔を見るのが嫌で、急いで化粧をする。

 眉をつり上げ、目元はキツく。最後に真っ赤な口紅をのせる。それから見下すように笑えば、ゲームと同じセシリオ。それを見てやっと安心する。

 目覚ましが鳴るまで、私に私がセシリオであると言い聞かせる。

 何の代わり映えのしない日常。


 私が高等部二年生になってから一週間。図書室に向かう途中、婚約者の姿を見かけた。それから太陽のように笑う少女。

 そういえば、これがセシリオとヒロインの最初の出合いだったか。そんなことをぼんやりと考えていれば、ヒロインが何もないところで躓いた。それを婚約者である彼が支える。

 確か、この場でセシリオは……


「何もない場所で転ぶなど愚かですこと」


 ヒロインが顔を真っ赤にするのを見て、私は視線を前に向けた。それから二人を無視して図書室へと向かう。そんな様子を見て、誰かが何かを言う。そんなことは気にせず、セシリオらしく堂々と歩く。

 わざわざヒロインの様子を窺わなくても、イベントの場には勝手に遭遇するらしい。セシリオの台詞も多分、大丈夫。あとは覚悟をするだけ。


 それから着々とゲーム通りにイベントをこなし、二学期を迎えた。会うたびに増えていく取り巻きを見て、彼女は逆ハールートを辿っていることを予測する。

 ゲームの折り返し地点である文化祭。この時点でルートを完全に選び、あとはハッピーエンドに向かうために私の不正を明らかにするための準備をする。文化祭は全員のパラメーターを上げるために大いに役立つイベントなので、私はほとんど出てこない。出番は誰もが強制参加である後夜祭のパーティだけ。

 文化祭を楽しむ気にもなれなかったので、立入り禁止の屋上に潜り込み、ぼんやりと空を眺めて過ごした。


 一度、寮の自室に戻り、今日のために用意した真っ赤なドレスを身に纏う。パーティといっても誰もが楽しむためのものであって、本格的なものではない。婚約者は基本ペアで入場するが、恐らく私たちは別々だろう。そもそもそんなに仲が良いとは言えないのだから。

 人の多い場所を通るのが嫌で、人気のない場所を選びながら会場へ向かう。静かな道をヒールの音を立てながら歩いていると、前方に人影が見えた。思わず、足を止める。


「こんなところに居たんだね、セシリオ」

「……殿下。すでに会場に入られたのではなかったのですか」

「婚約者のいる身なんだ。君と入るのが当然だろう?」


 確かに間違いではない。けれど、ゲームではどうだったろうか。いまいち思い出せない。もしかしたら、入場するシーンはなかっただけで、一緒に入場していたのかも。

 殿下との間を開けながら歩く。特に会話はない。

 会場の入口には教員が出席確認のために数人立っていた。さっさと中へ入ろうと足を早めようとしたとき、突然、手を掴まれ、腕を組む形にさせられた。

 急いで腕を退こうとすると、彼が私を覗き込むように見る。


「駄目だよ、セシリオ。私をエスコートもできない男にさせる気かい?」

「そのような、わけでは……」

「君が人に触れられるのを嫌っているのは知っているけれど、少し我慢してくれないかな」


 殿下の評価を下げる気はないのだ。セシリオが婚約者で可哀相、と思われるようにしなくては。

 私が頷けば、殿下が微笑む。胸が高鳴って、思わず離れそうになるのをぐっと我慢する。私はセシリオ。あくまでも嫌なのを我慢するのよ。胸が高鳴りなんて、気のせい。ずきずきと痛む胸を無視して、堂々と立ち振舞う。

 教員のもとで確認を終え、扉を開ければ、殿下を迎える拍手に会場が包まれた。

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