その4
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B組にも探りを入れてみたが、メアドと合致する機種の携帯を持っている生徒はいなかった。松村という生徒がいたE組でも、他に同じ機種の携帯を持っている人はなく、現時点では二人しか見つけられていない事になる。
これで残るはC組だけとなった。B組の教室を出てそこに向かおうとすると、D組で聞き込みをしていたはずの市川が、一人の男子生徒を連れて駆け寄って来た。
「将彦、どうした」
「いや、聞き込みを続けていたら、C組に例の携帯を持っているやつがいるって情報を入手したんだ」
それがどうやら、市川が連れているこの気弱そうな少年らしい。あまり強引な事をやってほしくはない。相手に警戒心を持たれたら、こっちが質問しづらくなる。
「で、こいつがC組の高瀬。大丈夫、すぐ終わるから」
市川の後半のセリフは高瀬という生徒に向けたものだ。しかし、相手を安心させる効果は薄すぎた。明らかに何事かと戸惑っている。
とはいえ、C組に探りを入れる手間が省けたのは、素直にいい機会と思うべし。わたしは押しの強い態度をなるべく控えながら、彼に質問を始めた。
「ごめんね、急に連れ出されてびっくりしたでしょ?」
「え、ええ、まあ……」緊張した面持ちで高瀬は答える。
「何しろ、うちのクラスでも特に空気の読めない奴として有名だからね」
「いや、それいま言わなくてもいいような気がするけど……」
市川が困惑し、功輔が腹を抱えて笑う。少しおどけたことで、高瀬は緊張感が和らいだようだ。話を切り出すならこのタイミングだろう。
「それでね、あなたにちょっと聞きたい事があって。答えられない事情があったら、無理にとは言わないから」
「は、はい、何でしょう……」
同級生の女子を相手に、さっきから及び腰だなぁ。昨日風戸先輩に手厳しく言われていた一、二年生と同じだ。
「あなたが持っている携帯って、大手のやつじゃなくて、あまり見ない機種らしいね。なんでそれを選んだのか、差支えなかったら教えてほしいんだけど」
「いえ、たいした事では……僕の自宅の近くに店があったから、選んだだけで。何かトラブルがあった時、すぐに持ち込めますから」
少なくとも前の二人よりは、だいぶ説得力のある理由だ。
「それで、実際にトラブルとかは? わたし達、それを調べているんだけど」
目的を正直に話したら、さらに警戒心が薄れたようだ。今度は躊躇うことなく答えてくれた。
「あ、今の所は、問題ないです。そんなに毎日使うわけでもないですし、その辺はあまり心配していないんですが」
……そう、使った経験が浅いせいか、それとも無垢なせいか、この手の問題が自分の意思と無関係に生じる事を、高瀬という生徒は知らないみたいだ。この種の人に限って、悪意を持った連中の犠牲になってしまうというのに。
嘘で言った事が本心にすり替わる事はよくある。わたしは、やがて純粋な期待を裏切られるであろう、目の前の少年を取り囲む不条理な実情に目を細めたくなった。多分これから二度と言葉を交わす事もないのだから、感情移入する筋合いなどないのだが。
いや、今はそんな事を考えている場合じゃなかった。
「そうですか、ありがとうございます。あ、最後に一つだけ」
「はい」
「これはもう全然関係ないことなんだけど、実はわたしの机の中に変な紙が入っていたのよ。このくらいのメモ用紙にメアドだけ書いてある……」わたしはまた、指で四角を作って言った。「多分誰かの悪戯だと思うんだけど、そういう事をする人に、心当たりはないかな」
「うーん、ないですね……」
高瀬は少し考えてそう言った。だが直後に、思い出したように顔を上げた。
「あ、でも……もしかしてあなたは、D組の人ですか?」
「そうだけど?」
特に不思議だとは思わなかった。彼を連れてきた市川がD組だと知っているだろうし、隣にいる功輔がD組だということも、交友関係の広さを考えれば、知っていてもおかしくはない。一緒にいるわたしも同じクラスではないかと思うのは至極自然だ。
「関係あるかどうか分からないんですけど、一昨日、宿題忘れて居残りしていて、それが終わって帰ろうとした時、D組の教室の前に人がいるのを見たんです」
宿題忘れて居残りさせられたなんて、中学校に上がってから一度も聞いた事がない。ここでもあるのだな……って、
「え?」
わたしは少しだけ身を乗り出した。功輔も視線を向ける。
「なんか、しきりに教室の中を覗き込んでいて……変だと思ったんですが、急いで帰りたかったので、そのまま……」
「何時ぐらい? その人を見たのは……」
「もう六時を過ぎていたと思いますけど」
「誰だか分かる? 分からなかったら、何か特徴だけでも……」
押しの強い態度は控えるつもりでいたのに、手掛かりが得られそうだと分かった途端に詰め寄りそうになってしまう。わたしもまだ演者になりきれていないな。
「う、うん、一応知っている人だったよ」戸惑いながらも高瀬は答えた。「体育の時、同じグループになった事があって……確か、A組の沢部くんだったと思う」
「沢部だって?」
功輔が声を上げる。馬鹿、本人に聞かれたらどうする。
「それは確かなの?」わたしは功輔の口を手で塞ぎながら訊いた。
「うん、間違いないと思うよ。向こうは多分気づいてないと思うけど」
意外な情報が飛び込んできた。早すぎる展開に、わたしは混乱しかけていた。そうしているうちに、廊下の人の数が少なくなってきた。
「あ、もうそろそろ授業が始まるよ。ええと、質問は……」
「もう大丈夫。色々ありがとね」
高瀬は軽く頭を下げると、C組の教室へと小走りに去って行った。そういえば、どこかの時点から敬語を使わなくなったような気がしたけど……。
さて、それから数時間経って放課後を迎え、今日の調査の成果について話し合う運びとなった。誰が言い出したわけでもなく、ごく自然に。
「それで、結局うちのクラスには一人もいなかったのか」と、功輔。
「ああ、事情を知っている人ばかりだから、意外にすんなりと聞けたよ。残念ながら、さっきの高瀬って奴が持っているという事以外、何も分からなかったけど」
「まあ、元々可能性は低かったし。特に弊害もなさそうな所を任せたからな」
「うーん、体よく扱われた感が凄まじいな」
市川の調査能力は未知数だったからなぁ……大役を任せるわけにはいかないのだ。
「それより、どう思う?」と、わたし。「一応三人に絞れたけど、この中に送り主がいると思う?」
「もみじの質問でも、特にこれといった反応をした奴はいなかったな。ただ、高瀬の証言によれば、沢部が一番怪しい」
「でも、仮に沢部くんが送り主だとしても、高瀬くんが見たっていう行動の説明はつかないと思うよ。机に入れたら、すぐにその場から離れそうなものだけど」
「だよな。他人の机に物を入れるわけだし。俺がラブレターを送る立場になっても、そうするだろうな」
「へえ……功輔もそういう人の気持ちは分かるの?」
「偏見を持つな、偏見を。実際に送った事はないけど、想像する事は出来なくもないさ。ただ、確実に届けようとするなら、俺は下駄箱の中に入れるな」
「面白みの欠片もないわね」
わたしがそう言うと、功輔は唇を尖らせた。そこに、くすくす笑いながら綾子が歩み寄って来た。
「男の子って、意外とプライドが高いものよ。口には出さないけど。だからすげなく断られる事も想定して、手渡しなんて手段はまず選ばないし」
「綾ちゃんって、そんな経験あったっけ?」
「全然」綾子は笑顔でかぶりを振った。「でも、友達からその手の話は聞いた事があるから。逆に女の子は、机や下駄箱に忍ばせるっていう手段はむしろ取らないわね。多少恥ずかしくても人に渡すわ。本人に渡す事もあるし、誰これに渡してくださいって言って他人に預ける事もあるし。だから逆に言えば、ラブレターの渡し方はそれが普通だと思ってる節があるんじゃないかな」
そういうものなのか。わたしはそもそもラブレターというものに関わった事すらないから、渡し方にパターンがある事なんて考えた事もなかった。
「もっとも、例外がないわけでもないけどね。シャイな女の子は下駄箱に入れるし、逆に押しの強い男子は相手の顔色も見ずに直接渡すからね」
「それなら功輔は普通の部類に入るね。ヘタレだけど厚顔無恥ではないし」
「お前ら、寄って集って俺をいじりやがって……」
功輔は頬をぴくぴくと引きつらせていた。
「それで、ラブレターの相手は見つかりそうなの?」
綾子も気になっていたようだ。わたしが巻き込まれたとなれば、ラブレターを巡る動向に興味を惹かれても無理ならない事だろう。
しかし……感触は微妙と言わざるを得ない。候補である三人の誰が送り主だとしても、その相手には全く想像が及ばない。三人とも、恋愛に絡んでいる様子がなかったのだ。
「なんかどいつも、しっくりこないって感じだな」功輔は髪を掻きながら言った。「もみじがそれとなく、自分の机の中にメアドの書かれた紙が入っていたって言ったけど、特に目立った反応をした奴はいなかったな」
「じゃあ、その人たちの中に送り主はいないの?」
「そうとも言い切れない。暗にラブレターの事について訊いていると気づけない、鈍感な奴だったかもしれないし」
功輔もなにげに口が悪いな。
「まあ、今日一日で何か分かれば苦労はしないよ」
「でも……」わたしは手元のラブレターを見た。「わたしは、なるべく早く渡したいかな。いつまでも手元に置いておくのはアレだし」
「あ、当事者は無視できないか」
「それにしても、坂井陛下はずいぶんお人好しであらせられる」と、市川。「どうしてそこまで面倒な事をするのか……ラブレターの相手に渡したけりゃ、その三人の誰でもいいから問い詰めて白状させればいいんだよ」
「それは完全に逆の効果をもたらすぞ」功輔は呆れ気味に言った。
「野蛮人のおバカな助言を聞く暇はありません」
そう言って、わたしはカバンを肩にかけて椅子から立ち上がった。
「あれ、帰るのか?」と、功輔。
「剣道部があるもの。もうすぐ大会だから忙しいのよ。功輔のところだって、練習で忙しいんじゃないの?」
「それはまあ……。これでもスーパーサブとして期待を寄せられているんだ。鍛錬は欠かさずやらないとすぐに衰えるからな」
やけに鼻高々に主張するな、功輔よ。頑張っているならそれでいいけど。
「一般論だけど……」綾子が口を開いた。「男の子が一つの分野で成果を挙げようと熱心になるのは、女の子の気を惹こうとする一面があるとか」
「ちょっと待て。俺は別に……女子の気を惹くためとかじゃなくて、ただ好きで続けているだけであって、そこに色恋沙汰を取り込んでいるわけでは……」
「だから、一般論だって」
明らかに取り乱している功輔を見て、綾子は面白そうに笑っていた。綾子は基本的に温厚だけど、時々こうした悪戯好きの面が垣間見える。それにしても、この功輔の狼狽ぶりは何なのだろう。というか、綾子はなぜ突然そんな話を?
よく分からないことが多いが、わたしにも色々課題が山積みだし、いつまでもこの話に関わるわけにはいかなかった。早く部活に顔を出したいし。
「悪いけど、わたしも色恋沙汰に興味はないから。じゃあね」
「じゃあねぇ」
綾子の声。わたしは振り返らずに手を軽く振った。
六時を回った頃に、ようやくわたしは自宅へ戻って来た。
ああ、疲れた……。わたしは自室に戻るとすぐに、制服を着替えることなく、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。今日も練習、もとい下っ端の指導はハードだった。風戸先輩が間断なく部員の相手を指名してくるものだから、そしてわたしはなぜか彼女に逆らえないから、次々と対戦を受けてしまう。全部勝ったけど。
これは……中総体までにスタミナが持つのか、不安になってくる。そのくらいの事は風戸先輩も考慮してくれるだろうが。
まだ夕食は済ませていないけど、まずは一眠りするか……。重い瞼が下がりそうになったその時、玄関のチャイムが鳴った。そうだ、確かキキを呼んでいたんだった。一気に眠気が吹き飛んだわたしは、その足で部屋を飛び出し、階段を下りて玄関に向かう。
「こんばんはぁ」
「あらキキちゃん。いらっしゃい。ずいぶん久しぶりじゃない?」
母さんが出迎えてくれていた。見ると、キキはビニール袋を手に提げていた。
「よっ、キキ」わたしは階段から軽く手を挙げた。
「あ、もっちゃん。お邪魔するよ」
「だから、もっちゃんと呼ぶのはやめろ……てか、その袋は?」
「これ? 近くでたこ焼きの露店やってたから、お土産買ってきた」
律儀にお土産を持ってここに来るとは、キキらしいというか。
「あらあら、わざわざどうもありがとう。今日のおやつね。さあ、あがって。もみじの部屋で食べるといいわ」
「はい」キキは笑顔で答えた。
母さんはキキの事をとても気に入っている。一人娘の可愛い友達。人当たりもいいためかなり好印象だ。同じ学年の中で特に好印象の功輔に、調査を付き合わせなければいけなかったわたしは、少し肩身の狭い思いだ。
キキを自室に連れ込む。これまで何度もあったが、最近連れ込んだのはいつだったか、思い出せないくらい昔の事のような気がする。
「それで、今日の成果はどうだったの? ラブレターの送り主探し」
そうそう、それを話すためにわざわざ家に招いたのだ。わたしは、今日起きた事をなるべく正確に話した。説明力にそれほど自信があるわけじゃないけど……。
話の所々で、キキは頷いたり顎に手をあてたりしていた。わたしの話を聞きながら、頭脳をフル回転させて考えているみたいだ。
「……というわけで、ラブレターの相手については見当もつきませんでした。以上です。これらの情報から何か分かる事はある?」
「まあ、ある程度は……だけど、まだ足りない事も多いかな」
「足りない事って?」
「封筒だよ。ほら、もっちゃん言ってたでしょ。どこかで見たことがあるって」
「どこにでもある封筒だからね、って言ったのはあんただけど」
「そうだっけ」キキはすっとぼけた。「一応思いつく答えはあるんだけど、どうしても封筒の事で矛盾が出て来て……」
「答え、思いついてるんだ……。でもそうか、まだまだ調査が足りないか」わたしはベッドに寄り掛かった。「じゃあ、具体的に何を調べればいい? ……って、キキ、どうしたの?」
キキはなぜか、わたしの机の前の壁に貼ってある、時間割表に視線を向けていた。
「あれ、四中の時間割?」
キキが尋ねた。四中とは四ツ橋学園中の略称だ。
「まあね。二年生になったらずいぶんコマ数が増えたよ」
「“学活”っていうのがあるけど。小学校から継続してるの?」
「私立だから何でもあるんだよね。主にクラスの結束力を高めるための授業をするんだけど、結構色々やるんだ、これが……」
昨今、全国で散見されるいじめの問題に対して、四ツ橋学園中で独自の措置として組み込んだものだろう。集団意識の強化は逆効果のような気もするが。まあ、この授業で執り行われるのは、集団で取り組むものばかりでもない。例えば……。
「手紙を書く、とか?」キキが言った。
「そうそう、先週はまさにそんな授業があって……って、ああ!」
わたしは思わず叫んだ。でもキキは驚かず、なぜか不敵に笑っていた。
「思い出した。あの封筒、その授業の時に先生が用意したものだ! 確かまだ引き出しに……ほら、全く同じだよ!」
慌てて机の引き出しから取り出した、いびつな文字の書かれた封筒。例のラブレターの封筒と見比べてみると、寸分たがわず同じものだった。
「これ、どういう事? ていうか、なんでキキは分かったの?」
「もしかしたら、って思っただけ。ようやく、謎が全部解けたから」
キキは微笑んだ。これ以上ないというくらいの、充足感に満ちた笑み。わたしはその笑顔に、またも心が揺り動かされてしまう。情けない事である。