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No title  作者: 深井陽介
2/5

その2

<2>


 四ツ橋学園中の運動部は、中総体に向けての練習や調整で大忙しだ。わたしが所属する剣道部もその例に漏れず、その日もハードな練習が続いた。といっても、練習の時間が長いだけで、内容がスパルタになっているのは主に、結果にムラのある一、二年生だ。わたしだって二年生だけど、ほぼ負け無しなので、むしろわたしがスパルタを与える状態となっている。

 目の前に立っている人の名前をわたしは知っている。腕に力を入れすぎて、体全体の動きにしなやかさが欠けている。いつも踏み込みが甘いのだ。わたしは、相手の隙を甘く攻める。何度も攻める。予想通り、相手は意識しないうちに守りに徹してしまい、攻撃のタイミングを計れなくなってきたようだ。

 そろそろ終わらせるか。わたしは、留守になっていた小手に竹刀の制裁を加えた。相手は為すすべもないといった感じだ。弱いのは技術じゃなく、気持ちの方だな。

 両手を叩く音が脇から聞こえてくる。面を被っているとよく見えないが、わたしの近くで見ていたのは……。

「はい、そこまで。指導役、途中から本気になってなかった?」

 我が部の副部長にして指導長、風戸(かざと)先輩の声だ。その先輩に指導役と言われているのは他ならぬわたしだ。そう呼んでいるのは風戸先輩だけだが。

「少しじれったくなってきたので」

「貴女は攻撃も鋭い。相手に隙を見せない。どんなに攻められても物怖じせず、果敢に向かって行く度胸もある。けれど、器量は相手に応じてコントロールしないと」

「最初はこれでも手加減しましたけど」

「どこが。この子、完全にすくみ上っちゃってるわよ」

 まあ、そうなるように何度も隙を攻めたのだが。

「貴女も貴女よ。なに、そのお婆さんみたいな腰の曲がりようは。サンドバッグ叩いてる新人ボクサーの方が、よほどいい姿勢になってるわよ。鏡を見ながらもう一度確認しなさい。あと、相手が強いからって、攻撃の手を緩めない事」

「でも……そもそも勝てる見込みがなくて……」

「攻撃しても跳ね返されるから無駄だって? 逃げるくらいなら最初から戦わない方がよほどマシよ。剣術は戦いの道具じゃない、精神修養なのよ」

 相手はわたしと同じ二年生だが、風戸先輩は誰に対しても同等に厳しく、誰に対しても同等に優しい。この人は叱っているのではなく、まして怒っているわけでもない。部員の足りない所を補おうと必死なのだ。

 わたしはせいぜい、技術の指導しか出来ない。でもそれだけで指導役になれるかどうかは甚だ怪しい。そこが風戸先輩とわたしの違いだ。だから、一度勝利を得た相手であっても、この人には敵わないな、と思ってしまう。

「それじゃあ坂井さん、今度は坪内(つぼうち)さんの相手をお願いね」

「え、今日だけでもう二十人は相手にしましたけど」

「坂井さん。剣術は精神修養。勝ち負けや試合の数に拘るのは、貴女らしくないんじゃない?」

 そう言われると反論の余地はない。今は試合に向けた正念場。少しの油断が失敗を招く事は分かりきっていた。

 勝つのは嬉しい。それは普通の反応だ。試合でも練習でも同じ事だ。けれども、重ねすぎるとそうした感情も薄れてしまう。月日を重ねてしまえば、入学当初の楽しみや不安が薄れてしまうように。


 そういうわけで、わたしの帰宅は夜六時を回ってしまった。近所付き合いのある功輔と一緒に帰る事もあるが、奴は先に帰ってしまったようだ。サッカーグラウンドに人の気配は全くしなかった。

 夜道を女の子が一人で帰るのはあまり好ましくないが、わたしの場合、素手でも十分に対抗できるので、それほど自分の心配はしていない。それに、今の時期は一人で帰るのも決して悪くないと思っている。

 五月に入ったばかりのこの時期、町中の緑地公園に植えられた桜並木は、花びらがほぼ散ってしまっている。夜間は桜並木がライトアップされていて、満開なら公園を囲む舗道を歩きながら眺められる。役所もたまには気の利く事をしてくれるじゃないか、と思うなかれ。このライトの設置は、地域住民が少ない資金を集めた結果だ。役所はただその許可をしただけだ。

 しかし、桜の見ごろはつい先日、終わってしまった。だから連日連夜のライトアップにもかかわらず、この公園に集まる人はほとんどいない。それ以前に、花見は誰彼かまわず大勢でやるのが最もいいと考える人が多勢であるせいか、かなり前から花見のブームは終わっている。ここに来ると、美しく照らされた桜を独占できたのだが、今年はもう見ることもないだろう。

 わずかに残った花びらが舞い散る。わたしはどちらかと言えば、誰にも邪魔されずに一人で眺めたい。もちろん、一緒に眺めてくれる友達がいれば、それはそれでいいけれど。

 …………あ、誰かいる。

 一本の桜の木の下に、どこかで見たことのあるカバンが置かれていた。どこかで、というかわたしはよく知っている。わたしが通う四ツ橋学園中から、もっとも近い所にある公立の中学校、燦環(さんかん)中学校の指定バッグだ。

 しかもストラップまで見覚えがあった。というか、忘れる道理もない。あれはわたしが、あいつの誕生日にプレゼントしたものだからだ。

 間違いなくあいつのカバンだ。いや、一応待ち合わせのメールを送っていたから、いないと逆におかしいのだが……なぜか姿が見えない。

「キキ、どこにいるの?」

 わたしは、近所迷惑にならない程度の声で言った。

「ここだよー!」

 あいつは、近所迷惑になりそうな大声で言った。そんな大声で呼ばなくても、真上にいるのだから十分に届くと思うが。

「何で、木に登ってるの?」

 わたしは真上を見上げて言った。葉桜に隠れていて姿はやはり見えない。いるのは確かだけど。

「それが、風で帽子が飛ばされちゃって。今、必死で取ろうとしてるところ」

「あんた……木登り出来たんだ」

「もっちゃん、わたしだって木登りくらい出来るよ!」

「…………ちなみに訊くけど、登り始めたのはいつ頃?」

「うーん、二十分くらい前かな」

 わたしは呆れて声も出なかった。風に飛ばされて木に引っ掛かったと言っても、登って取ろうとするくらいだから、せいぜい高さは三メートルと言った所だろう。それだけを登るのに二十分もかけるか……普通、登る前に諦めそうなものだけど。

 彼女はわたしの一番の親友だ。長く整った黒髪と小さめの顔。初対面の人の多くが目を留める、中学生らしからぬ可愛らしいスタイルの持ち主。わたしは、彼女ほど『高嶺の花』という言葉がふさわしい同級生を知らない。可愛らしいのは見た目だけでない。多少天然である事も加わってか、行動もとても可愛げがある。

 小学校低学年の時に知り合い、以来長く行動を共にしてきた、いわゆる『竹馬の友』である。本当は、中学校も同じであればいいと思っていたのだが、諸事情が重なって同じ中学校には行けなかった。彼女の学力も至って普通だが、四ツ橋学園中のラインには届かなかったのかもしれない。

 それでも休日は頻繁に会っているし、帰宅ルートが重なっている事もあり、タイミングが合えば一緒に帰る事もあるのだ。もっとも、今日は偶然などではなく、わたしからキキを呼び出した形になったのだが……。

 とにかく、そういうわけで、わたしとキキの友情関係は現在も継続中なのだ。

「で、いつになったら取れそうなの、帽子」

「もう少しで届きそうなんだけど、どうしても届かなくて……」

 キキは、平均よりやや背が低いくらい。そして、運動神経は驚くほど鈍い。だからわたしは、どのくらいの時間、この木に登っていたのか聞いたのだ。跳び箱を飛べばそもそも一段目にも到達しないことが多いこいつが、果たして難なく木登りなど出来るだろうか、と思ったのだ。結果は、見ての通りだ。

 わたしはため息をついた。剣道部の一、二年生には、技術や勝敗にムラがある人がいる。一方でこいつは、頭の閃きにムラがある。たまに誰も思いつかないようなアイデアを出す事があるが、それが今は発揮されていないらしい。

「キキ、そのまま枝を揺らせば? 引っ掛かっているだけなら、それで落ちるでしょ」

「そっか。ありがとう、もっちゃん!」

 もう一つ、こいつはわたしの事を“もっちゃん”と呼ぶ。キキと話をするのは楽しいが、唯一、これだけは閉口している。もっとも、名前の最初の文字に“っちゃん”をつけるのは、わたしに限った事ではないのだが。

 キキが枝を揺らすと、十秒も経たないうちに、どこに引っ掛かっていたのか分からない帽子が落ちてきた。それだけ今の桜は緑葉が茂っているという事で。

「やった、取れた! ん、お、おおっ……?」

 警告はしなかったが、木に登って枝を揺らすなら、しっかりと枝に掴まっていないといけない。さもないと。

「だっ! いったぁ〜」

 この通り、三メートル下の地面へと、自分も落ちてしまう。幸い、落ちたのは草地だから、たいした怪我ではないだろうけど、まあ、痛いだろうな。

「へへへ……わたしまで落ちちゃった」

 どうしてそんなに笑顔でいられるのか。わたしは呆れると同時に、その可愛らしい笑顔に少し見とれていた。ちなみに、落下のはずみかどうか知らないが、その体勢のせいでスカートの中がわたしから見えてしまっている事については、相手の名誉のためにあえて言わなかった。

「それで、何の用?」

 キキは小さな顔をちょこんと傾けた。


 わたしはキキと並んで歩きながら、今日起きた出来事についてキキに話した。

「ええっ! もっちゃんにラブレタぁっ? だ、誰がそんな不埒(ふらち)な事を!」

 キキはいきなり暴走を始めた。

「落ち着いて。確かにわたしの机に入っていたけど、中身を見たらわたし宛じゃない事が分かったから」

「なんだ、間違えていたのか……」

 ほっと胸をなで下ろすキキ。なぜこいつがそんなに動揺したのか分からん。というか、なぜわたしにラブレターを送ったら不埒なのだろう。

「それで、誰あてのラブレターだったの?」

「それがね、宛名も差出人の名前もなかったのよ」

「え? それはそもそも手紙としての体裁(ていさい)を成していないんじゃない? 返事を書こうにも書けないじゃん」

「一応、差出人のメアドは載っていたけど、名前が分からないんじゃ、返事も書きにくいよね。色々変なのよ、その手紙」

「ふーん。それで、わたしに相談って?」

「その手紙を送りたい相手を調べて、まあ……何とかしようと思って」言って初めて、何も考えていない事に気づく。「他人の色恋沙汰に干渉するのは気が引けるけど、乗りかかった船だしね」

「それで、なんでわたしに? クラスメイトでもいいんじゃない?」

「それも考えたけど、あんたなら何か閃いてくれるかなって思って」

「本当にそれだけ?」

 キキが上目づかいにわたしを見る。あまりに魅力的で、同性にもかかわらず、どきっとしてしまう。これで頭もいいなら、キキは詐欺師に向いているな。なってほしくはないけど。

 キキに相談した理由がそれだけか、と言われたら、自分でもよく分からない。多分わたしは、ただ純粋にキキと話したかったのだろう。

 休日や帰り道で会う事はあるけれど、それでも学校が同じだった時と比べれば、やはり頻度は低くなっていると言わざるを得ない。小学校の時は、学校で話す機会がとても多かったのだ。関係は継続しているけど、それでもわたしには、いつか疎遠になってしまうのではないかという不安が、常に付きまとっていた。

 何かの理由につけて、キキと顔を合わせたかった。きっとそれが本音だろう。だけど、それを言葉で表現するのは非常に難しい。相手が付き合いの長いキキだから、なおさら難しい。

「ま、まあ……他に頼れる当ても無いから。ところで、キキはどう思う? このラブレターの話」

「そうだなぁ……わたしも何とかしたいけど、差出人の名前もないんじゃ……。ねえ、そのラブレター、まだ持ってる?」

 そういえば現物を渡していなかったな。わたしはカバンから例のラブレターを取り出し、キキに渡した。

 キキは受け取った手紙を、しばらく回したりして眺めていた。

「シワシワになっているけど」

「あ、教科書とか突っ込んだ時に見つけたから……」

「へえ」キキは微妙な表情。「……ん? 封筒は真っ白だけど、中身は結構綺麗な柄があるね……」

「そう、それも気になってた。それに……」

「なに?」

「便箋はともかく、封筒はどこかで見たことがあるような気がして……」

「まあ、どこにでも売っていそうな封筒だし」

「それはそうだけど……。で、何か分かりそう?」

「まあ、便箋や封筒を売っている所を探して聞いてみるのもいいけど、多分それで送り主を見つけるのは無理だね。店員さんもいちいち覚えてないだろうし、教えてもらえるわけもないし」

「やっぱり無理だよね、これだけから差出人と送る相手を見つけるのは……。メアドがあっても、無断でメール送るのはやっぱり……」

「やめた方がいいね。変な誤解を招くかも」

「どうしたらいいかな……誰が送ったのかも分からないのに、これじゃ対処のしようがないよ」

「送り主なら分かるよ」

 …………え? わたしは自分の耳を疑った。

「書かれているメアドは携帯電話だと思うけど、それには普通、携帯を売っている会社の名前が書かれているはず。けれど、書かれているのは大手四社の名前じゃない。多分、あまり出回っていないタイプだと思う。二年生の中で、それに当てはまる生徒を探せばいいんだよ」

「なんで二年生だって言えるの?」

「送る相手の学年までは、どうやっても間違えない。そもそも教室のある階が違うからね。そして、手紙にはクラスの違いについて言及してあるけど、学年の違いについては何も言ってない。だから、送り主と相手は同じ学年だと思う」

 なんと……わたしは開いた口が塞がらなかった。ちょっと中身を観察しただけでそこまで見抜くとは。やっぱり、彼女を相談相手に選んだのは正解だった。いつもそうやって鋭い勘を働かせたらいいものを。

 とにかく、おかげで手掛かりを得られた。不可能と思えた状況に一条の光が差し込んだ。乗りかかった船だ、こうなったら最後までとことんやるしかない。

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