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No title  作者: 深井陽介
1/5

その1

※作者注

本作は、パソコンによる閲覧を推奨しています。スマートフォン等の小型端末の場合は、横向きにして読むことをお奨めします。

 <1>


 新しい環境に身を置いた時、その人の心境は様々だ。未来への期待に胸を踊らせる人もいれば、不安でしばらく縮こまっている人もいる。だけど、そんな気分も一年経てば、薄らいでしまうものだ。結果、胸を踊らせることも不安になる事も、ほとんどなくなってしまう。

 私立四ツ橋(よつばし)学園中学に入学して、早くも一年が過ぎた事を、制服の襟につけたクラス章を眺めているうちに思った。東京の学園都市の一つにも数えられると言われる星奴町で、唯一の私立中学校。特別に偏差値が高いとか、部活動が強く精力的であるとか、そういう事はない。ただし、雰囲気がいい。締めつけられるような事もなければ完全な無法地帯でもない。ありていに言えば、居心地がいい学校だ。進学校のレベルに惜しくも到達しなかった人たちの、ほとんどが希望する場所だ。

 当然、星奴町近辺では引く手数多で、倍率も、他の進学校ほどではないが、かなり高い。そんな学校に第一志望で入学できたとき、わたしは素直に嬉しかった。小学校からの知り合いも多数入学できたことも、その理由の一つだろう。装着を生徒の意思に任せている制服を、わたしは基本的にいつも着ている。この学校に入学できた嬉しさが理由である事は、言うまでもない。

 ただ、あまり喜ばしいことばかりでもない。先ほど、小学校からの知り合いも多数入学したと言ったが、もちろん全員ではない。中でも、一番の親友と同じ学校にはなれなかった。それだけが、唯一の心残りだ。

 とはいえ、学校で会えなくても、外では頻繁に会っているから問題はないのだが。

 それともう一つ、部活動が特別精力的ではないとも言ったが、例外もある。四ツ橋学園中の剣道部は、関東大会を制覇した事もある強豪なのだ。そして、わたしは入学当初から剣道部に所属しており、日々鍛錬を積んでいる。

 ちなみに、最近は対戦の度に敬遠されることが多くなっている。周囲からは感心されるよりも、むしろ恐れられている感じだ。まあ、入部初日で、関東大会の個人戦で優勝した人に一本勝ちしたら、それも無理はないかもしれないけど、果たして恐れるほどだろうか、と疑問に思う。

「それはもみじの、強弱の感覚が異常なだけだ」

 わたしの隣の席の机に腰かけて、腕組みしながら言うのは、わたしの幼馴染みの男子、外山(とやま)功輔(こうすけ)だ。所属はサッカー部。日中もほぼ毎日練習を続けた結果、狐色の肌の立派なスポーツ少年へと成長している。

 おっと、紹介が遅れたけど、わたしの名前は坂井(さかい)もみじ。わたしはこの名前をあまり気に入っていない。特に秋になると、開け放った窓からなぜか何度も紅葉が顔に当たって来て、男子から何かと冷やかされるのだ。

 幸い、今はまだ五月に入ったばかりで、間違っても紅葉の季節ではない。だからその手の冷やかしを受けることはないけれど……。

「だって、それからは別に強くもない相手とばかりやっているし、倒したら恐れられるような人とはしばらく当たってないけど」

「でもって、全戦全勝、なんだろ」

「なんであんたが知ってるのよ」

「知らなくても大体想像つく。第一、優勝者を負かした時点でお前の無敗は目に見えてるだろうが」

 そんな単純に決めつけられるものだろうか。

「よく分からないけど……でも強豪って称される割に、みんな大概一本で負けてしまうのよね。踏み込みが浅いというか……現状、わたしに一本勝ちを許していないのは風戸先輩だけだよ。後はみんな、面か小手で一本負け」

「……それ。今年度に入って何回やった?」

「うーん、十六回かな。竹刀でスパーンって」

「お前はししおどしか」

 一瞬で脱力した。功輔は時々、無意味で、かつたいして面白くもないツッコミをする。これはある意味でボケである。

 しかも、大抵どこかずれている。わたしは、どこかの茶室のそばに置かれているししおどしを想像した。確かに竹で出来ているし、叩いている。でも……微妙に違う気がする。

 わたしは少し白けた気分になったので、聞かなかったことにした。そんなわたし達の元に、眼鏡をかけたおさげ髪の女子が歩み寄って来た。

「なんか朝から盛り上がっているね。何の話してたの?」

 これが盛り上がっているように見えますか、(かなめ)綾子(あやこ)さん?

 彼女もまた、功輔と同じく小学校からの知り合い……という以上の間柄かな。つかず離れずの関係で上手くやっているというレベルかもしれない。

「別に、何の事はない。他愛無い武勇伝だよ」と、功輔。

「それ、意味的に矛盾してない?」

「気にしないで、綾ちゃん」わたしは功輔を指差しながら言った。「こいつ、国語は大の苦手だから」

「俺だって日本語はちゃんと話せるよ。馬鹿にするな」

 当たり前だろう、日本人だもの。

「いや、日本に限らず世界のどこでも、母国語が曖昧な人って結構いるみたいだよ。例えば功輔君、“にやける”って言葉の意味、分かる?」

「ニヤニヤするって事だろ。口元が緩んで笑うって感じかな」

 綾子がまさにそんな顔をしていた。わたしはこっそり、スマホで意味を調べてみた。確かに功輔が言ったような意味もあるが、それはごく最近に定着したただの若者言葉。正しくは、男が女みたいに色っぽい様子を指す言葉らしい。功輔からすれば、使う機会の全くない言葉だ。

 自分で言うのはアレだが、わたしはこの学校での成績は五段階中の三か四で、まあ平均的な部類に入る。功輔も、苦手な国語や文章題を除けばおおむね成績は悪くない。そんなわたし達に比べれば、綾子は成績上位に入る。特に国語は功輔と正反対で、自信を持って得意科目と言い切るくらいだ。

「じゃあ、“辛党”の意味は分かるかな」

「“甘党”の反対語だろ。文字通り、辛い物が好きってことで……」

 綾子はやっぱりニヤニヤしていた。今にも吹き出しそうな顔で。

「じゃあ……“失笑”の意味は分かるかな」

「……笑えない事じゃないのか。笑いを失うと書いて」

 綾子はこらえきれずに“失笑”した。これはわたしも知っている。今まさに綾子がやってしまった、おかしくて吹き出す事だ。

 さすがにこれ以上は功輔が可哀相だと思ったのか、綾子は腹を抱えて、何も言い返さずその場から離れた。女子なのに『武士の情けで』とでも言わんばかりに。綾子がそんな事を口にする様子を想像して、思わずわたしも“失笑”した。

「何なんだよ、あいつ……」

 功輔が訳が分からずぽかんとしていた。

憮然(ぶぜん)としておりますな」

「いや? 別に怒ってはいないけど……あいつの真意が読めないだけで」

 綾子がこの場にいないタイミングで言って正解だった。この会話を聞いたら、彼女はまた失笑しただろう。なぜなら、功輔が“憮然”の意味を取り違えているからだ。もちろんこれは、わたしが狙ってやった事だ。

 とはいえ、あまり勘の鋭くない功輔でも、綾子のあの態度を見れば、自分が何かやらかしたのではないかと思うことだろう。しかし、意外と見栄を張る性格の功輔だから、自分から辞書で意味を調べる事は多分しないだろう。誰か教えてやれよ、本当に。

 辞書と言えば、この学校では別に紙の辞書を推奨しているわけではない。だからわたしも、普段から電子辞書を使っている。さすがに、授業中に携帯やスマホを操作するのは禁じられている。辞書によって荷物がかさばる事もないため、わたしはいわゆる“置き勉”をしないタイプだった。

 そのせいで、一時間目が終わるまで気づかなかったのだ。わたしの机の中に入っていた、小さな事件の火種に。


 一時間目が終わり、教科書類を机の中にしまった時、わたしは異常に気付いた。奥の方で、紙がクシャと潰れる音がしたのだ。普段から机の中をほぼ空にしているし、間違っても紙を入れるような事はない。それなのに、身に覚えのない紙が中に入っている……。

 わたしは一度しまった教科書を取り出し、奥に手を突っ込んでみた。少し手触りの堅い紙に触れた。わたしはそれを取り出してみる。

 手紙だった。横長の封筒の両面とも、差出人の名前は書かれていない。一応糊で封をしているようだが、何の飾り気もない、言ってしまえば面白みのない封筒だ。

 何だろう……。わたしは封筒を指で叩いたり、天井灯にすかしてみたりしたが、結論から言うと、よく分からない。この行動にもあまり意味はない。

「もみじちゃん、それ何? クシャクシャだけど」

 何をしに来たのか、綾子がわたしの手元を見て訊いた。

「分かんない。封筒には何も書かれてないよ。わたしの机の中に入っていて、ついさっき気づいたんだけど」

 わたしがそう言うと、なぜか綾子は少し引いた姿勢になった。何だ、その信じられないものを見るような目つきは。

「も、もみじちゃん、それって、もしかして……」綾子はなぜか咳払いをして、周囲を気にしながら、わたしに耳打ちしてきた。「ラブレターなんじゃないの?」

「ラブレタぁっ?」

 わたしは思わず叫んでしまった。当然、周囲の目がわたし達に向く。

「馬鹿、叫ぶんじゃないよ……」

「ご、ごめん……でも、それが何でわたしの机に?」

「それは、やっぱり、もみじちゃん宛のラブレターって事なんじゃ……」

「はあっ? 何でわたしに?」

 また叫んでしまった。しかも、状況をかなり決定づけるようなセリフを。

「え、なに? もみじにラブレター?」

「うっそぉ……あのもみじに?」

「どんだけ勇気ある行動だと……」

「というより、あえて渡そうとする人がいるのか……?」

 聞こえてくる言葉はどれも、わたしの神経を逆撫でするようなものばかりだ。しかも、ラブレターが発見されれば、大抵は宛名の人を冷やかしたりするものだけど、なぜかそういう人は現れなかった。一向に。

 わたしは不意に功輔の様子を見た。まあ、隣席だから目につくのは当たり前だが、彼はなぜか、ずっと回していたシャーペンを誤って弾き飛ばし、自分の頭にぶつけていた。

 授業の合間にもかかわらず、わたしは好奇の視線にさらされながら、その封筒を開いて中の手紙を見た。封筒と違い、絵柄も入った綺麗な便箋だった。


 初めまして。突然、このような手紙を送った事をお許しください。

 あなたとはずっと違うクラスですが、僕は以前からあなたに惹かれていました。

 大人しめで清楚なあなたが気になっています。連絡先の交換をお願いします。

 返事はいつでも待っています。


 その文章の下に、メールアドレスが書かれているが、これにも差出人の名前はなく、アドレスからもそれらしいものは読み取れなかった。

 それにしても、大人しめで清楚なあなた……もしこれがわたし宛なのだとすれば、好いているくせになんて観察が足りないのだ、と思う。

「これ、多分間違って入れられたんだね。どう見てもわたし宛じゃないよ」

「大人しめで清楚、か……」功輔が横から覗き、わたしが着目したフレーズを読み上げた。「なるほど、確かにお前宛てではないな。絶対」

「そこまで強く納得されるとなんか腹立つ」

 わたしは功輔の耳を引っ張った。

「でもこれ、ちょっとラブレターとしては今ひとつじゃないかな」綾子が言う。「しかも渡したい相手の名前も書かないなんて、かなり致命的だよ」

「いてて……確かに、とりあえず自分の名前くらいは書くべきだよな」功輔は耳を押さえながら言った。「これじゃ、もらった相手は戸惑うだけだろうに」

 二人の言う事はもっともだ。この手紙には、不自然な点が結構多い。誰が誰に向けて書いたのか、そして、どうしてわたしの机に入ってしまったのか。後者についてはまあ、運が悪かったというだけかもしれないが。

 わたしは、この手紙をどうするべきか迷っていた。本当の相手に渡すべきか、それとも差出人に返すべきか。返した所で、何と言えばいいだろうか。

 残念ながら、わたしにはそういう事を考える力はない。元より、恋愛とかそういう事には、まず免疫がない。お門違いと言ってもいい。もしこのまま何も手立てがなければ、このクシャクシャになった手紙は、もっと悲惨な末路を遂げる事に……。

 その時、わたしの頭の中に、ふと思い浮かんだ人がいた。中学校に上がった所で惜しくも別れてしまった、わたしの一番の親友。どこか天然で捉えどころのない性格だが、幼少の時からなかなかの冴えを見せる事が多い。あいつなら、この手の話題に関しても何か閃くかもしれない。

 わたしは、内心かなり嬉々としている自分に気づいた。あいつと外で会えるというだけで、こんなにも胸が踊る。入学当初の気分など、比べ物にならないくらいだ。

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