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◎
ガタガタッ
「…ん。」
何かがぶつかる音が聞え、私の意識は現実世界へ引き戻された。
薄く目を開き、音のした方へ視界を揺らす。
「え?」
そこにいたのは口元を手で押さえ、床にお尻をついて座っている人物。腰まである長い金髪が、カーテンの隙間から照らされた月の光に反射してキラキラしている。部屋内が暗く、手で口を押さえているのもあって、はっきりとは分からないが、思い当たる人物はただ一人。
「オーロラ姫…?」
上半身をベッドから起こした私は、暗闇にまだ慣れない瞳で一生懸命目の前の人物を凝視した。思ったよりも小さかったその声は、無事目の前の人にも届いたみたい。びくりと体を震わし、目の前の人物はその場にすばやく立ち上がった。相変わらず手で口元を隠したままである。
「…………。」
「…………。」
沈黙がこの部屋いっぱいに充満し、二人とも何も話さぬまま数十秒経過した。私は働かない頭でぼーっとしたまま目の前の人物を見ている。一方、目の前の人物も私をじっと見ているようだった。
漸く沈黙が破られた。
「…君、何か言ったらどうなの。」
どうしてかムスッとした表情で私に声をかけたこの人は、やっぱりオーロラ姫だった。
なぜかって?それは今聞いた不機嫌な声や嫌そうな顔も数時間前に経験済みなのだ。だから目の前の人物はオーロラ姫に間違いなかった。
けれど一体なぜそんな態度なの?私は訳が分からず、オーロラ姫を見返すことしかできなかった。
すると焦れたようにオーロラ姫が話しかける。
「もしかして分かってないの?」
疑いの目でこちらを見るオーロラ姫は、?マークを沢山付けた私の顔をじっと見た。そして何も分かっていない私は、さらに訳が分からず首を軽く傾けた。
「あの…オーロラ姫?」
途端、びくりと肩を再び震わした彼はそのまま固まり、次の言葉を待っている。
なので私は、今最も疑問に思っていることを口にした。
「…なぜここにいるのですか?」
そう。まずはここにオーロラ姫がいる理由を知りたい。だってここは私の部屋だとキリュウ大将から聞いているのだ。つまりは誰にも侵されないプライベート空間というやつなのである。
それなのになぜ…?というのがまず初めに疑問に思ったことだった。
なのに、
「…………はぁ。」
大きく溜息をついたオーロラ姫は先程と打って変わって肩をげんなり下げた。そしてもう一度深い溜息をつくと、「…そう。」と妙に納得して見せ、こちらに近付いてきたのだ。というか、なんだかオーロラ姫ってすごく失礼な人間な気がするわ…。最初にあった時とまるで別人じゃない。
オーロラ姫がすぐ側まで来て、見下ろされるような形になった。一瞬目が合ったものの、すぐに外されてしまう。そんな彼の拳はぎゅっと固く握られていた。
「実は国王の命令で、夜はここで過ごすことになったから。」
ぶすっとした顔は相変わらずで、オーロラ姫は顔をそっぽに向け、言葉だけを私に放った。それも投げやりに、どうでも良さそうに、半ばやけくそで。
………………………ってあれ?今なんて言った?
「聞えなかったの?きょ・う・か・ら・こ・こ・で・よ・る・を・す・ご・す・か・ら!」
………………………。
「ええーーーーーーー!!!!」
カッと瞳をこれでもかと大きく開き、私は必死に彼の胸ぐらを掴んだ。
「ど、どういうことですかーー!?!?!?」
ガクガクと揺さぶられるオーロラ姫は、されるがままになっており、それが一層真実味を増す。もうどうにでもなれって諦めた顔をしているし。
けれど私はすぐに信じることも受け入れることも出来ず、ただただオーロラ姫に縋るばかりだった。
「婚約者だからって共に夜を過ごせと言われた。」
「君は嫌だろうけど。」
「ま、それは僕も同感だ。」
「けれどそれを拒否できる立場にいない。」
「君も馬鹿ではないから分かるだろう?」
「だから仕方なく従うことにした。」
顔は横を向いたままのオーロラ姫は、化粧気のない綺麗な切れ長の目だけこちらに向け、矢継ぎ早にそう言った。
ようやく事情がのみ込め、ゆっくりとオーロラ姫の胸元から手を離す。きっと私の顔は今、真っ白だろう。数時間前に言われた国王命令が、急に現実味を増した。
――あのたった数分の出来事が、すでに私の人生を狂わし始めているのだ。
思っていた以上に強い国王の権力に、私は両腕を抱きしめ、ぶるりと震えた。
「まぁそういうことだから。」
オーロラ姫はすでに決心がついていたのか、それとも投げやりになっているだけなのか。私が寝ていたベッドの反対側に周り、そそくさと布団の中へ入り込んだ。
「も、もしかしてここで寝るのですか…?」
「もちろん。」
「そんな…。」
すると、オーロラ姫はむっとした顔をこちらに向け、
「勘違いしないでよ。別に何もしないし、君相手に何もしたくないから。」
「…!」
「それにこうやって寝るのが嫌なら、君がそこのソファで寝なよ。僕は風邪引きたくないからここで寝るけど。」
そう言って、体ごと私の反対側に向けてしまった。
べ、別に勘違いとかしてないからね…!
ただ男女が一緒の布団で寝るのは、その…、あんまりよろしくないかな、と思っただけであって…。
「わ、分かったわ!」
ばっと掛け布団を勢いよくめくると、私はベッドを飛び出し、ソファの元へすぐさま向かった。オーロラ姫の上にあった布団までめくってしまったけれど、これからの自身の身を案じると、そんなこと心底どうでもいい。
「え…、もしかして本当にソファで寝る気?」
めくられた布団を体に掛け直すためか、上半身起こしたオーロラ姫が私に問う。
その問いに、
「もちろんよ!」
勢いよく答え、私はソファに体を押し付けた。そりゃあベッドには劣るけど、今までの貧乏生活舐めないでよ!こんなのうちにしてみれば上の上の上なんだからね!
「まぁ君が良いなら良いけど。」
そして「おやすみ」と一言言うと、オーロラ姫は体をベッドに倒そうとし、動きを止めた。
「そういえば…、女たるもの化粧は落として寝た方が良いよ。将来シミしわの原因になるから。」
無駄に女子力の高い言葉で私に忠告すると、今度こそオーロラ姫はベッドに身を委ね、すぐに寝息をたてはじめた。
「……………。」
はぁー…、なんでこんなことになっちゃったんだろう。
私は静かに体を起こし、深い深い溜息をついた。
考えても混乱するばかりで、これという答えも出ない。
うん。とりあえず化粧を落とそう。
そして一日寝てみれば、夢だったと笑えるかもしれないから――…。