逃げるが負け
◎
「お願いですからお休み下さい…!」
馬に跨ったまま、馬車の窓を強引に開いたのは、銀色の鎧を纏ったキリュウ大将。そんな大将に、フラウジアは柔らかな微笑みを向けた。
「まだ二時間しか経っていませんよ。キリュウ大将。」
(だからそのむさ苦しい顔を早く退けろ)
と、心の中で思っていることは一切表に出さず、ただただ美しい微笑をキリュウ大将に向けていた。それがこの男には一番有効なのである。
「な、なんと…お美しい…!じゃなかった。しかしお休みされなければ、姫様が倒れてしまいますぞ!」
「まだ短時間ですもの、大丈夫ですわ。それにカシオもいますし。」
「そうですよキリュウ大将!俺の治癒魔法舐めんな☆(ウィンク)」
そう言ったのは、真っ白な服を纏い、肩までの金髪をオールバックにした派手な男。はっきりとした男前な顔立ちで、少し垂れた瞳に愛嬌がある。がしかし、そこはかとなく馬鹿そうな雰囲気を醸し出していた。
「それが上司に向かってする態度かーー!!!大体お前は好かんのだ!!治癒魔法がちょっと使えるからと、S級魔道士になりよって!!まさかとは思うが、姫様にまでそんな態度では無かろうな。」
「まぁ、俺とオーロランは心と心が通じ合った友だからね!そりゃあいつもこんな感じ―…」
「ならば切る。お前を地獄の果てに送ってやるぞ!!!」
「う、うわ!俺あんまり攻撃魔法使えねぇのに、キリュウ大将ひどすぎっ!」
「死ねぇーー!!!」
「この人本気で切りにきてんだけどっ!ちょっとモルルン助け―…うわっ!」
「自業自得。それにモルルンって呼ばないで。気持ち悪い。死ね。」
カシオに冷ややかな視線を送った少年は、黒いローブの横から長い木の杖を取り出し、カシオに向けた。
「えっ!嘘でしょっ!今の状況見えてる?キリュウ大将から絶賛攻撃受け中なんだけど!っていうか攻撃特化魔道士が、俺みたいなか弱い治癒魔道士に攻撃するなんて犯罪だよね!法を犯してるよね!」
「大丈夫。君の生きてきた痕跡を消すから。この世にカシオ=ニペアがいたという事実自体を抹消してあげるから。」
「ちょちょちょっ待って!一回話し合おう!モルルンは俺の親友でしょ?友達はあだ名で呼び合う、これ常識!俺のこともカシオーレで良いから!これでプラマイゼロだぜ☆」
「……良い死の旅路を。」
ズドオオォォォォーーーン
今まで歩いてきた山道がモール=ドールによって放たれた雷砲で破壊され、鬱蒼と茂っていたはずの木々が一瞬にして真っ黒になった。焦げ臭い煙が辺り一面に漂う。
しかし攻撃の的になっていたカシオは、元いた場所から十メートルほど右へ移動しており、何とか無事だったらしい。キラキラと光る金髪を撫でながら再びモールの側へ馬を進めた。
「モルルン危ないじゃん!死ぬとこだったじゃんっ!」
「あれ?おかしいな。生きてたの?」
「おいっ!愛の裏返しだろうけどこれはやりすぎだろ!」
そこへキリュウ大将が参戦する。
「モール、これはやり過ぎだろう。」
「っち。なぁーに、おじさん?」
「…………どうやらおぬしも指導せねばならぬようだな。」
「正直言ってヨボヨボのおじいさんに負ける気がしないんだけどぉ?」
「なっなんじゃとぉぉぉおおお!!!!」
「おお!!もしかしてモルルンってば俺のためにキリュウ大将を挑発してる!?くそっ!惚れそうだぜ☆」
「そこの馬鹿は黙ってて。いや、むしろ僕が黙らせてあげる。」
「よそ見とはいい度胸をしておるなーーー!!!」
と、外で騒がしく行われている喧嘩に、フラウジアは「はぁ。」と額に手を当て、溜息をついた。まだ目的地まで数日かかる。それなのにすでにこの体たらく。後ろの若い甲冑騎士達も困惑しているようだ。
フラウジアは仕方なく御者に馬を止めるよう指示を出した。そして馬車の扉を開け、三人に向かって凛とした大きな声を出した。
「お静かに!これは遠足では無いのですよ!分かっていますか!」
先程まで騒がしかった場が一転、フラウジアの鶴の一声で静寂が訪れた。
「キリュウ大将!あなたはこの中で一番の年長者。あなたがこの隊を纏めなくてどうするのですか!」
「も、申し訳ございません…!」
「カシオ!あなたは少しお黙りなさい!今回の仕事では一切モールのことを“モルルン”と呼ばないこと!」
「え!?まじ!?…まぁオーロランの頼みなら仕方ないぜ…。」
「そしてモール!森を傷つけるなんて言語道断!今日からコルバドチーズはお預けです!カシオ、代わりにこの森を出来る限り回復させておいてください。」
「え!?ご、ごめん!だからチーズだけは…。」
しゅんと小さくなったキリュウ大将とモールの後ろで、カシオは魔法陣を地面に描き、木々や草に治癒魔法かけてゆく。
白い光の粒が森を舞い、十秒ほどで元ある姿に戻った。
「ありがとうカシオ。」
「お安い御用☆それより…」
魔法陣を足で消し、フラウジアの近くに来たカシオは、スッと彼の胸元にある石を指差した。
「通信石が光ってるぜ!」
その指摘にフラウジアも今気付いたらしい。下を向いたフラウジアは「あっ」と小さく声を上げ、通信石を手に取った。
すると同時に石から眩い光が溢れ出し、人型の姿が宙に浮かび上がる。はじめはゆらゆらと映像が揺れていたが、だんだん鮮明になり、ついにはアルトレイトの姿をくっきりと映し出した。
「皆さんお疲れ様です。」
その言葉に反応するように、フラウジア以外の者達は一斉に片膝を地面に付けた。
「おっと、顔を上げて下さい。色々分かったことがあったので報告しようと思ったのですが、その状態では聞きにくいでしょう?」
「はっ!ありがたきお言葉!」
キリュウ大将の言葉を合図に、キリュウ大将、カシオ、モールの三人は顔を上げた。一方、後方に控える甲冑騎士達は、項垂れたままである。その様子に、アルトレイトは苦笑いを少し零したが、再び柔らかな笑みに戻った。
そのやり取りが終わった瞬間、待ちきれないように、
「犯人がわかったのですか!?」
フラウジアは噛り付くように問いただした。その顔には焦りの色が見える。
そんなフラウジアを落ち着かせるため、アルトレイトはわざとゆっくり答えた。
「――…それも含め、皆さんにお伝えしなければいけないことが三つあるのです。」