2 交錯
事務所にいる長月から、白い影は始末するのではなく、まずその正体を探ることになったと連絡があった。ただ現段階で正体を知ることを第一優先事項しているだけで、すぐに変更になるかもしれない、ということも伝えられた。
危険因子かどうかはともかく、事務所に攻撃をしたためにそう判断が下されたのだろう。あとは所長であるアイリスの一声で行動は変わる。
「どうやら茜奈と茜夏も捜索に加わるらしい」
「えー」如月は嫌悪感を一切隠していない票所に成った。「なんで茜夏も出るわけ? なにができるの、あいつに」
「茜奈のコントロール」
「そんなのつっきーでもできるじゃん。もう奪っちゃいなよ」
「お前は俺をどうしたいんだ……」
月宮は射干玉と別れ、如月と合流した地点から移動することにした。射干玉に連絡をとれればいいのだが、あいにく連絡先を知らない。そもそも彼女が携帯電話を所持しているかどうかも怪しかった。
射干玉が白い影に辿り着き、それを事務所に報告、それから月宮に情報が回る、と面倒な段階を踏むことになるが、致し方ないことだ。
「これからどうするの?」横を歩く如月が訊く。狭い道を歩いているため、彼女の肩がぶつかっていた。
「もちろん白い影を追う。ただあまりにも情報がないから動き辛い。また向こうから来てくれるとありがたいんだが」
「こっちは二人いるから、それは難しそうだね。そうか、さっき一緒にいた事務所の人もいるから三人か。うん、余計に無理だね」
「どうだろうな」
「え?」
「人数が多い方が一網打尽にできて得だろ。それを狙って誘導をしている可能性だって否めない」
「それだとおかしくない?」
「攻撃してきたことがだろ?」
「うん」如月は頷く。「二人に気取られるような攻撃をしたんだから、たぶん牽制の意味があったんだと思うけど、そんなことをするより、もうそこで仕留めた方が、確実性があるよ」
「事務所がどんな奴らがいるところか知っているならそうするだろうな」
先の出来事では、ウィンクがそうした。異能を持つ茜奈と、事務所に所属する月宮と長月をまとめて排除しようとした。彼女の戦闘は合理的だ。どこで能力を使うべきか理解している。
「じゃあ、白い影は事務所を狙ってないってこと?」
「おそらくな。誰でもいい――とまでは言わないが、特定の誰かを狙っているわけじゃないと思う」
誰でもいいのなら多くの人々が行き交う商店街に行けばいいし、特定の誰かを、たとえば事務所を狙っているのなら、如月の言うとおり牽制をする必要はない。
白い影は意図して攻撃をしてきている。ただ殺したいとか、ただ戦いたいという理由ではない。もっと別のなにかのために、月宮と射干玉に殺意とナイフをぶつけてきたはずだ。ただの愉快犯というわけじゃないだろう。
誰でもいいわけじゃない。
かといって事務所を狙っているわけでもない。
しかし月宮たちに牽制した。
(気付かせるため……か?)
そのメリットは考えるだけ無駄だ。相手の素姓がわからない以上、それに対する答えを見つけることなど不可能である。
ただ相手が力のある者を狙っていたことは頭の片隅に置いておくべきだ。おそらく月宮に牽制したのは、事務所の人間であることを知られているからだ。力のある者が集まる事務所の一員かつ面が割れているから狙われた。射干玉はただ近くにいたため。
力のある者に気付いて欲しい。普通に考えれば、強い者と戦いたいと思っている戦闘好きだろう。しかしそれならば逃げる必要はない。あの場で仕掛けてもいいくらいだ。
「如月」
「うにゃ?」
「お前の仲間に戦闘好きっていたか?」
「いたよー。騎士道精神というか、正々堂々と真正面から戦いたいって子はたしかにいたよ。扱いやすいようなそうじゃないような子だったね」
なんとなしに訊いてみたが、如月もまた同じように答えた。彼女にとって仲間が、家族が死んだことはそれなりの出来事であったはずだ。乗り越えたというべきか切り捨てたというべきなのか。
そういえば、と月宮は思う。如月から他の生贄について訊いたことがなかった。彼女がどう思っていて、どう意識していたのかも知らない。
日神を思っていることはわかっている。長月を生き残りの一人として大事にしていることも見ていてわかる。
ならば、死んだ相手のことをどう思っているのか。
こうもあっけらかんと答えられてしまうと、少し疑問に思えた。
「じゃあ不意打ちしてでもって奴はいたか?」
「不意打つくらいなら仕留める」
「そうだったな」
やはり「戦いたい」というよりは「遊びたい」という感覚に近いのかもしれない。気付かせて逃げる。まるで鬼ごっこのようだ。
対面していないと思考のトレースが困難だ、と内心で呟いているときだった。
月宮たちの前に黒い影がどこからともなく振ってきた。カラスが墜落したのではないかと月宮は思ったが、しかしそれはカラスにしては大きい。
そもそも月宮はその黒い影を知っていた。
「……見つかったのか?」
その一言でその正体を知らない如月は、黒い影が事務所の人間であることに気付いたようだ。緊張が解けた面持ちになっていた。
射干玉はこくりと頷き、ついてこいと言わんばかりに踵を返した。白い影を追跡しようと駆け出したときよりも心なしか速度が低い。
「行くぞ」
「うん」
※
白い少女の姿が黒い影によって視界から消えた。自分の前に誰かが立ったのだと気付くのに数秒かかったのは、狂ってしまった身体の機能が本来のそれを取り戻す時間が必要だったからだ。
ぼやけていた視界が鮮明になっていき、その後ろ姿から目の前にいる人物が女性であると判断できた。上から下まで黒い衣服着ており、スカートだと思ったそれはパレオのようだった。
「やけに騒がしいから来てみれば、これはビンゴかな」
「ビンゴ? なんのこと?」
「きみが気にすることじゃないよ」
そう彼女が告げた瞬間、左側の建物の壁になにかが衝突した。そのときに発生した音はただコンクリートが砕けるだけでなく、もっと柔らかいものが潰れるような音でもあった。音無の思考はまったく事態に追いつけておらず、「え……」と言葉を漏らしたのは、衝撃による土埃が薄れ始めてからだった。
そこには、ぐったりと地面に投げ出された腕があり、その周囲には赤い液体が広がっている。その腕に変異の痕跡があることから、それがルーチェだとわかった。
「こいつで間違いないのか?」
壁に目をやっていた音無は、ふいにした男の声のもとへと視線を移した。黒装束の女の横に好青年そうな男が立っていた。その瞳には欠片が宿っている。
(いつの間に……)
展開の早さに音無はまだついていけていなかった。ルーチェによって狂わされた思考が、別の要因で混乱していたのだ。
この二人は何者なのか。
「間違いはないが、蹴り飛ばすのは間違いだろ。正体を探るだけが私たちの仕事じゃないか」
女は振り返り、音無に手を差し伸べた。前屈みになった彼女の胸元は強調され、まず視線がそちらに誘導されてしまった。それから慌てて顔を窺う。やはり見たことのない人物だった。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます……」音無は彼女の手を取り、ゆっくりと立ちあがる。
「危ないところだったね。死にたかったのか?」
あまりにも無抵抗な様を見られていたようだ。音無が悔しさに押し黙っていると、彼女は続けた。
「私の知り合いに……と言ってもあまり親しくはなかったんだが、とにかくその知り合いは生きることをけして諦めなかったよ。たとえ、相手が理解の範疇を超えていたとしても、全力で立ち向かった。きみは彼女を見習うべきだね」
「そう、ですね……」
知らない相手の話を聞かされているはずなのに、なぜかその人物を知っているような気がした。もしかしたら共通の知り合いなのかもしれない。人はどこで誰と繋がっているかわからないものだ。
「で、あんた何者?」と男が訊いた。この男も誰かに似ている。
「私は都市警察の音無舞桜といいます」
「舞桜ちゃんか! きみも可愛いな! いや綺麗系か。うん、どちらにしても私のタイプだ」
「そうか。それで、そこの赤いのはなんだ」
男は黒装束の女を無視して続けた。
赤いと称したのは白髪白肌のルーチェが今は血で赤く染め上がっているからだろう。絶命してしまった可能性は否めないが、その可能性はかなり低く思えた。彼女の回復力ならば、たちまちもとの姿に戻れるはずだ。
彼らには訊きたいことがあるが、同時に説明しなくてはならないことも多い。
命を救われた恩があるため、音無は知っていることを話すことにした。
「私にも詳しいことはわかりません。ただ名前はルーチェといい、武器を作り出したり、傷ついた身体を再生したりできます。今は気絶しているようですけど、すぐに目を覚ますと思います」
ある程度の開示は仕方ないとはいえ、さすがに「街の外」から来たとは言えない。なにもかもが規格外であるため、混乱を招く恐れがある。たとえ彼らがこの状況に一切の動揺を見せていないとしても、それだからこそ容易にそのことを話すわけにはいかなかった。
二つの能力を語ったというのに、二人は眉ひとつ動かさない。もしや彼らもルーチェと同じように「街の外」から来たのだろうか、と推察する。
ルーチェのことを知らなくとも似たような存在を知っているのなら、動揺しないことにも頷けた。
「私は彼女を保護しようと思っています。あなたたちはどんな目的で彼女を追っているんですか? ルーチェを追っていたようですけど」
答えたのは男の方だった。
「白い奴に襲われそうになったから、そいつの正体を探ってくれと友人に頼まれただけだ。ここまで白い奴はそうはいない。だからこいつだと思った」
嘘ではないが、正しくもない。そういう返答だ。音無が一番怪しいと思っているのは、友人という部分である。彼がその言葉を発する前に、ほんの少しだけ躊躇いのような間があったからだ。
しかしそのあたりは言及しても仕方ないことだ。とにかく彼らは正体が知ることができればいいらしい。
「じゃあ、この子はこちらが保護しても構いませんね」
「それはどうだろう」今度は女。「私たちは正体を知りたいんだ。舞桜ちゃんからの情報を信じていないわけじゃないが、ここに丁度本人がいることだし、彼女の口から真実を訊き出したい」
確かな情報を得るには、やはり本人の口から事実を訊き出す以上のことはない。彼女を知っている誰かがいないのだから、ルーチェ以上に彼女を知っている者はこの街にはいるはずがなかった。
「我々が情報を訊き出します」
「そんな遅れた情報なんかいるかよ」男が鋭い視線を向けてくる。「あんたはこのガキに負けたんだ。俺たちは勝った。優劣はできてるだろ。ガキはこっちが回収する」
「不意打ちでしょう」
「それでも勝ちだ。それともなんだ。さっきの情報で命を拾えた分の恩を返せたと思ってるのか?」
「思ってるわ」
「安い命もあったもんだな」
「高いよりはいいでしょう」
「まあまあ。そんなことよりなにか臭わないか?」仲裁に入った女が指摘をした。
言われて、音無は臭いを嗅いでみる。たしかにここは臭う。最も酷いのは火薬の臭いだろうか。いや、同じくらい血肉の臭いが充満している。身体が拒絶反応を起こし、反射的に嗅ぐことを中断する程度だ。
しかしそれは彼女たちが現れてからも変わっていない。今更指摘を受けるようなことじゃないと思えた――そのときだった。
微かな風が路地裏に吹いたことで気付く。
充満している火薬の臭いの中に、未使用の火薬の臭いがあった。
(いけない!)
音無は二人の傍に近づき、風で全員を包み込んだ。今日使った中でも最大の勢いを持ったそれは、轟音を立てながら吹き荒れる。
そして。
視界を、周囲の世界を、白い閃光が塗り潰し、橙、赤と続いて色が変わる。吹き荒れる風と耳を塞いだおかげで鼓膜を守ることはでき、衝撃も防ぎきったが、それでもその爆発の凄惨さは地面を伝わってきた。
地響きが治まり始めたころ、音無は開いていた右の瞼を閉じ、閉じていた左の瞼を開いた。自分の身の安全はわかっているため、二人の状態を確認する。
「あー、あー。うん、鼓膜は大丈夫のようだな。そっちは?」
「問題ない」
どうやら二人とも無事らしい。閃光が放たれる直前に行動が目に入ったが、彼らも音無と同じようにすぐさま耳を塞いでいた。視力も低下していないようだ。ほとんど同じ動きをしたのだろう。
「またこれか……。どうやら私は爆発に縁があるようだ」
嬉しくないな、と女は嘆き、音無を向いた。
「すまないが、この風を退かしてもらえるか? ルーチェちゃんがどうなったのかを知りたい」
「今そうしようとしてたわ」
いまだに吹き荒れる風を解くと、濃い灰色の煙と焼き焦げた臭いがなだれ込んできた。手で口元を押さえ、ルーチェの倒れていた場所を確認する。
音無たちを挟む建物の壁はどちらも損壊が大きい。特に爆心地である方は、ほとんど三階までの壁がなくなっていた。一階で被害があった部屋は物置だったようだが、二階はどうだったのか、怪我人がでたのかなどはわからない。
反対側の建物は一階部分が崩れているだけで、内部まで被害があるようには見えなかった。
なにより注目してしまうのは、やはり飛び散った血肉だろう。鮮やかな赤色のものもあれば、焼けて黒くなっているものもある。
普通の人間ならば死んでいるだろう。《欠片持ち》でもかなりの損傷を予想できる肉片が散らばっていれば同様だ。
しかしルーチェは生きている。
「ふむ。これが再生ってやつか」
誰もが凝視しているのは件の肉片や血だまりが少しずつ消滅している様だ。少しずつ砂が風で散るように消えていく。この速度から考えて、ルーチェが特異だとはいえかなりのダメージを受けている。
「人払いを習っといてよかったな」女が呟くように男に告げた。音無はその意味を理解できなかった。なぜ「人払い」に「習う」なのか。普通は「頼む」とかだろう。
「追えるか?」
「無論だ。あんな可愛い子を逃すはずがない」女は頷き、振り返る。「それじゃあ舞桜ちゃん、また今度」
「ちょっと待って」行こうとする彼らを呼び止める。「どうしてルーチェの居場所がわかるの? それがあなたの《欠片の力》?」
「いや」女は笑みを浮かべる。「勘だ」
予想外の答えに音無は思考停止になる。勘であそこまで堂々と逃さないと言えるものだろうか。まるで理解ができない。
ルーチェほどではないが。
音無は路地裏の奥へと消えていく彼らの背を見ていた。もし彼らが来なければ音無は死んでいた。理解ができない、許容範囲を超えた存在に、身体が拒否反応を起こし身動きが取れなくなってしまった。
しかし次はそうならない。
理解できないことを知った。
許容範囲を超えていることを知った。
知ったからこそ、今度は立ち向かえる。
今度こそ彼女を助け出してみせる。そして今の彼女がどれだけ間違っているのかを教えなければならない。人並みの幸せを求めてこの街に来たというのなら、その望みを叶えたいと言うのなら、少なくとも今の彼女のままでは門前払いもいいところだ。
拳を強く握り締め、音無は風を感じた。世界に吹かなくとも、国に吹かなくとも、街に吹かなくとも、道にだけ吹く微弱な風はある。それは人が生み出すものであり、あるいは鳥が、虫が生み出す本当に小さなものだ。
それを音無は感じ取る。その風の中にいるルーチェを捜した。
「見つけた」
音無は迷うことなく、一歩を踏み出した。
たった独りの少女を救うための一歩を。




