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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第1章
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1 訪問

 クーラーの効いた部屋というのは、たとえ夏の暑さから逃れられるとしても居心地のいいものではない。少し熱のある風の方が幾分もマシだ、と月宮湊つきみやみなとは思っていた。そのため一人でいるときは自室のクーラーを起動させることがまったくないといっていい。


 しかし、今は一人ではない。狭い部屋には三人いて、それでクーラーを点けないでいるというのはこの季節では厳しい。我慢比べや節電に心がけていないかぎりはそんな無謀なことはしないだろう。そもそもクーラーがないというのなら話は別だが。


「なあなあ、秋雨ちゃん。勉強なんてしていないで、お姉さんといいことしないか?」


「いいこと? 楽しいことですか?」


「そうだよ」


「じゃあ、これが終わるまで待ってくれませんか?」


「今がその気分なんだけどなあ」


 現在、月宮の部屋には、秋雨美空あきさめみく茜奈せんながいた。


 秋雨は八月三十一日だというのに宿題が終わっておらず、仕事の休みだった月宮のもとへやってきていた。実際のところは仕事が休みなのではなく、事務所に行く必要のない仕事があるのだが、似たようなものだったため、彼女の訪問を承諾した。


 一方の茜奈は、月宮の仕事が彼女を事務所に引き入れたために発生したものだとどこかから情報を得て(こういう言わなくてもいいことを言うのはだいたいアリスだ)、なんの連絡もなしに部屋を訪れた。


 そんなそれぞれの理由で月宮のアパートを訪れに来た二人は、部屋に着く前にばったりと再会を果たしたのだった。お互いに会いたがっていたのだが、意外とその機会はなく、こうして意図しないかたちで成就した。


「そういえば、茜奈さん、事務所に入ったんですよね?」


「うん? そうだな。めでたく新入所員となった」


 茜奈は茜夏せんかと事務所に所属することになった。茜夏は彼女にとって家族そのものであり、血の繋がりよりも強い絆が結ばれている関係である。今のところは茜奈が一方的に茜夏に恋心以上のものを抱いていて、茜夏の心も彼女に惹かれていることは間違いなかった。茜夏自身それに気付いているが、まだ不確かなものとして心の片隅に置いておきたいようだ。


 そんな切っても切れないような関係の二人なのだが、茜奈は常人よりも他人に好意を抱きやすいようで、事務所員にも手当たり次第に声をかけていた。誰一人としてその気持ちには応えなかったが、彼女はまだ諦めていないらしい。


 あまり面倒は起こして欲しくはなかったが、今の生活に満足しているのなら、月宮は余計な口を出すつもりはなかった。


 思えば、茜奈たちは姫ノ宮ひめのみや学園の面々と境遇が似ていた。両親はおらず、どこかの組織に拾われ、そして自分たちが生き残るためにその力を振るった。こういう境遇の話に弱いのだろうか、と月宮は思ったのだが、姫ノ宮学園の一件以前はこんなことをしたことはなかった。


 あの一件が心を変えるほどのことだったとは月宮には思えなかった。たしかに水無月みなづきジュン、星咲夜空ほしさきよぞらという自分に酷似した存在に出会ったこととはいえ、あくまでそれだけだ。


 だから時が刻まれていくに連れ、月宮は違和感を憶えていった。


 自分の行動を改めて理解しようとすると、どうしてそのときそう思ったのか、まったくわからなかったのだ。


 また同じことがあったら、今度は然るべき対処を事務所の方に、アリスの方に委ねようと思っていた。本来はそうするべきなのに、今までは無茶をしすぎていた。こうして家に仕事を持ち帰らなければならなくなったのも、姫ノ宮学園の一件からだ。


 いつだったか秋雨が身体を壊すことを心配していたが、そろそろ現実になりそうだった。


 怪我をするだけならよくあることだけれど。


「どんな仕事をしてるんですか?」


「今のところは、資料整理と買い出しくらいだな。新人らしく新しい環境に慣れる段階だから、大きな仕事を任されることはない」


「そうなんですね」


「ただまあ私と一緒に入った奴が私よりできる奴でね、早くも厄介者扱いだよ」


 やれやれ、と言わんばかりに茜奈は肩を竦めた。


 たしかに茜夏の方が茜奈よりも仕事が早い。茜奈が誰かを口説いていることを差し引いても、仕事慣れをしていることは明らかだ。


 だからこそ茜奈には真面目になってもらわなければ困るというものだ。今は裏方の仕事をしているが、彼女の持つ力が発揮されるのは戦闘であるため、このままでは彼らが望まない仕事をせざるをえなくなる。


 ただの《欠片持ち》であれば、そうは実戦投入されない。しかし茜奈の能力は希少かつ強力なものだ。アリスとしては利用したくてたまらないことだろう。


 茜奈の能力。


 それはすべてを喰い尽くす「暴食」の力。


 魔術でもなければ、《欠片の力》でもない。


 月宮と同類の異端なのだ。


「神の力」に等しいわけではないが、それと同じように人の身でありながら宿していいものではないもの。魔術師たちのように知識や準備がなければ、到達しえないと言われている地点に茜奈はいる。


 月宮と茜奈の力の違いは、デメリットがないことである。月宮は能力を強めれば強めるほど、使えば使うほど、その身体うつわに、その魂にダメージを負う。強力な能力が故の反動を受ける。しかし、茜奈にはそれがなかった。その点でいえば「暴食」の力の方が上だ。


 考えてみれば、この部屋はかなり常軌を逸している空間だった。


「月宮くんはそんなことしてませんよね?」


「まあね」


 茜奈の視線を感じたが、月宮は仕事を続けた。今回のペナルティがこんな書類程度で済んだのは奇跡だ。この奇跡を存分に噛み締めたかった。


「月宮くんは比較的私に構ってくれるよ。からかいがいはこれっぽちもないが、素気ない態度というのもそそる」


「そそる?」


「本当は罵倒の一つでもしてくれればいいのに、それもないからなあ。その点は茜夏に似ているかもしれない」


「茜夏さんは月宮くんに似ているんですか?」


「雰囲気は似ているな。ただ茜夏の方がかっこいい」


 茜奈は仕事を、秋雨は宿題をやらずに話を続けている。いったいなにしに来たのかわからない状況になっているが、月宮にはやるべきことがあるため指摘はしない。


「機会があれば会ってみたいです」


「うーん。会わせてもいいんだけど……」


 そこで初めて茜奈は言い淀み、身体を引き摺るようにして月宮に近づいた。相変わらず露出の高い服を着ているが、この季節では珍しくない。ただその色は黒だ。熱吸収率は高いため、夏にふさわしいとは言えなかった。


 茜奈は月宮の耳に口を近づけて囁く。


「ちゃんと彼女を繋ぎとめられるのか?」


「どういう意味だよ」月宮は目だけを彼女に向けた。


「ほら、茜夏に会って、秋雨ちゃんがホの字になったら、きみも嫌だろう?」


 くだらないことを心配しているな、と月宮は顔には出さずに呆れた。ただそういう話に花を咲かせるというのは女子らしいのかもしれない。普段から秋雨が日神たちとそういう会話をしている可能性だって充分にあった。


 この手の話を思いきって切り出すのは、間違いなく如月だろう。秋雨は自分からはしないだろうし、長月は聞き専だろう。日神は話をかき乱すか、きちんと終わりへと向かわせるのかのどちらかだと思えた。


「別にどうも思わない」


「本当か? きみみたいなのが、案外自殺したりしそうだが」


「ねえよ……」


 そう簡単に死ねるのなら、とっくの昔に命を落としているだろう。その機会は何度もあった。事務所員である充垣染矢あてがきそめやに、琴音ことねに、何百何千と殺されかけ、命を拾われている。不殺命令がなければ、彼らは容赦なく月宮を殺害していた。


 仲間意識など充垣たちにはない。彼らが共通して月宮に対して思っているのは、いい弾避けか、便利な囮くらいだ。個々でいえば、充垣はストレス解消の的で、琴音は財布である。仲間とはほど遠い。


 生かされている、という実感はあった。


 生き残れた、という安堵も幾度もあった。


 だからこそ簡単には脱落できないことが、直感的にわかっていた。


「そうだな。でももし自殺しようって思ったときは、まず私に行ってくれ。きみを堪能するから」


「安心しろ。お前に黙って死んでやる」


「やってみるがいいさ」


 茜奈は月宮から離れ、秋雨の横に移動した。二人の距離はほとんど密着しているといっても過言ではない。見ているだけで暑そうだった。


「なんの話だったんですか?」


「ん? 仕事だよ」


「いいなあ。私も仕事の話とか言ってみたいです。かっこいいですよね」


「アルバイトでもしたらどうかな。秋雨ちゃんは可愛いから、どこでも引っ張りダコだろう。なんなら私が雇いたいくらいだ」


 もしそんなことがあれば全力で阻止しよう、と月宮は思った。男も女も関係なく愛してしまう(その頂点にいるのは茜夏)のが茜奈であり、ある意味では事務所で働くよりも危険だといえる。


「やってみたいですけど、親が許してくれませんよ」秋雨は笑みを浮かべた。「両親の反対を押し切ってまでアルバイトをしたいとは思いませんから、きっとその程度の願望なんです」


「いやいや、両親の言うことには従った方がいい。特に愛を感じられるものならなおさらだ。秋雨ちゃんのご両親は可愛くて仕方ないんだろうな」


 両親に捨てられた茜奈が言うと、その言葉には重みがあった。彼女の過去を知らない秋雨にはただのアドバイスにしか聞こえなかっただろうが。それは茜奈がまったく雰囲気を変えずに話しているためでもある。


 秋雨はなにか言いたそうだったが言葉にはできず、ただ頬を染めて照れるだけだった。なんに対して照れているのか自分でもわかっていないのだろう。


「まあでも、秋雨ちゃんは働く必要なんてなさそうだがな」


「どうして、ですか?」


「素敵な旦那様ができるからだよ」


 茜奈の視線が月宮に向き、それに誘われるように秋雨も視線を向けてきて、なにを想像したのかさっきよりも顔が赤く染まり、あっという間に顔を伏せた。


「ああ、可愛いなあ。この純粋さがたまらない」


 茜奈は包帯の巻かれた“左手”で秋雨の頭を自分の身体に寄せた。彼女は他人に接するときは左手にするように心がけていた。


「秋雨をからかうのはやめてくれ。まだ宿題が終わってないのに、ショートしたらどうするんだ」


「私が責任を持って結婚する」


「どんな責任の取り方だよ」


 能力がデタラメだから性格もデタラメなのだろうか、と月宮は考え始めていたが、すぐにそれが自分にも当て嵌まってしまうことに気付き、茜奈の思考がおかしい、という答えに着地することにした。


「ふむ、それにしても秋雨ちゃんから発せられる熱が凄いな」茜奈は服のファスナーを下げ始めた。


「脱ぐなよ?」


「脱がなければいいのか?」


「あと黙っていてくれ」


「それはできないなあ」


 しばらくすると、秋雨が正気を取り戻した。まだ顔はほんのりと赤くなっているが、落ち着いている。ただ茜奈に抱かれていることには心底驚いていた。


「ところで月宮くん」


「なんだ」


「きみの部屋は面白くないね」


「大きなお世話だ」


 月宮の部屋を初めて訪れた者は、なぜか口を揃えてそう言った。月宮自身、個性的な部屋だとは思っていないし、特に気にしているわけでもないため、模様替えをするつもりもなかった。個性的にしたところで、今までと生活が変わるわけじゃない。


「ここは本当に男子高校生の部屋か? それとも親元を離れたら、男子高校生とはいえこうなってしまうのか? それは嫌だな」


「嫌とか言われても困る」


「それに少し煙草臭い。まさかとは思うが、喫煙者なのか?」


「そっ、それはね、愛栖あいす先生がよくここで吸うからだよ!」


 その問いに答えたのは月宮ではなく、秋雨だった。やや焦りながらだった。


「愛栖……ああ、愛栖愛子あいすあいこか。一回だけ会ったな。いい身体をした魅力的な女性だった」


「どこに魅力を感じてんだ……」


 愛栖愛子は、月宮と秋雨のクラス担任であり、事務所の一員でもあった。最近の仕事は専ら情報伝達であり、どちらかといえば教師業の方が中心になっている。可愛い女子や、煙草と酒を好み、面倒くさがり屋だけれど、その実力は折り紙付きだ。月宮は三度、彼女に助けてもらっていた。


 一度目は去年の春。


 二度目は日神ハルの件。


 三度目はミゼット・サイガスタの件。


 愛栖は月宮の唯一頼れる大人でもあった。咎波や、おそらく年上である琴音は仕事で頼れるにしても、同じ仕事をしているときにかぎる。月宮がまず助けを求めるのは愛栖だ。それほどに信頼をしていた。


「なんとなく彼女の身体を思い出したら、小腹が空いてきたな」


「冗談でもやめろ」


 彼女の食欲と性欲によって、この世から消えた人間は少なくない。ほんの少しでも右手に触れてしまえば、誰もが平等に消滅する。月宮だって例外ではないだろう。思い付く例外は一人だけだった。


「なにか買ってきましょうか?」と秋雨。


「いや、ここは月宮くんになにか作って欲しいな」


「えっ、でも」


「わかった。待ってろ」


 そう言って月宮は立ち上がり台所へと向かう。


 ヤカンに水を入れ、コンロで火にかけた。


「なにができるんだろう。楽しみだな」


「あのぉ……」


「ん? どうした」


「月宮くん、料理できませんよ」


「え?」


 月宮は戸棚から買い置きしてあるカップ麺を取り出し、蓋を開けた。お湯さえあれば三分だが、お湯がなければ時間がかかるのがこの食品だった。


 揺らめく青い火を見ながら、お湯ができるのを待つ。


 月宮宅のインターフォンが鳴ったのはそんなときだった。

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