1 星と花
朝の穏やかな日光を浴びて目を覚ました。柔らかいベッドから起き上がり、身体を天井に向かって、ぐっと伸ばした。身体の疲れはない。
シャワーを浴びてから、自室を出た。
彼はいるだろうか、と思いながら、食堂の扉を開いた。何十人と掛けることのできる長いテーブルが部屋の中央に置かれ、白いテーブルクロスの上には、ナフキンの上に並べられた銀食器、ワイングラスを広げて潰したような器に盛られたフルーツは、まさに上流階級の食卓そのものだった。
彼は黙々と食事をしていた。相変わらず黒い服を好んできている。帽子は被っていないようで、起きたばかりを表すように髪が可愛らしくはねていた。
他にも数人いたが、他はどうでもよかった。
「おはよー」
挨拶の声をかけると、彼は食事を中断し、口に含んだものを飲み込んだ。それからグラスに入れられたジュースを飲んだ。
「おはよう、花火ちゃん」
「隣、いい?」
「いいよ」
花火が横まで来ると、彼は立ち上がり、彼女のための椅子を引いてくれた。「ありがとう」と言うと、彼はにっこりと笑みを浮かべた。
「体調はどう?」
彼は席に着いて言った。
「ん? 別に大変じゃなかったから疲れてないよ」
「でも、死にかけたじゃん」
「むっ。たしかにそうだけど……」
あとほんの少しでもタイミングがずれていれば、あの右手が触れていた。彼女の手は見慣れていたが、あれほどまでに大きく見えたのも、脅威に感じたのも初めてだった。命を狩られるのではなく、消滅させられることが、あまりにも恐ろしかった。
瞼を閉じれば、いつでも思い出すことができる。笑っていたあの口を。
二つの口はたしかに笑っていたのだ。
「なんてね。花火ちゃんの仕事はしばらくないから、どこかでバカンスでもしてきたら?」
「そういえば、今日はあまり人がいないね」
「うん。やってもらうことがあったから、それを手伝ってもらってる」
「私も手伝ったわけだけど、なにか意味があったの? なんだっけ? すべての事象は最終的には集約する? あれ、全然意味わからないんだけど」
「僕たちの行動にはすべて意味があるってことだよ。僕たちだけじゃない。すべての人間、人間じゃないものの生き方、成り方が世界を大きく変えるんだ」
「私が両親を殺したことも?」
「だからこそ、僕たちは出会えた」
「そうだね。それはいいことだっ」
花火は今でも両親の顔を思い出すことができる。彼らと過ごした日々を昨日のように懐かしむことができる。けれど、それはあまりにもどうでもいいことだった。忘れられない記憶というのは大切なものよりも無駄なものが多い。大切な記憶ほど思い出しにくいものだ。
両親を殺して、悲しむことはなかった。後悔もない。つまりその価値もなかった人間たちだったということに他ならない。
だけど、もしも横に座る彼に、不必要だと言われたとき、花火はきっと涙を流すだろう。悲痛な気持ちになるだろう。それほどまでにかけがえのない存在であり、彼女の人生において重要な存在だった。
「きみがしたことの意味はね、簡単に言えば“世界を繋ぐための鍵”を開いたのと同じことなんだよ」
「なにそれ」
花火はけらけらと笑う。
「御伽話?」
「そうそう。そんな感じ」
彼も笑う。
「とりあえずは一件落着。茜夏くんと茜奈ちゃんの絆が深まったことは予定にはなかったけど、まあそれはどうでもいいことだ。あとは”彼”が自身の能力について知ることだけだね」
あの二人の名前は茜奈と茜夏というのか、と花火は思った。明日には忘れているだろうけれど、今日くらいは憶えておこう。それくらいの仲ではあったはずだ。
「そういえばまだ訊いてなかったけど」
「ん?」
「楽しかった?」
花火は「ウィンク」として過ごした日々を思い出した。たくさんの人を殺した。犯罪者も、一般人も、《欠片持ち》も平等にその命に終わりを与えた。彼らの最期はどんなものだっただろうか。泣いていた? 笑っていた? 震えていた? 気絶していた?
思い当たるすべてが答えであり、それを目の前で見ていた花火は自分がそのときに抱いた勘所を呼び起こしてみた。
頭の中で同じことを再現してみる。
花火のように散る彼らの身体の様を。
床や壁に飛び散った血液の跡を。
次は自分の番だと怯えていた人間の顔を。
自然と笑みが零れた。
「楽しかったっ!」
次は誰を綺麗に咲かせてみせようか。
それだけが楽しみだった。




