6 死よりも罪深く
九番街の様子を確認したあと、月宮はそのまま事務所に戻った。事務所に到着すると、射干玉は無言のまま立ち去った。アリスの命令を終えたと判断したのだろう。それを判断するのはアリスだとは思うが、しかしそのあたりの打ち合わせは二人の間で過去に終えている可能性もあるため、呼び止めることもなかった。
長月と二人でアリスのいる部屋に入る。彼女はまた優雅にティーカップを持っていた。
「おかえり」
とアリス。
「どうだった?」
「犯人は茜奈って奴だ」
月宮は単刀直入に言った。
アリスは特に驚く表情も見せず、「そう」とだけ呟くように言った。今回の人体消失事件の犯人が茜奈だと知っていた――とも考えられる反応だ。しかしおそらくそうではない。ただ興味がないだけだろう。
「根拠は?」
「《欠片持ち》でもなく魔術師でもないからだ」
もしそうであるのなら、誰かしらの感知の網にかかる。《欠片持ち》なら都市警察、魔術師なら事務所と。その二大組織でも追えないとなれば、それはもうその条件に当てはまっている月宮と同じと考えるべきだ。
魔術も《欠片の力》も所持していない。
けれど彼らを圧倒できる力。
それを所持している。
アリスは月宮の横にいる長月に目を向けた。安易に“神の力”について話すわけにはいかないため、その注意を払っているのだろう。
「長月はどう思うの?」
「私ですか?」
「他に長月がいるのなら紹介してほしいわ。《欠片持ち》でも魔術師でもない存在。それは、いったいなんだと思う?」
「そうですね」
長月はほんの少し考えた。
「月宮湊と同じ――というわけではありませんが、それに該当する人物を一人知っています」
「誰?」
「水無月ジュン」
長月は答えた。
「彼女は魔術を使うことはできず、《欠片持ち》でもありません。ですが、それらに匹敵するとも劣らない実力を持っていました」
錬金術のもたらした白い剣によって。
姫ノ宮学園に関わることは、如月や長月には伝わっている。水無月ジュンについてのこともそうだ。所有者の関係性を犠牲にすることで永遠を得られるその白い剣のことも聞かされている。
『永遠は孤独であるが、孤独は永遠でなし』
たしか白い剣を製作したといった魔術師がそう言っていた。月宮は嫌な奴の嫌な記憶を思い出していた。思い出したくないことほど、些細なことで浮かび上がってくる。
「そうね、彼女も当てはまる」
「ですが、きっと違うのでしょう」
「それも正解。そういった魔術的要素を含んだものは隠すことが難しい。特に『永遠』なんて、人間が無意識に求めているものだから、その影響力、存在力は大きいわ」
その剣は、世界から乖離しているかのような白色をしていた。どこか浮いているようなのだ。それだけがこの世界のものではないように浮き彫りになっている。だからこそ、その刃が描く軌跡を目で追ってしまう。
目を引き付ける力、本能を揺さぶる力が桁外れなのだ。アリスの言っていたように永遠に近い存在だったからこそ、人間はそれを注視せざるをえない。
求めていたものが目の前にあれば、意識から外すことなどできやしない。
「湊の眼、感覚を信じるのなら、その犯人が被害者から奪っているのは命、身体だけじゃないということ」
月宮は答え合わせをしているかのように頷いた。推測が間違っていなければ、犯人は彼女しかありえない。
「魂……ですか?」
長月が答えた。
「そう。つまり被害者は一般的な『死』を迎えたわけじゃない。存在そのものを喰われてしまったのよ。人間が死を迎えたときに到達するのが、神界なのか、はたまた冥界なのかは想像でしか語れないけれど、今回の被害者はそうならない。輪廻転生もない。生命のサイクルから外れてしまったから――外されてしまったから」
生命はその“根源”から生まれ、そこへ還るという説がある。死を迎えた人間の経験と知識を“根源”で収集することで、次世代の子孫に引き継げる。デジャヴとはつまり、過去の人間の経験を一時的、瞬間的だが思い出すということだ。
白枝畔やそれ以前に茜奈によって消失した者たちは、このサイクルから外れたことになる。それは人間として失格であり、存在した意味もなく、すべてが無駄であった。
その“根源”に経験と知識を付与できない――それは普通に生きていれば絶対に起きえないことだ。『死』を迎えれば、等しく還れるのだから。
生命の一つとして、魂の一つとして無駄なものはない。すべての人間が集合的無意識下によって、不老不死を、あるいは神界への到達を目指している。
つまりこの説は知識と経験の積み重ねこそが結果を生むという考えなのだ。
月宮は斜め読みをした本の内容を思い出しながら、サイクルを外せるほどの力がなにかを考えた。誰もがまず思い付くのが、神だ。人類の枠内におらず、万能の力を有する神ならば、生命のサイクルを外す力を与えることができるだろう。
ただその場合、茜奈は人の身にして人の枠を超えた力を持つことになり、月宮と同じように存在の崩壊を起こす可能性がある。人間の身体という器には、その力はあまりにも大き過ぎる。
しかしなぜそんな力を与えられたのだろう。どういう経緯でそこに至ったのかは想像が難しい。
ただ茜奈が魂を奪っているのは間違いない、と月宮は思っていた。あのとき、茜奈の右手に感じた寒気がそれを証明している。あれは月宮が魂を神界に送ったときの感覚に近い。存在を削る感覚と。そして茜奈の右手は、どちらかといえば姫ノ宮学園の関係者の魂によって作られた《終焉の厄災》に似ていた。感覚としては同じ。
あの魔法に近い魔術を目にしたときに疼いた瞳が、そう語っていた。
「しかし、もしそうならここの人たちが黙っていないんじゃないですか?」
長月は冷静に指摘した。
「生命のサイクルに触れるものだというのなら、それこそ放っておくわけにはいかないでしょう。過去、現在、未来、すべての人類に関わる問題ですし」
「だけど、それでも姉さんは命令を下さない」
アリスはティーカップを持ち、一口飲んだ。
「それはやっぱりその必要がないから、と考えるべきだと思う」
「所長さんが神でもないかぎり、その判断は安易だと思うのですが。信頼、信用をしているのはわかります。これまでも所長さんの言葉は正しかったのでしょう。だけど、それは絶対ではないのでは? 今までがそうであっても、これからがそうであるとはかぎりません」
「それも否定しないわ。でもね、ここでは姉さんが絶対なの。どんなに疑わしくても、それに従うしかない。世界の動き、流れ、均衡を見る目が誰よりもあるのは姉さんなんだから、それは当然でしょう?」
「つまり茜奈という犯人は、人類の脅威かもしれないけれど、世界の脅威でない、ということですか?」
「まあせいぜい街の脅威といったところね」
たとえ生命のサイクルを乱すといっても、それは数えられる程度だ。人類の脅威になるにはよほど遠い。アリスの言うとおり、茜奈は街の脅威でしかない。
しかし月宮にとってそれは、世界の脅威と同義だった。この街の脅威である以上、彼女を放っておくにはいかない。
「それで、湊はどうするの? こっちは特に命令をして、始末するようには言わないわ。どうせいつか終わることでしょうし」
そのいつか、が問題だ。
それまでにあの手が届いてしまうかもしれない。月宮と同じ、あるいは類似の力を持つというのなら、その右手が届いてしまう可能性がある。
それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。
約束を守るために。
「あいつに届き得る脅威だというのなら、ここで終わらせる」
「事務所は動かないわよ?」
「俺ひと――」
と、言いかけたところで、月宮は足を踏まれた。痛みはなかったが、それに続き、蹴りまで入れられた。もちろん犯人は隣にいる長月だ。
月宮は視線を向けた。
「私たちがいますよ。忘れないでください」
長月は無表情だが、反論を許さないと目で語っていた。そしてそれが揺るがないことも月宮にはわかる。この目をすでに何度も見てきた。日神ハルを救いだそうとしたときも同じ目を月宮に向けていた。
「……わかった」
「わかればいいです」
月宮は改めて、アリスを見た。あえて言葉にする必要はないのだが、だからこそ言葉にして伝えた。
「俺と長月、そして如月の三人でこの件に当たる」
「しくじらないでね」とアリスは心配しているようなことを言ったが、明らかに楽しんでいるかのように笑みを浮かべていた。
しくじるわけにはいかない。
もしそうなれば『死』よりも悲惨な終わりが待っている。




