3 生への執着
「物質変換ねえ」
それが白枝畔の《欠片の力》だった。触れたものの形を変える力。資料によれば、その効果は非生物かつ目に見えるものにかぎるらしい。たとえば人間に触れて、犬や猫に変換させることはできないようだ。
しかしそれでも厄介な相手には変わりない。剣を持っていても、その次の瞬間にはそれが銃になることもある。選択の幅が広すぎるため、対策のしようがない。
都市警察ということもあってまともに訓練を受けている。その動きは一般人のそれを超えていると言ってもいい。体術の指導を受けたことのない茜夏たちに比べれば、白枝は鍛え上げられた兵士だ。
だが、だからこそ型にはまらない茜奈に圧倒される。
簡単に凌駕される。
茜夏は目の前で起きる超常現象を尻目に手元にある資料に目を向けていた。仲介屋から送られてきた都市警察の情報が記載されたそれは、明らかに内部の人間がリークしたに違いないと思えるほど、詳細なものたった。
責任感、正義感が強く、それ故に単独行動を取りやすい――などと狙ってくださいと言わんばかりの性格だ。もちろんそれを利用しない手はなかった。
白枝が単独行動をしている前で、茜奈が茜夏に襲われる、という演技をしただけで、あとはとんとん拍子で事が運んだ。人目につかない場所に移動するのも簡単だった。人質を取られていれば、住民の安全を第一と考える都市警察の連中は手を出せない。
そして今、茜奈に圧倒されながらも白枝が逃走できないのは、罠に嵌められたとわかっていながらこの現場から脱しないのは、その性格のせいだった。
ここで放っておくわけにはいかない――そう考えているはずだ。
茜奈の力を見ているから、白枝は逃げることができない。
なぜなら、茜奈こそが、都市警察が血眼になって捜索している行方不明者を生む犯人だからだ。責任感、正義感の強い白枝は、ここで茜奈から目を離すわけにはいかない、と立ち向かうしかないのだ。
そうしなければ、新たな犠牲者が生まれてしまう。
たとえどんなに不可解な相手でも、不利な状況でも、そのことが白枝畔をこの場所に縛りつけている。
この倉庫街で、その正義を果たさなければならなかった。
「楽しい! 楽しいぞ!」
茜奈は嬉々とした表情を浮かべながら、その“右手”を振るった。
右手は彼女に放たれた銃弾を容赦なく喰らう。すべてを無に帰すあの右手の前では速度も、威力も関係なかった。
「写真で見た感じじゃあ寡黙そうだったのに、ここまで熱い戦いをするとは!」
たしかに白枝は表情が豊かそうな人間には見えなかった。いつも眉間に皺を作り、自然と目付きが鋭くなってしまう。そんな生真面目そうだった。それは資料で性格の欄を見る前から感じていたことだ。
そしてそれは正しかった。白枝は茜夏の姿(演技)を見るなり、表情一つ変えずに都市警察であることを名乗り、人質役である茜奈を解放するように告げた。
仲間を呼ぶことも、本部に連絡をすることもできたはずなのに、白枝は単独行動に出た。
よほど自分の力に自信があったのかどうかは不明だ。だがやはり白枝に悪手を撃たせたのは彼女自身の性格だった。
今、白枝はそれを後悔しているだろうか、と茜夏は彼女の表情を窺った。焦燥と疲労の色が濃く見えた。
「なんで……」
白枝が茜奈を見据えながら声を漏らした。
「なんで、瞳が光らないのよ。どう考えてもその力は《欠片の力》でしょ……」
精神的にも、身体的にも限界が訪れているようだ。しかしそれでも白枝は諦めたりしていない。絶望の淵に立っていることを知りながらも、果敢に攻めている。
足もとに落ちていた錆びたネジを拾い、それを《欠片の力》で別のなにかに変換する。
形状から考えて閃光弾だろうか、と茜夏は予想した。
白枝はそれを地面に思いっきり叩きつける。一瞬で倉庫内が真っ白になった。だがその光は不規則な動きをしながら収縮していき、そして一点に集まっていった。
茜奈の右手だ。
「やれやれ、こんなもの使っては白枝ちゃんの可愛い顔が見られなくなるじゃないか。まったく、注意してほしいものだ」
予測よりも早い効果時間に、白枝の表情はさらに絶望の色が増した。光ですら無意味だと知ることが、どれだけ彼女にダメージを与えたのだろう。
少なくとも、自身を犠牲にしなければ勝てない相手だと認識できたはずだ。
あるいはそれこそ無意味な行為だと気付けたはずだ。
白枝畔が現段階で、無策で乗り越えられる修羅場ではない。聡明な彼女はそのことをようやく認めたことだろう。
彼女は足から崩れ落ち、両手を床につけた。黒髪が暗幕のように垂れ下がった。
「人の話を聞いているかい?」
茜奈は言った。
「私は白枝ちゃんの顔が見たいんだよ。あ、いや、その四つん這いが私になにをされてもいい、という意味ならば、私は喜んで白枝ちゃんの身体をまさぐるよ」
たとえ目的の相手だろうと、守備範囲内の容姿をしているのなら、茜奈はこうして饒舌に語る。決して余裕を見せびらかしているからではない。ただその欲求を晴らしたいだけだ。
白枝の返答がなく、茜奈は肩を竦めてゆっくりと彼女に近づいていった。
「あなた、そんな趣味があるの」
「まあな。私は気に入った相手なら男でも女でも食べてしまうぞ。引いたか?」
「別に。誰がどんな趣味を持っていようと、それを引くことも笑うこともしないわ。個人の勝手ですもの。相手の了解を得たのなら問題ないじゃない」
「了解してくれ」
「……いいわよ。どうせ、死んだも同然なんだから」
はたして茜奈が精神崩壊を起こした相手と“遊ぶ”ことに興味があるのかは定かではないが、白枝畔がなんらかのリアクションをとるのは考えづらかった。
「しかしあれだな、こうして茜夏の前で行為に及ぶというのは、恥ずかしくもあるが興奮するな」
「黙ってろ」
茜夏がいる場所は茜夏たちから十メートルほど離れている。白枝が爆弾などを容赦なく使ってきたこともあり、多少は距離を取った方がいいと考えたからだ。なによりあの右手に巻き込まれたくはなかった。
爆破の衝撃を茜夏に到達する前に喰らい尽くすほどの効果だ。下手に共闘などして右手に掠りでもすれば喰われてしまう。
(爆弾……?)
ふいに茜夏は茜奈ではなく白枝について思考を巡らせた。
いや戻した、と言った方がいい。
気になったのは「爆弾」という単語だが、それだけじゃない。
それに続いた行為、行動だ。
爆弾の衝撃すら無効にすると知る前から彼女は決して近接戦闘をしなかった。相当な警戒心があったことは理解できる。得体の知れない相手なのだからまずは様子見、遠くから動きを探るのは常套手段だ。
住民の安全を守ることが第一とはいえ、それは凶悪犯には当てはまらない。彼らを住民として守ってしまえば、また犠牲者が現れるからだ。
白枝はそのことを理解し、だからこそ爆弾を使った。それはあっけなく茜奈によって無効化されたが、爆発すら無意味であることを知れたはずだ。
だとすれば、閃光弾を使った意味はなにか。
もちろん目晦ましのため、というのはわかっている。しかしそれがなにに繋がるのかが問題だった。逃走か、反撃か。考えられるのはこの二つだ。
白枝畔ならどちらを選ぶか――それは考えるまでもなかった。
彼女は無駄な行動はしない。一縷の望みにかけるようなこともしない。計算に計算を重ね、万全の策を持って反撃に出るだろう。
その時間を与えたのは、茜奈に他ならなかった。
「よしよし、今可愛がってあげるからな」
茜奈がまた一歩、白枝に近づいた。彼女に動きはない。
茜夏は倉庫内を見まわし、白枝の策を探った。そしてそれはすぐに発見できた。ただその発見は嬉しいものではなかった。
(これはやべえな)
※
もう少しで白枝畔に触れられる、というときだった。
茜奈の瞳に映ったのは、白枝の不敵な笑みと右手に持ったなんらかのスイッチ。近寄らなければ垂れ下がった髪で視認できなかったのだ。
白枝がスイッチを押した。
その瞬間、倉庫内が音で埋め尽くされた。膨れ上がった音の塊は行き場をなくし、窓ガラスや壁を打ち破ってまで外界へと飛び出した。
倉庫そのものが一つの爆弾になったかのようだった。
舞い上がった土埃が晴れていき、茜奈は自分が生きていることに気が付いた。あらゆるものが音に蹂躙され、その命の鼓動すら静止してしまったのだと思っていた。しかしどうやらまだ生き残っているらしい。
「やっぱり、そっちも《欠片持ち》か」
白枝畔の独白が聞こえ、彼女の生存も確認できた。そもそも白枝が自分の策に巻き込まれるとも、自身を犠牲にして茜奈たちを倒そうなどと考えるとは思っていなかった。
完全に晴れた視界に映ったのは、無数の碇のような形をした鉄塊だった。倉庫の天井に目をやると、いくつかの照明器具と鉄骨がなくなっていた。
「悪いな、まだ俺たちは死ぬわけにはいかない」
茜奈の横に立っていた茜夏が言った。彼の瞳には欠片が浮かび上がっている。その能力は「加速」――自身の行動速度のみを上げられる。おそらく彼がその力で救ってくれたのだろう。白枝がスイッチを押す前に、彼女の策に気が付き行動に移した。
見れば、茜奈たちがいるのは倉庫の出口に近い場所だった。そこが安置だったのだろう。
白枝との距離は広まっている。
彼女は髪を掻き上げた。美しい、と茜奈は身を震わせた。
「地雷でも仕掛けられてると思ったが、どうやらその心配はいらなかったようだな」
「私はこの目で相手の終わる瞬間を見ないと気が済まないの。私が死んで、あなたたちが生きていたなんてことになったらとんだ笑い話よ」
「つまり、どういうことだ?」
茜奈が訊いた。
「あなたを仕留め損なったってだけよ。反応できなければ、あなたはその右手で身を守ることもできない。それを確認できただけ」
千載一遇のチャンスだったのに、と白枝は吐き捨てた。
なるほど、と茜奈は思った。白枝畔はやはり聡明だったようだ。無闇に爆弾を使い、無謀にも銃を使い、無残にも閃光弾を使ったわけじゃない。すべてはこの罠のため――この罠に至るための確認だったのだ。
茜奈と対峙しながらも、けして茜夏から意識を外さず、見事に立ちまわっていた。
閃光弾を使ったのは、《欠片の力》を使用したことを隠すため。あの状況なら逃走のための一手ともとれなくはないが、彼女にその選択はない。かといって反撃の一手に出るわけでもなかった。彼女は自暴自棄を演じただけだ。万策尽き、諦めたと見せかけていただけ。
茜奈の顔に自然と笑みが浮かぶ。これまでとは違う種類の笑みだ。
「なんだ、そういうことか」
不気味な笑みを見たせいか、白枝が瓦礫を拾い上げ能力を使用した。いつでも応戦できるように、と。
彼女はまだ諦めていない。まだ生き残れると確信している。
その生が輝いていた。
「こんな私とまだ遊んでくれるのか。なあ、茜夏。そういうことなんだろう? 彼女はこんな私を相手にして逃げないんだ。これは、そういうことなんだろう?」
「……そうだな」
心の底から笑いが込み上げてくる。それこそ爆弾のように弾けてしまいそうだった。それを抑えようと、茜奈は左手で右腕を掴み、震えを止めようとした。
嬉しい。
ただその感情だけが、茜奈の心を埋め尽くしていく。埋め尽くすだけじゃない。すでに溢れ出し始めていた。湧き出る感情に蓋をすることができなかった。
あれだけ力の差を見せたのに、白枝畔は諦めていない。
そのことがただただ嬉しかった。
今まで茜奈と戦ってきた相手は、彼女が《欠片持ち》でもない「なにか」だと知ると驚愕し、その圧倒的な力を目にして生きることを諦めた。
敵わない。
敵うわけがない、と。
早々にその命を茜奈に対して手放した。
手放されてばかりの人生を送ってきた茜奈にとってそれは、あまりにもつまらなく、そして悲しいことだった。
いつでも、どこでも、誰でも、茜奈に対してそうしてきた。気持ち悪いからと距離を置き、関係を放棄した。わからない感情でもない。得体の知れないものが近くにあれば、誰だって遠ざけたいものだ。仕方のないことだ、と茜奈もわかっている。
だが、どうしても連想してしまうのだ。
両親が自分を手放した瞬間を。
私たちは家族だからと、当初は笑っていた孤児院の人間が笑わなくなったときを。
だから茜夏の存在は彼女の中では大きい。手放されてきた人生の中で、唯一共に行動をしてくれている。血は繋がっていないが、家族以上に家族な存在だと茜奈は思っていた。
そんな彼が隣で言う。誰も立たなかった隣で。
「目一杯遊んで来い」
「もちろん、そのつもりだ!」
目の前の遊び相手に敬意と称賛を送り、彼女の最期の瞬間を彩ろうと、変わり果てた倉庫の中で一歩踏み出した。




