5 踏み出された一歩の影響
充垣はすることがなくなり柵に座って船を漕ぎかけていた。
散々はしゃいでいた快楽殺人者は魔術師でもなく、黙らされて地面に頭を擦りつけるのは容易だった。無抵抗の女性を苦しめた結果として鍛えられただけで、戦闘スキルはそれほど高くなかった。あるいは充垣自身が強すぎたせいかもしれない。
そのへんの判断は今となっては難しい。ここのところ充垣が相手をしたのは咎波と月宮くらいだ。それなりに特訓をしている月宮ですらまだ充垣よりも弱い。その月宮よりも手ごたえがなかったのが快楽殺人者だった。
縄で縛った快楽殺人者を見る。額から血を流し、顔はほぼ赤一色だった。気絶しているため動きがない。
本当にもったいないことをした、と充垣は思った。こんなつまらない思いをするのなら、月宮の邪魔でもした方が幾分もましだった。今となっては件の魔術師にズタボロにやられてしまえと願うばかりだ。
ふと充垣が通ってきた左側の道に気配を感じて顔を向ける。眠気は吹き飛び、いつでも戦える状態だった。
「終わった?」
現れたのは琴音だった。右手になにか持っている。
「当然だろ。ほら、あそこで気絶してる奴」
充垣は指した。
「そう」
琴音は興味ないようだった。
「それ、なんだ?」
充垣は琴音の右手に握られている麻の袋を見た。サイズがそれなりにあり、底の方の色が濃くなっている――いや、濃いというよりは別の色だ。黒にも近く、さらには地面に水滴が垂れていた。
充垣は察した。
「もしかして頭か?」
「うん。一応始末した証拠としてね」
しかし琴音が返り血を浴びた形跡はなかった。白いローブを羽織っているため、少しでも血が付着すれば目立つはずだ。しかし見当たらない。ローブを外してから解体したのだろうか。
「なにか情報は?」
「ないよ。だから殺した」
「まあ、そうか」
「あっちは?」
「あれも大したことねえ――」
充垣は言いかけて、縛り上げた快楽殺人者を見た。
頭部がなくなっている。
座った状態は保持されたまま、頭部だけが綺麗になくなっていた。洪水でも起きたかのように首の断面から血が流れ、迷彩服を汚していった。
「……お前がやったの?」
充垣は琴音に訊ねた。
「邪魔でしょ」
「なにしたんだよ……」
「見えなかったのならそれまで」
充垣は言及を諦め、肩を落とした。相変わらずの化物並みの強さを披露され、自分の強さに迷いが生まれる。咎波のような人間的な強さならばまだ望みはあるのだが、ここまで絶望的な力量差を知ると心が折れそうになる。誰よりも強者でいたい充垣としては、琴音とそして所長の壁は大きかった。
「それにしても、よく袋なんか用意してたな。普段から持ち歩いてるわけ?」
「これは相手が持ってたやつを使ってる。本当はこれ」
琴音は宝石を取り出した。
「たんまり入ってた」
「どうりで機嫌が良さげなわけだ」
「あいつは持ってそう?」
「いや、ただの殺人者。なにも持ってないだろ」
今まで殺してきた女性の身体の一部など持っていそうでもあったが、それを伝えたところで琴音が興味を示すわけじゃないため発言は控えた。
「魔術師が相手だったのか」
「たぶん」
「ってことは、問答無用だったわけか」
充垣は相手の魔術師に同情した。
「宝石ってのは魔術に使えるもんなのか?」
「宝石には神秘性と魅惑の力があるとされていて、その理由としてこの鉱石は世界の魔力が込められているから、という説があるの」
「世界の魔力?」
琴音は溜息をついた。間違いなく充垣の無知さに呆れている証拠だった。
「この星自身の魔力だと思ってくれればいい。星にだって生命力はある。それが蓄えられたものが宝石。宝石に満ちた魔力と術師の魔力を合わせるから少ない魔力消費でも強い魔術を使える。ただ扱いが難しい」
「なんで」
「自分のものではない魔力を扱うことになるから」
「へえ」
「でもきちんと扱えれば強力な魔力補助の道具になる。たとえば広範囲の空間を歪めたり、狭い範囲なら空間に穴を開けられたり」
「おいおい、それって――」
突如、強い力を感じ取り、その方向に目を向けた。
遠くの方――月宮が進んだ方向に、光が差し込んでいた。その光は空間魔術を貫き、その衝撃のせいか夜空が波打っている。やがて光は四本に増え、次第に消えていった。
その正体不明の光について、琴音に訊ねようとする。強過ぎる力を感じ取ったせいか、汗がじわりと滲んできていた。彼女は変わらない。
琴音は充垣に視線を向けると、ただ一言「危ないよ」と言って二歩下がった。充垣は月宮の身の危険について言われたのかと解釈したが、しかしそれが勘違いだったことに気付く。
さっきと同じ方向から強い光を感じ、それを認識した。そしてそのときにはすでに遅かった。
光が充垣たちの前を通過した。その射線上にあった快楽殺人者だったものは、光に呑み込まれ姿を消した。
衝撃と輝きに、充垣は腕で目を守った。いつの間にか柵に座ることをやめて、腰を低くし、地面を足の指で掴むように堪えていた。砂埃が舞い上がり、校舎の窓が軋む音がしている。
細めた目で琴音を確認すると、まったく動じていなかった。ローブがバタバタと音を立ててなびき、彼女の髪も同様だった。それでも琴音はじっと光源を見つめている。
やがて光が急速に消滅すると、辺りはまた静まり返った。光の通った道は焦げたように黒くなり、地面を十センチほど抉っていた。
「なんだ、今のは」
「今のが星の魔力――その塊」
「これが宝石魔術かよ……」
「違うよ」と琴音は付着した砂埃を払いながら言った。
「は? 違うのか?」
「今のは宝石魔術の結果。月宮の作った歪みとそれを利用した宝石魔術で、“精霊”を呼んでる。月宮の相手の魔術師の研究成果」
「気付いてたのか? いつから?」
「初めから“精霊”はいた。ただ魔術師が隠していただけ。それも宝石魔術。便利でしょう?」
※
如月トモは長月と一緒に買い出しに向かっている最中だった。秋雨の追試の予定は最初に自習があり、そのあとに試験だ。追試にしては緩いというべきなのか、追試だからこそ緩くていいのか。いまだ経験をしたことがない如月にとっては判然としない。
追試が終わる時間まで教室の前で待機していようとしたが、担当教師に近づかないように言われてしまったため、こうして追試後の打ち上げのために買い出しに向かっていた。如月と長月の中ではすでに秋雨が追試を通ることが決定されていた。
「購買が開いていればなー」
如月は口を尖らせた。
「もう夏休みに入っているのですから、やっていなくて当然です。それともトモが購買の人に給料を支払いますか?」
「それは嫌だなあ」
「そうでしょう。購買の人だって給料がもらえるからといって、夏休みにまで働きに出たいとは思っていないはずですよ」
「はーちゃんはアルバイトに行ったよ」
「それは私たちが不甲斐ないからです」
「うあー。私たちってなにできるんだろうね」
「この世界でなければ、使われ道もあるのでしょうけれど」
「それはつっきーが許してくれないよ」
「当然です。私たちは望んで平穏な日常を手に入れたのに、生活のためだからといって元の世界に戻っていくなんて馬鹿ですよ」
「馬鹿すぎて、今度は本当に殺されるかもね」
如月は笑った。
「笑いごとではありません……」月宮に敗北した経験を持つ長月は、当然笑うことはできなかった。
アスファルトの歩道を歩いていると、度々小学生らしきグループとすれ違った。プールバックを持っていたり、サッカーボールを持っていたり、虫籠を肩から下げ虫取り網を握っていたり、と。
姫ノ宮学園にいた子供たちの姿が重なる。同じように健気に、純粋に生活していた彼らを見て、可愛いだとか元気だとか、そういうふうに思ったことはない。
ただただ、可哀想だと思うだけだった。
姫ノ宮学園がどういう場所かも知らず、自分たちがどうなってしまうのかもわからないのに、与えられた教科書で勉強し、与えられた環境で育っていく。自由など彼らにはなかった。
彼らがあの世界から解放されてよかった、と言えるかどうか。
如月はそれをよく考えていた。
「トモ?」
黙ってしまっていた如月を気にした長月が名前を呼んだ。この声一つでも今がどれだけ平和なのかがわかる。
「どしたの?」
如月は訊き返した。
「いえ、急に黙ってしまったので」
「んー。考えごとかな。ほら、追試終わったあとってなにが一番食べたいんだろうって」
「そんなことを考えていたんですか」
長月は呆れていた。
「そうだよー。私は経験ないからね。いっちゃんはあるんだっけ? ねえ、追試が終わったあとってなに食べたいって思った? 追試ってどんな感じ? 一人ぼっちの教室って辛い?」
「からかってますね?」
「うん」
「トモ!」
「ひゃあー」
そんなやり取りをしていると、如月たちは声をかけられた。
振り向くと、そこにいたのは長身の男だった。身長は百八十センチ程度、身体の線は細く女性的でもあった。髪は男にしては長い。天然パーマなのか、それとも人工なのかはわからない。
どこか月宮に似ている――そんなふうにも見えた。
「誰?」と如月。
「俺の名前とか素性はどうでもいいんだけど、黄色い和服を着ていて、天狗みたいな下駄を履いたガキを見なかったか?」
如月も長月もすぐに頭に浮かべることができた。
なにせ、朝に出会ったばかりだ。
「見たよ」
「どこ行った」
「さあ?」
「方角は」
「真っ直ぐ進むとはかぎらないよね」
「いい度胸してんな」
「よく言われる」
如月と長身の男は視線をぶつけた。
「トモ、そのへんにして」
長月が耳打ちをしてくる。
「むう、仕方ないなあ」
「なにか知ってるのか?」
「姫ノ宮学園って言ってたよ」
男はその名前を復唱し、考え始める。なにか思い当たる節でもあったのだろうか。しかし元姫ノ宮学園関係者の如月としては、あの女の子に思い当たる節はなかった。少なくとも関係者ではないだろう。
「あんたらはどこ行くんだ?」
「買いもの」
「あっそ」
そう言うと、男はカーゴパンツの後ろポケットから財布を取り出した。まさか、と如月が期待していると財布の中から紙幣が現れた。
「情報代だ」
男は如月の手に紙幣を握らせ、踵を返して立ち去った。急いでいるようで、ゆったりと歩いていた。人探しとしては実に奇妙でもあるが、如月たちには関係ないことだった。
如月は受け取った紙幣を確認した。万札だった。
「金持ち!」
如月は嬉々とした表情を長月に向けた。
長月は神妙な面持ちだった。
「いまさらあの学園になにがあるというのでしょう」




